その瞬間、私は湖から跳躍する魚の銀の鱗が朝日をはね返す光景を思い起こした―。
左タッチライン沿いで彼がボールをもつ。相手DFが寄せる。内側にボールを置いた彼が右足をバックスイングする。右サイドへの展開か。DFがさらに体を寄せる。その瞬間、彼は右足のインサイドでボールを左足の後ろ側に通し、一挙にスピードを上げてDFを置き去りにする。そして右足アウトサイドで鋭いクロス。右から疾走してきた仲間がジャンプして合わせる。
1974年ワールドカップ西ドイツ大会の1次リーグ、スウェーデン戦で見せたこのプレーは、「クライフ・ターン」と呼ばれるようになる。彼とはもちろん、先週の木曜日(3月24日)に68歳で亡くなったヨハン・クライフである。オランダが生んだ史上最高のサッカー選手であり、150年を超すサッカーの歴史でも屈指の名選手だ。
幸運にも、私はこのプレーをドルトムントのスタジアムで見ることができた。大半が陸上競技場だったこの大会、ドルトムントだけがサッカー専用競技場で、ピッチがとても近かった。そのスタジアムの前から7列目の席。クライフはまさに私の目の前で「クライフ・ターン」を演じた。ターンのとき、彼の足元がピカッと光ったように感じた。白い靴底が一瞬見えたのだ。
1947年4月25日、アムステルダム生まれ。地元のアヤックスで1971年から3年連続して欧州チャンピオンズカップ優勝。欧州年間最優秀選手賞にも3年連続で輝いた。だが彼に世界的な名声を与えたのは1974年のワールドカップ西ドイツ大会だった。
出場36年ぶりのオランダ。だが大会が始まると、世界のファンの注目はオレンジ色のユニホームに集まった。ポジションなどないかのように、オランダの選手たちは渦巻きのように動いて相手ゴールを襲った。1950年代から「これがサッカーの理想形」と言われていながらまだ誰も実現できなかった「トータルフットボール」が、ついに目の当たりとなったのだ。
「トータルフットボール」はクライフの天才あってのものだった。その天才とは「いつ」ということをどんな瞬間にも把握する能力だった。いつ走るのか、いつターンするのか、いつパスするのか、そしていつシュートするのか...。クライフは「時の支配者」だった。「トータルフットボール」は、その存在があってのものだった。
以来40年間、世界中のトップコーチたちが「オランダのトータルフットボール」の再現を目指してきた。だが「第2のクライフ」は現れない。当然、「トータルフットボール」も「見果てぬ夢」だ。
(2016年3月30日)
相手の体に手をかけて押さえれば「ホールディング」の反則であり、相手チームに直接フリーキック(FK)が与えられる。その反則を自陣のペナルティーエリア内で犯せば、相手チームにペナルティーキック(PK)が与えられる。自明の理である―。
2014年ワールドカップ・ブラジル大会の開幕戦、クロアチアのDFがブラジルのFWに手をかけ、倒した。日本の西村雄一主審は即座に笛を吹き、ブラジルにPKを、そして手をかけたクロアチアDFに警告を与えた。
倒れ方が大げさだったこともあり、「演技だ」「あれでPKはおかしい」など、西村主審は批判にさらされた。だがFIFAは「正しい判定だった」と声明を出した。
現在のルールブックには直接FKになる10の反則が挙げられている。そのうち7つには、それを「不用意に、無謀にまたは過激な力で」犯したときに反則になると明記されている。すなわち行為の程度が問題になる。
しかし「(手で)押さえる」「相手につばを吐く」「ボールを意図的に手または腕で扱う」という3種類の反則は、ただその行為をすれば反則となる。こうした行為は、プレーの流れのなかで偶然生まれるのではなく、行為自体に意図があるからだ。
クロアチアのDFはブラジルFWに手をかけ、ブラジルFWが倒れた。だから反則であり、PKだったのだ。
だが、この重要な教訓があまり理解されていないのではないか。最近のJリーグを見ていると、手で押さえる行為が横行しているのだ。
3月16日に行われたAFCチャンピオンズリーグの広州恒大(中国)対浦和レッズ。試合開始直後に与えたPKが浦和に重くのしかかった。相手のCKのときに浦和FWズラタンが後ろから相手DF梅方の体に手を回し、梅方が大げさに倒れた。主審はこれを見逃さなかった。
