サッカーの話をしよう

No.706 川淵会長の功績

 財団法人日本サッカー協会の川淵三郎会長が定年で退任となった。きょうは、02年から6年間日本サッカーをリードした川淵氏の功績を考えてみたい。
 川淵会長就任後の日本サッカー協会の最大の変化は、創立81年目にして「店子(たなこ)」から「家主」になったことだろう。02年ワールドカップの余剰金などを生かし、同年12月に東京・文京区に「JFAハウス」をオープンさせた。
 協会の事業の基礎となる財政の拡大も、川淵氏の功績と言える。02年には100億円に満たなかった年間の収支を160億円を超す規模に引き上げた。ただこれは主に日本代表関連事業の伸びによるもので、ここ2年間の代表人気の低下が今後の協会運営を難しくする恐れは十分ある。
 「閉塞(へいそく)感のなかでいまほどスポーツの力が必要とされることはない」と、川淵氏は退任のあいさつで語った。昨年からの「心のプロジェクト」で社会に直接的な働きかけを始めたことは、後に高い評価を受けるのではないか。
 しかし私は、川淵氏の最大の功績は「サッカーファミリー」の拡大に真剣に取り組んだことだったと思う。
 「現在80万人の登録選手数を200万人にしたい」と就任時に語り、実現のために全力で取り組んだ。07年の登録選手数は89万人弱だが、少子化のなかで10%を超す伸びを記録したのは驚異と言ってよい(日本協会は02年には数えられていなかったフットサル、審判、指導者などを含め、現在の登録数を約130万人としている)。
 そのベースとして都道府県協会の法人化を推進した。02年には10協会しか法人化できていなかったのが、現在では全47協会が法人となって責任ある活動ができるようになった。
 女子サッカーの普及とその頂点である「なでしこジャパン」への支援強化も、「川淵時代」の大きな前進だ。
 光があれば影ができる。たとえば06年に始まったエリート養成プログラム「JFAアカデミー」に、私は大きな懸念を抱いている。だがその正否はいずれ歴史が明らかにすることだ。それ以上に、強化育成の成功は、07年、08年に開催された全年代、全カテゴリーの世界選手権に、日本がアジア予選を突破して代表を送り出したことで裏付けられている。
 「川淵時代」は歴史に残る変革と成長の時代だった。それをどう生かしていくのか、これからの協会と、サッカーに関わる私たち全員の責務だ。
 
(2008年7月16日)

No.705 日韓対決のJOMOカップ

 韓国のサッカーを見るのはいつも楽しい。その韓国の相手が日本なら、それ以上にエキサイティングだ。
 8月2日に東京・国立競技場で行われる「JOMOカップ」の出場選手が発表された。従来はJリーグのクラブを東西に分けてのオールスター戦だったが、今回はJリーグ選抜対韓国Kリーグ選抜というファンの心をくすぐる対戦となった。
 70年代、80年代に日本サッカーリーグ選抜が何回か組織され、国際試合を戦ったことがあった。79年には、すでに日本代表を引退していた釜本邦茂を中心に、日本国籍取得前のジョージ与那城、ルイ・ラモスらを入れたリーグ選抜が、韓国、オランダ、アメリカのチームを相手に3試合戦い、2勝1分けの好成績を残した。
 残念ながら日本代表がとても弱かった時代にあって、リーグ選抜の攻撃力は新鮮な驚きと興奮をもたらし、ファンの留飲を下げさせた。その興奮を、また味わえそうだ。
 今回のJリーグ選抜はGK楢崎正剛(名古屋)を中心に18人。FWにはヨンセン(名古屋=ノルウェー代表)、鄭大世(川崎=北朝鮮代表)、バレー(G大阪=ブラジル)と外国籍選手が並ぶ。ただし日本で生まれ育った鄭大世は「外国籍」の適用外だ。日本人FWがいないのは寂しいが、小笠原満男(鹿島)、中村憲剛(川崎)、二川孝広(G大阪)ら名手たちのパスから破壊的な攻撃が見られるのは間違いない。
 さらに楽しみなのは、MFに金南一(キム・ナミル=神戸=韓国代表)がいることだ。「K」ではない。「J」のMFとして出場するのだ。ボランチとして、そして不動のキャプテンとしてワールドカップ予選で韓国代表を率いている闘将が、Kリーグ選抜を相手にどんな戦いを見せるのか、非常に興味深い。
 「J」の監督は昨年鹿島を二冠に導いたオズワルド・オリヴェイラ。対する「K」はファン投票で圧倒的な支持を得た車範根(チャ・ボングン)。かつて韓国代表FWとして日本代表を苦しめ、ドイツのブンデスリーガでスターとなり、そして97年秋のワールドカップ予選では韓国代表監督として日本の前に立ちはだかった人だ。97年9月、国立競技場で日本に2-1と逆転勝ちを収めたときの、車監督の誇らしげな勝利宣言は、まだ私の脳裏から離れない。
 日韓の意地がかけられた一戦。燃えないわけにはいかない。
 
