サッカーの話をしよう

No.1112 『プロ失格」のユニホーム事件

 上田益也主審が試合を止めたのは前半11分過ぎだった。
 12日に岐阜の長良川球技場で行われたJ2のFC岐阜×松本山雅。上田主審は両チームの役員と話すと、そのまま3分後に試合を再開した。ビジターの松本にユニホームの交換を求めたのだが「ない」という返事だったからだ。
 両チームの第1ユニホームはともに深い緑。午後2時キックオフの試合には、松本からも3000人のサポーターがかけつけ、スタンドは「緑一色」になった。当然、松本は「第2ユニホーム」の「グレー」を用意した。
 だが試合が始まると両チームのユニホームが非常に見分けにくいことがわかった。松本の「グレー」が濃く、岐阜の緑とトーンがほとんど同じだったためだ。両チームはミスパスを連発し、前半11分のプレーで不満が爆発した。
 左サイドを岐阜が攻め上がる。DF福村がスピードに乗ったドリブルで突破。クロスははね返されたが、相手ペナルティーエリア内でMF永島が拾い、エリア手前中央にいたフリーの「味方」に落とした。もちろん、シュートさせようとしたのだ。だがそれは味方選手ではなかった。松本のMF工藤だったのだ。
 選手たちからのアピールに上田主審も同意したが、松本の第2ユニホームは着用のものだけ。結局前半はこのままプレーし、ホームの岐阜が後半からシャツだけ「第2」の白にして試合を終了させた。Jリーグ25シーズンの歴史でも前後半でユニホームの色を変えたのは初めてのことだ。
 日本サッカー協会の規定で公式大会には正副2組のユニホームを用意しなければならないことになっている。Jリーグではシーズン前に1試合ごとにアウェーチームが使用するユニホームを決める。そして試合前にも主審が両チームのユニホームを確認する。
 だがいずれも、室内で行う作業である。晴れた日のデーゲームなら区別はついても、夜間の試合だとわかりにくいという例も少なくない。選手たちまで間違うというのは論外だが、その試合のピッチ上でスタンドの観客からどう見えるか、最も重要な視点が欠如していたことが今回の「事件」の最大の原因だった。
 「第2」が原則白というなら問題は少ない。しかしクラブは毎年さまざまな色に変える。レプリカユニホーム販売のためだ。前の年と違うものを考える余り、相手チームのユニホームと区別のつかないものをつくってしまう。
 両チームのユニホームが見分けにくいというのは「プロ失格」と言っていい恥ずべき出来事だ。そしてその原因の一端が売り上げ優先で観客の見やすさという視点を失った「ファン不在」にあるなら、その罪はさらに大きい。

(2017年3月15日)

No.1111 小倉に夢のスタジアム

 「バックスタンドの背後がすぐ海で、その向こうには企救半島の山々を望むことができます。関門海峡や下関も見えるんです。潮風に吹かれながらの観戦は、きっと最高の気分だと思いますよ」
 興奮ぎみに語るのはJリーグでスタジアムプロジェクトを率いる佐藤仁司さん。そしてその夢のようなスタジアムとは、3月12日に開幕するJ3のギラヴァンツ北九州の新しいホーム、「ミクニワールドスタジアム北九州」である。
 2008年以来、北九州は市の西部にある市立本城陸上競技場で試合を開催してきた。だが2010年にJリーグ(J2)に昇格すると、アクセスの良い球技専用スタジアム建設の要望が高まった。市は2012年に計画をまとめ、2015年4月に着工、ことし1月末に完成した。
 何より交通の便が最高だ。山陽新幹線も停車するJR小倉駅から北へ500メートル。歩行者専用デッキを使い、最後は専用の巨大歩道橋を渡って信号なしで7分で着く。小倉は九州の玄関口であると同時に百万都市北九州の中心地。まさに「町中スタジアム」だ。
 西側のメインスタンド、南北の両ゴール裏スタンドは総屋根式の二層構造。しかし東側のバックスタンドは屋根がなく、わずか11列の一層式。当初の2万人規模の予定を1万5000人規模に縮小したことで、海中からそそり立つ2階席建設が先延ばしになったためだ。だがそれが、海に向かって開けた希有なスタジアム景観をつくりだした。
 この東側スタンドは高さが6.5メートルしかなく、すぐ背後は海。2月18日にこけら落としとして行われたスーパーラグビーのサンウルブスの試合でもいちどボールがスタンドを超えてしまい、主催者であるラグビー協会が用意したゴムボートで回収したという。「海ポチャ」は、Jリーグの新名物になるかもしれない。
 建設費は約100億円。うち30億円をスポーツ振興くじ(toto)の助成金でまかなった。年間の維持費は借地料を含めて1億5000万円と見積もられ、地元の不動産会社が命名権を取得して年間3000万円を負担する。
 J2加盟以来、ギラヴァンツ北九州は着実に力をつけ、昨年秋、新スタジアムがJ1規格を満たしたことで「J1ライセンス」も取得した。しかし昨年のJ2では信じ難い不調に陥り最下位。新スタジアムの初年度を初のJ3で迎えることになった。
 だが夢のような新スタジアムで間近に選手たちに声援を送ることができるようになったサポーターたちの士気は高い。原田武男新監督の下で迎えるJ3開幕のブラウブリッツ秋田戦は、市主催の「ミクスタ」開場式に続いて行われる。ギラヴァンツにとって、新しい歴史のスタートだ。

