ワールドカップの会場のひとつだったフォルタレザで驚くべきものを見たのは、競技場から空港へ向かうタクシーの中だった。
郊外で大きな道が交差するインターチェンジ。途切れることなく車が周回する中央の空き地に、防球用のネットをめぐらせてゴールを立てただけの小さなサッカー場があり、はだしの少年たちがゲームに興じていたのだ。
「王国」ブラジル。いたるところでサッカーで遊ぶ少年たちの姿を見かけた。だがかつてのような路上ゲームではない。地区や自治体がつくった少年用のサッカー場。周囲をフェンスで囲んだ土地に適当な大きさのゴールが立っている。
ところがフォルタレザのこのサッカー場は異常だった。周囲はすべて自動車専用道路。少年たちは交通の小さな切れ目を見て横断し、ここにやってくるのだ。日本ではとても考えられない立地だ。
もちろんブラジルにも歩行者用の横断信号はある。サンパウロの日本人街には鳥居の形で光る信号があった。だが歩行者の多くは信号に関係なく道を横断する。車が途切れたと判断すればさっさと渡る。横横断歩道でないところを渡ることも多い(ブラジルに限ったことではないが...)。
自分の目で見て、自分で判断して動く―。おっとこれは、日本のサッカー選手たちが最も不得手とするところではなかったか。
サッカーという競技では、試合が始まったら個々の選手が状況を把握し、何をすべきかを瞬時に判断してプレーを続けなければならない。ところが日本では「習いごと」のようにサッカーを始め、一から十まで指示するような指導を受ける結果、自分で判断するのが苦手な選手が驚くほど多い。日本代表クラスでもベンチばかり気にしている選手がいるのは驚くばかりだ。
自動車専用道路を横断しなければプレーすることができないフォルタレザの少年サッカー場を見ながら「こんなところから差が生まれるのかな」と感じるのは、あながち見当外れではないだろう。
7月23日付け「ニッケイ新聞」(サンパウロ)のサイト記事によれば、一昨年のブラジルの交通事故死亡者は4万6000人。うち歩行者が8800人にものぼる。同じ年の日本の交通事故死亡者は4411人。歩行者はわずか76人だった。
生命を守るには信号を守らなければならない。だが同時に、どんなことでも自分で見て判断できるたくましさをもった少年たちを育てなければならない。
(2014年7月30日)
「おもしろかった」
ブラジルから帰国するといろいろな人からこんな言葉を聞いた。
残念ながら日本代表の上位進出はならなかったが、今回のワールドカップの試合、なかでも「ラウンド16」以降の後半戦は、接戦・熱戦続き。16試合のうち半数の8試合で延長戦にはいり、うち3試合はPK戦での決着となった。圧倒的な強さを見せたという印象のあるドイツも、決勝戦だけでなくラウンド16のアルジェリア戦で延長戦を強いられた。
接戦・熱戦となったのは、どのチームも相手を恐れず、果敢な戦いを見せたからだ。そしてリードを許しても最後まで勝負をあきらめなかったからだ。
ドイツ以外にはチーム戦術で見るべきものが少なかった今回のワールドカップ。個の力を前面に押し出して戦うチームが圧倒的に多かった。それがサッカーのために良いこととは言えないが、代表の強化に時間を使うことができない現代では仕方がない面もある。
その一方、ワールドカップならではの醍醐味(だいごみ)が感じられた大会でもあった。祖国のため、家族のために我が身を省みずに戦う姿勢だ。世界中の人の心をとらえたのは、まさにそうした姿勢だったに違いない。
ワールドカップに何を感じ、それを自分のサッカーにどう生かそうとするのか、それは選手それぞれの考えだろう。しかし先週末のJリーグを見ながら、何人もの選手たちが私と同じことを感じ、実践しようとしているように思った。「スライディング」である。
立ったまま足を伸ばしても届きそうもないボールに対して、すべり込みながら触れようとするプレー。新しいものではない。サッカーが始まったころからある技術だ。主として守備側の選手が使うが、ドリブルが大きくなって相手に取られそうになった攻撃側の選手が使うこともある。
7月19日に私が見たのは浦和×新潟だったが、その試合ではこのプレーが実に頻繁に使われた。雨でピッチが滑りやすかったこともあるかもしれない。しかしそれ以上に、ワールドカップの刺激ではないかと感じた。
取れそうもないボール、失いそうになったボール。それでも最後の最後まであきらめず最大の努力を払って自分のものにしようとする―。それこそ、世界中の人びとの心を打った「ワールドカップの魂」ではなかったか。
1センチ、いや5ミリでもボールに近づき、自分のものにしようという努力。それがサッカーに迫力をもたらす。
(2014年7月23日)
今回のワールドカップの最大の驚きは、大会終盤でのブラジル代表の「崩壊」だった。
準決勝でドイツに1-7という歴史的大敗(ブラジル代表の歴代最多失点)した傷にまるで塩をもみ込まれるように、3位決定戦でもオランダを相手に3失点、一矢を報いることすらできなかった。
「2試合で10失点。恥ずかしい」と、ブラジル人たちは異口同音に強い口調で語った。
もちろん、日本のファンにとっては上位進出の期待がかかりながら1勝もできずにC組4位に終わった日本代表に対する失望のほうが大きかっただろう。「日本のサッカーができれば...」の期待も空しく、良さを発揮できなかっただけでなく、がんばりさえ表現できなかったのだ。
