サッカーの話をしよう

No.976 生きざま見せるベルマーレ

 先週末のJリーグで最大の衝撃は、Jリーグ2部、J2の湘南ベルマーレだった。
 J2第7節。湘南は千葉と対戦し、6-0で勝った。J1昇格へのライバルのひとつと見られる千葉に対し、アウェーにもかかわらずシュート数で29対7と圧倒し、千葉の鈴木淳監督も「完敗」を認めざるをえなかった。
 これで開幕から7連勝。だが曺貴裁(ちょう・きじぇ)監督は、選手たちの「サッカーに真摯に取り組んで自分たちがやれることを百パーセントやる姿勢」はほめながらも、「昨年、J1で負け続け、残留できなかった悔しさを晴らすには、まだまだやらなければならないことが多い」と引き締める。
 千葉の鈴木監督が認めたのは攻守の切り替えの速さの差。ボールを奪われてから守備にはいる湘南の速さ、ボールを奪ってから攻撃に移る速さは、J1でも見ることのできないものがある。そのうえに、「ここ」と見るとチーム全員が迷わず全力疾走する。その繰り返しも走る距離も、まったく気にしない。
 6得点のなかでも衝撃的だったのは、前半28分の2点目だ。ペナルティーエリアの左でMF菊池大介がボールをもつと、FW武富孝介が外側を抜いてダッシュ。タイミングを逃さず菊池からパスが出ると、武富がファーポストにクロス。そこにはFW大槻周平がポジションをとり、左足ボレーでシュートしようと身構えていた。
 右外から突然MF宇佐美宏和が全速で走り込んできたのはそのときだった。走り込んだスピードを高い跳躍に結びつけると、強烈なヘディングシュートを叩き込んだのだ。
 以前サガン鳥栖の尹晶煥(ゆん・じょんふぁん)監督と話したことを思い出した。鳥栖のサッカーが攻撃的かどうかという話だ。
 私は攻撃的と評したのだが、尹監督は「みんな守備的だと言う」と苦笑いした。
 たしかに、鳥栖は守るときには全員が引いて相手の攻撃をはね返す。しかしいったん攻撃に移ると、4人も5人もが80メートルも全力で駆け上がり、クロスがはいるときには相手ペナルティーエリアに殺到している。この献身、恐れを知らない情熱こそ、「攻撃的」と呼ぶべきものだ。
 元U-19日本代表のMF菊池、現U-21日本代表のDF遠藤航など、将来を嘱望される若手もいるが、大半は無名選手の湘南。しかし曺監督の哲学が浸透し、いま湘南の選手たちは、自分たちの生きざまを、90分間という限りある試合時間のなかで表現しきっているようにさえ見える。

(2014年4月14日) 

No.975 キャンプ地選定に問題はないか

 ワールドカップ・ブラジル大会開幕まであと64日。スタジアム完成は時間との競争になってきたが、主役であるブラジル代表の合宿所は余裕をもって大改装が完了した。
 大会中ブラジル代表が暮らすのは、リオデジャネイロから北へ50キロほどのテレゾポリスという町。ブラジル・サッカー協会のトレーニングセンターだ。
 4面のサッカーグラウンドと高級ホテルのような宿泊施設。パイプオルガンを思わせる奇峰が並ぶ「オルガン山脈国立公園」のふもと、標高870メートルの高原の町だ。ここを拠点に、「カナリア軍団」はサンパウロ、フォルタレザ、そしてブラジリアへと出掛けていって1次リーグを戦う。
 さて、わが日本代表がサンパウロ州のイトゥをキャンプ地に選んだのは、小さからぬ驚きだった。初戦はレシフェ、第2戦はナタル。ブラジル北東部の海に面した町での試合が続いた後、第3戦はクイアバ。3会場とも6月の平均気温は25度を超す。当然、キャンプ地は北東部になると考えていたからだ。
 イトゥはサンパウロ州の都市で、6月の平均気温は15度程度。余談ながらイトゥを本拠とするサッカークラブ「イトゥアノ」は、東京ガス時代から12年にわたってFC東京の攻撃を牽引した「キング・オブ・トーキョー」アマラオが20代の前半にプロとして飛躍したクラブである。
 だがイトゥは3つの試合会場と気候がかなり違ううえ、レシフェとナタルへは2000キロ以上、クイアバへも1400キロもの旅行をしなければならない。
 日本と同じC組のギリシャはブラジル東北部のアラカジュを根拠地とする。移動距離は日本の半分以下。しかも試合会場とほぼ同じ気候の下でトレーニングできることになる。
 現在の日本代表は、間違いなく日本のサッカー史上最強のチームだ。ワールドカップのベスト8、さらにその先への期待も、夢物語ではない。だがそのためには、すべての準備がチームにプラスになるものでなければならない。無関係な要素を無理に入れて調整に失敗した2006年大会の二の舞いは、断じてあってはならない。
 「集中してトレーニングができ、リラックスもできる。近くの空港まで30分で移動できる」と、日本サッカー協会の原博実専務理事はイトゥのメリットを強調しているが、今回のキャンプ地決定に、好成績のため以外の無関係な要素はなかったのか。それが杞憂(きゆう)であることを願わずにはいられない。