(2017年3月8日) 

No.1109 進むクラブの国際グループ化

 現代のサッカーを支配するのはビジネスマンたちだ。
 国際サッカー連盟(FIFA)がワールドカップを48チームに拡大するのも、利益を増やすためだった。クラブサッカーの世界では、ほんのひと握りのビジネスの勝者だけが世界の話題を独占する。そのクラブサッカーに新しい潮流が起こっている。国境を、さらには大陸をまたぐ複数クラブのオーナーシップだ。
 Jリーグの名門横浜F・マリノスは、2014年に株の20パーセントを「シティグループ」に売却、サッカー部門の運営を任せた。翌年監督に就任し、今季3シーズン目を迎えたエリク・モンバルエツ監督は、「私はシティグループの方針に従ってチームを指導している」と語ってはばからない。
 「シティグループ」とは何か。アメリカの銀行とは関係がない。イングランドのマンチェスター・シティFCを中心とするプロサッカークラブの所有組織である。
 同じ町のライバル「ユナイテッド」の陰に隠れ20世紀末には「3部」まで落ちていたマンチェスター・シティ。2002年にプレミアリーグに昇格したものの、目立たないクラブだった。だが2007年にタイの実業家で元首相のタクシンが買い取ったことで派手な投資が始まり、翌年UAEアブダビの首長一族であるシェイク・マンスルに所有権が移ると、巨額でスターを買い集めて一挙に強豪の仲間入りを果たし、2012年にはプレミアリーグ初制覇も成し遂げた。
 そしてシェイク・マンスルを取り巻くビジネスマンたちが次に考え出したのがクラブの国際的な「グループ化」だった。2013年5月にアメリカに新しいクラブ「ニューヨーク・シティFC」を設立してトップリーグに加入させ、翌年1月にはオーストラリアのメルボルン・ハートというクラブを買収して「メルボルン・シティFC」と改称した。さらに2014年5月には横浜を事実上支配下に置いたのである。
 同じ国内で2つのクラブを所有することはできない。ライバルなのだから当然だ。欧州にはオーナーが共通するクラブは同じ大会には参加できないという規則がある。
 様々な規制の外で複数のクラブを所有し、選手のやり取りなどを活性化するとともに、国際的な市場の獲得が「グループ化」の狙いだ。シティグループの次のターゲットは、13億人の巨大マーケットをもつ中国だと言われている。
 こうした複数クラブ所有の形態が、いまでは世界に5つも存在する。
 ビジネスマンたちはサッカーの専門家が考えもしないことを思いつき、想像もしない速さで実行に移す。対抗するには、ビジネスの指標である「マネー」以上の価値をサッカーが提示する以外にない。

(2017年2月22日) 

