サッカーの話をしよう

No.1041 トリックCK

 アメリカのプロリーグMLSで、あるコーナーキック(CK)が話題となっている。
 8月26日にシカゴで行われたシカゴ・ファイア対ニューヨーク・レッドブルズ。後半4分に右CKを得たニューヨークは、MFサムがコーナーアークにボールを置いてその場を離れた。寄ってきたMFクジェスティンがキックするかと思ったら、彼は突然ドリブルを始める。そしてシカゴの選手たちが混乱してマークを見失った瞬間に中央にパス、DFズバーがやすやすとゴールにけり込んだ。
 あぜんとするシカゴの選手たち。しかしチャプマン主審は得点を認めた。サムはコーナーから離れる前に左足裏でボールに触れ、アーク内ながら少し動かしていた。そのプレーですでにインプレーになっていたという判断だった。
 全17条のサッカールール。その第17条にCKに関する規定がある。「(ボールは)コーナーアークの中に置かなければなら」ず、「けられて移動したときにインプレーとなる」。少しでも動けばいい。半径1メートルのアーク(4分の1円)から出なくてもよい。
 ところがこの判定にMLSのプロ審判組織から異議が出た。「サムは2回キックしている」というのだ。たしかにVTRを見ると、サムは足でボールをセットした後、右足の裏で触れて少し動かし、さらに左足の足裏でボールを動かしている。第17条には「他の競技者がボールに触れるまで、キッカーは再びボールをプレーしてはならない」という規定もある。違反すれば相手方の間接フリーキックだ。
 得点を認めたチャプマン主審と「サムの2タッチ」を見逃したコンリー副審は当然批判にさらされることになる。この得点で2-2。振り出しに戻ったのだが、後半28分にシカゴが決勝点を奪ったことがせめてもの救いだった。
 実はこのトリックCK、ニューヨークの発明ではない。2009年にマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)のルーニー、ギグス、クリスティアノロナウドのトリオがチェルシー戦で成功させている。ただルール上は文句のつけようのないこのCKをウェッブ主審は認めず、やり直しを命じた。
 アイデアを出したのは当時のユナイテッド監督ファーガソン。1960年代にセルティックが成功させたのを見たという。彼は「いつかこのCKで得点を」という執念に似た夢をもっていたらしい。
 今季のJリーグでは、平均すると1試合に10本ほどのCKがある。しかし得点につながるのは10本に1本もない。守備側の組織が格段に良くなったためだ。こんなトリックを使いたくなるのも、そうした背景があるからだろうか。

(2015年9月16日) 

No.1040 U-22強化に日程見直しを

 いまとても気掛かりなのは来年のリオ・オリンピックを目指すU-22日本代表だ。来年1月の最終予選(カタール)に向け、十分な強化試合ができない状態だからだ。
 オリンピックは、これまでの日本代表の強化の重要な要素となってきた。
 1998年以来、日本は5大会連続でワールドカップに出場してきた。その背景には1996年のアトランタ大会で始まったオリンピックの連続出場がある。2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンと、成績に関係なくオリンピックがワールドカップへの貴重な準備となってきた。
 ワールドカップ5大会の延べ登録選手114人の過半数の59人がオリンピック出場の経験者。その数は1998年大会の5人から大会ごとに増え、2014年ブラジル大会では23人中16人、実に7割にものぼる。4位という好成績を収めた「2012年ロンドン組」(7人)だけでなく、3連敗だった「2008年北京組」も8人いた(DF吉田麻也は両大会に出場)。オリンピックで「世界」との距離を知ることがワールドカップにつながっているのだ。
 ところがリオを目指す今回は、ことし3月に1次予選を戦った後、U-22日本代表の強化試合は7月1日のコスタリカ戦ひとつだけで、今後最終予選まで1試合の予定もない状況だ。手倉森誠監督は8月に4日間のトレーニングキャンプを実施し、J2の京都と練習試合をしたが、国際試合とは「濃厚度」が違う。ハリルホジッチ監督率いるA代表はことし後半だけで6試合もこなす。だがU-22の国際試合は組めないのだ。
 日本のサッカーも近年は日程が非常に込んできて、隙間がほとんどない。2試合ずつ組まれるA代表の活動日にはJ1は行わないが、ナビスコ杯や天皇杯の試合が組まれている。A代表選手なしで戦わなければならないクラブにとって、オリンピック年代の選手も抜かれたら試合にならない。しかしオリンピックのための強化の時間が取れるとしたら、ここしかない。
 ワールドカップや地域連盟選手権(アジアカップなど)を除くA代表の活動期間は国際サッカー連盟(FIFA)が定め、毎年4ないし5回、9日間ずつ設定されている。この期間のクラブの試合を完全に休みにすれば、オリンピック代表の国際試合も、海外遠征を含めて入れることができる。うまく日程を組むことができれば、ナビスコ杯や天皇杯自体もフルメンバーの試合となり、価値も上がる。
 残念だがリオ大会への強化には間に合わない。しかし日本サッカーでのオリンピックの重要度を踏まえ、日本協会とJリーグが協力して日程の根本的見直しを図るべきだ。

