「最後の最後に1点を決めて、ゾウがワニに1−0で勝った。いちどは追いついたウマだったけれど、結局はレイヨウに1−2で逃げ切られたよ」
動物園の運動会ではない。21日に開幕したアフリカネーションズカップの話だ。
アフリカでは各国代表に愛称がある。ゾウはコートジボワール、ワニはスーダン、ウマはブルキナファソ、そしてレイヨウ(羚羊)はアンゴラだ。ファンは好んでそれを使う。
動物王国アフリカ。ずらりと動物名が並ぶなか、「ヒト」もある。カダフィの独裁体制が崩壊したリビアはそれまで「緑」だった代表の愛称を「地中海の騎士」と変えた。
さて、1957年に始まったネーションズカップは今大会で第28回になった。欧州もアジアも地域連盟の選手権は4年にいちどだが、アフリカでは2年ごとに開催されている。
16チームが出場し、2月12日に決勝戦が行われる今大会は、「新時代の開幕」と言われている。過去に優勝歴をもつ強豪が、予選で次々と敗退したからだ。最多の優勝7回を誇るファラオ(王様)=エジプトが予選G組で1勝しか挙げられず最下位に終わったのは、昨年の民主革命の影響だったのだろうか。
エジプトだけではない。優勝4回のカメルーン、2回のナイジェリア、1回のアルジェリア、南アフリカといった強豪国が予選落ちし、過去の27大会で優勝経験をもつ13カ国のうち8カ国が決勝大会に出られなかった。
代わって初出場を果たしたのは、予選を勝ち抜いたニジェールとボツワナ、そして共同開催国のひとつ赤道ギニアである。
予選免除で初出場という、あまり名誉ではない形になった赤道ギニアだったが、開幕戦に登場し、ポルトガルのクラブでプレーするMFバルボアの得点でリビアに1−0の歴史的勝利を収めた。
赤道ギニアはギニア湾に浮かぶビオコ島と大陸部からなる人口70万の小さな国。首都マラボはビオコ島北部にある港湾都市で、18世紀には奴隷貿易の中継港だった。共同開催するガボンは赤道ギニアの大陸部の南に広がる人口147万人の国。首都リーブルビルに人口の半数が集まる。
興味深いことに「赤道ギニア」には赤道は通っておらず、ガボンが赤道直下にある。両国とも石油を産出し、経済状況は良い。
「変わりゆくアフリカ」の姿がこの大会にある。もちろんサッカーもレベルが高く、興味尽きないアフリカネーションズカップだ。
(2012年1月25日)
英国レスター市に住むエディー・カークランド氏が思いがけなく1万ポンド(当時のレートで約215万円)を手にしたのは、06年8月17日のことだった。
前夜、彼の息子でプレミアリーグのウィガンでプレーするゴールキーパー(GK)のクリスがイングランド代表にデビューした。その15年ほど前、エディーは公認の賭け業者を相手に「息子がイングランド代表になる」ことに100ポンドを賭けていたのだ。賭け率は「100対1」。1万ポンドは払い戻し金だった。
身長191センチの大型GKのクリス。だが現代サッカーでは、大きいだけではイングランド代表はおろかプロになることもできない。
国際サッカー連盟(FIFA)がワールドカップなどトップクラスの43試合でのGKのプレーを精査したところ、全3150プレーの3分の2に当たる2081プレーが足によるものだった(『FIFA WORLD』1・2月号)。
「華麗なセーブ」ばかりがクローズアップされるGKだが、相手のシュートを止めるときにも、正面にくるボールを立ったままキャッチするか、弱いシュートを拾い上げるプレーが圧倒的に多い。ファンの記憶に残るのはジャンプしてのセーブだが、平均すると1試合で1回ないし2回ある程度なのだ。
今日のサッカーでは味方からパスを受けるプレーがどんどん増えている。DFからのバックパスを大きくクリアするプレーではない。パスを受けて逆サイドに展開するなど攻撃への関与の要求が、チームのレベルが高くなればなるほど高くなっているのだ。
シュートを防ぎ、クロスをカットし、味方への指示などの守備のプレーだけでなく、パスを受けてゲームを組み立てる攻撃の能力も要求されるのが今日のGKだ。当然、フィールドプレーヤーと変わらない足でのプレー能力(ストップ、キック)が必要となる。
Jリーグでもその傾向は明らか。日本代表の西川周作(広島)を筆頭に、攻撃力に特徴をもつGKが増えてきた。横浜で09年の半ばからレギュラーとなった飯倉大樹、プロ9シーズン目の昨年、Jリーグでようやく初出場したと思ったらそのままポジションをつかんでしまった浦和の加藤順大らの足でのプレーは、見応え十分だ。
息子クリスの「代表入り」に大枚100ポンドを賭けたエディーも、翌日から、「足もとのプレーも磨いておかなければだめだぞ」と尻をたたいたに違いない。
(2012年1月18日)
