「ワールドカップ史で最もばかげた審判」という汚名を被せられているのが1978年アルゼンチン大会、スウェーデン×ブラジルのクライブ・トーマス主審(ウェールズ)だ。
終了間際のブラジルの右CK。スコアは1-1。ネリーニョがキック、ジーコが頭で決める。しかし得点は認められなかった。トーマス主審はネリーニョのキックがジーコの頭に当たる前に試合終了の笛を吹いていたのだ―。
サッカーの試合は前後半45分の90分間。だが誰にも見える時計があるわけではない。時間の管理は主審に一任されており、主審は負傷者の手当てや交代などで空費された時間を加算して45分に追加し、前後半を終了させる。
今日では「前半1分、後半3分」ほどの追加タイムが常識的だが、これに敢然と挑戦したのが6月15日の国際サッカー評議会(IFBA)と国際サッカー連盟(FIFA)の共同会見だった。ロシアでのFIFAコンフェデレーションズカップ(6月17日~7月2日)で、厳格に追加タイムをとると発表した。
PK(判定が下されてからけられるまで)、得点(得点があってから次のキックオフまで)、負傷(主審が当該選手に手当てが必要か聞いてからプレー再開まで)、レッドカードとイエローカード(主審がカードを示してから再開まで)、交代(主審が認めてから再開まで)、9.15メートル(主審がこの距離を測り始めてから開始の合図まで)の6項目。すべて追加タイムに入れると宣言したのだ。
だが結果は啞然とするものだった。全16試合平均で前半の追加タイムは1.3分、後半は3.6分(延長戦は含まず)だった。この大会では1試合平均3回もビデオ判定があってさらに時間をとられたにもかかわらず、2014年ワールドカップの全64試合の平均とほぼ同じ数字だった。
「6月15日宣言」は、まったくの絵空事だった。何らかの事情で今大会での実行は無理という判断だったのか。
1978年ワールドカップ。ブラジルのCKが「時間切れ」になったのは、ネリーニョがコーナーエリアの外にボールを置いて「置き直し」となり、そこで時間を使ってしまったためだった。トーマス主審はアマの試合で45分間の追加タイムをとったことがあった。ピッチが丘の上にあり、ボールが出るたびに麓まで拾いに行かなければならなかったからだ。彼はただ、ルールに厳格な主審だったのだ。
現在でも追加タイムは主審にとって大きなプレッシャーだ。その間に結果を左右する大きな出来事がある可能性があるからだ。「宣言」どおり厳格にとっていたら、優に10分間を超えてしまうだろう。その重荷を主審ひとりに負わせるのは正しいのだろうか。
(2017年7月26日)
「海の日」に埼玉スタジアムで行われた鈴木啓太(元浦和)の引退試合は、とても楽しい試合だった。
浦和と日本代表で「ケイタ」のチームメートだった旧友たちが50人近くも出場、例外なくファンを喜ばせようという姿勢は、心を打った。
なかでも圧巻だったのは、代表OBで出場した中村俊輔(磐田)だ。絶妙のパスを飽きることなくケイタに送り続け、なんと前半の45分間だけで10本ものシュートを打たせたのだ。ケイタが2ゴールを記録できたのは、中村がその天才を彼に点を取らせるためだけに使った結果だった。
前半中村のリードで3-0と大差をつけた代表OBだったが、後半になるとユニホームを着替えたケイタを含む浦和OBが反撃、4-3と大逆転した。しかし終了間際、PKのチャンスが訪れる。
間髪を置かず、代表OBの岡田武史監督が岡野雅行(元浦和)を送り出す。前半浦和OBで出場、猛烈な走りでファンを沸かせた岡野は、すでに代表OBのユニホームに着替え、背番号17をつけてベンチに控えていた。
思い切り下がってから走り込み、同点ゴールを左隅にけり込んだ岡野。すると両手を真横に広げ、ベンチに向かって走り始めた。
20年前、1977年11月16日、マレーシアのジョホールバル。イランと戦った日本代表は、2-2で迎えた延長後半13分に岡野が決勝点。この「ゴールデンゴール」で日本中の誰もが夢見たワールドカップ初出場が決まった。殊勲の岡野は両手を広げてベンチに向かって走り、真っ先にベンチを飛び出した岡田監督とぶつかり合うように抱き合った。その場面の再現パフォーマンスだった。
自分に向かって疾走してくる岡野に、一瞬遅れて岡田監督も気付き、ベンチを出る。そして岡野と抱き合う。
もちろん「引退試合」とは無関係だった。だが20年もの時間を超えて、瞬時にあの日がよみがえった。スタンドのファンも同じ思いだったに違いない。浦和のサポーターたちも大喜びだった。
若いファンにとって20年前は「大昔」かもしれない。しかし「ジョホールバル」は日本のサッカー史に残る重要な歴史である。すでにワールドカップに5回も出場した現在では想像もつかない巨大な歓喜の一瞬があったことを、その時代を知る者が語り継ぎ、若い世代がまるで体験したかのように理解することこそ、「文化」なのだろう。
50人近い選手がケイタへの友情を「ファンサービス」で示した試合は、楽しさにあふれていた。そして岡野が見せた「即興」に、Jリーグが積み重ねてきた四半世紀で育まれた「文化」を感じた。
(2017年7月19日)