(2015年9月9日) 

No.1039 成長が勢いを生む

 「勢い」という言葉でスポーツを語るのを、私はあまり好まない。
 勝利のために必要なのは、しっかりとした準備を背景にした「地力」であり、それを発揮するための規律であり、そして粘り強い精神であると信じているからだ。「勢い」も力になるが、それだけで勝ち抜くことはできない。
 だがしかし、あまりに「勢い」がないのも困る。バヒド・ハリルホジッチ監督が率いる現在の日本代表だ。
 明日9月3日のカンボジア戦(埼玉スタジアム)を皮切りに、日本代表は「秋の陣」に突入する。11月まで毎月2試合、3カ月間で計6試合。そのうち5つはワールドカップのアジア第2次予選という重要な試合だ。
 ところが6月にシンガポールと引き分けて以来、8月の東アジアカップでは1分け2敗と、日本代表は4試合も勝利がない。就任時に「ことしは全勝だ」と強気だったハリルホジッチ監督も、このところ愚痴や言い訳ばかりだ。
 原因は代表選手たちの「勢い」のなさにある。
 4年半前、ザッケローニ監督の下でアジアカップを制したころには伸び盛りの選手が何人もいた。本田圭佑も香川真司も長友佑都も20代前半。成長途上で、欧州で名が知られ始めたころだった。岡崎慎司はドイツに渡ったばかり。猛烈な勢いで「無名選手」から成り上がろうとしていた時期だ。そんな存在がいまの日本代表に何人いるだろうか。
 チームの「勢い」とは、成長を見せているときだ。そしてチームの成長とは、個々の選手の成長にほかならない。成長中の選手が何人もいれば相乗効果が生まれ、個々の成長も加速する。自然に、チームにも「勢い」が出る。
 ところが2013年の半ばを過ぎると伸び盛りだった選手たちが成熟期を迎え、それぞれ欧州のビッグクラブで活躍して経験は増えたものの、伸び率は鈍化した。ザッケローニは果敢に若手を注入したが、彼らは本田や香川のようには伸びてくれなかった。その状況がいまも続いているのだ。
 ことし3月、「緊急事態」にハリルホジッチが就任してチームは一時的に活性化したものの、6月以来、以前にも増して「勢い」のない状態になってしまった。2次予選と言っても心配な状況だ。
 この状況を打破するには、若手が物おじせずに挑戦し、自らチームを牽引する気概を示す必要がある。そして同時に、これまで日本代表の中心となって活躍してきたベテランたちも、自らを鼓舞し、もういちど成長への意欲をかきたてなければならない。
 明日からの「秋の陣」で、選手たちの「成長する力」を見たい。  

(2015年9月2日) 

