「あの試合」を前に、私たちはどんな心境だっただろうか―。1997年11月1日、ソウルでの韓国戦である。
ワールドカップ・フランス大会への出場権を目指し、日本代表は苦闘を強いられた。最終予選半ばで加茂周監督が解任され、岡田武史コーチが昇格したのが4週間前。だがその後も勝てずに出場圏外の3位のまま。前週には勝てば2位になれたUAE戦で引き分け、一部のファンが試合後の国立競技場で暴動を起こして、さらに暗たんとさせた。
5勝1分けの韓国はUAEと日本が引き分けた時点で早くも首位を確定し、出場権を決めていた。日本は残る韓国戦とカザフスタン戦に連勝し、2位のUAEが2試合で勝ち点を落としてくれるのを祈るしかなかった。だがとにもかくにも、ソウルで韓国に勝たなければ始まらない。
「可能性がある限りあきらめずに戦う。やるしかない」
岡田監督は短く語った。
だがソウルでの前日練習では、日本チームの練習の周囲で何千人もの警察官が翌日の警備の予行演習を行い、ときおり何百人もが重装備のまま地響きをたてて選手たちの横を疾走した。日本のメディアはすでにUAEと引き分けた時点で絶望論を展開していたが、この威嚇的な雰囲気がさらに空気を重くした。
それをがらりと変えたのは、日本が勝つことだけを信じて蚕室競技場の北側スタンドを真っ青に染めた8000人ものサポーターだった。選手たちもそのスタンドを見上げて吹っ切れた気持ちになったに違いない。恐れを断ち切って奮闘し、見事2-0の勝利を収めた。翌日、UAEが引き分けて日本は2位に浮上した。韓国戦の勝利こそ、ワールドカップ初出場へのスプリングボードだった。
来年のワールドカップ・ロシア大会への出場権を懸けたオーストラリア戦がいよいよ明日に迫った。全10節の最終予選も残り2節。第8節終了時で日本は首位だが、ともに勝ち点16の2位サウジアラビア、3位オーストラリアとの差はわずか1。最終節はアウェーのサウジアラビア戦。どちらかに勝たないと3位に落ちる可能性が高い。
アジア・チャンピオンで世界レベルのフィジカルを誇るオーストラリア。日本より休養日が2日長いうえに時差もないUAEで第9節を戦うサウジアラビア。日本には、6時間の時差と酷暑のジッダという難敵もある。「ひとつ勝てばいい」といっても、けっして容易な状況ではない。
だが1997年の韓国戦を前に岡田監督が語ったように「やるしかない」。目前の試合に集中し、恐れず戦うしかない。そして1997年と同様、サポーターの心からの信頼と力強い声援が、その大きな力となる。
(2017年8月30日)
日本ではJリーグのシーズンの3分の2まで進んだ8月中旬、相次いで欧州の主要リーグが華々しく開幕した。
欧州のシーズン開幕は本当に明るい。40年ほど前の8月にイングランドのリーグ開幕日を取材したことがある。明るい土曜日の午後、徒歩やバスでスタジアムに向かうファン、サポーターの顔は、例外なく期待であふれんばかりに輝いていた。
欧州の国の大半はシーズンが秋に始まって翌年春に終わる「秋-春制」。Jリーグもこれに合わせられれば移籍などがよりスムーズになると言われている。議論が始まって長いが、いまだに結論が出ていない。南北に長い日本。北国のクラブの不安を払拭(ふっしょく)しきれないのだ。
Jリーグ以前の日本のトップリーグは「秋-春制」だった。1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が始まったときは6月開幕、11月閉幕の「春-秋制」だったが、1986年にワールドカップ(6月)とアジア大会(9月)が重なった際に開幕を10月25日まで遅らせ、閉幕は翌年の5月17日とした。前年も閉幕は年をまたいだのだが、この年から正式にシーズン表記も「86/87」と複数年を示した。ただし当時のJSLには東北以北のチームはなかった。
それをJリーグ・スタートに当たって「春-秋制」に戻した。JSL時代と同様、当初のJリーグには東北以北のチームはなかった。積雪や寒さの心配があったわけではない。「観戦に最も適した時期に」という、「観客ファースト」の姿勢からだった。
