3連敗で敗退という残念な結果だったが、日本代表のコンフェデ杯のイタリア戦は大きな驚きだった。
これまでも世界のトップ10クラスのチームを相手にいい勝負をしたり勝ったりしたことは何回かあった。しかしすべて相手に主導権を握られるなかで数少ないチャンスを生かした結果だった。
ところが今回のイタリア戦は試合の大半の時間で主導権を握り、繰り返しチャンスをつくった。守備面で大きな課題は残したが、日本の攻撃が世界のトップクラスに十分通じるものであることを選手たちも信じることができたに違いない。
イタリア戦で、日本は593本のパスを出し、461本を成功させた。成功率は78%だった。相手のイタリアは456本のパスで成功313本、69%という数字だった。イタリアのスタイルというわけではない。イタリアはメキシコ戦では632本のパスで525本成功させ、成功率83%で主導権を握った(数字はFIFA発表)。
イングランドやドイツ一辺倒だった日本のサッカーにブラジルが衝撃を与えたのは1970年のことだった。当時の東京12チャンネルがワールドカップのほぼ全試合を放映し、日本のサッカー界は初めてブラジルの技巧を目の当たりにした。
そこから少年指導が変わった。ブラジルのような技巧を身に付けさせたい、それには少年のうちから取り組まなければならないと、日本中のコーチたちが工夫し、指導に当たったのだ。日本サッカー協会の育成プログラムが優れているからレベルが上がったわけではない。43年前に始まった無数の、そして無名の指導者たちの努力が、現在の日本代表につながっている。
日本の指導者たちにとって「ブラジル」は常に教師だった。そして目標でもあった。
そのブラジル代表が日本との対戦で初めて緊張感と危機感をもって臨んだ今大会の開幕戦。日本代表は腰の引けた戦いをしてしまい、とても残念だった。だが、イタリア戦で間違いなく日本代表は変わった。世界の強豪と戦うための「何か」をつかんだ。
来年のワールドカップで、もういちどブラジルにチャレンジしたい。そのときには、今回とはまったく違う試合になるはずだ。
ブラジルを相手に主導権を握る試合ができたとき、私たち日本のサッカーは、44年間の「ブラジルの生徒」から卒業できるのではないか。そしてそこから新しい時代が始まるのではないだろうか。
(2013年6月26日)
FIFAコンフェデレーションズカップの取材で30年ぶりにブラジルにきている。
成田からアメリカ経由でブラジリアにはいり、開幕戦取材後、空路でレシフェに移動した。直行便でも2時間半。ブラジルは広い。
国の大半が南半球にはいるブラジル。6月は「冬」、しかも標高1200メートルのブラジリアは肌寒いだろうとの予想を裏切り、初夏のような陽気だった。さらに南緯8度、北西部の大西洋岸に位置するレシフェは気温30度。日本の真夏のように蒸し暑く、到着日には激しい雨も降った。それがやむと気温はやや下がったが、湿度が80%と堪え難くなった。
来年のワールドカップ会場で最も北に位置するマナウスはアマゾン中流、熱帯の大都市。6月まで雨期にあたり、蒸し暑さは大変なものらしい。一方、最も南のポルトアレグレでは、日によっては最高気温が10度を割る。
来年のワールドカップは、そのように、ひとつの国とは思えないバラエティーに富んだ会場で行われるのだ。
今回、30年ぶりにきて驚いたのは、ブラジルの物価が非常に高いことだ。タクシーはあっという間に20リアル(約1000円)を超し、ファーストフード店でも20リアルで収まらないこともある。インフレ率が6%を超すというから、来年はもっと高くなっているだろう。20年間も物価が上がらない国からくると驚くばかりだ。
だがやはりブラジルはブラジル。開幕セレモニーは、サッカーに対する愛情にあふれて本当に楽しいものだった。約八百人のボランティアでつくられた人文字が、数人がうまく位置につけなかったためところどころに抜けがあるなど、いかにもブラジルらしいおおらかさも見られた。
最も素晴らしかったのは、八百本のヤシの木が出てきたかと思ったらそこに真っ白なゴールポストが立ち上がってサッカーのピッチになり、22人の選手の大きな人形とボールが出てきて試合が始まったことだった。赤チームが攻め込み、それを奪った白チームが逆襲をかけてゴールを奪うと、スタンドの観客から「ゴオォール!」のかけ声がかかった。
ただ、開幕日には、スタジアム外で激しいワールドカップ開催反対のデモがあった。サッカーが国教のような国かと思っていたが、ブラジルの新しい面を見た思いがした。
変わらないものと変わりつつあるもの―。そんななかで、来年、ブラジルはワールドカップを迎える。
(2013年6月19日)
35年以上前に初めてブラジルに行ったとき、驚きながら感心したことがある。
