「奥寺ってどんな人?」
30代の友人からそう聞かれて狼狽した。
先週、ドイツ・ブンデスリーガの公式サイトがブンデスリーガで活躍した歴代日本人選手のランキングを発表。香川真司や岡崎慎司らを抑えて奥寺康彦が1位に選ばれた。だが日本の若いファンは奥寺を知らないという。私たちメディアの責任に違いない。
1952年3月12日秋田県生まれ。神奈川県横浜市に移り、市立舞岡中学でサッカーを始めた。相模工業大(現湘南工科大)附属高校時代に注目され、日本リーグの古河電工に加入、18歳で日本代表にも選ばれた。だが腰の持病に苦しみ、爆発的なスピードとパワフルな左足シュートが真価を発揮するのは、76年、24歳を迎えたときだった。
翌77年夏、日本代表の欧州遠征中にケルンの名将バイスバイラーの目にとまり、熱心にプロ入りを勧められる。当時のブンデスリーガは世界最高レベルだったが、外国籍選手は1クラブ2人に限定されていた。そのひとりに選ばれたのだ。だが奥寺は断った。
現在では想像もつかないだろう。しかし68年メキシコ五輪から9年、日本のサッカーは「世界」から隔離された状態だった。結婚して一女をもうけていた奥寺にとって、1年後の保証もないプロの世界にはいるのはリスクが大きすぎた。だが9月に再度の要請を受け、渡独を決意する。
バイスバイラー監督は選手の長所を結び付けて強烈な個性をもったチームをつくる天才だった。当初はとまどった奥寺だったが、年が明けると左ウイングとして活躍、2冠獲得のヒーローとなった。
その後監督が代わり力を発揮できない時期もあったが、2部のヘルタ・ベルリンを経て81年にベルダー・ブレーメンに移籍。名将レーハーゲルから守備的MFとして助けてほしいという要請を受けての移籍だった。奥寺はその期待に応え、2部から昇格したばかりのブレーメンを優勝争いの常連に押し上げた。
いちどだけだが、ブレーメンで彼の試合を見たことがある。導入されたばかりの3-5-2システムで、彼は左のウイングバックとして豊富な運動量でスピード突破を繰り返しスタンドの地元ファンを熱狂させていた。「オク! オク!」という声援を、いまも思い出すことができる。
公式サイトに記事が出た週末、ドルトムントに移籍したばかりの香川が最高のプレーを見せてトップニュースとなり、マインツの岡崎も2ゴールで勝利に貢献した。「歴代1位は奥寺」の評価は、ドイツでプレーする日本人選手に大きな刺激になったようだ。
(2014年9月17日)
日本では「アギーレ・ジャパン」のスタートがサッカーの話題の中心となっているが、インドでは1カ月後に迫ったプロの新リーグ「インド・スーパーリーグ」の開幕に向け期待が高まっている。先週には「FCゴア」の監督にジーコが就任することも発表された。
1947年まで英国の植民地だったことから、第二次世界大戦後のインドはアジアのサッカー強国だった。1960年ローマ五輪ではハンガリーと接戦を演じ、フランスとは1-1で引き分けて「サッカーの未来はアジアに」とまで称賛された。
しかしその後はクリケットの人気に圧倒され、コルカタやゴアなど数都市以外では関心の低い競技となってしまった。現在のFIFAランキングは150位。アジアでも26位と低迷している。
今回のスーパーリーグはアメリカのスポーツマネージメント企業が出資し、インド全国に8つのプロクラブを創設して国民的関心を掘り起こそうというもの。初年度は8クラブが参加し、10月12日に開幕、12月20日にプレーオフ決勝を迎える。
興味深いのは欧州のビッグクラブのいくつかも投資していることだ。たとえばインドサッカーのメッカであるコルカタの「アトレチコ・デ・コルカタ」はスペインのアトレチコ・マドリードがインドの投資家グループらとともに経営に当たる。
どのクラブもひとりは世界的な名声をもつ「看板選手」と契約しなければならないという規約は、マーケティングからの発想だろうか。元イタリア代表MFデルピエロ(39)が「デリー・ダイナモズ」と契約、ベテランのスター選手が続々と参加を表明している。
