「ルールはみんなのものですから...」
日本サッカー協会の公式サイトに、今年度の競技規則(ルール)改正や解釈の変更などをまとめた約12分間の動画が掲載されている(http://www.jfa.jp/news/00009868/)。小川佳実審判委員長の強い要望によるものだ。ことし委員長となった小川氏は、「ルールは選手と審判員だけのものではありません」と語る。
サッカーは世界で最も多くの人に楽しまれているスポーツ。その競技人口は2億とも3億とも言われている。老若男女、プロアマを問わず、どんなレベルでもルールはまったく同じ。さらに10億人以上と言われる自らはプレーしないファン、たとえテレビでしか見ないファンも、同じルールを同じ解釈で理解し、サッカーを楽しんでいる。
そのルールが大きく書き替えられることは、2月24日付けの本コラムでも紹介した。サッカーのルールを決める国際サッカー評議会(IFBA)から通達されたことしの「ルール改正」は1項目だけ。守備側が攻撃側の決定的得点機会をペナルティーエリア内で阻止する反則について、「PK、退場、そして自動的に次の1試合出場停止」となるいわば「三重罰」だったものの一部をPKと警告だけにするという点だった。
だがルールブックの書き替え作業(改訂)により、実質的にはたくさんのルール改正が行われることになった。キックオフを自陣に向けてけってもいいことや、オフサイドによって与えられる間接FKの位置の変更など、従来とは大きく変わる点がある。
これまで、ルール改正は文書での通達という形だけだった。しかしことしは解釈や実質的な改正があまりに多岐にわたり、しかも言葉だけではわかりにくいため、日本協会は『2016/2017競技規則の改正について』と題したビデオを用意し、5月20日に公開した。IFBAから具体的な文書が届いたのが4月。小川委員長を始めとしたスタッフは休日返上で翻訳作業を進めると同時にビデオ編集に当たり、項目によっては新規撮影を行った。
新ルールは国際的には6月1日から有効となる。Jリーグや全国大会では7月に適用を開始するが、地域や都道府県の大会は遅くとも来年の4月1日までと、適用開始日を実情に合わせて柔軟に決めていいことになっている。
しかし今回日本協会が公開した動画は非常にわかりやすく、しかも改正項目は選手や観客にプラスになるものが多いため、意外に早く理解が進み、適用もスムーズになるのではないか。12分間の動画がルールを「みんなのもの」にしてくれそうだ。
(2016年5月25日)
まだ駆け出しのサッカー記者だったころに大先輩記者の実家が火事で焼けて隣家も類焼するという出来事があり、翌日お見舞いに行った。
「面目ない」
後片付けの手を休めると、大先輩記者はそう言って頭を下げた。その言葉と態度に強い感銘を受けた。人間の本当の価値は、大きな困難や試練にあったときにどんな態度をとるかで決まる―。そんなことを教えられた気がした。
まだ余震が止まず、避難している人が1万人近くもいる熊本地震。避難生活を送る選手たちが何人もいるJ2のロアッソ熊本が、5月15日、約1カ月ぶりに試合のピッチに戻った。ジェフ千葉とのアウェーゲーム。千葉市のフクダ電子アリーナには1万4163人もの観客が詰め掛け、千葉のサポーターもロアッソの選手たちに拍手を送った。
この1カ月間、FW巻誠一郎を中心にしたロアッソの選手たちの行動と態度は、まさに人間としての偉大さを示すものだった。他クラブから練習施設提供などの申し出を受けながら被災地に留まることを決め、支援活動に奔走したのだ。チーム練習を再開したのは最初の地震から2週間半を経過した5月2日。その後も、練習が終わると精力的に避難所などを回って支援活動を続けてきた。
「フクアリ」のピッチに立った選手たちの顔には、強い決意が表れていた。
「なんとしても勝ちたい。勝って元気を届けたい」