足りなかったもの、すなわち戦う気持ちやフィジカルの強さをどう改善していくか、それが今後の大きな課題に違いない。次期監督の有力候補にメキシコ人が挙げられているのも、そのあたりにひとつの狙いがあるのではないだろうか。
だが次々と失点し満足にシュートまで行けない大会終盤のブラジル代表を見ながら思ったのは、「コンビネーション・サッカーの火を消してはならない」ということだった。
アルゼンチンのメッシ、オランダのロッベンなど、今回のワールドカップでは飛び抜けた個の力に頼って攻撃を切り開こうというチームが多かった。「武器」が明確だから、周囲はその選手を生かすために懸命に戦い、汗を流す。ブラジルの急激な失速はネイマールの負傷離脱で武器を失ったことが大きな原因だった。
だがそれ以上に感じたのは、ネイマールなしでも十分高い技術をもった選手を並べながら、ブラジルにはコンビネーション・プレーがなかったことだ。ひとりがボールを保持する時間が長く、サポートがあってもそこに第3、第4の選手がからんで意外性を創出することなど皆無だった。これでは強いフィジカルと整った守備組織をもつチームに対抗することは難しい。
日本代表のザッケローニ前監督は集団での攻守を組み立てることに心血を注いできた。ワールドカップでチームの状態が上がらず良い結果が出なかったからといって、その仕事を完全否定する必要などない。これまでの日本代表の長所を失ったら、成否は、飛び抜けた個がいるかどうかだけにかかってしまう。
今後も、コンビネーション・サッカーの松明を高く掲げ続けなければならない。
(2014年7月16日)
準決勝での地元ブラジルの大敗は意外だったが、今大会はどの試合も満席ですばらしい雰囲気だった。その最大の功労者は、どんなカードでも黄色いシャツを着てスタジアムにやってきたブラジル人ファンたちだっただろう。
「バッタ屋天国」のブラジル。よく見ると同じ黄色でも人ごとに違うシャツだ。そこに面白いものを見つけた。ブラジル代表ではなくクラブチームのエンブレムを胸に付けているのだ。リオならフラメンゴやフルミネンセ、サンパウロならパルメイラスやコリンチャンス、そしてサルバドールならエスポルチのエンブレムが付いた黄色いシャツを着たファンをたくさん見た。
37年前、アルゼンチンとブラジルで代表戦を取材した。ブエノスアイレスでは観客全員がアルゼンチン代表の白と水色のシャツを着て試合中ずっと跳び跳ねていた。しかしリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムには黄色いシャツなどひとりもいなかった。ファンはそれぞれ自分が応援するクラブカラーのシャツを着、そのクラブの選手だけに声援を送っていたのだ。
同じ町のライバルクラブの選手にはブラジル選手でも遠慮なくブーイングだ。極めつけは「サポーターバトル」。試合中、1階スタンドの観客が大きく崩れるように動き出したと思ったら、フラメンゴのサポーターがフルミネンセのサポーターを追い回していた。それも何千人単位で!
そのブラジルが、兎にも角にも「セレソン(ブラジル代表)応援」でまとまったのが今大会だった。クラブエンブレムが付いた黄色いシャツは「魂は売らないが心はブラジル」ということなのだろう。
スタジアムだけではない。大会中、町のあちこちで黄色いシャツを見た。店員や、ウェートレスが黄色でそろえていたところもたくさんあった。「こんなにブラジル人の心がひとつになったのは初めてだ」と、レストランで隣に座った初老の男性が語った。
(2014年7月12日、リオデジャネイロ)
サンパウロの街角に紫色のジャカランダの花が目につくようになった。気がつけば7月。日本で言えば「桜」に当たる季節を感じさせる花だ。7月が最盛期という。
大会も後半。「コパ(ワールドカップ)熱」は上がる一方だ。試合のない日も、テレビではこれまでの好試合を繰り返し流している。
興味深いCMも多い。難しいメロディーのブラジル国歌を、4歳か5歳ぐらいの子どもたちが歌い継ぐ銀行のCMは、とてもかわいい。だが私のいちばんのお気に入りは、ある自動車会社のCMだ。
路上サッカーに興じる少年たち。3つの得点シーンが流れる。最初は相手の頭上にボールを浮かせて抜き、ボレーで決める。続いて人壁の前に立つ味方が動いたスキを針の穴を通すような左足キックで破る。最後は、ゴール正面から右前に転がしたボールを、走り込んできた選手が右足を振り抜いてアウトサイドキックで低く左隅に決める。
実はこれらすべてがブラジルが過去のワールドカップで記録したゴールシーンのコピー。最初は58年大会決勝戦で17歳のペレが見せた超個人技ゴール。次は74年大会でリベリーノが決めたFK。そして最後は70年大会の決勝戦、カルロスアルベルトの4点目。ブラジル・サッカーの別名でもある「ジョゴボニート(ビューティフルゲーム)」のシンボルとも言うべき得点だ。
テレビでは今大会の映像だけでなく過去の大会の名シーンも繰り返し使われ、語られている。その積み重ねで、いつかこうした名ゴールが人々の脳裏に焼き付けられ、定着したものに違いない。それは「国宝」あるいは「国民の宝」と言っていいいものだ。
ひるがえって日本のサッカーに「国民の宝的シーン」があるだろうかと考える。半世紀以上前のゴールシーンを子どもたちまでが詳細に頭に描けるように、現在のスターの動向だけでなく、過去の名シーンを繰り返し伝えていくことが「サッカー文化」の醸成に不可欠なことを思った。
(2014年7月5日、サンパウロ)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。