サッカーの話をしよう

No.1076 WBGT計測で安全を守れ

 先週末の東京は暑かった。
 私が監督をする女子チームは、土曜日には午後1時から日野市で2時間の練習をし、日曜日には午前10時から町田市の人工芝のグラウンドで40分・40分・30分の練習試合をこなした。
 この季節になると、練習メニューやプレーの指示とともに、ときにはそれ以上に、気にかけるのが熱中症対策だ。両日とも日差しが強く、気温は30度近くまで上がった。まだ暑さに慣れていない時期だけに、とくに気をつけなければならない。
 日本サッカー協会は、ことし3月に「熱中症対策ガイドライン」を発表した。気温とともに湿度や日射・放射の要素を加えた「暑さ指数」を計測する「湿球黒球温度=WBGT=計」を試合会場に設置し、試合を開催してよいか規制する指針である。
 それによると、年代によって違いはあるものの、原則としてWBGTが31度以上なら試合は中止または延期、28度以上のときには「クーリングブレーク」または「飲水タイム」をとる、そして25度以上なら「飲水タイム」をとる。
 「クーリングブレーク」は今回新しく採り入れられたもので、30秒から1分間の「飲水タイム」より徹底した熱中症対策である。前後半それぞれの半ばに3分間ずつとり、選手と審判員は日陰にあるベンチにはいって休み、体温を下げるという方法だ。必要に応じて着替えもする。
 ガイドライン発表後、日本サッカー協会は都道府県や地域のサッカー協会と話し合いを続けているが、驚くことに非常に抵抗が強いという。日本のサッカーは学校スポーツとして普及が進み、当然、夏休みに大会が集中している。しかもインターハイ(高校総体)に見られるように、一カ所に集まり、短期間に連日試合を行ってきた。WBGTを試合の可否の指標にすることとともに、28度以上のときには屋根のない人工芝での試合は不可とするなどの指針を適用したら大会などできなくなってしまうというのだ。
 しかし選手・審判員だけでなく観客の安全も考慮した今回のガイドラインには重大な意味がある。「大会ありき」ではなく、今回示された指針をもとにして、真夏の試合や大会のあり方を早急にしかも根本から考え直すべきだ。
 先週の土曜日は気温は高かったが湿度が30%台で風もあり、WBGTは22度台。選手たちは口々に「暑い」と言っていたが、大きな問題はなかった。しかし日曜日は気温は同じ程度ながら湿度が50%近く。人工芝だったこともあって風がやんだ時間帯にはWBGTが26度台まで上がった。この数字を見て、主審は「飲水タイム」を設けた。

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(2016年6月15日)

No.1075 大量得点の文化

 先週のキリンカップ初戦、ブルガリア戦での日本代表の7ゴールには驚いた。前半はシュート8本で4点。チャンスのたびに得点が生まれる感覚だった。後半もシュート9本で3点を追加した。
 サッカーの大量点はそう簡単に生まれるものではない。
 「バイエルンなら5点か6点取ったと思います」
 浦和レッズのミハイロ・ペトロヴィッチ監督は勝利後によくこんなことを話す。圧倒的な攻勢をかけ、見事な得点を重ねてもせいぜい2点止まり。その後に1点を返されて最後はあたふたしてしまうことも多い。
 対照的なのはドイツのブンデスリーガで4連覇を飾ったバイエルン・ミュンヘン。2015/16シーズンには6得点試合こそなかったが、カップ戦などを含めた全55試合中、5得点が6回、4得点が4回、そして3得点が12回もあった。
 ドイツといえば2014年ワールドカップの準決勝、ブラジル戦だ。「事実上の決勝戦」で、ドイツ代表は7-1という信じ難いスコアで大勝した。前半11分に先制、23分からの6分間で4ゴールをたたみかけ、気落ちしたブラジルが我に返ったときには5-0と差を広げていた。後半は奮起したブラジルの攻勢にさらされたが、見事な攻撃で2点を追加、ブラジルが1点を返したのは終了直前だった。
 バイエルンやドイツ代表を見ていると、点差が開いてもプレーの姿勢が変わらないことが目につく。気をゆるめたり運動量が落ちることなどなく、全員が「すべきこと」をかたくななまでにし続ける。ブラジル戦では、3点目を取ったMFクロースがその余韻も覚めない2分後に相手陣深くで厳しくプレスをかけてボールを奪い、味方に渡して返ってきたところを決めた。
 日本代表はブルガリア戦で前半4点を奪った後に後半の序盤にも2点を決めて差を広げたが、その後がゆるんだ。「次は自分が取りたい」という気持ちがまん延してチームプレーが壊れ、リズムが崩れて逆に2失点を喫した。
 浦和のペトロヴィッチ監督が嘆くのは、点差に関係なくするべきことを90分間やり抜くメンタリティーの欠如だ。1点リードしたら追加点を取るよりそれを守ることに気持ちが傾いてしまう。差が2点に広がったらそれで勝ったつもりになり、ゆるみが出る。ドイツのような強いメンタリティーをもてなければ、日本のサッカーが次のステップに上がることはできない。
 ところで、サッカーには、「準決勝で大勝したチームは決勝で苦しむ」という鉄則がある。ドイツ代表でさえ、ブラジルに大勝した後の決勝ではアルゼンチンに延長戦に持ち込まれた。残念ながら、昨夜の日本も例外ではなかった。

