サッカーの話をしよう

No.1122 VARが招く審判の危機

 審判たちが危機に瀕している。ビデオ判定の影響だ。
 韓国で開催中のFIFA U-20ワールドカップでテスト採用されているビデオ副審(VAR)システム。ピッチ上を走って試合を判定する主審と2人の副審、ピッチ外で試合を監視する第4審判に、スタジアム外でモニターを見ながら主審にアドバイスする2人のVARを加えたシステムだ。国際サッカー連盟(FIFA)のインファンティーノ会長は、来年には正式採用してワールドカップで使うと明言している。
 得点、PK、退場という試合結果を左右する重大な事項に限り、主審の判定に誤りがあった場合、あるいは主審が判断しかねる場合にVARが映像を確認して主審にアドバイスする。だが韓国で見たのは、VARシステムによる審判員たちの能力低下、あるいは「責任放棄」という見過ごせない兆候だった。
 5月23日に大田(テジョン)で行われたベネズエラ×バヌアツ戦、前半41分のベネズエラの右CK。ゴールから離れたところでベネズエラ選手がヘディングし、ペナルティースポットあたりで別の選手がバヌアツ選手と競り合った結果、ボールは左ポスト前のベネズエラFWコルドバのところに飛ぶ。だがコルドバがヘディングで決める直前に第2副審がさっと旗を上げる。主審は右手を上げてオフサイドだったことを示す。
 ここでVARの「待った」がはいる。数十秒後、主審は両手で体の前にモニターを示す四角を描き、ゴールを認める。コルドバに渡る前、ボールはバヌアツの選手の頭に当たっていたのだ。
 このとき、主審は良いポジションをとっており、スポット付近で両チームの選手が競り合うのを真正面から10メートルほどの距離で見ていた。にもかかわらず、どちらがヘディングしたかを、彼は自分で決めることができなかったのだ。
 他の試合でも、毎試合のようにVARの出番があった。日本の初戦、南アフリカ戦では、両チームの最初の得点がともにVARの助けを借りなければ最終判断が下されなかった。南アフリカの得点は単純なオフサイドかどうかの判定であり、日本の得点はボールがゴールラインを越えたかどうか。いずれも第1副審が見るべきものだった。
 この大会では、重大な場面になるとピッチ上の審判たちが自信をなくし、VAR頼りになっているのではないかと感じられる場面が何度もあった。「すべてお見通し」のVARの影におびえ、自ら判定を下す責任から逃げているのではないかとさえ思えた。そうなら本末転倒であり、サッカーのレフェリングというもの危機ではないか―。そう感じずにはいられない。

(2017年5月31日) 

No.1121 『15歳の天才』を守れ

 後半14分に交代でピッチにはいって数十秒後、最初のボールタッチだった。
 DF中山から縦パスを受ける。大柄な相手センターバックが迫ってくるが、彼には何の緊張もない。彼がボールを止めた瞬間に左横にいたFW小川が縦に動き出す。
 だが彼が選んだのは小川へのパスではなかった。小川をマークする相手DFの背後のスペースへのソフトなパス。相手DFは背中に通されたパスにバランスを失い、スピードを上げた小川が一気に抜け出す。シュートはGKにブロックされたが、息をのむような瞬間だった。
 その13分後には、彼とMF堂安とのワンタッチパス交換から堂安の鮮やかな決勝点が生まれる。相手ペナルティーエリア内でのスピード感あふれる攻撃は、まさに日本サッカーの理想像だった。
 「彼」とはもちろん、U-20(20歳以下)日本代表のFW久保建英である。現在韓国で行われているU-20ワールドカップに出場している。その初戦、南アフリカ戦で、久保はいきなり天才ぶりを見せつけた。2001年6月4日生まれの15歳。まだ体は細いが、高い可能性をもった選手であるのは間違いない。
 左利きでドリブル突破に長け、南アフリカ戦の2プレーでわかるようにパスのセンスも抜群。さらに得点力も併せもつ。所属のFC東京では主にU-23チームでJ3に出場し、4月のC大阪U-23戦では角度のないところからとんでもないゴールを決めた。
 だが世界のサッカーを見れば、15歳の天才がその才能を開花させられずに消えていく例はいくらでもある。1991年にガーナをU-17ワールドカップ優勝に導いたニイ・ランプティは「新しいペレ」とまで呼ばれた天才児だったが、20歳を過ぎたころには忘れられた存在になっていた。
 ランプティの才能を殺したのは自分のもうけしか考えない悪徳代理人だったが、現代のサッカーを取り巻く社会には「15歳の天才」の足を引っ張る「罠」がいくつでもころがっている。そのひとつが、不釣り合いな持ち上げ方でスターづくりに励むメディアであるのは間違いない。
 持ち上げるだけ持ち上げておき、結果が出なくなると手のひらを返したようにたたき落とすのがメディアの常とう手段である。そうした「メディアの罠」から少年を守るために、クラブと日本サッカー協会が手を組む必要がある。
 大事なのは「15歳で天才」であることではない。彼がもてる才能を最大限伸ばし、輝きに満ちたサッカー人生を送るとともに、日本のサッカー史を書き替えるような業績を残してほしいと願うだけだ。そのためにも、サッカー界を挙げた協力態勢が必要だ。

