「サッカーの通訳は、何よりもサッカーとその用語に通暁していなければならない。しかし正確なだけではいけない。話し手のメッセージを正しく伝えられるよう、文化に合わせて脚色することも、良い通訳の重要な要素だ」
そう語るのは、1980年代にスペインのFCバルセロナで英国人監督テリー・ベナブルズの通訳を務めたグラハム・ターナーである。
日本代表は8年ぶりの日本人監督誕生でワールドカップまで通訳なしの状態になったが、Jリーグではいまもたくさんの通訳が活躍している。J1の18クラブで現在外国人監督は7人。今週浦和に着任したオズワルド・オリヴェイラ監督には、日本サッカー協会でハリルホジッチ前日本代表監督の通訳も務めた羽生直行さんがついた。監督が力を発揮するためには優秀な通訳が不可欠であることを、どのクラブもよく理解している。
四半世紀のJリーグの通訳で異色な存在が、2003年から2006年までジェフ千葉でイビチャ・オシム監督の通訳を務めた間瀬秀一さんだ。クロアチアでコーチの勉強をしようとしているときにオシムさんの通訳になり、実のところ翻訳は正確ではなかったらしいが、オシムさんの哲学を理解し、「オシム語録」が生まれるほどの名通訳となった。
間瀬さんは通訳のかたわら一からコーチの勉強をし、10年かけてJリーグの監督ができるS級ライセンスを取得、2015年にはJ3の秋田の監督となり、2017年からはJ2の愛媛で指揮をとっている。
Jリーグで2クラブ目、3クラブ目と渡り歩く外国人監督は珍しくはないが、通訳もいっしょに動くことが多い。ことしから札幌を率いているミハイロ・ペトロヴィッチ監督は2006年に広島にきて以来、浦和、そして札幌と日本で13シーズン目となるが、広島時代から一貫して杉浦大輔さんが通訳を務めてきた。
ドイツでコーチの勉強をした杉浦さんは、広島時代からコーチとして通訳を兼務している。13シーズンにもわたってペトロヴィッチ監督が好成績を残してきた背景には、彼の戦術も哲学も深く理解し、選手やメディアに伝えてきた杉浦さんの存在がある。
言語の背景にはそれぞれの長い歴史や文化があり、ときとして「通訳不可能」なことまで伝えなければならない。
冒頭のターナーは、あるときベナブルズ監督がわずか2語の英語で話した指示を正確に伝えようと、スペイン語で30語も話してしまったことがある。そのとき監督は、吹き出しながら「きみは自分の作戦を話しているんじゃないか」と大笑いしたという。
通訳は本当に難しい。だがその能力に、現代のサッカーは多くを負っている。
(2018年4月25日)
「戦略という言葉は戦争の用語だから、サッカーにはあまりふさわしくない」
記者の質問にそんな言葉で応じたのは、2006年から翌年にかけて日本代表を指揮したイビチャ・オシムさんだった。彼は自分が使う言葉に非常に厳格な人で、通訳がきちんと訳せているか、いつも気にかけていた。
さて、日本サッカー協会が最近よく使う言葉に「ステークホルダー」がある。日本語にすると「利害関係者」となるが、金銭的な関係にとどまらず、その支援がなければ組織が存立しえないグループを指す言葉らしい。
日本サッカー協会は「加盟団体規則」などの基本的な規約のほか、いくつもの公式文書でこの言葉を使っている。しかし私の理解力が不足しているせいか、そのたびに文書を書いた人が想定する対象が違うように感じられてならない。あるときにはサッカー界にとどまらず広く日本社会全体であったり、またあるときにはスポンサーそのものであったり、この言葉が出てくるたびに考え込んでしまう。
私の手元にある『小学館ランダムハウス英和大辞典』は1976年版なのだが、その「stakeholder」という言葉の日本語訳には、ギャンブルにおける「賭け金の保管人」としかない。「ステーク」とは第一義的に「賭け金」のことであり、そこから「利害関係」という意味が派生したらしい。アメリカで「ステークホルダー」が「利害関係者」という意味で使われた例が初めて現れるのは80年代のことだというから、76年版の辞書にないわけだ。
ではなぜ日本サッカー協会が日本語としてまだ十分にこなれていないこの言葉を多用するのか。それはビッグビジネス化に突き進む国際サッカー連盟(FIFA)の影響に違いない。過去数年間、FIFAの文書でこの言葉を頻繁に目にするようになった。
FIFAは2013年に各国サッカー協会の規約をFIFAの標準規約に準拠したものに改めることを義務付けた。日本協会が役員選挙の制度を改革し、評議員会の構成を大幅に変えたのはそれに従うものだったが、そのなかで「ステークホルダー」という言葉も浸透したのではないか。
以上の経緯は想像である。だが重要なのは、オシムさんではないが、最新のビジネス用語である「ステークホルダー」がサッカー界にはなじまないということだ。FIFAも日本協会も以前は「サッカーファミリー」という言葉を多用していたが、まだその言葉のほうが実像を想像することができた。協会がスポンサーの意向ばかり気にしているという世論を払拭(ふっしょく)するためにも、言葉を慎重に選ぶ努力が必要だ。
(2018年4月18日)
「1%でも2%でも、ワールドカップで勝つ可能性を上げるために決断をした」