日本の「新年度」は4月、すなわち春に始まる。学生も会社員も、桜の季節に新しいスタートを切る。私たちにはこのイメージがすっかり刷り込まれてしまっている。だがそれも、明治初頭には年度切り替えが7月と決められたのに、わずか10年余りで、しかも財政逼迫の明治政府が帳尻を合わせるために酒造税納期に合わせて強引に4月に変え、自治体、企業、学校も合わせさせられたと聞くと驚く。
ことしのJリーグ開幕は2月25日だった。3月いっぱいはダウンコートを手放せなかった。来年元日の天皇杯まで続くシーズンは、すでに「春-秋制」ならぬ「冬-冬制」と言っていい。寒さのなかの観戦も辛いが、近年では夏の暑さが厳しくなり、観戦もけっして快適とは言えない。「観客ファースト」というなら、盛夏を避けるほうがいいかもしれない。
現在のJリーグ、寒さに震えながらの開幕には、残念ながら欧州のようなはずむような明るさはない。「シーズン開幕の輝き」という要素だけでも、「秋-春制」導入の意味はあると私は思っている。
(2017年8月23日)
まるでサイコロを振るようなものだな―。そう思った。「シミュレーション」の判定である。
8月13日日曜日、スペインの「スーパーカップ」第1戦バルセロナ×レアル・マドリードで、リカルド・デブルゴスベンゴエチェア主審は2つの非常に難しい判定をしなければならなかった。
レアルの1-0で迎えた後半32分、ゴールに迫ったバルセロナFWスアレスがGKを抜いたと思った瞬間に大きく跳んで倒れる。判定はPK。だがいろいろな角度からのリプレーを見るとほとんど接触はなく、私には「シミュレーション(主審を欺こうという行為)」に見えた。
しかし5分後、こんどはドリブルでペナルティーエリアにはいったレアルFWロナウドが倒れるとシミュレーションと判定、ロナウドにイエローカードを出した。だがリプレーでは、右から体を寄せたバルセロナのDFが左手をロナウドにかけながら体をぶつけており、ロナウドが倒れたのは仕方がないように見えた。PKにするかどうかは別にして、シミュレーションとは言い切れないと感じた。
ロナウドはそのわずか2分前に目の覚めるようなゴールを挙げたのだが、勝ち越し点にユニホームを脱いで歓喜を表現、イエローカードを出されていた。2枚目のイエローカードは当然退場である。この直後にロナウドは主審の背中を小突いたが、それは別の話としよう。ただ、試合は10人になったレアルが1点を追加し、3-1で勝った。
デブルゴスベンゴエチェア主審は1986年生まれの31歳。1部リーグの主審になってまだ2年だが、来年には国際審判になる予定の有望な若手審判員である。能力を評価されているからこそ、シーズン幕開けを飾るスーパーカップの主審を任されたのだ。
シミュレーションかどうか見極める最も重要な手段はポジショニングだ。近くから正しい角度で見ることができれば、判定の精度は上がる。正しいときに正しい場所にいるべく、審判たちは血のにじむような努力をしている。だがカウンターアタックをされたら近くから見るのは難しく、思いがけない角度から守備側の選手がはいってきた場合には、正しいはずのポジションでも見えない場合がある。
しかしどんな状況であろうと、主審は何らかの判断を下さなければならない。ファウルなのかファウルではないのか、シミュレーションなのかそうでないのか―。推測ではなく、自らに正直に...。
何回リプレーを見ても確信をもてない判定を、主審は一瞬のうちに下さなければならない。それは自らの決定が正しいことを天に祈りながらサイコロを振るのに似ている。
(2017年8月16日)
鹿島アントラーズがホームとするカシマスタジアムの2階席に上がると、屋根とスタンドの間に鹿島灘が見える。海までわずか1キロあまり。夏場にはときおり濃い海霧が発生するが、Jリーグの試合がこれほどの「直撃」を受けたのは初めてだった。8月5日の仙台戦、前半20分ごろにピッチを覆い始めた霧で2回の中断をはさみながら、なんとか試合は終了した。
まず驚いたのは、オレンジ色のカラーボールの登場だった。前半25分過ぎに使用球がすべて代えられた。Jリーグによれば「雪対策」としてつくられ、主に北国のクラブに配布されているもの。鹿島は過去に豪雨や霧でボールが見えにくくなったことがあり、用意していたという。それまでの白いボールと比較するとずっと見えるようになった。