(2017年5月24日) 

No.1120 主審の決定は最終

 「プレーに関する事実についての主審の決定は、得点となったかどうか、また試合結果を含め最終である」
 サッカーの競技規則(ルール)第5条(主審)に明記されているこの条項。私は、サッカーという競技で最も重要な規則だと思っている。競技規則の文章は昨年大幅に書き替えられたが、この条項については、一言一句、旧競技規則のままだ。
     ☆
 ウルグアイのサッカーが正式にプロ化されたのは、第1回ワールドカップで優勝を飾った2年後の1932年のことだった。だがそのリーグは混乱の連続だった。クラブは得点に疑義があったときには「判定委員会」に訴えることができたからである。
 主審が認めた得点が有効かどうか、また反則などの理由で主審が認めなかった得点が本当に無効なのか、そしてその結果どちらのチームが勝つことになるのかも、週明けに開催される委員会の結果を待つしかなかった。「主審の決定は最終である」という競技規則の考え方がようやくこのリーグにも採り入れられたのは1936年のこと。プロ化後初めて、ファンは試合終了とともに勝敗を知ることができるようになったという。
 サッカーの誕生は1863年。最初の競技規則には審判員に関する記述はない。この当時は、対戦する両チームから1人ずつ「アンパイア」と呼ばれる人が出て2人で試合を裁いていた。しかしほどなく勝負が激しくなり、2人の意見が対立する事態が増えてくる。そのとき両チームは、スタンドにいる最も良識がありそうな人に最終判断を委ねることになる。当時の「紳士」たちは、たいてい黒いフロックコートを着てステッキをもっていた。
 やがて彼は黒い服のままピッチに降りて判定を下すようになり、2人のアンパイアは「線審(現在の副審)」となる。本来は「委ねられた者」という意味の「レフェリー」がサッカーの主審を意味するようになるのは、こうした経緯による。競技規則に「レフェリー」という言葉が現れるのは1891年のことだ。
 この関係は、今日のサッカーでも変わることはない。対戦する2チームだけでは試合は進まないから、第三者である主審に判定を委ねる。だから主審の決定は最終なのだ。非常にシンプルな話だ。来年にはビデオ副審の正式導入が決定的と言われるが、どんな科学技術も最終決定を下すわけではない。最終的には主審が納得して自ら決定を下す。
 「レフェリー」が誕生したときからその決定は「最終」だった。プロリーグ初期のウルグアイの混乱など、誰も繰り返したくはないはずだ。

(2017年5月17日) 