4月9日、日本サッカー協会の田嶋幸三会長は、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督との契約を7日に解除、技術委員長だった西野朗氏を新監督に決定したと発表した。ワールドカップ開幕まで66日。西野新監督に与えられる準備の時間は、大会直前の3週間あまりしかない。
3月下旬にベルギーで開催された2つの親善試合は、非常に低調な内容で、ファンを失望させた。この試合で選手たちからハリルホジッチ前監督の方針に対する批判のような意見も出始めたことから、「コミュニケーションや信頼関係が薄れてきた」と判断、解任を決断し、パリに出向いて本人に告げたという。
日本サッカー協会の予算は現在200億円を超しているが、その大きな部分を担っているのが日本代表だ。国内開催試合の入場料収入、テレビ放映権収入、関連グッズ収入など、日本代表の人気次第で大きな影響がでる。
2006年からの4年間、日本協会の財政事情は非常に厳しかった。ワールドカップでファンを失望させた結果、代表試合で空席が目立ち、放映権収入も大幅に落ちたからだ。純粋なスポーツ面だけでなく、あるいはそれ以上に、日本協会には日本代表が強くそして人気のあるチームであってくれなければ困る理由がある。だから田嶋会長の決断はけっして軽いものではない。
ともかく、さいは投げられた。西野新監督が選手たちと固い信頼関係を築き、チーム一丸の戦いのなかで勝機を見いだしてくれることを祈りたい。だがその前提として2つの条件がそろう必要がある。選手と協会が真摯(しんし)にワールドカップに取り組むことだ。
日本は過去5回のワールドカップに出場してきたが、そのうち2回は大きく期待を裏切った。2006年ドイツ大会と2014年ブラジル大会だ。2大会には共通する要素があった。ひとつは選手たちの考え違い、そしてもうひとつは、日本サッカー協会による日本代表チームの過剰な利用だ。
この2大会、選手たちは大会前の親善試合などで自らの実力を過大評価し、「挑戦者」の姿勢を失っていた。大会にはいって痛いしっぺ返しをくらうのは当然だった。
そして日本協会自体も、日本代表をイベントに引き回すなど、チームが大会準備に集中するのを妨げた。サポートするはずの協会が足を引っ張って勝てるはずがない。
「大会に向けサッカー界の力を結集できるよう、全身全霊で取り組む」と西野新監督はコメントを出した。選手、監督、協会のすべてが「チームファースト」で取り組む以外、道はけっして開けない。
(2018年4月11日)
「我々はネイマールなしでも勝つことを学びつつある」
3月の親善試合でロシアに3-0、ドイツに1-0と、アウェーで連勝を飾ったブラジル。ベルリンでのドイツ戦は4年前のブラジル・ワールドカップでの歴史的大敗後初めての対戦と注目されたが、前半38分にFWガブリエルジュズスがゴールを決め、この1点を守り切って勝った。
2016年6月、ワールドカップ予選で低迷していたブラジル代表の監督に就任、以後8連勝で一挙に出場権を獲得して国民的英雄になったチッチ監督(56)は、この試合後にも落ち着いた低い声で試合を振り返った。そして冒頭に記した言葉こそ、ブラジルが6回目のワールドカップ優勝に向かって大きく前進したことを如実に表すものだった。
ネイマール(26)はブラジルのエース。アルゼンチンのメッシ、ポルトガルのクリスティアノロナウドと並び、誰もが認める現在の世界のトッププレーヤーだ。昨年の夏には2億2200万ユーロ(約290億円)という信じ難い巨額でバルセロナ(スペイン)からパリ・サンジェルマン(フランス)に移籍した。
4年前のブラジル代表において、ネイマールはすでに絶対的な存在だった。というより、ネイマールの突破力と得点力に、ブラジルの命運がかかっていた。準々決勝のコロンビア戦で彼が負傷すると、ブラジルの快進撃は突然止まった。その試合が、準決勝、ドイツに対する1-7という歴史的大敗だった。
チッチ就任以来の予選8連勝のなかでネイマールは6得点を記録している。どんな相手からも得点を奪ってチームを勝利に導いてくれる選手を欲しがらない監督はいない。しかしチッチは4年前のチームのようにネイマールに依存しているわけではない。
2月25日、ネイマールは日本代表のDF酒井宏樹が所属するマルセイユ戦で右足を負傷、「第5中足骨骨折」と診断されて手術を受けた。復帰見通しは2カ月半から3カ月後。ワールドカップに間に合うか非常に微妙なところだ。
ブラジルのレジェンド、ペレ(77)は「ネイマールの存在はブラジルにとって死活問題だ」と語った。チッチも「余人をもって替え難い」と評した。だがその一方で、3月23日のロシア戦でネイマールのポジションで先発することになったドウグラスコスタについて「彼は彼のプレーをすればよい。私たちは、より強くなるための挑戦を、チームとして続けるだけだ」と、エースを欠いてもチームの姿勢は変わらないことを示した。
そしてロシアとドイツに連勝。サッカーに対するチッチの真摯(しんし)な姿勢が、ブラジルをこれまでにない高みに導こうとしている。
(2018年4月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。