「右からボールが送られるのを見て、『こぼれてくる』と感じた」と、彼は話す。
3月14日、Jリーグ第2節の浦和×山形、0-0のまま迎えた後半38分。終盤に向かって攻撃の圧力を高めていた浦和は、相手ペナルティーエリアの右角あたりからDF森脇がクロスを送った。落下点にはMF武藤。だが山形DF舩津が競り勝ち、ボールはペナルティーエリア外へ。ワンバウンドして落ちてくるところに走り込んだのが浦和MF阿部勇樹(33)だった。
「バウンドしていたので浮かさないようにと、アウトサイドぎみでけった」(阿部)
予感が冷静さを生んだ。リラックスした上半身。走り込んだスピードと全身の力のすべてがセカンドバウンドの上がりばなをとらえる右足に集約され、ボールは途中から浮き上がるように伸びてゴールネットに突き刺さった。
16歳でJリーグにデビューし、たちまち市原(千葉)の中心選手となった阿部の才能に疑いはなかった。2004年のアテネ五輪を経て2007年に浦和に移籍、28歳で迎えた2010年にはワールドカップで上位進出の重要な役割を担った。大会後にはイングランドのレスターに移籍して1年半にわたってレギュラーとしてプレー、2012年のはじめに浦和に戻った。
以後3シーズン、Jリーグでの欠場はわずか1試合だけだ。2013年の出場停止によるものだった。それ以外は全試合に先発し、途中交代もない。昨年は全34試合、2060分間休まずにプレーした。
昨年、浦和はシーズン終盤に失速して掌中の優勝を逃したが、阿部のプレーからは鬼気迫るものさえ感じた。ボールを奪う力、展開する力。攻撃をサポートする力、そして「決める」力...。だが間違いなく最高クラスのプレーをしながら、シーズン終了から4日後、彼は考え込んでいた。
「なぜもっとうまくできなかったのか、毎日毎日、自分に問い掛けているんです」
2012年に浦和の監督に就任したミハイロ・ペトロヴィッチは、レスターから戻ってきた阿部を即座にキャプテンに指名した。サッカーに対する求道的なまでの姿勢を評価したからだ。その信頼は3年後もまったく揺らいでいない。
普段は控えめで声も小さい阿部が珍しく険しい表情でサポーターのところに走ったのはことし3月4日、ACLのブリスベン戦の後。チャンスを生かせずに敗れた浦和に、ブーイングが起きたからだ。
「まず1勝。それまでいっしょに戦ってほしい」。声をからし、懸命にそう訴えた。
10日後の山形戦。イメージに描いたとおりにシュートが決まったのを見届けると、阿部はゴール裏のサポーターに向かって走り、こぶしを握った両手を突き上げた。
(2015年3月18日)
新しい風が吹き始めた。
先週土曜日にJリーグが開幕。11年ぶりの「2ステージ制」が話題だが、それ以上にサッカー自体が変わり始めるのではないかという予感がする。その「触媒」は、J2から昇格した3クラブ、湘南ベルマーレ、松本山雅、そしてモンテディオ山形だ。
3チームとも地方の小さなクラブ。予算規模はJ1平均の3分の1。年間約10億円はJ2の平均程度だ。当然、高年俸を必要とする有名選手がいるわけではない。その3クラブがJ2の激戦を勝ち抜いて昇格を果たした背景には、明確な哲学でチームを導く監督たちがいる。
湘南の曺貴裁(チョウ・キジェ)監督(46)は就任4季目。「積極的にボールを奪いにいき、奪ったら縦に出し、追い越していく」というサッカーを追い求めてきた。絶対に妥協しない姿勢が筋金入りのチームを生み出した。
初戦は浦和を迎えてのホームゲーム。立ち上がりから激しい動きで浦和のパスワークを許さず、満員のファンを沸かせた。前半24分に自陣から仕掛けた速攻は圧巻だった。
奪ったボールを最前線にいたFW大竹に入れたところから始まった攻撃はあっという間に浦和の3人に対し4人になり、左MF菊池の外側を追い越してボールを受けたDF三竿がペナルティエリアにはいったときには6人もが浦和ゴール前に殺到していた。そして最後に走り込んだFW大槻がシュート。浦和DFの体に当たって先制点とはならなかったが、鳥肌が立つのを覚えるほどの速攻だった。
松本の反町康治監督(51)も4季目。「ゴールに向かうスピード」を強調し、切り替えの速さ、考える速さを選手たちに求める。無名選手たちを鍛え抜いて長野県からのJ1初昇格を果たした。
