西日本では大雨で被害が出ているが、関東地方はいまのところカラ梅雨模様。これからどうなるか...。
雨でも試合が行われるのがサッカーだ。今日のJリーグのスタジアムでは多少の雨では水たまりができるようなことはないが、ぬれた芝ではバウンドしたボールが思わぬ伸び方をして試合の行方を左右することもある。
Jリーグで近ごろ気になるのは、雨でもないのに滑る選手たちだ。試合直前にたっぷりとピッチに水をまくスタジアムも多いが、それにしても肝心なところで滑ってチャンスを逃す選手が多すぎる。そしてその原因が、シューズの選び方にあるのではないかと感じられてならないのだ。
サッカーシューズのソール(クツ底)の部分には「スタッド」と呼ばれるたくさんの突起が付いていて、それがピッチをつかまえて選手の力を推進力に変換する。
大きく分けて、シューズにはスタッドをソールと一体成型したもの(固定式)と、取り外し可能なもの(取り替え式)の2種類がある。固定式はスタッドの数が片足で10数個あるのが普通で、一般に固いピッチに適する。それに対し基本的にスタッドが片足6個の取り替え式は、ピッチが軟らかいときに使用する。
ただ固定式は足への負担が少ないので、ピッチが多少軟らかくても、ときには雨でも固定式をはく選手が少なくない。おそらく、滑って転ぶのはそうした選手だろう。
半世紀ほど前まで、スタッドは厚い皮を貼り重ねたものをくりぬいて作り、ソールにクギで打ち込んでいた。軽いアルミ製スタッドが登場しても、スタッド1本を4本の短いクギで革製のソールに打ちつける形は変わらなかった。
1954年ワールドカップ・スイス大会決勝、試合会場のベルンは雨になった。西ドイツの智将ヘルベルガーはシューズメーカーのアディ・ダスラーを呼び、「新兵器」を出すように言った。この大会前にダスラーが開発したばかりのシューズは、スタッド自体にねじをつけ、簡単に付け外しができるものだった。短時間のうちに、西ドイツ選手のシューズは「雨用」の長いスタッドに付け替えられた。
4年間無敗だったハンガリーを西ドイツが大逆転で下して初優勝を飾った背景には、選手たちの足元を支えたこの「新兵器」があった。
サッカー選手が身に着ける用具のなかでソックスの内側につけるすね当て以外ではただひとつ個々に選べるのがサッカーシューズだ。デザインや色ばかり気にしている選手がいるが、もっと基本的な機能に着目し、ピッチに適したものを選ぶ必要がある。
「雨の日は、滑らぬ先の取り替え式」ということか...。
(2017年6月28日)
「サッカーが30分ハーフになる?」
19日朝、こんなニュースが話題になった。「震源地」は国際サッカー評議会(IFAB)。国際サッカー連盟(FIFA)外に置かれたサッカールールの決定機関である。15日に発表した「プレー・フェア!」という名の活動指針に示された今後検討すべきルール改正案のひとつに、「ライン外にボールが出たり反則があってプレーが途切れるたびに時計を止め、通算の実質プレー時間が30分になるまでハーフを続ける」というものがあったのだ。
すぐに変わるというわけではない。仮に世界中が賛成しても、まず数年かけて新ルール案を「検討」し、その後数年間の「実験」を経て、正式ルールになるという手順だ。
そもそも今回の活動方針の発表は、ことし3月に行われたIFABの年次会議で現在のサッカーに横行するあからさまな時間稼ぎやアンフェアな行為を撲滅する方策を検討するなかから生まれた。「選手たちの行動を改善し、リスペクトを広める」「実質プレータイムを伸ばす」「公正さと喜びを増す」の3つの柱からなり、「ルール改正なしにいますぐ実行できること」「すぐに実験を始められること」、そして「検討を要すること」が列記されている。
「30分ハーフ」の検討も気になるが、より興味深いのは「いますぐ実行できること」に挙げられた3つの事項だ。現在ロシアで開催されているFIFAコンフェデレーションズカップから実施に移されることになっている。
その第1は、「キャプテンの責任をより重くする」ことだ。試合中に重大な出来事があったとき、主審と話すことができるのはキャプテンだけとする。それによってたくさんの選手が主審を取り囲むなどの混乱を減らすことができる。キャプテンは主審に協力して仲間を落ち着かせ、事態を収める責任ももつ。
第2は、追加タイムの厳格化だ。従来は「前半1分、後半3分」が「常識的」だったが、PKの判定からけられるまで、得点から次のキックオフまで、イエローなどのカードが出されてから再開までなど、無用に浪費された時間をしっかりと追加することを主審に求めている。そして第3が、GKがボールをつかんでから放さなければならない「6秒ルール」の厳格化だ。
活動指針の最終目的は、サッカーをよりフェアに、そしてより魅力あるものにすることにほかならない。目的実現のためなら大胆なルール改正も辞さないという姿勢を示したIFAB。指針だけでなく具体的な改正案まで公表したのは、開かれた議論が世界中で活発に行われることを期待してのものに違いない。
(2017年6月21日)
日本代表が出場権獲得を目指して格闘中のFIFAワールドカップ2018ロシア大会。その開幕がちょうど「あと1年」となった。来年の6月14日、モスクワのルジニキ・スタジアム、開催国ロシアが出場するカードで64試合の熱戦の幕が切り落とされる。