(2008年7月9日)

No.704 三度目の正直

 「三度目の正直」という言葉がある。古くは「三度目は定(じょう)の目」と言ったらしい。勝負事や占いで、一度目、二度目はあてにならないが、三度目は確実であることを意味する。
 ワールドカップアジア最終予選の組分けと日程が決まった。9月6日から来年の6月17日まで、バーレーン、ウズベキスタン、カタール、そしてオーストラリアを相手に戦う。厳しい戦いはどんな組分けでも同じ。それよりも、サウジアラビアとの抽選で勝って「第2シード」にはいったことに意味がある。
 5チームのホームアンドアウェー。全10節で毎節1チームは休みになり、どこに休みがはいるかで厳しさが違う。とくに10節のうち3回ある土曜、水曜という中3日の連戦は、「極東」に位置する日本にとって苦しい日程になりかねなかった。「第2シード」にはいったことで、3回の連戦のうち2回を回避できたのは大きい。
 あまり取り上げられていないが、今回の最終予選に向け、Jリーグは日程面で大変な協力をしている。水曜日に予選が行われる前週の週末をリーグ日程から外したのだ。その結果、10月のウズベキスタン戦(ホーム)と11月のカタール戦(アウェー)の前には、1週間半もの準備期間が岡田監督に与えられた。
 懸念は、11月のカタール戦と来年2月のオーストラリア戦(ホーム)が、ともに国際サッカー連盟の「親善試合日」にあたることだ。クラブは試合の48時間前までは選手を手元にとどめておくことができる。そうなれば、中村俊輔(セルティック)らの日本代表合流は試合前日になる。選手たちが所属するヨーロッパのクラブと早めに交渉を始め、協力を得る必要がある。
 だが差し当たって最大の心配は9月6日のアウェーでのバーレーン戦の開始時間だ。3次予選ではアウェーのキックオフ時間も日本のテレビ局の都合で決められた。その結果、中東オマーンの6月に、5時15分という「ありえない」時間のキックオフとなった。強い日差しと38度の暑さに日本は苦しんだ。
 このことは3月のバーレーン戦の反省から本コラムで取り上げ、警告も発した。だがテレビ局にはサッカー以上に大事なものがあり、非人道的なキックオフ時間に異を唱える者もいなかったようだ。
 9月のバーレーンも6月のオマーンと同じような猛暑だ。「三度目」は「定の目」で、良識ある開始時間になることを期待したい。
 
(2008年7月2日)

