「アギーレ」というのはスペイン北部バスク地方に起源をもつ姓だという。「ギ」にアクセントが置かれ、rが重なる「レ」は「巻き舌」になる。「ハビエル」は日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルにちなみ、やはりバスクの名前だ。
姓名は生粋のバスク人。両親はバスクからの移民だった。「エルバスコ(バスク人)」の愛称もある。だが生まれはメキシコ市。「走り、良いプレーをし、勝つ」という明確なサッカー哲学をもつメキシコの英雄だ。
日本代表監督に就任したハビエル・アギーレ(55)。選任を担当した日本サッカー協会の原博実専務理事兼技術委員長が2010年からラブコールを送り、ようやく今回契約にこぎつけたという。
「ともかく将来性のある選手を選ぶ」
「代表でプレーする以上、国を背負ってプレーする気概をもってほしい。自分のためでなくチームのためにプレーし、勝利に貢献しなければならない」
「守備はDFラインだけでなくチーム全員の仕事。11人で守り、11人で攻めるチームをつくる」
「常に競い合うチームをつくり、選手の競う力を伸ばしたい」
8月11日に都内で行われた就任会見では終始冷静だった。だが実際にはかなり「熱い」人らしい。ふと、昨年からことしのワールドカップにかけてこのような人がいたら、違った歴史があったかもしれないと思った。
前任のザッケローニは、現在の日本人選手の長所を徹底的に生かして非常に良いチームをつくった。ただ、いま考えると、チームが完成した段階で世界を相手にどう戦うか、選手たちには伝わっていなかったように思う。それを明確に伝えられるのが、アギーレのようなパーソナリティーだったのではないか。
アギーレ新監督のチームづくりがどうなるか、それはまだよくわからない。ともかく9月の2試合(5日=対ウルグアイ=札幌、9日=対ベネズエラ=横浜)で方向性を見定めたいと思う。
アギーレ監督はこれからできるだけ多くのJリーグの試合を見たいと語っている。同時に、U―19やリオ五輪チーム(21歳以下)にも注意を払っていくという。監督交代はこれまで選ばれていなかった選手たちにとって大きなチャンス。走って良いプレーを見せ、勝利に貢献すれば、必ず目に止まる。
「アギーレの目」の下、猛暑のなか、それ以上に「熱い」Jリーグが展開される。
(2014年8月13日)
「1-7」
何年もせずに、ことしのワールドカップはこの数字を抜きに語ることができなくなるだろう。もちろん、準決勝のブラジル×ドイツのスコアだ。
ブラジルはユーゴスラビアに4-8で敗れたことがある。1934年、ユーゴの王制時代のことだ。しかしアウェーで、しかも親善試合だった。ワールドカップ準決勝での大敗は、ブラジルの人びとの心に大きな傷を残したに違いない。
だが逆に見れば、ブラジルはこれまで世界のいろいろなチームを容赦なく叩きつぶしてきた国でもある。1950年のワールドカップでは、ウルグアイに1-2で敗れる「マラカナンの悲劇」に先立ち、スウェーデンに7-1、スペインに6-1と大勝で連勝している。記録に残る最大の勝利は、75年ニカラグアに対する14-0だ。
しかしブラジルに大敗したすべてのチームが傷ついたわけではない。逆に誇りにしているチームさえある。
いまからちょうど10年前、2004年の2月にカリブ海の小国ハイチでクーデターが発生、国連が多国籍軍を送って治安回復を図るという事態になった。民心を安定させるために国連の担当者が考え出したのが「ブラジル代表招聘(しょうへい)」だった。
フランスの植民地時代にサッカーがナンバーワンスポーツとなったハイチ。ブラジル代表の人気が異常なほど高いのに目をつけたのだ。2002年にブラジルがワールドカップで5回目の優勝を飾ったとき、ハイチでは2日間を「国民の祝日」にしたほどだった。
ブラジル協会は通常1億円と言われるギャラを返上、8月18日に実現したハイチ代表との対戦は、「平和の試合」と呼ばれた。