さらにクラブはその他に7人の外国籍選手とも契約しなければならない。近年アジア各国リーグへの進出が盛んになった日本人選手の活躍も十分期待できる。インド人選手は14人以上。そのうち4人はクラブの地元出身選手である必要がある。
だがこの新リーグの成功を危ぶむ声も低くはない。元インド代表のMFチャタージーは「いまのインドの若者は、イングランドのプレミアリーグなど欧州のサッカーで目が肥えている。それに匹敵するものを見せなければスタジアムには来ないだろう。世界的スターといっても最盛期を過ぎた選手がそれを提供できるとは思えない」と懐疑的だ。
人口12億の超大国インド。新しいアイデアを詰め込んだ新リーグは、この国のサッカー再興の起爆剤となるだろうか。
(2014年9月10日)
「規制を繰り返せば解決する問題とは思っていません」
横浜F・マリノスのサポーターが川崎フロンターレの黒人選手に対して人種差別を示す行為をしたことに対する横浜FMへの制裁を発表する記者会見(8月29日)で、Jリーグの村井満チェアマンはこう話した。
ことし3月に浦和レッズのホームゲームで差別的内容の横断幕が掲出され、クラブの対応が悪かったこともあって1試合の無観客試合という厳しい処分が下された。以後、浦和はホーム・アウェーにかかわらずサポーターに横断幕や自分でつくった応援旗などの掲出を禁止している。
スポーツの観戦や応援は、本来、平和な場のはずだ。チームの区別や勝敗にかかわらずそこにいるすべての人がともにスポーツを楽しむ―。守らなければならないのは、決められた競技規則、そして互いへのリスペクトの気持ちだけ。差別とは対極のものだ。
そのスポーツ観戦・応援の場で差別的な表現が行われたら、スポーツは断固戦わなければならない。サポーターや地域の人々と徹底的に話し合い、ともに考えながら差別と戦うとした横浜FMの決意は、Jリーグの処分とともに適切だと思う。
一方浦和は、観客・サポーターの自由な活動を制限したままだ。個々の選手の名前やメッセージを書いた「横断幕」の掲出、サポーターのグループでつくった応援旗などを禁止し、ファンやサポーターが選手やチームへの応援の気持ちを表現する手段はクラブの公式応援旗と自分の声に限られている。
「もしもういちど起きたら、大変なことになる」という思いが、浦和にはある。
繰り返されれば「無観客試合」以上の制裁を課される恐れがある。15点までの勝ち点没収、J2への降格、そしてJリーグからの除名などだ。「クラブが消滅する」という恐れが、「規制解除」をためらわせている。
だがそれは、「クラブはサポーターを信じていない」というネガティブなメッセージと受け取られかねない。若者を中心とした地域の人々と手を携えて歩んでいくしか生きる道のないプロのサッカークラブにとって、そのほうが大きなリスクではないか。
村井チェアマンは、冒頭の言葉を次のようにしめくくっている。
「サポーターとクラブの信頼関係の上に、自由で開放的で楽しい空気にあふれたスタジアムをつくろうという方向に向かっていってほしいと思います」
(2014年9月3日)
月にいちど、ある雑誌に「リスペクト」に関する記事を書いている。リスペクトの精神が表れた行動を見つけるのはなかなか難しく、毎月苦労する。
だが「リスペクトに欠ける行動」を探すのは、残念なことに簡単だ。8月20日のAFCチャンピオンズリーグ準々決勝第1戦、ウェスタンシドニー(オーストラリア)対広州恒大(中国)での終盤の出来事もその一例だ。
1点を追って迎えた後半ロスタイム、退場の判定に怒った広州のマルチェロ・リッピ監督が猛然とピッチに走り込んでモハンマド・アブドゥラ主審(UAE)に抗議し、大きな問題となったのだ。
イタリア人のリッピ監督は名門ユベントスにUEFAチャンピオンズリーグのタイトルをもたらし、2006年にはイタリア代表をワールドカップ優勝に導いた名将である。一昨年広州の監督に就任し、二年目にはAFCチャンピオンズリーグ優勝を果たした。