確かに梅方の倒れ方は不自然だった。偶然だろうが、2014年のブラジル代表も現在の広州も監督はルイス・フェリペ・スコラリである。しかしズラタンが梅方の体に手をかけていたのも事実である。
浦和は昨年のJリーグでも同じような反則でPKを取られている。CKのときのマークの仕方を見ていると、多くの選手が両腕を相手の体に回している。外されないようにということなのだろうが、事前にこの癖を知っていれば「利用」するのはたやすい。
浦和だけの話ではない。マークするために相手をつかんだり、相手の体に手を回せば、その時点で「負け」だ。この悪癖、あるいは「間違ったプレー方法」をすみやかに一掃する必要がある。
(2016年3月23日)
3月5日、大久保嘉人(川崎フロンターレ)が豪快な一発で「157点目」を決めると、翌日には佐藤寿人(サンフレッチェ広島)が世にも奇妙な得点で「158点目」。すると3月12日には大久保がヘッドで追いつく―。
中山雅史(元ジュビロ磐田)がもっていたJ1の最多得点記録(157)に追いつき、あっという間に追い越した佐藤と大久保。ふたりには奇妙な共通点がある。
誕生日が3月の佐藤はいま34歳、6月の大久保は33歳だが、ともに1982年生まれである。ともに170センチとかなり小さく、今季がJ1での14シーズン目で、ふたりとも最初の得点を2001年に記録。そして翌年には1シーズンだけだが同じクラブ(当時J2のセレッソ大阪)でプレーし、時間は短いが同時にピッチに立ったこともある。
相手との駆け引きや技巧的なシュートで得点を積み重ねてきた佐藤。一方の大久保は圧倒的なスピードとパワーで相手守備を切り裂き、ゴールに叩き込む。タイプは百八十度違うが、2012年に佐藤が得点王になると、翌年から3季連続で大久保がタイトルを獲得。現在のJリーグを代表するストライカーがこのふたりであるのは間違いない。
ただし、日本のトップリーグの最多得点記録は彼らではない。日本サッカーリーグ時代に記録された釜本邦茂(ヤンマー=現C大阪)が打ち立てた「202得点」という大記録があるのだ。佐藤はJ2で通算50得点しており、大久保はJ2で18得点、スペインの1部リーグで5得点の記録がある。だが「日本のトップリーグ」というくくりにすると、釜本に遠く及ばない。
J1での出場試合数は、佐藤が379、大久保が341。しかし1シーズンの試合数が14あるいは18だった日本リーグ時代、釜本の出場試合数はわずか251だった。この得点率の高さだけでも、彼がいかに時代を超越した存在だったか理解できるだろう。
小さな体を苦にせず、個性を伸ばして自らを磨き、工夫と努力を重ねて「J1最多得点」に至った佐藤と大久保。その功績は、現時点ですでに「偉大」と称していい。しかしふたりとも「202超え」という新たな目標に向かって奮闘してほしいと思う。
釜本は早稲田大学を卒業してから日本リーグで17シーズン、39歳までプレーした。そして最後の得点を記録したのは、佐藤と大久保が生まれた1982年の5月、38歳のときだった。この試合で、釜本はひとりで5本ものシュートを打っている。次の試合で右足アキレス腱断裂という大けがをしなければ、得点記録はさらに伸びていただろう。
34歳で今季を戦う佐藤と大久保。まだまだ時間はある。
(2016年3月16日)
24シーズン目のJリーグがスタートした。J2から昇格した3クラブが第2節目までにすべて勝ち点を記録し、連勝スタートは大宮アルディージャ(昇格組)と鹿島アントラーズの2クラブだけ。予想どおりの混戦模様だ。
そのJリーグで気になることがある。「ホーム偏重の試合演出」だ。
たとえば試合前の先発選手紹介。ビジターチームの選手名は低い調子で淡々と行い、ホームになるととたんに絶叫調の「スター称賛」となる。大型映像装置にも、ビジターは味も素っ気もない名前の羅列が出されるだけなのに、ホームチームの選手たちは一人ひとり凝った映像が出る。
たとえば得点後の場内リプレー。ホームチームの得点は繰り返し出されるが、ビジターの得点になるとまったく出さないチームもある。
たとえばハーフタイムに見せる「前半のハイライト」。ホームチームのチャンスは詳細に見せるが、ビジターの映像は得点シーンの1、2秒だけ。ホームが圧倒的な優勢だったのかと勘違いしそうだ。