入場券は銃器と引き換えにし、市民から武器を取り上げるという案もあった。だが逆に銃器を得るために事件が起こる危険性を考え、最終的には家族単位や学校単位で配布することに落ち着いた。
観戦に訪れたブラジル大統領は、試合前、選手たちに「ほどほどにしておけよ」と耳打ちしたが、ブラジル代表は「世界チャンピオン」の誇りを示す見事な攻撃を続け、6-0で大勝した。
だがハイチの人びとは傷つきも悲しみもしなかった。敬愛するブラジル代表、なかでも3ゴールを挙げたロナウジーニョの巧技を称え、誰もが幸福な気持ちで帰途についた。
「1-7」はすでに歴史のなかのこと。ドゥンガ新監督の下、ブラジル代表は未来への歩みを始めている。
(2014年8月6日)
ワールドカップの会場のひとつだったフォルタレザで驚くべきものを見たのは、競技場から空港へ向かうタクシーの中だった。
郊外で大きな道が交差するインターチェンジ。途切れることなく車が周回する中央の空き地に、防球用のネットをめぐらせてゴールを立てただけの小さなサッカー場があり、はだしの少年たちがゲームに興じていたのだ。
「王国」ブラジル。いたるところでサッカーで遊ぶ少年たちの姿を見かけた。だがかつてのような路上ゲームではない。地区や自治体がつくった少年用のサッカー場。周囲をフェンスで囲んだ土地に適当な大きさのゴールが立っている。
ところがフォルタレザのこのサッカー場は異常だった。周囲はすべて自動車専用道路。少年たちは交通の小さな切れ目を見て横断し、ここにやってくるのだ。日本ではとても考えられない立地だ。
もちろんブラジルにも歩行者用の横断信号はある。サンパウロの日本人街には鳥居の形で光る信号があった。だが歩行者の多くは信号に関係なく道を横断する。車が途切れたと判断すればさっさと渡る。横横断歩道でないところを渡ることも多い(ブラジルに限ったことではないが...)。
自分の目で見て、自分で判断して動く―。おっとこれは、日本のサッカー選手たちが最も不得手とするところではなかったか。
サッカーという競技では、試合が始まったら個々の選手が状況を把握し、何をすべきかを瞬時に判断してプレーを続けなければならない。ところが日本では「習いごと」のようにサッカーを始め、一から十まで指示するような指導を受ける結果、自分で判断するのが苦手な選手が驚くほど多い。日本代表クラスでもベンチばかり気にしている選手がいるのは驚くばかりだ。
自動車専用道路を横断しなければプレーすることができないフォルタレザの少年サッカー場を見ながら「こんなところから差が生まれるのかな」と感じるのは、あながち見当外れではないだろう。
7月23日付け「ニッケイ新聞」(サンパウロ)のサイト記事によれば、一昨年のブラジルの交通事故死亡者は4万6000人。うち歩行者が8800人にものぼる。同じ年の日本の交通事故死亡者は4411人。歩行者はわずか76人だった。
生命を守るには信号を守らなければならない。だが同時に、どんなことでも自分で見て判断できるたくましさをもった少年たちを育てなければならない。
(2014年7月30日)
「おもしろかった」
ブラジルから帰国するといろいろな人からこんな言葉を聞いた。
残念ながら日本代表の上位進出はならなかったが、今回のワールドカップの試合、なかでも「ラウンド16」以降の後半戦は、接戦・熱戦続き。16試合のうち半数の8試合で延長戦にはいり、うち3試合はPK戦での決着となった。圧倒的な強さを見せたという印象のあるドイツも、決勝戦だけでなくラウンド16のアルジェリア戦で延長戦を強いられた。
接戦・熱戦となったのは、どのチームも相手を恐れず、果敢な戦いを見せたからだ。そしてリードを許しても最後まで勝負をあきらめなかったからだ。
ドイツ以外にはチーム戦術で見るべきものが少なかった今回のワールドカップ。個の力を前面に押し出して戦うチームが圧倒的に多かった。それがサッカーのために良いこととは言えないが、代表の強化に時間を使うことができない現代では仕方がない面もある。
