メッシのような天才でなくても、サッカー選手はひょんなところで歴史に名を残す。
1995年に欧州連合(EU)の裁判で勝訴、その後の世界のプロサッカーを変えたジャンマルク・ボスマン(ベルギー)が好例だ。そしてオランダの「ウィレム二世」というクラブに所属するオランダ生まれのモロッコ人MFアヌアル・カリ(25)も、その1人になるかもしれない。
9月22日に行われたオランダ・カップの1回戦で、カリは後半13分に退場処分になった。ダニー・マケリエ主審はアヤックスのMFラッセ・シェーネに対するカリのタックルにイエローカードを出したが、ビデオ・アシスタントレフェリー(VAR)のポル・ファンベッケマデのアドバイスに従ってその判定を変え、レッドカードを出したのだ。
サッカーのルールを決める国際サッカー評議会がVARの試験導入を認めたのがことし3月。いくつかの国がその試験への参加を承認され、8月のアメリカ3部リーグに続き、この日にオランダ・カップの2試合で実施された。
スタジアム外に停車したバンにつくられたビデオ検証室に陣取ったVARは「得点」「PK」「退場」「警告・退場の人違い」など試合結果にかかわる重大な判定を複数角度の映像で検証、無線で主審にアドバイスを送る。主審がアドバイスを求めることも、VARが注意を喚起することもある。さらに進むと、ピッチサイドに用意された端末で主審が映像を確認し、最終判断を下すこともある。
ボールがゴールラインを越えたかどうかを正確に判定する「ゴールラインテクノロジー(GLT)」、両ゴール裏に新たに副審を配置する「追加副審(AAR)」(ともに2012年に正式認可)を超え、究極の誤審回避策として注目されるVAR。国際サッカー連盟自体(FIFA)も9月以降の欧州での国際親善試合を使って2回の試験導入を行ってきた。さらに12月には、日本で開催されるFIFAクラブワールドカップの8試合でテストが実施される。
この大会に向け、6つの地域連盟からそれぞれ1チーム(主審1人、副審2人)の審判団が選出されたが、各チームに1人ずつVARがつくことが発表されている。アジアから選ばれた主審はバーレーンのナワフ・シュクララだが、過去2回のワールドカップで計9試合主審を務めた経験豊富なラフシャン・イルマトフ(ウズベキスタン)がVARとして支援する。
一般観客にはもちろん、メディアの目にもまったく触れることのない完全な「黒子」のVAR。単発の試合としてではなく、初めて集中的な大会で行われる試験導入。サッカーでも「ビデオ判定」の時代は確実に近づいている。
(2016年11月30日)
11月11日に鹿嶋で行われたオマーン戦で、相手のカウンターアタックをかろうじて防いだ日本。しかしDF酒井高徳のクリアは小さく、ペナルティーエリアのすぐ外で相手に拾われてシュートを許した。
ふと、4年前のFIFAクラブワールドカップで見たチェルシーのDFダビドルイスのプレーが脳裏によみがえった。自陣ゴール前から、彼は相手陣の右コーナー近くまでボールをけり出したのだ。
「守備への圧力をやわらげるため、いかなる戦術的な組み立てにも優先してボールを大きくけり出すこと」
私が愛用している『サッカー用語辞典』(バラード、サフ共著、1999年)による「クリアランス」の定義である。「いかなる戦術的な組み立てにも優先して」という表現がとても素敵だ。
世界のトップクラスではDFラインからのビルドアップが常識となり、多くのクラブがそうしたサッカーを実践している。スペインのFCバルセロナなどは、GKまで含めて粘り強くパスを回し、FWへのマークにスキができるチャンスを待ち構える。
もちろん日本もその方向性を追っている。現在のJリーグでは、ただけり返すだけのDFなどまず見ない。
しかし試合には「クリア」をしなければならない状況もある。押し込まれて守備組織が乱れ、相手がかさにかかって攻めてくるとき、目の前にボールがきたら、守備側はとにかく大きくけり出さなければならない。可能ならタッチラインの外へではなく、相手最終ラインの背後へ。これで守備組織を整える時間ができる。ダビドルイスのように相手陣のコーナー付近まで届けば120点だ。
ところが日本では、いざクリアしなければならない状況で、情けないキックしか見ない。ただ足に当てるだけのキックしかできず相手に拾われて波状攻撃を受けてしまうチームがいかに多いことか。
1967年にブラジルの名門クラブ、パルメイラスが来日し、東京の駒沢競技場で日本代表が対戦した。その初戦、日本は2回のクリアミスを拾われてそのたびに失点し、0-2で敗れた。
「クリアは横浜までけれ」
ちょうどこの時期に来日していたデットマール・クラマー・コーチは、試合後、そう叱咤(しった)した。駒沢は都心から西南方向にあり、横浜はそのさらに南10数キロという位置関係。「横浜まで」と具体的なイメージを植え付けられたことで日本選手の意識が明確になり、3日の第2戦では歴史的な2-1の勝利を収めることができた。
それから約半世紀。いまの日本選手たちの情けないクリアを、天国のクラマーさんはどう見ているだろうか。
(2016年11月16日)
J2(Jリーグ2部)が大変なことになっている。