もちろん、ビジターのサポーターやファンを大事な「お客さま」として扱うクラブもある。試合前に「ようこそいらっしゃいました」などの歓迎のメッセージを出し、ホームのサポーターが盛大な拍手を送るところもある。
だが傾向としては、ホーム偏重の演出をするクラブが増えているように感じる。
どの試合も観客の8割から9割はホームチームのファンあるいはサポーターである。ホームチームを盛り上げ、観客を喜ばせたいという考えはわかる。だがあまりに偏った試合演出は逆に興をそぐ。
試合が始まればサポーターは自分が応援するチームに一方的な声援を送る。ホームチームを応援する観客が大多数ならば、当然のことながら声援も圧倒的になる。その期待に応えようと、選手たちも必死になる。それが「ホームのアドバンテージ」だ。
それ以上のものが必要だろうか。相手チームの存在をことさらに卑小化するような演出を、果たしてホームのサポーターやファン、そして選手たちが望んでいるだろうか。
「ホームゲーム」は、けっして「ホームだけのゲーム」ではない。コンサートのように観客がひいきにする選手だけがパフォーマンスを見せる場ではない。サッカーはスポーツであり、相手チームも全力を尽くす。公平なルールの下、チーム一丸で勝利を目指す姿に、サポーターが声援を送る意味がある。ホーム偏重の演出には、スポーツらしさが欠けている。
試合の演出はビジターにも公平であるべきだ。だからこそ、サポーターの声援と選手たちの奮闘に価値がある。
(2016年3月9日)
必勝を期した初戦のオーストラリア戦で1-3の敗戦。8月のリオ・オリンピックを目指す女子アジア最終予選はなでしこジャパンにとって厳しいスタートとなった。
6チームが参加し、2月29日から大阪で行われている今予選。開幕日の他の2試合では、中国がベトナムをかろうじて2-0で下し、韓国と北朝鮮は1-1の引き分け。早くも「大混戦」の様相だ。
オリンピックの女子サッカーは男子のような年齢制限はない。しかも出場国数が昨年のカナダ大会から24となった女子ワールドカップに対しオリンピックの女子サッカーは半数の12にすぎず、よりハイレベルの大会となる。
当然、アジアに割り当てられた出場枠も少ない。昨年のワールドカップにはアジアから5チームが出場したが、オリンピックにはわずか2チームしか出場できないのだ。
ところがアジアは世界でも有数の「女子サッカー強豪地域」。昨年のワールドカップに出場した5チームのうち、グループリーグを突破できなかったのはタイだけで、韓国がベスト16、中国とオーストラリアがベスト8、日本が準優勝という好成績を残した。
さらに言えば女子のFIFAランキングで現在日本(4位)に次ぐ6位の北朝鮮は、昨年のワールドカップには資格停止で出場できなかった。出ていれば準々決勝あたりまで進む可能性は十分あった。
ちなみに今回の五輪予選の他の出場チームのFIFAランキングは、オーストラリアが9位、中国が17位、韓国が18位、ベトナムが29位。男子(アジアの最高がイランの44位)と比較すればアジアの女子のレベルの高さは明白だ。
そうしたチームが6つ集まってわずか2つの座を争うのが、今回の予選である。総当たりで各チーム5試合を行うが、その初日から接戦になるのは驚くことではない。
それは、初戦を落としたからといって絶望する必要などないということも意味する。2位ラインは勝ち点10(3勝1分け1敗)程度になると予想されるが、それも関係ない。可能性がある限り最後まであきらめずに戦うチームにのみ、出場権はもたらされる。
アジアのレベルの高さはいまに始まったことではなく、なでしこジャパンはこれまでもそうした戦いを勝ち抜いて世界の舞台に立ってきた。優勝した2011年女子ワールドカップのアジア予選(中国・成都)でも、準決勝でオーストラリアに敗れ、最後の1座をかけて中国と3位決定戦を戦い、2-0で勝った。
困難を乗り越えてこそのなでしこジャパン。今晩、第2戦の韓国戦から、魂あふれるチーム一丸のサッカーが続くことを期待したい。
(2016年3月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。