No.1038 35周年、100人の笑顔

 百人の笑顔が広がった。幸福感が百倍になった。
 監督という立場で私が参加している東京の女子サッカークラブ「FC PAF」が、先日、創立35周年を記念するイベントを開催した。
 午前中のサッカー、会場を移して午後のパーティーと長い時間だったが、笑いが絶えずとても楽しい一日だった。
 創立は1980年。実践女子大の卒業生によってつくられた。75年にサッカー同好会が誕生した実践女子大は東京の強豪のひとつで、卒業生でチームができるほどになった80年には、女子チームの立ち上げを計画していた読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ)から「そろってうちに来ないか」と誘われた。
 メンバーは鎌倉で「合宿」をして徹夜で話し合い、自分たちで新しいクラブをつくることを決めた。それが「FC PAF」だった。ちなみに読売クラブはその後1年間かけて選手を集め、翌年「ベレーザ」を設立した。
 「自分たちがサッカーをするクラブを、自分たちで運営していく」
 いまは実践女子大の卒業生に限らずサッカーをプレーしたい女性に経験の有無を問わず門戸を開いているが、創立時の志は、変わらずクラブの重要なバックボーンだ。
 先日のイベントも、すべて現役選手たちだけで計画し、仕事を分担して準備し、やり遂げた。最後の記念撮影時の参加者百人の笑顔は、その仕事がいかに立派だったかの証しだ。ピッチ上だけの監督である私は、当日みんなの仕事ぶりに感心するだけだった。
 「自分たちで」は、資金面も同じだ。クラブはすべて選手が負担する会費だけで運営されている。過去にも現在もスポンサーはいない。
 しかしそれでも自分たちの力だけですべてができるわけではない。家族や職場の理解と協力と応援、OG選手たちの支援、そしてピッチ上ではライバルとなる他の女子チームや、協会役員の人びと...。
 サッカーを楽しめるのは、そして結婚し子どもができてもサッカーを続けていられるのは、ありとあらゆる人の支えがあってこそのものだ。記念イベントは、選手たちがその感謝の念を自ら再確認し、その気持ちを日ごろ支えてくれている人びとに伝えるためのものでもあった。
 OGたちは日本全国からやってきた。創立時からの「応援団」のひとりは、赴任先のフィリピンから駆けつけた。
 「スポンサーはいない。でもサポーターはいます」。ある選手の夫がそう話した。
 そう、私たちの回りにはこんなに応援し、支えてくれている人がいる。私たちは感謝の気持ちを忘れず、力を尽くさなければならない。

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(2015年8月26日)

No.1037 驚くべき岡崎慎司

 イングランドのレスターで躍動する岡崎慎司を見て脳裏に浮かんだのは、1990年代の名古屋グランパスのエース森山泰行だった。
 森山は両手も地面につけて走る「四足走り」をトレーニングに採り入れ、ボールに対する瞬発力を養成した。彼の得点の3分の1は体を投げ出すダイビングヘッドだった印象がある。ダイビングヘッドは、岡崎の看板でもある。
 岡崎のプレミアリーグ初ゴールは8月15日のウェストハム戦。左からのクロスに合わせた走り込みざまのジャンプボレーは相手GKにはじかれたが、素早く体勢を立て直し、バレーダンサーのように跳躍してヘディングで叩き込んだ。ゴールへの執念と、何よりも卓越したボディーコントロールを感じさせる、まさに「岡崎印」の得点だった。
 ドイツのマインツから移籍してきた小柄(174センチ)な日本人ストライカーは、信じ難いほどの運動量と相手からボールを奪う能力を見せている。開幕から2試合、最前線で相手を猛烈に追い回し、ついにはボールを奪ってしまうプレーが何回も見られた。
 190センチクラスのDFに激しく詰め寄り、強引に体をねじ入れるといつの間にかボールを自分のものとしている。その動きは、人間というよりどう猛な動物を思わせる。岡崎はこうしたプレーを繰り返してチームを助け、仲間に驚嘆の声を上げさせ、ラニエリ監督に深い満足を与える。
 その上、ボールをもてば高い精度のパスを送り、ゴールも決めてくれるのだから、こんなに頼りになる選手はいない。「移籍金700万ポンド(約14億円)は安かった」と地元メディアが書くのも当然だ。
 そして私たちが驚くのは、29歳というサッカー選手としてはけっして若くはない年齢を迎えても、岡崎が年々スピードを増し、動きがしなやかになっていることだ。
 「ストライカーの鬼門」とまで言われるイングランドのプレミアリーグに移ってドイツ時代よりさらにアグレッシブになり、たちまち不可欠な存在となったのは、自らの肉体の機能を高める工夫と努力のたまものに違いない。
 岡崎が森山を意識しているのか、また「四足走り」を採り入れているのか、私は知らない。しかし森山が現在の岡崎を見たら、彼が現役時代にひとりで工夫しながら目指していた姿が岡崎のなかにあると感じるのではないか。
 自らを酷使して相手を追い込み、味方ボールになると全速力で相手ゴールに向かっていく岡崎。徹頭徹尾チームのために戦う姿は、レスターのファンだけでなく、遠くない将来にイングランド中の人びとの心をつかむに違いない。

(2015年8月19日) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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