「木々の葉が落ち、風が冷たくなるころ。それこそフットボールの季節だ。退屈な日々に喜びを与えてくれる、これ以上の存在はない」
そう書いたのは、「サッカーライターの祖」と言われるジョン・D・カートライトである。1863年10月24日、野外スポーツを扱う英国の週刊新聞『ザフィールド』に掲載された記事だ。
その2日後の10月26日月曜日夕刻、ロンドンを中心とするクラブや学校、12のフットボールチームの代表が都心の「フリーメイソンズ・タバーン」に集まった。「フットボール・アソシエーション(サッカー協会=FA)」を設立する初めての会合だった。
「フットボールのルールを定め、必要に応じて改正していく本部の設置は、人びとが熱望していたものだった」
10月31日付けの記事でカートライトはこう書いている。
10月26日は「サッカーの誕生日」と言ってよい。
英国各地で、あるいは各学校で、さまざまなルールの下で行われてきた「フットボール」。その統一ルールをつくろうという試みは1848年の「ケンブリッジ・ルール」で完成したかと思われたが、その後も混乱が続いていた。それに決着をつけたのが、15年後、1863年のFA設立だった。基本的に手を使わない現代スポーツとしてのサッカーが生まれ、そこから急速に人気競技に発展し、20年後にはプロも誕生している。
カートライトの記事は、サッカーの誕生時からメディアが深く関わっていたことを示している。実際のところ、メディアとサッカーは、誕生当時から切っても切れない関係にあった。
最初の「マスメディア」である新聞をつくるには安価の紙が大量生産されなければならなかった。19世紀はじめの蒸気機関の普及と、19世紀なかばのパルプ(木材)からの紙づくりの実用化で、ようやくそれが実現した。
サッカーもまた、蒸気機関をシンボルとする産業革命の申し子である。工場ができて都市に労働者が集まり、1850年の工場法改正により土曜日の午後が休みになった。人びとはその余暇を利用してスポーツを楽しむようになり、サッカー観戦に行くという文化が生まれた。
同時期に生まれたメディアとサッカー。新聞は大衆に人気のあるサッカーを報道することで発行部数を伸ばしていった。そしてサッカーも、新聞に報じられることによってファン層を広げていった。
さて今日、サッカーとメディアはどんな関係になっているだろうか。たまには、本来「互いに持ちつ持たれつ」であることを思い出してみるのもいいのではないだろうか。
フリーメイソンズ・タバーン
(2016年10月26日)
もしかすると、ミシャはタイトル獲得で不幸せになってしまうのだろうか―。一瞬だが、そんな思いがよぎった。
先週土曜日に行われたJリーグ・ルヴァンカップ決勝。浦和レッズが13年ぶりの優勝を飾った。ファンやサポーターから「ミシャ」の愛称で呼ばれるミハイロ・ペトロヴィッチ監督(59)にとっては、初のメジャータイトルだった。
旧ユーゴスラビア、現在のセルビア出身。選手時代はユーゴ代表歴ももつ。指導者になってスロベニアとオーストリアのクラブを率いた後、2006年6月にサンフレッチェ広島の監督に就任、MF柏木陽介(現浦和)ら若手を起用して大胆な攻撃サッカーを展開、強豪に仕立て挙げた。そして広島との契約が切れた2012年に浦和の監督に就任した。
そんななかでミシャは「タイトルの取れない監督」というレッテルを貼られてきた。浦和では毎年のようにリーグ優勝争いで最後に脱落し、カップ戦でも広島時代から4回連続で決勝戦で敗れてきたからだ。圧倒的な強さを誇った昨年、チャンピオンシップ準決勝で「過去最高の内容の試合」(ミシャ)をしながらG大阪に屈したのは痛かった。
全員で動きながらパスをつなぎ、チャンスをつくるサッカー。ときには7人、8人が相手ペナルティーエリアに迫る勇敢な攻撃は、相手にカウンターアタックを受けるリスクと背中合わせだった。
ことしミシャは興味深い目標を語った。「出場するすべての大会で昨年より一歩前進する」。今季の浦和はその目標を着実に達成してきた。そして手にしたのが「ルヴァンカップ優勝」だった。
表彰式に臨む選手たちを、ミシャはピッチから見上げていた。だがその表情は、どこか寂しげに見えた。
「タイトルを取る前と後とで、私はベターな監督になっただろうか。個人的には、何も変わっていないと思う」
この試合を前に彼は1週間もひげを剃らなかった。何かを変えたかった。それほどまでに欲しいタイトルだった。
最高のコンビネーション攻撃を見せても、無冠というだけで評価されなかった。だがタイトルを取ればすべてが変わるのか―。彼の胸には、やり続けてきたことへの自信と、世間の評価というものの空しさが交錯していた。
初優勝という大きな山を乗り越え、ミシャは今後タイトルを積み重ねていくだろう。だがそれで彼が不幸せになるというわけではないようだ。続く言葉には、彼らしい優しさがあふれていた。
「私にとって非常にうれしいのは、長い間待ちわびていたファン、サポーターにこのタイトルを捧げられたことです。そしてこれまでがんばってきた選手たちが幸せな気持ちであることです」
(2016年10月19日)
先週のワールドカップ予選でイラクを相手に日本代表が苦しんだ原因のひとつが、ヘディングの弱さだった。