初戦はアウェーで名古屋と対戦したが、1万人ものサポーターが同行し、3-3というドラマチックな試合に酔った。一時は3-1とリードしただけに、反町監督は悔しさを隠さなかった。
そして山形の石崎信弘監督(56)は就任2季目。「ハードワーク」を信条とし、「走ることでは絶対に負けない」と自信を語る。
初戦は0-0から相手の仙台が退場で10人になったチャンスを見て攻め込んだが、猛攻実らず、カウンターから2点を失って0-2で敗れた。
3チームに共通するキーワードは「走る」ことだ。最後まで落ちない運動量で、恐れを知らずに攻め上がる。
勝負は厳しい。だがどんなに苦しい状況になっても、この3チームは下を向かず自分たちの哲学を貫くだろう。その姿勢がJリーグに新たな時代をもたらす予感がする。
(2015年3月11日)
読者におわびしなければならない。延長戦では4人目の交代を認めるというルール改正案について、先週の本コラムで自信満々「今回は可決される可能性が高い」と書いたのだが、先週土曜日の国際サッカー評議会(IFBA)では可決されず、いわば「継続審議」となったのだ。
6月から7月にかけて女子ワールドカップがカナダで開催される。出場チーム数が従来の16から24に増え、決勝戦までの「ノックアウトステージ」も4試合に増えた。選手の負担を考えると、改正案は「朗報」と思ったのだが...。
サッカーでは長い間選手交代を認めてこなかった。けが人が出たとき2人に限り交代を認めるとしたのが1956年。1人はGK限定(いつでも可)で、フィールドプレーヤーは前半が終わるまでの交代に限って認められた。65年に日本サッカーリーグができた当時は、まさにこのルールで開催されていたのだ。
理由のいかんにかかわらず随時2人交代できることになったのは67年のルール改正。日本リーグでは68年から施行された。そしてそのままの形でJリーグ時代にはいり、95年に現行の「3人交代」となった。以後、試合中の監督たちは忙しくなった。
さて、日本代表の監督問題もどうやら決着の方向に向かいそうだ。契約も近いと言われるバヒド・ハリルホジッチ氏(62)は昨年のワールドカップでアルジェリア代表を指揮し、「ラウンド16」でドイツを相手に延長戦まで互角に戦い抜いた。対戦相手ごとに、そして試合の状況により、自在に戦術を変えて対応するサッカーは世界を驚かせた。
前任のハビエル・アギーレ氏(56)も非常に優秀な監督だったが、1月のアジアカップ(オーストラリア)では選手起用と交代の固定化に疑問を感じずにいられなかった。準々決勝まで先発メンバーはまったく同じで、交代もほぼワンパターン。4試合で使った選手はわずか16人。7人もの選手が出場できなかった。
一方、ハリルホジッチ氏は昨年のワールドカップで「ラウンド16」まで毎試合先発を変え、結局4試合で20人の選手を使った。出場機会がなかったのはわずか3人。18人もの選手が先発機会を得た一方で、全4試合に先発したのはわずか3人だった。
これでわかるのは、ハリルホジッチという監督が信頼するのは、特定の選手の才能や経験ではなく、選手たちの「戦う力(走りきる力)」であるということだ。何より大事なのは戦術を実践する運動量とコンディション。新監督は新しい「交代3人の使い方」を見せてくれるはずだ。
(2015年3月4日)
「もう1年早かったら...」
1月に開催されたAFCアジアカップの準々決勝。日本代表DF長友に異変が起こったのは、延長戦が始まって間もなくのことだった。MF長谷部のパスを追って突破しようとしたプレーで右の太もも裏を痛めてしまったのだ。
しかし日本は後半20分までに交代枠の3人を使い切っており、もう交代はできない。延長の後半、アギーレ監督は攻撃を主体としたMFに長友を移し、本来はMFの柴崎をDFにして残りの15分間を戦わざるをえなかった。長友は全力疾走ができず、ときおりボールに触れただけだった。
さて、ことしのルール改正で、このようなケースが救われる可能性が出てきた。
サッカーのルール改正を決める唯一の機関である国際サッカー評議会(IFAB)。その年次総会が今週土曜(2月28日)に英国・北アイルランドのベルファスト近郊クレイガバッドのホテルで開催され、延長戦に限って4人目の交代を認めるというルール改正案がはかられることになっている。提案者はIFABのメンバーのひとつである国際サッカー連盟(FIFA)だ。