飯田淳平主審は前後半1回ずつ試合を止めた。前半は28分過ぎから約3分間、後半は16分過ぎから約10分間。前半は「追加タイム」に加算し、後半は時計を止めた。メインスタンド上部から俯瞰(ふかん)する映像では、その時間帯にはピッチが中央付近までしか見えず、逆サイドに展開されると選手もボールもまったく見えなかった。それでもプレーが続いていたのは、ピッチレベルではある程度見えていたからだろう。
飯田主審の判断基準は明確だった。その第一は選手の安全であり、もうひとつは正確な判定である。副審が逆サイドのタッチラインまで見通せなければオフサイドの判定を下すことができない。
彼は運営担当者と話し、両チームの主将を呼んで状況を説明した。主将以外の選手が質問にきてもその都度しっかり対応した。両監督とも話した。審判、選手、監督、誰もが理解し合い、協力し合って試合を成立させようという姿勢は、感動的ですらあった。
後半にあった10分間の中断後の時間表示をどうするかが徹底されていなかったこと、放送局にも伝えられていなかったことでやや混乱があったが、選手たちは中断を含めて59分間近くになった後半を最後まで集中して戦った。この状況下、誰もが全力を尽くした立派な試合だった。
ただ、選手や観客の安全、正確な判定が可能かのほか、もうひとつ「判断基準」が必要だったのではないか。「観戦可能か」という視点だ。スタジアムとテレビでたくさんの人がこの試合を楽しんでいた。どこにボールがあるかさえわからない状況なら、試合は「商品」として成り立たないのではないだろうか。
落雷、豪雨など、これまでもさまざまな自然現象が試合をさまたげ、ときに中止に追い込んできた。だが濃霧は想定外だった。ガイドラインの策定が急務と感じられた。
(2017年8月9日)
東京都女子サッカーリーグの試合のためにようやく確保できたグラウンドが7月30日の午後1時。熱中症対策を万全にして臨むことにした。
だが前夜は豪雨。朝方になって雨が止んだが、グラウンドに行ってみると、ところどころに水たまりがある。テントなどの準備のために早めに集まった両チームは、蒸し暑さが高まるなか、会場設営だけでなく、協力して水たまりの水を周囲に散らし、そこに土を入れる作業を行った。試合に出る選手たちがである。
チームの別などなく、黙々と働く彼女たちの姿を見て、「駆け出し記者」時代のことが急によみがえった。40年以上前の話である。
日本サッカーリーグの入れ替え戦が予定されていた前夜、「10年ぶり」という大雪が降った。取材に向かう新幹線も大幅に遅れた。
「行っても延期になるかもしれない」と思いつつキックオフ予定時刻ぎりぎりにグラウンドに到着すると、ピッチは大半が真っ白で、ホームチームの選手たちが懸命に雪かきをしている。その数時間前に雪が止んだので、チーム関係者総出で作業を始めたという。積雪量は20センチだった。
プレーしているときは窮屈に感じるが、雪かきなどの作業をするとサッカーグラウンドはとてつもなく広い。ピッチ内だけで7140平方メートル。芝生を守るために機械など入れられないから、すべて手作業で行う必要がある。平地だから雪は重く、作業をしていると汗でぐっしょりになる。
雪がすべて出されて、ようやくピッチが現れたのがキックオフ予定時刻から2時間も過ぎた午後3時過ぎ。試合は3時45分キックオフ、後半はナイターとなった。
この試合は1部最下位チームホームでの第1戦だった。戦前の予想では、2部で圧倒的な強さを見せて優勝したチームが有利とみられていた。
試合前、5時間近くの「重労働」でホームチームの選手たちの表情には疲労の色が見えた。彼らが懸命に雪かきをしている間、ビジターチームはグラウンドを見渡す暖房の効いたティールームで雑談に花を咲かせていたのだ。
だが勝ったのはホームチームだった。疲れてはいただろうが、気迫でまさり、当たり勝った。前半終了間際に得たPKのチャンスをしっかりと決め、1-0で勝ちきってしまったのだ。そして1週間後のアウェーでも勝ち、1部の座を守り抜いた。
この経験から、私はよく選手たちを「試合前に準備で働いたチームが勝つ」と励ますのだが、先週の真夏の試合では、両チームの選手がいやな顔ひとつ見せず協力して作業を行ってしまった。結果はともかく、集中した好試合になったのは言うまでもない。
(2017年8月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。