スタジアムでトイレに行くと、はいってくる人がまず石鹼で丁寧に手を洗い、それから男性用便器に向かって用を足すのである。
日本では逆に、用を足した後に手を洗うんだと話すと、ブラジル人の友人は不思議そうな顔でこう言った。
「大事なところを持つのだから、その前に手をきれいにしないといけないだろう?」
いきなりトイレの話で申し訳ないが、日本とブラジルが地球の裏側だと強く実感したのがこのときだった。
ブラジル。正式な国名はブラジル連邦共和国。時差は12時間。つまり日本とは昼と夜が完全に逆になる。南半球だから季節も逆だ。国土は日本の22.5倍もあるが、人口は1.5倍の約1億9800万人(2011年)。長い軍政の時代を経て1980年代に民政に移管し、今世紀を迎えてから著しい経済成長を続けている。
「ブラジル」とは、ポルトガル語で「赤い木」を意味する。16世紀に南米大陸の東部を支配したポルトガル人が赤い染料を採取できる木の自生地を発見、この地からの最初の輸出品とした。当時この土地はサンタクルスと呼ばれていたが、16世紀末には「ブラジル」と呼び習わされるようになった。
ポルトガルからの独立は1822年。建国200周年を前に、来年にはワールドカップ、その2年後の16年にはオリンピックと、世界規模の祭典が相次いで開催される。
日本とのつながりは深い。日本からの移民は1908(明治41)年に始まり、現在は約150万人の日系人がいる。一方、日本にも現在約21万人のブラジル人が居住し、外国人労働者の数としては中国人に次ぎ多い。
Jリーグ20年間の歴史で最も多くプレーした外国籍選手はもちろんブラジル人。「地球の裏側」だが、ブラジルはけっして遠くなく、近しく感じる国だ。
しかし実際には、生活習慣や文化など多くの面での違いがある。サッカーもそのひとつに違いない。
1894年に最初のタネがまかれ、20世紀にはいって爆発的な進化を遂げたブラジルのサッカー。ワールドカップ優勝5回を誇る「王国」のけんらんたるサッカー文化のなかで、FIFAコンフェデレーションズカップ(15日開幕)とワールドカップ(来年6月)が開催される。日本代表がその舞台に立つことで、私たちはまた新しい驚きに出合う。
(2013年6月12日)
11日にイラクとのワールドカップ予選最終戦(ドーハ)を終えると、日本代表はブラジルに直行する。15日に開幕するFIFAコンフェデレーションズカップ(コンフェデ)に参加するためだ。
コンフェデは国際サッカー連盟(FIFA)傘下の6地域連盟のチャンピオンが集う大会。そこに世界チャンピオン(前回ワールドカップ優勝国)と開催国を加え、8チームで開催される。ワールドカップの前年に、ワールドカップ開催国を舞台に行われる「プレ大会」の位置付けだ。
大会が始まったのは1992年10月。サウジアラビア協会が主催する招待大会だった。4チーム参加、全4試合のミニトーナメントだったが、意外に好評で、95年の第2回大会に続く97年の第3回大会で正式に「FIFAコンフェデレーションズカップ」となり、第4回大会からサウジアラビアを離れて世界各地での開催となった。
05年までは2年にいちどの大会だった。以後4年にいちど、ワールドカップの開催国でワールドカップの前年開催となった。
日本はこの大会に縁が深い。過去8回の大会のうち4回出場。第9回を迎える今回、5回目の出場は、ブラジル(7回目)、メキシコ(6回目)に次ぎ第3位だ。01年には準優勝を飾っている。
初出場はサウジアラビアの首都リヤドで行われた95年の第2回大会。92年アジアカップ優勝による出場だった。1月6日の初戦でナイジェリアに0-3、2日後にはアルゼンチンに1-5。2戦2敗で大会を終えた。加茂周監督就任直後でチームを固める時間がなかったうえにシーズン終了直後でコンディションが整わず、力を出し切れなかった。
だが日本代表にとっては、これが「世界大会」へのデビューだった。オリンピックや年代別ワールドカップへの出場はあっても、ナショナルチームが集う世界大会への出場は初めてのことだった。
1月8日のアルゼンチン戦、4点をリードされた後半12分に日本は相手ペナルティーエリアの右外、ゴールまで25メートルでFKのチャンスを得た。キッカーは当時ジェノア所属のカズ(三浦知良)。左足を振り抜き、右隅に決めた。日本の「世界大会第一号ゴール」だ。
さてブラジルで開催されることしの大会、日本は開催国ブラジルとの開幕戦に出場する。会場は首都ブラジリア。入場券は早々と完売している。世界の耳目を集めるなか、日本代表はどんなサッカーを見せてくれるか―。
(2013年6月5日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。