昨年末からのアギーレ問題のカギは「契約」にあった。
日本サッカー協会側から一方的にアギーレ監督との契約を解除できるのは、代表監督の業務遂行に支障が生じるとき、すなわち「起訴」の段階のはずだった。その前に強行すれば、逆に契約をタテにアギーレ監督から告訴され、日本協会側が大きなダメージを受ける恐れがあった。
だが「起訴」ではなく「告訴受理」の段階でアギーレ側が契約解除に応じた。そこにはそのための条件の交渉があり、合意に至るというプロセスがあったはずだ。
アギーレ監督の立場に立てば、守らなければならないのは彼が連れてきた3人のコーチ陣。彼らに対する日本サッカー協会からの手当てが満足いくものと判断したから、アギーレ監督は同意したのだ。
メディアは単純に「解任」という言葉を使っているが、「契約」があり、それを双方の合意によって「解除」したという筋道を見失うと、この出来事の本質が見えない。
「裁判になっても、絶対に有罪にはならない」という確信がアギーレ監督にはあるのだろう。アジアカップ大会中に何人もの欧州記者と話したが、異口同音に「裁判を起こすこと自体が目的で、有罪にできるとは思っていない」と話した。「八百長撲滅に真剣に取り組んでいる」ということをアピールするスペインリーグのテバス会長のいわばスタンドプレーだという。
その見方はともかく、起訴が確実ならその時点でアギーレ監督はすべてを失う恐れがある。コーチたち守ることもできなくなる。アギーレ監督としてもぎりぎりの時点での譲歩だったに違いない。
合意のためにいくら必要だったかは不明だ。日本協会の大仁会長は「守秘義務があるので話せない」としたが、法外な額ではなかっただろう。外からは対応が遅いように見えたものの、総合的に考えれば、日本協会は問題をうまく処理できたのではないか。
(2015年2月4日)
「各方面の協力を得て、充実した大会ができました」
AFCアジアカップ・オーストラリア大会の23日間を振り返って、アジアサッカー連盟(AFC)の審判部長・小川佳実さん(55)は自信にあふれた笑顔を見せた。
今大会は15カ国から48人の審判員が任命され、32試合を担当した。もちろん誤審もあったが、2006年に着任してから小川さんが取り組んできた若いレフェリーの発掘などが実を結び始め、アジアの未来を担う若いレフェリーの台頭が見られて大きな成果を得た。
静岡県焼津市出身、藤枝東高、筑波大を経て、小川さんは故郷で県立高校の体育教師となった。そして1991年、32歳の年の高校総体(静岡で開催)をきっかけに本格的に審判に取り組むようになると、Jリーグの初期に活躍、1994年には早くも国際主審になった。
このころ、私は確か平塚で小川さんが笛を吹くのを見て「こんな優秀な主審がいたのか」と驚いた覚えがある。1994年にはナビスコ杯決勝戦も担当している。ところが故障と病気により38歳の若さでの引退を余儀なくされる。
しかしその後日本サッカー協会(JFA)の審判業務で実力を発揮する。審判部長となって現在のプロレフェリー制度(2002年~)や、アジアカップで準決勝まで3試合の笛を吹いた佐藤隆治主審を輩出したレフェリーカレッジ(2004年~)の実現にこぎつけた。
当時、JFAはアジアのサッカーにどう貢献するかを模索しており、AFCに送り込む人材を探していた。川淵三郎会長から「いつ帰ってきてもいいから、とにかく2年間行け」と命じられ、AFCの審判部長に着任したのは2006年の9月のことだった。
当初、審判部は部長を含めても3人。いきなり審判委員会の会議進行を任されて混乱したこともあったが、翌年のアジアカップ(東南アジア4カ国で共同開催)で1カ月間に3㌔も体重が落ちるほど働いて大きな評価を受ける。
以後スタッフを増やし、新しい企画を次々と実行に移した。審判のためのセミナーを続々と開講させ、若いレフェリーを発掘し、各国の審判環境改善のために駆け回った。