アジアサッカー連盟は暫定的にリッピ監督の1試合のベンチ入り禁止処分を決め、きょうの第2戦での指揮を禁じた。監督のピッチ侵入は重大な違反であり、さらに重い処分も予想される。
広州は後半ロスタイム入り直前にDF張琳芃が退場処分。ウェスタンシドニーのMFラロッカが張琳芃に対しまるで「おんぶ」するように腕まで使って背中から迫り、振り払おうとした張琳芃の右手が胸に当たる。するとラロッカは両手で顔面を覆って倒れた。
その2分後、こんどはFWビットルロドリゲスだ。広州DF劉健と競って倒れたところに劉健のサポートにきた広州FW郜林が止まりきれず接近すると、郜林が接触を避けようとよけたにもかかわらず、ビットルロドリゲスは当たってもいない顔を両手で覆い、大げさに痛がったのだ。
2選手が連続して、しかも相手の演技で一発退場。リッピ監督の怒りは理解できる。
卑劣な演技で相手選手を退場に追い込んだウェスタンシドニーの2選手には、相手選手やレフェリーだけでなくサッカーに対しても「リスペクト」の気持ちが欠落していた。
だがこれが欧州の試合だったら(選手の演技で誤審を犯す主審は欧州にもいる)、リッピ監督はピッチ内に駆け込むような行動に出ただろうか。アジアのサッカーに対するリスペクトのなさが、この行動の背景にあるように思えてならない。
演技する選手、アジアを見下す監督。残念だが、サッカーは「反リスペクト精神」に満ちあふれている。
(2014年8月27日)
Jリーグは2012年に「プラスクオリティープロジェクト」を始めた。「フェアで、クリーンで、スピーディで、タフな」試合の実現を目指すという。
その大きな柱が、遅延行為やレフェリーに対する異議をなくし、1試合のなかで実際にプレーが動いている時間(アクチュアルプレーイングタイム)を伸ばすことだ。このプロジェクトが始まる前には徐々にこの数字が落ち、2011年には54分39秒となっていた。
スタートから3シーズン。現在発表されているJ1第19節までの平均は57分01秒。昨年より1分18秒もの伸びを示している。
だが実際に試合を見ている感覚は、この数字とずいぶん違う。異議も遅延行為も相変わらず多い。
それらの理由で警告が出るケースは減ったかもしれない。だがそれはチーム側の努力というより、レフェリー側がカードを出さなくなった結果のように感じる。
何よりもまったく減らないと思うのが、接触プレーの後、倒れたまま起き上がらない選手たちだ。
脳振とうや骨折、ひざ靱帯(じんたい)の負傷など、立てないケースもある。しかし相手の手が顔に当たったぐらいで、プレーが続いているのにピッチに寝転がったままの選手というのは、まったく理解ができない。
ファウルがあって選手が倒れる。だがボールはファウルを受けた側のチームの選手に渡り、レフェリーはプレーを続けさせる。しばらくしてプレーが止まっても選手は倒れたまま。レフェリーが試合を止めて駆け寄り、大丈夫かと聞くと、「なぜ相手を警告にしないのか」と叫ぶ。寝転んでいたのは立てないからではなく、相手のファウルがイエローカードに値するとアピールするためだったのだ。
ファウルを受けた瞬間には痛くても、サッカー選手ならそれが大けがかどうかなど、すぐにわかるはず。大けがでなければできるだけ早く立ち、プレーに復帰しようとするのが彼の責務ではないか。
こうしたシーンが1試合に5回も6回もあるのが現在のJリーグだ。そのたびに時間は浪費されていく。
アクチュアルタイムが伸びているのは、レフェリーがこうして浪費された時間をしっかりカウントし、「アディショナルタイム」として追加しているからにほかならない。
時間は補塡(ほてん)されても、試合をぶつ切りにされ、寝転がったままの選手たちにいらいらさせられる思いが消えるわけではない。
(2014年8月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。