22チームのホームアンドアウェー方式。全42節の40節を終わって、J1への昇格もJ3への降格もまったく見通しが立たない状態なのだ。
J1への昇格は3チームだが、自動的に昇格できるのは2チームだけ。3位になると4チームによる過酷な昇格プレーオフに回る。過去4年間行われてきたプレーオフで3位チームが勝ち抜いたのは昨年の福岡だけ。12年と14年には6位チームがJ1への最後の一座を獲得している。
今季のJ2では、5月に札幌が首位に立ち、以後ずっとその地位を守ってきた。8月末には2位松本に勝ち点9差をつけて独走状態だった。しかし10月中旬から急に勢いが落ち、以後の5試合は1勝1分け3敗。11月6日に徳島に敗れると、ついに勝ち点81で松本に並ばれた。
この間、松本は4勝1分け。チームを率いて5シーズン目の反町康治監督仕込みのハードワークでしぶとく勝ち星を重ね、1年でのJ1復帰に集中している。
ところが、終盤にきてこの2チームを脅かす存在が出てきた。10月以来7連勝で勝ち点を78に伸ばした清水だ。鄭大世と大前元紀の「ダブルエース」が絶好調で、7連勝する間に2人で13得点。上位2チームとの勝ち点差は残り2試合で3(1試合分)あるものの、得失点差では圧倒的にリードしており、札幌か松本が1試合でも落とせば逆転する可能性は十分ある。
3位から6位の4チームで行われるプレーオフが決まっているのはC大阪と京都の2チームだけ。あと2チームの決定は11月20日の最終節までもつれ込む可能性が高い。
J2残留争いも熾烈だ。最下位(22位)が自動降格で21位はJ3の2位と入れ替え戦を戦うが、残り2試合で7つものチームが入れ替え戦どころか自動降格の危機からさえ抜け出せていない。なかでも19位岐阜から22位金沢まで4チームのの勝ち点差はわずか3。過去5節、毎節順位が入れ替わるつばぜり合いのなかで終盤まできてしまった。
J2の残り2節は、12日と20日に一斉に行われる。今季のJ2はこれまでの40節(計440試合)で300万6256人(1試合平均6832人)の観客を集めているが、終盤の2節22試合の大半に各チームの明暗がかかっているだけに、昨年の316万2194人(平均6845人)を上回る最多記録を達成する可能性は十分ある。
史上まれに見る激戦となったJ2。1シーズン、40試合を戦い抜いて蓄積した疲労はピークに達しているだろう。しかし「ラスト2」に向け、どのチームも集中力を最大限に高めているに違いない。
(2016年11月9日)
「どんな結果であれ、良いサッカーが勝利者となりますように」
2008年1月、東京の国立競技場で日本代表がボスニアヘルツェゴビナ代表と対戦した。前年11月に脳梗塞で倒れて日本代表監督を退いたイビチャ・オシムさんがリハビリ入院中の病院から観戦に訪れ、大型スクリーンにそのメッセージが流れた。
生命を削るように指導してきた日本代表。そして自らの祖国であるボスニア代表。その対戦に、70歳を目前にしたオシムさんも心躍らないわけがなかった。
さて、24シーズン目のJリーグもいよいよ大詰め。明日3日には「第2ステージ」の最終節9試合が開催される。浦和と川崎の「年間勝ち点1位争い」が最大の注目だ。
昨年、Jリーグは「スポンサー収入の大幅減」を理由に2ステージ制の導入を決断した。最多5チームによるプレーオフ「チャンピオンシップ」で得られる放映権料で収入を確保する狙いだった。
多方面から激しい反対意見が出た。Jリーグ自体も、本来の形ではないことを認めていた。だが財政面の理由で踏み切った。実際には昨季開幕前に「タイトルパートナー」契約の獲得に成功し、財政面での不安は解消されていた。それでもJリーグは2ステージ制を2シーズン続けた。
プレーオフにはビジネス上のメリットはあるだろう。しかし1年間の努力より短期決戦が重い制度に、「スポーツとしての正義」はない。昨年は年間勝ち点2位(72)の浦和が3位(63)のG大阪に準決勝で敗れ、記録上の年間順位は3位となった。
第1ステージはともかく、第2ステージにはいると下位のチームはステージ順位など眼中になくなる。残留と降格は両ステージを通算した年間順位で決まるからだ。誰も気にしていない第2ステージ優勝チーム決定を声高に報じるテレビのニュースが空しい。
先週第2ステージ優勝を決めた浦和にも、興奮はなかった。チャンピオンシップで決勝にシードされる年間1位の座に、川崎が勝ち点1差で追いすがっているからだ。優勝トロフィー授与のセレモニーの寒々しさは、Jリーグが2シーズンにわたって行ってきた愚行を象徴していた。
圧倒的にボールを支配しても、良い試合をしても、何本シュートを放っても、勝てるとは言えないのがサッカーの難しさであり、同時に面白さでもある。だができるなら、より良いサッカーをしたチームが、そして年間を通じて1ポイントでも多くの勝ち点を取ったチームが、勝者として称えられてほしいと思う。
オシムさんの言葉は、サッカーを愛するすべての人の祈りに違いない。
(2016年11月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。