9日(日本時間10日未明)にスイスのチューリヒで行われた国際サッカー連盟(FIFA)の年間表彰式(バロンドール)で、女子日本代表(なでしこジャパン)の澤穂希主将が女子世界最優秀選手に、佐々木則夫監督が女子チーム世界最優秀監督に、そして日本サッカー協会がフェアプレー賞に選出された。
フェアプレー賞は02年にも受賞した。ただし協会ではなく「サッカーコミュニティー」として、ワールドカップのホスト役を果たした韓国との共同受賞だった。今回は東日本大震災のなかで示された日本協会のリーダーシップが評価された。
「団結すること、一丸になることで何が達成できるか、そしてサッカーが国の希望を高め、勇気を与えることを示してくれた」
プレゼンターのクリスチャン・カランブー氏(フランス)の言葉が、この賞だけでなく、3つの賞のすべてを言い表していた。
澤選手の受賞は本当にすばらしい。彼女自身の言葉のとおり、これまで別世界だった「世界の頂点」を身近にし、日本の選手でも世界最優秀選手になれるという大きな夢を、日本の少年少女たちに与えたに違いない。
サッカーはあくまでチーム競技。どんな天才でもひとりでは試合をすることさえできない。その競技に「年間最優秀選手」の表彰が生まれたのは1948年のイングランド。初代受賞者はスタンリー・マシューズだった。
「サッカーの魔術師」と呼ばれた天才も、33歳のこの年まで優勝とは無縁だった。選手生活の最も充実した時期であるはずの20代後半を戦火のなかで過ごさざるを得なかった彼の功績を少しでも将来に残そうと、サッカー記者たちが発案したのがこの賞だった。
これにならってフランスのサッカー誌が「欧州年間最優秀選手賞」を創設したのは8年後の56年。こちらも初代受賞者はマシューズ。41歳を迎えてなお彼はイングランド代表のエースだった(彼は50歳までプロでプレーした)。このフランス誌の表彰が、「バロンドール(黄金のボール賞)」の祖である。
チーム競技であるサッカーの個人表彰は、人間味ある意味が付与されたとき、勝敗を超えた何かを人びとに考えさせる。大災害の被災者たちの勇敢な姿勢に励まされ、世界チャンピオンとなって被災地のみならず日本中に勇気を返したなでしこジャパン。そのシンボルである澤選手と佐々木監督の受賞は、本当に意義深いと感じた。
(2012年1月11日)
「J2の年」―。
元日の天皇杯決勝、京都サンガ対FC東京を見ながら思った。
Jリーグ時代になる以前に、日本リーグ2部チームの天皇杯優勝はあった。しかし2部同士の決勝戦は初めて。しかも、東京は昨年のJ2で優勝してことしはでJ1で戦うが、京都は後半の猛追むなしく7位だった。
だが国立競技場4万1974人の大観衆の前で展開されたのは、間違いなく日本のトップクラスと言ってよいサッカーだった。
この試合のパフォーマンスができれば、東京がことしのJ1で上位進出しても不思議はない。そして京都のショートパスをつなぐ独自のスタイルのサッカーは、J1上位(5位)の横浜を下した準決勝に続き、この決勝戦でもたびたび感嘆の声を上げさせた。
1998年に18クラブだったJリーグに一挙に8クラブを加盟させ、99年に1部(J1)16クラブ、2部(J2)10クラブという形でスタートした「2部制」。「水増しでレベル低下」と懸念する声もあった。経営不振のクラブも続出した。
しかし13シーズンの間に内容を充実させつつ徐々にクラブ数を増やし、ことしのJ2はついに「上限」の22クラブで新シーズンを迎える。年末には、史上初の「Jリーグからの降格」が生まれる可能性もある。
シーズン後には、J1昇格をかけた「プレーオフ」も初めて行われる。1、2位は自動昇格だが、3位から6位の4クラブが「最後の1座」を争うのだ。
昨年、J2から昇格して1年目でJ1優勝という快挙を成し遂げた柏レイソルが、J2の充実を象徴している。ことしの東京に同じことができないと誰が言えるだろうか。
4年ぶりにJ1に復帰するコンサドーレ札幌の奮闘も期待される。わずか7年前のクラブ存亡の危機から初昇格を果たしたサガン鳥栖も、「無名軍団」ながら、運動量を生かした激しい攻守でJ1をかき回すだろう。
3月4日に開幕し、11月11日まで続く12年シーズンのJ2。ことしは、全42節のうち31節を日曜日に開催する。原則としてJ1が土曜日、J2が日曜日と、明確に開催日を分けたからだ。土曜日はJ1の9試合、日曜日にはJ2の11試合が全国で繰り広げられ、J2への注目はさらに高まるに違いない。
新時代を迎えたJ2。その充実は過去10年間の日本サッカーの成長を象徴している。
(2012年1月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。