No.1119 10年ぶりのU-20ワールドカップ挑戦

 日本にとって10年ぶりの男子U-20(20歳以下)ワールドカップ開幕が迫ってきた。韓国の6都市を舞台に、5月20日に熱戦がスタートする。年代別のワールドカップとしては最も早く1977年に第1回大会が行われたU-20。第21回の今大会は「40周年記念大会」でもある。
 10年ぶりのU-20ワールドカップ出場に導いた内山篤監督は、5月2日に21人の代表メンバーを発表した。中心は昨年10月にアジア選手権で初優勝を飾ったときの選手たちだが、15歳のFW久保建英(たけふさ)が「飛び級」で選出され、注目を集めている。
 久保は2001年生まれ。本来ならことし10月にインドで開催されるU-17(17歳以下)ワールドカップ(日本はこの大会も出場権を確保している)のメンバーだが、内山監督が「同じ年代でプレーするレベルをはるかに超えている」と選出した。
 才能に疑念はない。10歳からスペインの名門FCバルセロナの下部組織でプレーし、数々の大会でMVPに選ばれてきた。バルセロナの都合で13歳からFC東京の下部組織に所属しているが、18歳の誕生日を迎える2019年6月にはバルセロナに戻ることになっている。左足を操ってのドリブルとパス、そしてシュート。メッシを思わせるアグレッシブな姿勢は将来性十分だ。FC東京では、すでにトップチームでプレーしている。
 だが170センチ、63キロの体はまだ細く、15歳という年齢相応のもの。体の大きな相手の激しい当たりに耐えてどんな活躍ができるのか、不安も小さくない。楽しみだが、たとえば試合終盤の出場でその才能の片りんを見せることができれば大成功だと思う。
 今回のチームでより重要なのは、出場資格が1977年以降の生まれ、すなわち2020年に「U-23」となる「東京オリンピック世代」であることだ。DF中山雄太(柏)、MF堂安律(G大阪)、FW小川航基(磐田)などすでにJリーグで活躍している選手たちが初めての世界挑戦でどこまでもてる力を発揮できるか―。この大会が終われば2020年まで公式の世界大会はないだけに、1試合でも多く経験を積み重ねたいところだ。
 日本はD組にはいり、21日と24日に水原で南アフリカ、ウルグアイと、27日には天安でイタリアと対戦する。
 過去20大会中8大会に出場した日本。1995年からは7大会連続出場を果たし、1999年には準優勝という好成績を残してそれが2002年ワールドカップに直結した。だが2007年大会を最後にアジア予選敗退を繰り返し、ようやく今回予選を突破して出場権を手にした。10年ぶりの世界への挑戦。積極的なプレーでもてる力を出し尽くす戦いを期待したい。

(2017年5月10日) 

No.1118 天狗の羽うちわの話

 競技規則にひと言も言及がないのに必ず着用されている用具がある。ゴールキーパー(GK)のグローブである。
 昨年9月のルヴァンカップの試合で、FC東京のGK秋元のグローブに何かの不具合があり、プレーが切れるのを待って主審に交換を申し入れた。主審はそれを認め、約1分半の中断が発生した。
 現代のGKはまるで「天狗の羽うちわ(ヤツデの葉)」のように大きな手をしている。いや、大きいのは手ではない。グローブだ。特殊な合成樹脂を手のひら側に大きく付け、まるでボールが吸い付くようにキャッチできる。実際、新品のボールとグローブなら、つかまなくても手のひらを下に向けただけではボールは落ちないらしい。
 世界で最初にグローブをつけたGKはニュルンベルクのシュトゥルファウスという1920年代のドイツ人選手だったという。うなぎをつかむ布製の手袋をヒントにして、雨の日に滑りやすいボールへの対策として粗い編みのウール製の手袋を用いた。
 1960年代に世界ナンバーワンと言われたヤシン(ソ連)は黒い皮手袋で一世を風靡(ふうび)した。この黒手袋に何か秘密があるのではと考えたユーゴ人GKは、試合後に手袋の交換を求めたという。
 だが本格的なGK用のグローブが誕生して必需品になっていくのは、1970年代にはいってからのことである。西ドイツ代表GKマイヤーが不自然なほどに大きなグローブをつけてワールドカップ優勝に貢献した。テレビ時代にはいっていたこともあり、あっという間に世界に広まった。
 雨の練習後ボールをタオルで拭いていたとき、彼はパイル地がボールに引っ掛かるのに気づいた。そこでメーカーにパイル地でグローブをつくるように依頼、メーカーがさらにボールをつかみやすい素材を探し出し、しかもその素材を指の倍ほどの幅にしたことで人目を引くグローブが完成した。そのグローブを求めて、あるイングランドのGKがわざわざドイツまで行ったという伝説まで残っている。
 「ボールが吸い付く合成樹脂」は小さな汚れで機能が劣化する。JリーグのGKたちは試合ごとに新品のグローブを用意する。
 だが最近の試合を見ていると、「グローブ以前」の問題をかかえるGKが多すぎるように感じられてならない。相手のシュートを止める基本は両足を地面につけていることなのに、シュートの直前に変なジャンプをする癖がついたGKが多すぎる。その結果、動きが遅れ、やすやすとゴールを破られてしまう。
 グローブにはケガを予防する意味もあるのだが、グローブより自らの足を頼りにするGKになる必要がある。

(2017年4月26日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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