その気持ちは、そのままプレーとなった。キックオフ直後から、巻はまるで後半44分で1点差を追っている選手のように戦った。MF清武功暉のシュートはわずかセンチのところで相手GKに防がれた。
だがこの世界で簡単に「おとぎ話」が生まれるわけではない。0-0で迎えた後半11分、千葉のシュートミスが絶妙なラストパスとなってついにゴールを割られた。29分にはGKのミスから2点目も許し、勝負はついた。
それでもロアッソの選手たちはあきらめなかった。DF蔵川洋平が力を振り絞って突破し、清武は両足がつってもボールを追った。
私が最も強い感銘を受けたのはGK畑実の態度だった。自らのミスで2点目の失点。益城町出身の畑の脳裏にどんな思いがめぐっただろう。だが彼は表情を変えなかった。寄ってきた巻が言葉をかけて肩を叩く。その間も、原はしっかりと顔を上げていた。
そこには本当の強さがあった。そしてそれは、大きな困難や試練にいまも真っすぐに立ち向かっているロアッソの選手たち全員から感じられるものだった。人間としての強さや気高さを示した試合。それはきっと、被災地だけでなく、日本中に伝わった。
(2016年5月18日)
日本時間5月3日未明に岡崎慎司が所属するレスターのイングランド・プレミアリーグ優勝が決まり、日本国内でも大きな話題となった。
5月1日にはルーマニア・リーグで瀬戸貴幸が所属するアストラが初優勝。7日にはオーストリア・リーグで南野拓実がプレーするザルツブルクが3連覇を成し遂げた。昨年1月に加入した南野にとっては「リーグ連覇」だ。
忘れられがちだが、サッカーとはチームゲームであり、選手はチームの勝利のためにプレーする。そしてチームにとって永遠の目標はリーグ優勝である。世界的な注目度、あるいはレベルにおいて違いはあっても、日本人が「外国人選手」として優勝に貢献する姿は無条件にうれしい。
欧州で各国トップリーグの優勝にかかわった最初の日本人選手は奥寺康彦だ。
1977年秋に古河電工からドイツの1FCケルンに移籍。リーグ後半の1978年春から威力を発揮し、当時世界最高レベルと言われたブンデスリーガ優勝に貢献した。1980年代前半にはブレーメンで活躍。準優勝3回を経験した。
Jリーグ時代にはいって日本選手の本格的な欧州進出の時代を拓いたのは、中田英寿のイタリア・セリエAでの成功だった。2001年、中田は2クラブ目のローマで優勝を果たす。優勝を決定的にしたユベントス戦のミドルシュートはいまもファンの記憶に残る。
中田に続けと欧州に渡った日本選手のひとり稲本潤一はアーセナル時代にプレミアリーグ優勝を経験する。しかしカップ戦では活躍したもののリーグでは出番がなく、10試合以上出場の選手だけに与えられる優勝メダルを首から下げることはできなかった。
中村俊輔はスコットランドのセルティックで幸福な時期を過ごした。2006年からリーグ3連覇。2007年には年間最優秀選手にも選ばれた。中村はいまもセルティックのファンの心に残る英雄のひとりだ。
2007年にはオーストリアのザルツブルクで三都主アレサンドロと宮本恒靖が優勝を経験、2009年には長谷部誠と大久保嘉人がプレーするヴォルフスブルクがドイツのブンデスリーガで初優勝を飾る。
そして2011年、2012年に香川真司がドルトムントをブンデスリーガ連覇に導く活躍を見せる。香川は翌季にはイングランドのマンチェスター・ユナイテッドで優勝、「欧州ビッグリーグ3連覇」を経験する。同じ2013年にはCSKAモスクワで本田圭佑がロシアリーグ優勝を果たしている。
「次はUEFAチャンピオンズリーグ制覇」と言いたくなるところだろう。だがまずは、日本人選手が欧州の主要リーグで毎年当たり前のように活躍し、優勝に貢献する姿を見たいと思う。
(2016年5月11日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。