「どの国も選手強化には力を入れますが、審判というのは最後なのです。若い審判員たちはしっかりとした教育に飢えています。地道な取り組みのおかげで若い魅力的なレフェリーが出始めています」
この9年間、AFCのなかで審判への理解が深まり、小川さんにとって3回目のアジアカップが終わった。
「審判員たちも、アジアのレベルを上げようと全力でやっています」と語る表情には、充実感が満ちていた。
(2015年2月4日)
「落ち着いて、ケーヒルにクロスを送りましょう」
オーストラリアで行われているAFCアジアカップの準々決勝。ヘディングで見事な2点目を決めたオーストラリアのFWケーヒルに向けて、スタンドのサポーターから黄色の地に緑色の文字のこんなポスターが掲げられた。
圧倒的な存在感を誇るエースのケーヒル。ヘディングの威力は驚異的だ。掲げられたポスターには、彼にクロスを送っておきさえすれば勝てるという絶大な信頼がある。
実はこのポスターはパロディである。オリジナルは第二次大戦中に英国政府が制作した3種類のひとつ。21世紀を迎える直前の2000年にある古書店によって「再発見」されるまで完全に忘れられていた。店に飾ると数年のうちに爆発的なブームとなった。
「KEEP CALM AND CARRY ON(落ち着いて、日常生活を続けましょう)」
赤地に白い文字が描かれたシンプルなデザイン。だがその言葉が現代人の心をとらえた。ナチスの空爆下でも人びとは悠然と生活を送り、お茶を楽しむ時間も放棄しなかったと言われる。その不屈の精神が、経済危機など多くの問題をかかえる現代社会への強いメッセージとなったのだ。
さて、アジアカップでの日本代表の準々決勝敗退は、良い内容のプレーを続けていただけに残念だった。この成績もあって、八百長疑惑の渦中にあるハビエル・アギーレ監督の解任を求める声も高くなるに違いない。代表監督への疑惑が浮かんだことで、日本サッカー協会にはいろいろな方面から「不快感」が伝えられているという。
だが起訴されて正式に裁判が始まる状況にきているならともかく、告発状が受理されてこれから正式な捜査が始まるという段階で日本協会側からアギーレ監督との契約を解除するのは困難ではないか。現段階ではアギーレ監督が日本協会と約束した業務の遂行に支障はない。解任を強行すれば日本協会側が甚大なダメージを受ける恐れがある。
いわれのない疑いをかけられる恐れは、誰にも、どんなときにもある。疑いをかけられたということだけでその人を「汚いもの」扱いをするのは間違いだと思う。
アギーレ監督が白か黒かという話ではない。感情に流されず、契約というものを冷静にとらえなければならないということだ。日本協会は、落ち着いて(kEEP CALM)、いまなすべきことを続ける(CARRY ON)しかない。
そう、オーストラリアでの3週間で、アギーレ監督と選手たちがしたように...。
(2015年1月28日)
アジアカップを追ってオーストラリアの東部を上下している。1月18日にはブリスベンからメルボルンに南下した。
日本で言えば沖縄と福島といった距離。緯度で10度の違いは大きい。ブリスベンでは気温34度、日向に出ると肌がじりじりと焼ける音が聞こえるようだったが、メルボルンにくると21度。夜8時キックオフの試合は冷え込んだ。
今大会のメルボルン会場は「レクトアンギュラー・スタジアム」。2010年に完成したばかりのサッカー・ラグビー場だ。収容は3万人と小ぶりだが、「観客第一」の理念を盛り込み、観戦環境は快適そのもの。通常はスポンサーの保険会社名を冠してAAMIパークと呼ばれる。
メルボルンは世界的な「スポーツ都市」だ。AAMIパークの周囲には巨大スポーツ施設が集まっている。18日にアジアカップ「ウズベキスタン×サウジアラビア」を取材したのだが、周辺はまるで「スポーツの万国博覧会会場」といった様相だった。
すぐ北には1956年メルボルン五輪の主会場でもあった「メルボルン・クリケットグラウンド」がある。この日はクリケットの国際試合「オーストラリア×インド」が開催され、家族連れでごった返していた。3月には、クリケット・ワールドカップ決勝戦がここで行われる。