No.703 EUROが教えるハードワーク

 オーストリアとスイスを舞台に開催されているヨーロッパ選手権(EURO)も今晩から準決勝。大詰めだ。この大会でいま話題を独占しているのがヒディンク監督(オランダ)率いるロシアだ。
 1次リーグの初戦ではスペインに1-4で完敗を喫したが、ギリシャに1-0、スウェーデンに2-0で連勝し、準々決勝に進んだ。相手はオランダ。それまでイタリアに3-0、フランスに4-1と、想像を絶する破壊力を見せてきた優勝候補の筆頭だった。
 だがロシアはたじろがなかった。激しい動きでオランダのパスワークを遮断すると、持ち前の機動力を駆使し、延長の末3-1で快勝、ベスト4へと名乗りを挙げたのだ。
 とにかくよく走る。それも全速力で、何人もの選手が連動して走る。スペースをつくりそれを生かす動きが次々とつながる。その結果、相手はどんなに守備組織を固めても対応できない。オランダ戦の勝負は、延長後半にはいってからの運動量の差でついた。
 今回のEUROで目立ったのが、技術の高い選手が労を惜しまずに走ることだ。ロシア快進撃の立役者であるFWアルシャビンだけではない。PK戦で準決勝進出を阻まれたクロアチアのMFモドリッチも、チーム随一のテクニックの持ち主であると同時に屈指のハードワーカーだ。
 準々決勝のトルコ戦、クロアチアに延長後半の先制点をもたらしたのは、味方に鮮やかなスルーパスを出した後、足を止めずにサポートし、ゴールライン際にこぼれたボールを猛ダッシュで拾ったモドリッチが上げた正確なクロスだった。
 興味深いのは、アルシャビン172センチ、モドリッチ174センチと、ともに小柄なことだ。大柄な選手たち全盛の現代サッカーで、小柄なテクニシャンたちがスピードと機動力で勝負を決定づけている。そして彼らは、判断の速さ、チャレンジ精神、リーダーシップなどでサッカーに生命力を与えているのだ。
 「日本人には日本人に適したサッカーがある。そのサッカーで世界を驚かせるのは不可能ではない」
 かつてイビチャ・オシムはそう言って私たちを励ました。しかしそのためには賢くなければならず、かつ技術をもち、そして何よりもハードワーカーでなければならない。今回のEUROから、日本の選手たちは自分に欠けているものが何かを感じ取らなければならない。それはけっして「身長」ではない。
 
(2008年6月25日)

No.702 苦手なスローイン

 日本代表にワールドカップアジア3次予選突破をもたらしたのは「リスタート(反則などでプレーが止まった後の試合再開方法)」だった。
 2月のタイ戦はMF遠藤の直接FK(フリーキック)で先制し、6月にはオマーン戦、タイ戦でCK(コーナーキック)から次々と得点が生まれた。オマーンとのアウェーゲームでは遠藤がPK(ペナルティーキック)で同点ゴールをもたらした。いまやリスタートは日本のお家芸だ。
 いや、ひとつだけ苦手なリスタートがあった。ボールがタッチラインを割ったときに行うスローインだ。
 G大阪のようにスローインを苦にしないチームがある一方で、多くのJリーグ・チームがぎこちないスローインを繰り返している。どこに投げるか迷っているシーンが多いのだ。日本代表も、ボールを受けた選手が個人テクニックで切り抜けられる試合ならいいが、大きな体の相手に厳しくマークされるととたんに苦しくなる。
 1試合のスローインは、1チームあたり20~30本になる。それに対しパスの数は400~500本。スローインも一種のパスと考えれば、無視できない数であることがわかる。
 うまくいかないチームに共通する特徴のひとつに、投げる選手が特定されていることがある。サイドバックやウイングバックなどサイドの後方の選手が専門的に投げるのだ。
 ボールが出てから「専門家」が行くまでに時間がかかる。その間に相手はしっかりマークしてしまっているから、投げるところがなくなる。迷い、迷い、結局、最後尾のDFまで下げることになる。
 うまいチームはボールが出た近くにいる選手がすぐに投げ、プレーをつなげていく。ヨーロッパのチームはほとんどこのタイプだ。
 タッチラインの外にボールが出て試合が止まった状態から再開させるのだから、スローインも「リスタート」の一種と考えて間違いない。だがむしろ「すばやく投げて自然にプレーを続ける」と考えたほうがうまくいく。
 スローインを投げ迷っていると「時間の浪費」でイエローカードを出される危険性がある。昔、こうした形でイエローカードを受けたのにまた迷い、あっという間に2枚目を出されて退場になってしまった選手がいた。
 GKを除けばサッカーで唯一手を使うことができるスローイン。だからといって使い方を考えないと、勝利は遠のいてしまう。
 
(2008年6月18日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

アーカイブ

1993年の記事

→4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1994年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1995年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1996年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1997年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1998年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1999年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2000年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2001年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2002年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2003年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2004年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →9月 →10月 →11月 →12月

2005年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2006年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2007年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2008年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2009年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2010年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2011年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2012年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2013年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2014年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2015年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2016年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2017年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2018年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

2019年の記事

→1月