No.1108 近づくJリーグキックオフ

 冷たい西風のなか、日が一日一日と長くなる。それは近づくJリーグ開幕の足音だ。
 25シーズン目のJリーグが開幕する。18日の富士ゼロックススーパーカップ(鹿島×浦和)を皮切りに、2月25日にはJ1が、翌日にはJ2が、さらに3月11日にはJ3が開幕する。
 アスルクラロ沼津(静岡県)がJ3に昇格、今季、Jリーグは全54クラブになった。1993年のスタート時にはわずか8府県に10クラブだった。それが25シーズン目で全国38の都道府県に54クラブにもなるとは、強気の初代チェアマン川淵三郎さんでも予想しなかっただろう。
 昨年12月に鹿島アントラーズがFIFAクラブワールドカップで決勝に進出する大活躍を見せたことで、Jリーグの実力が大きく見直され、同時にJリーグ・クラブの目も世界に向き始めている。
 「本格的な大競争の時代に突入する」(村井満チェアマン)ため、賞金だけでなく総額28億円もの「強化配分金」が上位チームに分配され、今後ハイレベルな外国人選手の獲得に使われることになる。
 「Jリーグは世界で最も競争が激しく、難しいリーグ」と、外国人監督たちが口をそろえて語る。
 毎年のように優勝争いに加わるチームも、毎年残留争いに巻き込まれるチームも、たしかに存在する。しかしそうしたチームが対戦しても必ずしも優勝争いの常連が勝つとは言えないのがJリーグだ。
 「ヨーロッパではホームチームの勝率は6割。しかしJリーグでは5割。世界でいちばん競争が激しいエキサイティングなリーグだ」
 今季からインターネットを通じてJ1~J3の全1040試合を生中継する英国「DAZN」のジェームズ・ラシュトンCEOは、10年間で2100億円という巨額の投資の理由をそう説明する。
 昨年のチャンピオン鹿島はMFレオシルバなど大型補強に成功、Jリーグ連覇とともにアジア初制覇を目指す。対抗するのは、昨年リーグ最多記録に並ぶ勝ち点74を挙げ、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督6シーズン目で戦術をさらに練り上げた浦和か、それとも、FW大久保嘉人など鹿島以上の大補強でチームを一新したFC東京か...。
 Jリーグには、J2から昇格して1年目で優勝という例が過去に2チームある。ことしJ1に昇格したC大阪が、日本のサッカーを熟知する尹晶煥(ユン・ジョンファン)新監督の下、スペインから戻ってきたMF清武弘嗣らの力を結集して優勝争いに加わる可能性も十分にある。
 開幕時には少し寒いかもしれない。しかしすぐに春の風がピッチを吹き渡る。そしてあっという間に、熱気がスタジアムを包み込む。

(2017年2月15日) 

No.1107 岡野俊一郎さん 伝えたサッカー文化

 本紙運動部からの電話で岡野俊一郎さん(享年85歳)の訃報を知らされたとき、私は横浜にいた。茫然として言葉を失い、満足な返事もできなかった。帰宅して追悼の記事を書いたが、恥ずかしいことに、書き尽くせない思いだけが残った。なかでも「ダイヤモンドサッカー」に言及できなかったのは心残りだった。
 ダイヤモンドサッカーは現在のテレビ東京で1968年4月から20年間放送されたサッカー番組。当時三菱化成社長で日本サッカー協会の副会長でもあった故・篠島秀雄さんが発案した日本初の海外サッカー番組だった。その第1回から最終回まで解説を務めたのが岡野さんである。
 岡野さんはその数年前からNHKを中心にサッカー中継の解説で活躍、的確な戦術解説にはすでに定評があった。東京大学の大先輩である篠島さんから直接新番組の解説を依頼された岡野さんは、電話の前で頭を下げて「はい、わかりました」と即答した。
 当時、海外のサッカーの情報など皆無に近かった。ワールドカップも決勝の結果が新聞に3行ほど載るだけ。「動くプレー」を見る機会などまずなかった。そんな時代にイングランド・リーグを中心とした試合がテレビで流れたのは、大きな衝撃だった。
 そうしたなかで岡野さんはプレーの解説だけでなくその背景の「サッカー文化」をわかりやすく話した。何回かの渡欧体験だけでなく、毎月英国から本や雑誌を取り寄せて研究したものを語り続けた。
 サポーター、ホームアンドアウェー、何よりも地域に根差したクラブのあり方、障害者もともにスポーツを楽しむ文化...。いまでは常識となっている事柄が、当時は何もかも耳新しく、新鮮だった。
 「地域とスポーツとがサッカーを通じてどう結び付いているのかを日本で初めて紹介したのが『ダイヤモンドサッカー』だった」。20年間コンビを組んだ金子勝彦アナウンサーとの対談で、岡野さんはこう話している(『ダイヤモンドサッカーの時代』エクスナレッジ、2008年)。
 番組の終了を待つように、1980年代末に本格化したプロ化論議は1993年のJリーグ誕生となって結実する。その原点は初代チェアマン川淵三郎さんが1960年の欧州遠征時に体験した西ドイツの「スポーツシューレ(スポーツ学校)」と言われる。しかしサッカーのクラブというものが地域とどう結び付くのか、ダイヤモンドサッカーを通じて「サッカー文化」というものの知識を深めた人びとがいなければ、このプロジェクトが成功することはなかっただろう。
 Jリーグ誕生の四半世紀も前からその種をまき続けてきた岡野さん。その功績を語り尽くすことなど不可能だ。

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岡野俊一郎さんと

(2017年2月8日) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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