その一方、ワールドカップならではの醍醐味(だいごみ)が感じられた大会でもあった。祖国のため、家族のために我が身を省みずに戦う姿勢だ。世界中の人の心をとらえたのは、まさにそうした姿勢だったに違いない。
ワールドカップに何を感じ、それを自分のサッカーにどう生かそうとするのか、それは選手それぞれの考えだろう。しかし先週末のJリーグを見ながら、何人もの選手たちが私と同じことを感じ、実践しようとしているように思った。「スライディング」である。
立ったまま足を伸ばしても届きそうもないボールに対して、すべり込みながら触れようとするプレー。新しいものではない。サッカーが始まったころからある技術だ。主として守備側の選手が使うが、ドリブルが大きくなって相手に取られそうになった攻撃側の選手が使うこともある。
7月19日に私が見たのは浦和×新潟だったが、その試合ではこのプレーが実に頻繁に使われた。雨でピッチが滑りやすかったこともあるかもしれない。しかしそれ以上に、ワールドカップの刺激ではないかと感じた。
取れそうもないボール、失いそうになったボール。それでも最後の最後まであきらめず最大の努力を払って自分のものにしようとする―。それこそ、世界中の人びとの心を打った「ワールドカップの魂」ではなかったか。
1センチ、いや5ミリでもボールに近づき、自分のものにしようという努力。それがサッカーに迫力をもたらす。
(2014年7月23日)
今回のワールドカップの最大の驚きは、大会終盤でのブラジル代表の「崩壊」だった。
準決勝でドイツに1-7という歴史的大敗(ブラジル代表の歴代最多失点)した傷にまるで塩をもみ込まれるように、3位決定戦でもオランダを相手に3失点、一矢を報いることすらできなかった。
「2試合で10失点。恥ずかしい」と、ブラジル人たちは異口同音に強い口調で語った。
もちろん、日本のファンにとっては上位進出の期待がかかりながら1勝もできずにC組4位に終わった日本代表に対する失望のほうが大きかっただろう。「日本のサッカーができれば...」の期待も空しく、良さを発揮できなかっただけでなく、がんばりさえ表現できなかったのだ。
足りなかったもの、すなわち戦う気持ちやフィジカルの強さをどう改善していくか、それが今後の大きな課題に違いない。次期監督の有力候補にメキシコ人が挙げられているのも、そのあたりにひとつの狙いがあるのではないだろうか。
だが次々と失点し満足にシュートまで行けない大会終盤のブラジル代表を見ながら思ったのは、「コンビネーション・サッカーの火を消してはならない」ということだった。
アルゼンチンのメッシ、オランダのロッベンなど、今回のワールドカップでは飛び抜けた個の力に頼って攻撃を切り開こうというチームが多かった。「武器」が明確だから、周囲はその選手を生かすために懸命に戦い、汗を流す。ブラジルの急激な失速はネイマールの負傷離脱で武器を失ったことが大きな原因だった。
だがそれ以上に感じたのは、ネイマールなしでも十分高い技術をもった選手を並べながら、ブラジルにはコンビネーション・プレーがなかったことだ。ひとりがボールを保持する時間が長く、サポートがあってもそこに第3、第4の選手がからんで意外性を創出することなど皆無だった。これでは強いフィジカルと整った守備組織をもつチームに対抗することは難しい。
日本代表のザッケローニ前監督は集団での攻守を組み立てることに心血を注いできた。ワールドカップでチームの状態が上がらず良い結果が出なかったからといって、その仕事を完全否定する必要などない。これまでの日本代表の長所を失ったら、成否は、飛び抜けた個がいるかどうかだけにかかってしまう。
今後も、コンビネーション・サッカーの松明を高く掲げ続けなければならない。
(2014年7月16日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。