サッカーの話をしよう

No.924 ヨルダン観光での幸福感

 ヨルダン滞在2日目の3月24日日曜日は、一日中観光だった。
 22日のカナダ戦(カタールのドーハ)の翌日には日本代表はヨルダン戦の試合地アンマンに移動すると考えていたので、23日の便を取った。だがザッケローニ監督はアンマンでの練習は試合の前日だけとすることにし、前々日となる24日の夕刻に移動した。
 日本代表を追って世界中に取材に出掛けているが、試合だけでなく、できる限り練習にも行く。だから通常は観光の時間などほとんどない。だが今回は代表より一日早くアンマンに着いてしまった。「千載一遇」とはこのこと。アンマンから約200㌔南にある世界遺産のペトラ遺跡を訪ねることにしたのだ。映画『インディ・ジョーンズ』を見てから、いちどは行きたいと思っていた場所だ。
 記者仲間の後藤健生さんにアレンジをお願いし、チャーターしたバンで記者7人が朝8時にアンマンを出発。いくつかの観光地を回ってペトラに着いたのが午後2時。それから7時まで、広大な遺跡をゆっくりと歩いた。
 もちろん「自然と人間による岩の芸術」と呼びたくなるような遺跡は、本当に素晴らしかった。雲ひとつない快晴の下、汗をかきながらひたすら歩き、岩山を見上げた。だが最高の一日を演出したのは、世界遺産の遺跡だけではなかった。
 往路の車中ではサッカー談義が尽きなかった。遺跡のなかで日本代表の応援にきている日本人サポーターふたりと会い、そこでまたサッカーの話に花が咲いて時間が過ぎるのを忘れた。最後には、そのふたりと、バンを運転してくれたワリドさん、観光にきていた日本人の父娘連れも含め、総勢12人でヨルダン料理を楽しんだ。
 実は、私にはひとつの気掛かりがあった。この日、東京に残してきた女子チームが大事な試合を戦っていたのだ。だが観光先からでは結果を知ることさえできない。そんなところに行ってしまうことに、小さな後ろめたさを感じていたのだ。
 しかし真っ暗な道を疾走する帰りの車中で私の心を占めていたのは、静かな幸福感だった。サッカーや日本代表のおかげで、こんなところにまできて、思いがけない人びととの出会いもあった。
 仲間は皆疲れて眠っていた。しかし車窓を通して見事な星空を眺めながら、私は眠ってしまうには惜しすぎると思った。ホテルに戻ってメールを開くと、私のチームはしっかりと2-0で勝ってくれていた。


No924ヨルダン観光での幸福感130324ペトラ旅行.jpg
ペトラの巨大な遺跡の前で 筆者(左)と記者仲間

(2013年3月27日) 

No.923 ブラジル・コンフェデ ピンチ?

 6月15日に開幕するFIFAコンフェデレーションズカップに暗雲が立ち込めている。スタジアム建設が間に合わないのではないかというのだ。
 アジア・チャンピオンとして日本も出場する「コンフェデ」は、来年のワールドカップの予行演習と位置付けられている大会。ワールドカップで使う12会場のうち6スタジアムを使用し、ワールドカップに近い運営形態で開催する。
 開幕まで百日を切った先週から、国際サッカー連盟は6会場の視察を行っているが、完成しているのはベロオリゾンテとフォルタレザの2会場だけ。他の4会場は工事が大幅に遅れている。とくに懸念されているのが6月16日のメキシコ対イタリア、20日のスペイン対タヒチ、そして30日の決勝戦の3試合が予定されているリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムだ。
 63年前のワールドカップの主会場として建設され、ブラジル・サッカーのシンボルとなったマラカナン。当時は収容20万人という世界最大のスタジアムだったが、立ち見席がなくなる改修後は7万6935人収容となる。
 当初の完成予定は昨年12月。しかし工事は大幅に遅れ、ピッチもまだできていない。何よりも、完全に新しくなって観客席をすべてカバーする予定の屋根が、4分の1ほどしかできていないのだ。
 FIFAは工事の終わったスタジアムの引き渡しを4月27日に設定している。開幕まで50日もあるが、ゴール判定装置(GLT)の設置を含めいろいろなテストをしなければならないからだ。6月2日にはイングランドを迎えてのこけら落としの親善試合が行われる予定になっている。
 マラカナンは50年ワールドカップの開幕にも間に合わなかった。当日朝まで観客席の化粧工事がはいっており、スタジアムの周辺は工事現場そのものの雰囲気だったという。ペンキ塗りや後片付けが残っていても試合はできるが、屋根の取り付け工事をしながら観客を入れて試合をすることはできない。
 視察に当たっているFIFAのファルク事務総長は、コンフェデ用の6会場だけでなくワールドカップで使用する他の6会場の状況も心配で、「ことし12月に行われる組分け抽せん会前に会場都市を削ることもありうる」とまで語っている。
 2010年南アフリカ大会前にもスタジアムの工事の遅れが大きな懸念になった。そのときには全会場が間に合ったが、ブラジルではどうなるのか...。

(2013年3月13日) 

No.922 香川の才能を際立たせたゴール

 「シュートはゴールへのパス」と教えてくれたのは、岡野俊一郎さん(元日本サッカー協会会長)だった。なるほどと思ったが、これが簡単ではない。
 ペナルティーエリアにはいると、相手のプレッシャーもそれまでの比ではないほど強くなる。「チャンス!」と思った瞬間に、体のどこかに力がはいる。力いっぱい足を振るのが精いっぱいで、「パス」どころではない。
 英プレミアリーグ、ノリッジ戦での香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)のハットトリックは見事だったが、その2点目は格別だった。
 1-0で迎えた後半31分、ロングパスを受けて右からFWルーニーが突破。切り返しで相手DFをかわし、ペナルティーエリアに走り込んでくる香川の前に丁寧にパスを送る。
 香川の正面にはノリッジDFターナー。香川がゴール左隅にシュートすると読んで、シュートをブロックすべく、左に滑り込んだ。ルーニーがボールをもっていたときには右ポスト前に位置していたGKバンも、素早くステップを踏んで左に移動していた。2人の対応に誤りはなかった。
 だが香川は決めた。全速で走り込んできた勢いをふっと殺し、タイミングを微妙にずらしてボールを右足のインサイドに当ててゴール右隅に送り込んだのだ。シュートというより中盤の密集のなかでスペースにパスを送るようなプレー。微塵の力みもないのは驚きだが、このゴールの非凡さは、なによりシュートのコースにある。
 右からのクロスに合わせるシュートを右隅に送り込むのは、実は理にかなったプレー。相手GKはシュートに備えて右ポスト前から中央にポジションを移す。左へのシュートなら動きの「順」の方向に跳んで守ることができる。右に打たれると動きの逆をつかれる形になる。だがプロでも右からクロスを受けると左隅を狙うことが圧倒的に多い。左が空いていると思うからだ。
 香川が見ていたのは相手選手やカバーされていないゴールへのコースではない。2人の動きの「ベクトル」だった。ルーニーがパスを出した瞬間にはゴール右を塞いでいた2人が自分のシュートに対してどこを塞ぐことになるのか、彼らの動きのベクトルを見ることでイメージを描き、「一瞬後に生まれ出るスペース」に「パス」を送り込んだのだ。
 香川のゴールは数多く見てきた。しかしこれほど彼の才能を際立たせたものはなかったように思う。

(2013年3月6日) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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