(2016年6月8日) 

No.1074 キリンカップを成長のステップに

 5年ぶりのキリンカップが始まる。今週金曜日(3日)と来週火曜日(7日)の2日間、日本、ブルガリア、ボスニアヘルツェゴビナ、そしてデンマークの4チームが豊田と大阪で優勝を争う。
 誕生は1978年。日本で初めての国際大会「ジャパンカップ」として始まった。1980年にキリンビールがスポンサーとなり、1985年に「キリンカップ」となった。
 第1回大会はワールドカップ・アルゼンチン大会直前の5月下旬。西ドイツから「2冠」になったばかりの1FCケルンとブンデスリーガ準優勝のボルシアMG、ブラジルからパルメイラス、イングランドからコベントリーというプロの4クラブに、アジアから韓国代表とタイ代表、そしてホスト国から日本代表と日本選抜。計8チーム、全15試合が、全国の10都市を舞台に繰り広げられた。
 決勝戦はボルシアMG対パルメイラス。延長まで戦って1-1のまま勝負がつかず、両チーム優勝となった。大きな花瓶型の七宝焼の優勝トロフィーがきちんと2つ用意されていたのはご愛嬌(あいきょう)だった。
 もちろん、開催の最大の目的は日本代表の強化だった。前年、日本はワールドカップ予選で1分け3敗、無得点で惨敗し、さらに不世出のFW釜本邦茂が引退して大きな岐路に立たされていた。前年の秋にケルンに移籍し、ブンデスリーガ優勝に大きく貢献した奥寺康彦の「凱旋帰国」が第1回大会の目玉だったが、そのケルンと日本代表が東京の国立競技場で対戦した試合には4万人もの観客が集まり、試合が始まると日本代表に大きな声援を送った。
 ちなみに、大会の初戦は1978年5月20日に大阪の長居競技場で行われた韓国代表×パルメイラス。パルメイラスが1-0で勝った。主審は、国際審判員17年目の浅見俊雄さん(当時44歳)だった。
 さて、日本代表は1991年の第12回大会でようやく初優勝を飾る。監督は横山謙三。ラモス瑠偉とカズ(三浦知良)を中心に欧州や南米の名門クラブを倒し、3戦全勝の完全優勝だった。当時、日本代表は赤のユニホームを着ていた。
 翌年、日本サッカー協会は「日本代表の対戦相手は他国の代表に限る」という方針を発表。1992年の第13回大会以降、キリンカップも代表チームだけの大会となった。日本代表は加茂周監督時代の1995年から1997年に3連覇。この大会を通じての成長が初のワールドカップ出場(1998年)をもたらした。
 ハリルホジッチ監督下で迎えるキリンカップ。世界の舞台に立つだけでなくそこで戦える日本代表になるために、今回も成長のステップにしなければならない。

(2016年6月1日) 