最後の最後に相手を追い詰めて決勝点が生まれる素地をつくったのが189センチの長身DF吉田麻也のヘディングだったのは、サッカーという物語の不思議な「あや」。それまでの90分間、日本はヘディングで苦しみ続けた。
競り合いの話ではない。日本の攻撃陣に入れられたロングボールはことごとくと言っていいほど相手守備陣にはね返されたが、それは仕方がない。小柄な日本の攻撃陣にロングボールを多用した戦術自体に問題があった。
より大きな問題は、相手と競り合うのではなく単独でヘディングするときに味方に渡る率が恐ろしく低いということだ。ただ頭に当てて前に飛ばすだけのヘディングがあまりに多い。落下点に味方がいるか相手がいるか、ボールに聞いてくれというようなプレー。日本代表に限らず、Jリーグから少年まで日本のサッカーに共通する欠陥である。
「日本人に適したスタイルを確立しよう」と、過去20年間、指導者たちは連係プレーに磨きをかけてきた。パススピードが国際レベルに達していないという批判はあるが、ワンタッチ、ツータッチでのパス技術、ボールをもっていない選手の動きを組み合わせて3人、4人がからむパスワークは、どの年代も世界のトップレベルにある。
そうしたパスサッカーの主役がインサイドキックだ。足の内側を使うキック。最も正確なプレーができ、速いテンポのパスワークには欠かせない。トップスピードで前方に走っていく味方にぴたりとつけるパス、ワンタッチで2本、3本とつなぐパス...。最も基本的な技術だが、同時に現代サッカーで最も重要な技術がインサイドキックなのだ。
ただ味方に渡すだけではない。次のプレーを考えて相手の右足につけるのか左足か、受ける味方に相手を詰め寄らせない速いパスか、それとも相手に食いつかせる遅いパスか...。そうしたハイレベルなインサイドキックを使いこなす技術が、日本のサッカーの強みであるのは間違いない。
ところがボールを頭で打つことになると、満足に味方に渡すことさえできない。身長やジャンプ力の問題ではない。世界最高レベルのインサイドキックとアジアでも低レベルのヘディング。極端なアンバランスを招いたのは、少年からの指導に「ヘディングもパスのうち」という意識が欠けているためだろう。
「1本のパス」の質の積み重ねが勝負を決める。ヘディングでの1本のパスがどうでもいいはずがない。日本のサッカーを挙げての取り組みが必要ではないだろうか。
(2016年10月12日)
フランス北西部にあるアマチュアクラブのゴールキーパー(GK)が見せた「信じられないPKストップ」が話題になっている。動画サイトに「バンヌGK」と入れて検索すると簡単に見つかる。
3部まであるプロリーグの下に設けられたアマチュアリーグ2部に属するバンヌOCというクラブが10月1日に行ったTAレンヌ戦。2-0のリードで迎えた後半25分、レンヌにPKが与えられる。
キッカーはドレスラン。慎重に呼吸を整えてキック。ボールは右に跳んだバンヌGKジャンフランソワ・ブデニクの逆をついたが、ポストの内側からはね返ると、立ち上がろうとしたブデニクの背中に当たって高く舞い上がる。
いち早く反応するドレスラン。走り込み、高く跳んでヘディング。ブデニクがこれを左足ではね返すと、ボールはゴールに詰めてきたランヌのデュリングの体を直撃、三たびゴールを襲う。だがこれをブデニクはほとんどひざまずいた状態から跳ね、体を伸ばして両手で叩き出した。
まさに「信じられない」スーパーセーブ。しかしよく見るとブデニクはただ基本に忠実にプレーしただけだった。
ドレスランがヘディングしたのはゴールからわずか5メートルの地点。だがこの絶体絶命の状況でもブデニクは相手に正対して両膝を軽く曲げて両足をグラウンドにつけ、両腕もひじを軽く曲げた形で下げていた。どこにも力のはいっていない自然体。だからこそ自分の足元に叩きつけられたボールに自然に体が動いた。
より難しかったのは次のボールだった。足でのクリアの動きでブデニクは左に倒れかけていたからだ。だがここでも彼はひざまずきながらも上半身を立てて相手に正対していた。返ってきたボールに対応できたのはそのためだ。
GKの基本は、「シュートの瞬間に両足で立っていること」に尽きる。どこにくるかわからないシュート。コースを見て反応する時間などなくても、両足で立つ「自然体」なら反射的に体が動く。
最近のGKはシューターに思い切り突っ込む。ブロックできることもある。だが才能のあるシューターにとって、飛び込んでくるGKは格好の「餌食」と言ってよい。前に出る動きは左右への動きを極端に悪くするからだ。少しコースをずらせて足元に転がしてやれば、簡単にゴールに流し込むことができるのだ。
現在はアマチュアリーグでプレーしているが、37歳のブデニクはフランスだけでなくスイスやギリシャのプロ1部でもプレーした経験豊富な選手である。「奇跡のセーブ」は、20年間以上積み重ねてきた基本練習のたまものだったに違いない。この後、バンヌはPKを得てそれを決め、3-0で快勝した。
(2016年10月5日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。