そしてAAMIパークのすぐ西には、錦織圭の出場で日本でも大きな話題になっているテニスの全豪オープン会場「メルボルンパーク」が「ロッドレーバー・アリーナ」を中心に広がっている。開幕は翌日というのに、練習を見るためか、この日すでにたくさんの人が訪れていた。
驚くべきはこれらの多様なスポーツ施設が一辺800メートルほどの三角形のなかにおさまっていることだ。東京でも国立競技場の近くに神宮球場や秩父宮ラグビー場があって3会場で10万人近くのスポーツファンを集めた日もあった。しかしメルボルンはクリケットグラウンドだけで10万人の収容力があり、国際性では東京など足元にも及ばない。
しかもこうした巨大スポーツ施設が人口400万という巨大都市の都心から徒歩20分ほどの近さにある。さらに一流スポーツを観戦する近代的なスタジアムだけでなく、一般の人びとが自らスポーツを楽しむための施設も都心に近いところに数多く存在する。世界一流のプレーを見た後、テニスファンは彼らになりきってボールを打つことができるのだ。まさに「世界のスポーツ首都」ではないか。
比較はしたくない。だがメルボルンを通して東京を見ると、その「スポーツ貧国」ぶりばかりが目立ってしまう。
(2015年1月21日)
「ロスタイムは、なぜ前半より後半が長いんですか?」
G大阪の長谷川健太監督から、まるで少年のような質問が出た。よほど腹にすえかねた経験があるのだろう。聞かれた西村雄一審判員は、思わず苦笑いをした。
1月10日から東京で行われた「フットボール・カンファレンス」。2年にいちど開催され、今回で9回目を迎えた日本サッカー協会公認コーチの研修会だ。今回の参加者は1070人。海外からもたくさんの講師やゲストを迎え、密度の高い3日間だった。
そのセッションの一つが、ワールドカップ主審の西村さんを迎えての「技術と審判の協調」というテーマだった。今季J1に昇格する松本山雅の反町康治監督が長谷川監督とともに登壇して話した。
ここ数年Jリーグが取り組んでいるのがよりタフなゲームの実現だ。ファウルぎみの当たりを受けるといとも簡単に倒れ、FKを要求する選手があまりに多い。試合がぶつ切れになり、サッカーの魅力・スピード感を奪っている。
さらに、こんなことを続けていれば日本の選手はひ弱になり、いつまでたっても世界で勝てない。ファウルされてもプレーを続けようというたくましい選手をつくるためには、審判にもそれを理解してもらい、その方向性で笛を吹いてもらう必要がある。
「世界の選手は笛を期待していない」と、西村主審はワールドカップとJリーグの違いを語る。「倒れても起きてシュートを決めれば家族を養えるという迫力があります」
J2をわずか3年で突破した松本を率いる反町監督は、日常の練習からファウルがあっても止めないようにしてきたという。その結果、倒れてもすぐに立ってプレーを続けるようになった。昨季のJ2全42試合で、松本の選手が担架で運び出されたのは、アキレスけんを切断した選手ひとりだけだったという。
監督と審判員はときに敵対する関係のように見える。だがざっくばらんな話から、監督も審判員も「より良いJリーグ、より強い日本のサッカーをつくる」という面で「仲間」であることがよく理解できた。1月末には、初めての審判員の「カンファレンス」が大阪で開催される。こんどはここにJリーグの監督が行って、また忌憚(きたん)のない話し合いができればと思った。
「選手交代のほとんどが後半にあるからです」
長谷川監督の質問に、西村主審はやさしく答えた。
「ひとりで約30秒、両チームで計6人の交代があると、それだけでロスタイムは3分間になるでしょう?」
長谷川監督は、少年のような表情でうなずいた。
(2015年1月14日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。