ワールドカップやアジアカップの「ノックアウトステージ」など、90分間が終わって同点の場合に延長戦になる試合では、監督たちは3人目の交代を送り出すのをためらう傾向がある。何らかのアクシデントがあったとき、長時間を10人で戦わなければならなくなる恐れがあるからだ。しかし延長戦になった場合にはもうひとり交代できるとなれば、思い切った手を打つことができる。わずか数パーセントかもしれないが、延長戦も減るのではないか。
この改正案は2012年の年次総会でもFIFAが医事委員会などの意見を受けて提案し、否決された経緯がある。しかし昨年のワールドカップで交代選手の得点が多かったことから、大会の技術分析に当たったメンバーをはじめFIFA内部で再検討の動きが生まれたらしい。ドイツ代表のレーウ監督ら多くの専門家からも「選手の安全を守る改正案」と支持を受け、今回は可決される可能性が高い。
ちなみにこの「延長戦での4人目の交代」、2001年から2シーズン、Jリーグで実施されていた。当時のJリーグは「延長Vゴール」制。前年に鹿島の監督に就任したトニーニョセレーゾ氏の提言を受けての採用だった。
このルール改正が昨年行われていたら、アジアカップの準々決勝で、アギーレ監督は迷うことなく長友に代えてDF太田を送り込んだだろう。そして日本は、延長戦のうちにUAEから決勝点を奪うことができたかもしれない...。
故障した長友を代えることができず、日本はPK戦で敗退(写真提供:AFC)
(2015年2月25日)
アジアのクラブチームに公式の、すなわちアジアサッカー連盟(AFC)が定めた「ランキング」があることをご存じだろうか。
過去4年間のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)での成績をポイント化し、「所属協会(MA)ポイント」を加えて算出した数字に基づくランキング。現在の首位はサウジアラビアのアルヒラル。2014年ACL準優勝チームだ。2位はFCソウル(韓国)、3位アルイテハド(サウジアラビア)、4位広州恒大(中国)と続く。残念なことに、日本のクラブでは、2013年に準決勝に進出した柏レイソルの16位が最高位だ。
2007年に浦和レッズが、そして2008年にガンバ大阪がACL優勝を飾り「アジアにJリーグが君臨する時代が到来」との予感もあったが、その後は決勝進出チームも出ず、早い段階での敗退が続いている。
2002/03シーズンに第1回大会が行われ、第2回の2004年から単年の大会となったACLはことし第13回目。日本のクラブは最初の4大会でグループステージさえ突破できなかった。極東に位置し、どんな相手と対戦しても長い旅行を必要とするハンディに加え、競争が厳しいJリーグとの両立が難しかったからだ。
しかし2007年に浦和が初出場で優勝を飾り、翌年にはG大阪がアウェーで圧倒的な強さを見せて優勝。一挙に国内での注目が高まった。その翌年の2009年には大会方式が大幅に変更され、日本からは4クラブが出場できるようになってさらに期待された。
ところがそこから再び勝てなくなった。2009年には4チームともグループを突破し、名古屋グランパスが準決勝に進出。だが翌年は2チームがグループで敗退、残る2チームもラウンド16で終わった。2013年には柏が準決勝まで残ったものの、韓国や中国のクラブの成長もあって他の3クラブはグループで討ち死にした。
過去12大会に日本から延べ37クラブが出場し、259試合を戦って126勝56分け77敗。総得点475、総失点306。最多は6大会出場のG大阪で45戦して24勝8分け13敗。得点は101にもなり、失点は54。鹿島の5大会、32戦18勝7分け7敗が続く。
来週の火曜日に開幕するACL2015のグループステージ。今季は、過去に優勝経験をもつG大阪、浦和、そして6回目の挑戦で初優勝を狙う鹿島に加え、2月17日のプレーオフでタイのチョンブリを下した柏が参戦する。どのクラブにもアジアでの豊富な経験があり、7年ぶりの日本勢優勝は十分期待できる。
アジアのベスト10に3つか4つはいってもおかしくないはずの日本のクラブ。「巻き返し」はなるか?
(2015年2月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。