No.1073 ルールをみんなのものに

 「ルールはみんなのものですから...」
 日本サッカー協会の公式サイトに、今年度の競技規則(ルール)改正や解釈の変更などをまとめた約12分間の動画が掲載されている(http://www.jfa.jp/news/00009868/)。小川佳実審判委員長の強い要望によるものだ。ことし委員長となった小川氏は、「ルールは選手と審判員だけのものではありません」と語る。
 サッカーは世界で最も多くの人に楽しまれているスポーツ。その競技人口は2億とも3億とも言われている。老若男女、プロアマを問わず、どんなレベルでもルールはまったく同じ。さらに10億人以上と言われる自らはプレーしないファン、たとえテレビでしか見ないファンも、同じルールを同じ解釈で理解し、サッカーを楽しんでいる。
 そのルールが大きく書き替えられることは、2月24日付けの本コラムでも紹介した。サッカーのルールを決める国際サッカー評議会(IFBA)から通達されたことしの「ルール改正」は1項目だけ。守備側が攻撃側の決定的得点機会をペナルティーエリア内で阻止する反則について、「PK、退場、そして自動的に次の1試合出場停止」となるいわば「三重罰」だったものの一部をPKと警告だけにするという点だった。
 だがルールブックの書き替え作業(改訂)により、実質的にはたくさんのルール改正が行われることになった。キックオフを自陣に向けてけってもいいことや、オフサイドによって与えられる間接FKの位置の変更など、従来とは大きく変わる点がある。
 これまで、ルール改正は文書での通達という形だけだった。しかしことしは解釈や実質的な改正があまりに多岐にわたり、しかも言葉だけではわかりにくいため、日本協会は『2016/2017競技規則の改正について』と題したビデオを用意し、5月20日に公開した。IFBAから具体的な文書が届いたのが4月。小川委員長を始めとしたスタッフは休日返上で翻訳作業を進めると同時にビデオ編集に当たり、項目によっては新規撮影を行った。
 新ルールは国際的には6月1日から有効となる。Jリーグや全国大会では7月に適用を開始するが、地域や都道府県の大会は遅くとも来年の4月1日までと、適用開始日を実情に合わせて柔軟に決めていいことになっている。
 しかし今回日本協会が公開した動画は非常にわかりやすく、しかも改正項目は選手や観客にプラスになるものが多いため、意外に早く理解が進み、適用もスムーズになるのではないか。12分間の動画がルールを「みんなのもの」にしてくれそうだ。

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(2016年5月25日) 

No.1072 ロアッソが示した人間の強さと気高さ

 まだ駆け出しのサッカー記者だったころに大先輩記者の実家が火事で焼けて隣家も類焼するという出来事があり、翌日お見舞いに行った。
 「面目ない」
 後片付けの手を休めると、大先輩記者はそう言って頭を下げた。その言葉と態度に強い感銘を受けた。人間の本当の価値は、大きな困難や試練にあったときにどんな態度をとるかで決まる―。そんなことを教えられた気がした。
 まだ余震が止まず、避難している人が1万人近くもいる熊本地震。避難生活を送る選手たちが何人もいるJ2のロアッソ熊本が、5月15日、約1カ月ぶりに試合のピッチに戻った。ジェフ千葉とのアウェーゲーム。千葉市のフクダ電子アリーナには1万4163人もの観客が詰め掛け、千葉のサポーターもロアッソの選手たちに拍手を送った。
 この1カ月間、FW巻誠一郎を中心にしたロアッソの選手たちの行動と態度は、まさに人間としての偉大さを示すものだった。他クラブから練習施設提供などの申し出を受けながら被災地に留まることを決め、支援活動に奔走したのだ。チーム練習を再開したのは最初の地震から2週間半を経過した5月2日。その後も、練習が終わると精力的に避難所などを回って支援活動を続けてきた。
 「フクアリ」のピッチに立った選手たちの顔には、強い決意が表れていた。
 「なんとしても勝ちたい。勝って元気を届けたい」
 その気持ちは、そのままプレーとなった。キックオフ直後から、巻はまるで後半44分で1点差を追っている選手のように戦った。MF清武功暉のシュートはわずかセンチのところで相手GKに防がれた。
 だがこの世界で簡単に「おとぎ話」が生まれるわけではない。0-0で迎えた後半11分、千葉のシュートミスが絶妙なラストパスとなってついにゴールを割られた。29分にはGKのミスから2点目も許し、勝負はついた。
 それでもロアッソの選手たちはあきらめなかった。DF蔵川洋平が力を振り絞って突破し、清武は両足がつってもボールを追った。
 私が最も強い感銘を受けたのはGK畑実の態度だった。自らのミスで2点目の失点。益城町出身の畑の脳裏にどんな思いがめぐっただろう。だが彼は表情を変えなかった。寄ってきた巻が言葉をかけて肩を叩く。その間も、原はしっかりと顔を上げていた。
 そこには本当の強さがあった。そしてそれは、大きな困難や試練にいまも真っすぐに立ち向かっているロアッソの選手たち全員から感じられるものだった。人間としての強さや気高さを示した試合。それはきっと、被災地だけでなく、日本中に伝わった。

(2016年5月18日) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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