ミハイロ・ペトロヴィッチが日本にやってきたのは2006年6月14日。48歳のときだった。以後サンフレッチェ広島と浦和レッズで指揮をとり、彼は59歳になった。
ドイツで開催されていたワールドカップの期間中。この8日後に日本代表の敗退が決まり、さらに2日後には、当時の日本サッカー協会・川淵三郎会長が「オシムが...」と口を滑らせ、その後の話題をジーコの後任監督問題で独占したことを考えると、ずいぶん昔の話のように感じる。
実際、この年、J1とJ2で計31クラブあったが、31人の監督中、現在もJリーグで指揮をとっているのは長谷川健太監督(当時清水、現在はG大阪)ら数人にすぎない。ただし長谷川監督には2年間の「浪人生活」があった。
2006年、ペトロヴィッチはシーズン半ばに広島の監督に就任し、5年半の指導で高い評価を受けた。そして2012年以降は浦和で指揮をとっている。
旧ユーゴスラビア、現セルビアの西部、ボスニアヘルツェゴビナと国境を接するロズニツァという小さな町で生まれ、ユーゴスラビア代表としても活躍したペトロヴィッチは、オーストリアで引退すると、オーストリアに留まってまるで「サッカー伝道」のような指導の道を始めた。
ミッションはただひとつ。心から愛するサッカーをより魅力あふれるものとし、サッカーを愛する人びとにより多くの喜びを与えることだ。
広島で6シーズン、そして浦和に移っても6シーズンの長きにわたって監督の座にある一事だけでも、いかに評価が高いかわかる。
広島でも浦和でも、共通するのは魅力あふれる攻撃的サッカーだ。独特の3-4-2-1システムは、奇異に見られた時期もあったが、いまでは日本の多くのチームに影響を与えている。特定の選手に頼らず、磨き抜いたコンビネーションでつくり出す攻撃には、息をのむような美しさがある。常に新しいコンビネーションを考案し、練習方法を開発する手腕は天才的だ。ただ、そうしたサッカーをつくるには時間がかかる。
今日の世界では、監督たちはマジックのように即座に結果を出すことを求められている。コンビネーションを磨こうとする監督などほとんどいない。大半は選手の「組み合わせ」で勝利に近づこうとする。必然的に、成績は怪物のような能力をもつFWがいるかどうかで決まる。言い換えれば、資金力で決まる。
こうした世界の潮流に完全に逆行するペトロヴィッチの生き方。「いかに勝つか」では満足せず、「いかに美しく勝つか」を追及する、世界でも希有な天才指導者がJリーグで12シーズンも活動していることの幸運を、私たちは絶対に手放すべきではない。
(2017年7月12日)
Jリーグ1部(J1)は先週末が第17節。全日程の半分を消化した。今週末の第18節を終えると、2回の週末がオフとなる。
この期間にJリーグ主催で開催される試合がある。「ワールドチャレンジ」という初めてのシリーズである。香川真司を擁するドイツのボルシア・ドルトムントとスペインのセビージャFCが来日し、それぞれ浦和レッズ(7月15日、埼玉スタジアム)、鹿島アントラーズ(22日、カシマスタジアム)と対戦する。入場料は通常のリーグ戦よりかなり高いが、前売りチケットの販売は好調らしい。
ことし1月、村井満チェアマンはJリーグ全体の底上げのため世界に挑戦する機会を増やしたいと抱負を語った。
意図は理解できる。だがそれがこの試合なのだろうか。ドルトムントもセビージャもシーズン前で、トレーニングも十分でない時期にあたる。そうした時期にわざわざ時差が7時間もある日本に来て試合をするのは、Jリーグ側とはまったく違う意図があるからだ。「世界戦略」―。彼らにとってこの遠征はテレビ放映権やグッズの販売を通じて世界中から資金をかき集める「宣伝隊」にほかならない。
本来サッカークラブの「マーケット」とはホームタウンのはず。だからこそ国内で数十ものプロクラブが成り立つのだ。だが近年、ビッグクラブはそれを国内全域に広げ、国境や大陸まで越えて世界中からカネをかき集めるシステムをつくり上げた。実際、現在の欧州サッカーの収入の6割はアジアから流入していると言われている。その結果、世界各国のプロリーグは困難な状況に立たされている。
今回の「ワールドチャレンジ」は、そうした欧州の強豪の戦略に加担しているだけのように思えてならないのだ。
「ことし1ステージ制に戻したのに伴い、3週間の中断期間を設けました。私自身の監督経験から、シーズンの半ばにちょっとした中断がほしいと思っていたからです」
そう説明するのはJリーグの原博実・副理事長だ。
「その期間を短期合宿に使うもよし、FC東京のように欧州遠征するのもよし。そのひとつとして欧州の強豪の招聘(しょうへい)を企画し、昨年のチャンピオンとルヴァンカップ優勝チームと対戦してもらうことにしたのです。必ずプラスになるはずです」
以前と違い、欧州の強豪クラブは実戦を通じてシーズンの準備をするようになっており、選手たちも生き残りがかかっているので本気のプレーが見られるはずだと、原副理事長は強調する。
Jリーグ強化に寄与する試合になるのか、それとも「世界戦略」に乗せられるだけなのか、しっかり見極めたい。
(2017年7月5日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。