ルジニキ・スタジアムは旧称レーニン・スタジアム。1980年モスクワ五輪の主会場であり、来年のワールドカップでも、開幕戦とともに決勝戦の舞台となる。
さてワールドカップまで1年を切った今週土曜(17日)には、「プレ大会」とも言うべきFIFAコンフェデレーションズカップが開幕する。「コンフェデレーション」とは国際サッカー連盟(FIFA)傘下の6つの地域連盟のこと。各地域連盟の王者に前回ワールドカップ優勝のドイツとホスト国ロシアを加えた8チームで優勝を争う。
アジア代表は2015年アジアカップ優勝のオーストラリア。大半が昨日だったワールドカップ・アジア最終予選の第8節、オーストラリアがサウジ戦を先週実施したのは、この大会に備えるためだった。
そう古い大会ではない。スタートから25年、今回がちょうど第10回の記念大会となった。1992年にサウジアラビア協会の招待大会として始まり、97年の第3回からFIFAの公式大会となって現在の名称に変わった。
最多優勝は過去9大会中7大会に出場(最多出場)で5回優勝のブラジル。だが今回は南米王者の座をチリに奪われ、大会にその姿はない。今大会、出場回数ではメキシコがブラジルに追いつく。
「コンフェデ」は日本になじみの深い大会でもある。出場回数でブラジルとメキシコに次ぐのが95年大会を皮切りに過去5大会出場の日本なのだ。通算試合数でもブラジル(33試合)とメキシコ(22試合)に次ぎ16試合で3位。ただし通算成績になると5勝2分け9敗で7位に後退する。それでも自国開催の2001年大会では決勝に進出し、フランスに0-1で惜敗している。
2年にいちどだった大会がワールドカップのプレ大会と位置付けられたのが、この2001年。日韓共同開催だった。そして現在は、4年にいちど、ワールドカップの前年にその開催国で開かれている。
興味深いことに、過去9代のチャンピオンを見ると、すべて自国人監督が指揮をとるチームだった。その「伝統」が守られれば、今回の優勝は開催国ロシア、ポルトガル、オーストラリア、ドイツのなかから出ることになる。
来年のワールドカップで使われる11都市12会場のうち4都市4会場で繰り広げられる2週間、16試合の熱戦。試合とともに、どんな雰囲気になるかにも注目したい。
(2017年6月14日)
その光景を見て、あぜんとするしかなかった。
5月31日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)浦和×済州(韓国)。延長戦終了直前には済州の交代要員が青いビブスをつけたままピッチ内に乱入して浦和の選手に暴行を加え、試合終了後には済州の選手たちがあちこちで浦和の選手たちに詰め寄った。許し難い蛮行と言える。
だが、ただ負けたから済州の選手たちが自制心を失ったわけではない。彼らが言うように浦和の選手が本当に挑発的な行動をとったのか、当日の映像を見直してもすべてはわからないが、済州の選手たちは侮辱と感じたのだろう。そこを少し考えてみたい。
日本に限らず、現代のプロサッカーで当然のように行われている得点後の芝居がかった「パフォーマンス」や勝利決定後の大げさな喜びの表現を、私は好まない。あまりに自己中心的で、相手への「リスペクト」のある行為には感じられないからだ。そうした行為が、節度なく、野放図に行われている現状がある。
半世紀ほど前に「ダイヤモンドサッカー」というテレビ番組が始まり、最初はイングランドリーグの試合が紹介された。強く印象に残ったのは、試合終了の笛が吹かれるとどちらのチームの選手も近くの相手チーム選手と握手し、スタスタと更衣室に引き揚げていく姿だった。そこには、試合が終わったらチームの別はない「ノーサイド」の精神があった。得点の後も、当時は軽く右手を上げる程度で、あとはチームメートと握手して自陣に戻っていた。
2011年になでしこジャパンが女子ワールドカップに優勝したときも、得点後のパフォーマンスなどなかった。アメリカとの決勝で澤穂希が奇跡的な同点ゴールを決めた後、澤は右手を上げて味方選手に走り寄り、あっという間にその輪にのみ込まれた。そしてその輪が解けると、選手たちは自陣に走って戻った。その喜びはごく自然で、過剰さなどみじんもなかった。
だが現代のプロサッカーでは、得点すればただひとりで走って仲間から逃れ、背中の名前を指さしてファンに「俺が取ったんだ」とアピールする。サッカーの得点は個人のものではなくチームのものなのに...。こんな行為は知性のなさを感じさせるだけだ。
そして勝利が決まると、大げさなジェスチャーでサポーターにアピールする。喜びを分かち合いたい気持ちはわかるが、その一方で、相手チームへの思いやりやリスペクトが忘れ去られている。
済州の選手たちの行為はあまりに愚かで、とうてい許されるものではない。だが私たちは少し立ち止まり、その背景にある現代のプロサッカーの「考え違い」を顧みる必要があるのではないだろうか。
(2017年6月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。