(2014年4月9日) 

No.974 裸足のインドの真実

 64年前の1950年に開催された最初のブラジルでのワールドカップは、いくつもの伝説で彩られている。
 アマチュアのアメリカに敗れた「無冠の王者」イングランド。マラカナン競技場に20万人を集めた最終戦でウルグアイに逆転負けして初優勝を逃した地元ブラジル...。だが最大の伝説は、「裸足でのプレーを認められなかった」という信じ難い理由で棄権したと伝えられるインドだ。
 インドは第二次世界大戦直後のアジアのスポーツ大国で、サッカーも強かった。1948年のロンドン五輪では1回戦でフランスと対戦し、1-2で惜敗した。だがセンセーションを巻き起こしたのはインドの強さではなく、選手たちがサッカーシューズをはいていなかったことだった。
 といっても素足ではない。足首用のサポーターはつけていた。1947年の独立まで英国の植民地だったインド。サッカーは常にきれいな芝生の上で行われていた。当時の武骨なサッカーシューズをはくより、ボール扱いがたやすい裸足でのプレーを、インドの選手たちは好んだのだ。
 インドは1950年ワールドカップにエントリー、やすやすと出場権を獲得した。アジアからの他のエントリー国、ビルマ(現在のミャンマー)、フィリピン、インドネシアがすべて棄権し、予選なしでの決定だった。
 5月には組分けも決まり、インドはイタリア、スウェーデン、パラグアイと対戦することになった。だが6月24日の開幕に向け出発を待つばかりだったインド代表チームをショックが襲った。インドサッカー協会が出場辞退を決めたのだ。
 組分け抽選時に国際サッカー連盟(FIFA)が出場チームにサッカーシューズ着用義務づけを通達したこともあり、欧州ではインドの辞退は裸足でのプレーを禁じられたことが理由と伝えられた。それが伝説となった。
 インド協会は「ブラジルへの渡航費を工面できなかった」と発表した。だが渡航費はFIFAが負担することになっていた。実際には、インド協会が12年ぶりに開催されるワールドカップの価値を認識しておらず、五輪出場だけをターゲットにしていたのだ。
 インドは52年のヘルシンキ五輪に出場。シューズをはいたチームはユーゴスラビアに1-10の大差で敗れた。五輪出場は60年ローマ大会まで続き、56年メルボルン大会では4位の好成績を残したが、初出場のチャンスを自ら放棄したワールドカップ出場はまだない。

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(2014年4月2日) 

No.973 審判と選手の信頼関係にかかわる事件

 日本ではJリーグの「無観客試合」に注目が集まっていた先週の週末、イングランドではアーセン・ベンゲル監督(フランス)のアーセナル指揮1000試合目での出来事が大きな話題になった。
 95年から96年にかけて名古屋グランパスの指揮をとり、96年10月にアーセナルの監督に就任したベンゲル。しかし18年間もその地位にとどまり、1000試合も経験するとは、本人でさえ想像できなかったに違いない。
 さてその1000試合目は、3月22日土曜日、アウェーのチェルシー戦。これに勝てば首位チェルシーに肉迫する重要な一戦だったが、ベンゲルにとっては「悪夢」となってしまった。なんと0-6の大敗だったのだ。
 大差がついたのは、前半7分までに2点を奪われたうえ、15分にDFギブスが退場になり、PKで3点目を奪われて残りの75分間を10人で戦わなければならなくなったからだった。そしてそのギブスの退場は、大きな判定ミスだった。
 2点を取っても猛攻を続けるチェルシーはFWアザールがシュート、アーセナルGKシュチェスニーを破る。しかしカバーしていた選手が横に跳び、左手で触れてそらす。
 マリナー主審は当初判定にとまどっていたが、副審とのコミュニケーションでハンドがあったことを確認、PKの判定を下すと、DFギブスに退場処分を申し渡した。だが実際にハンドの反則を犯したのはMFチェンバレンだったのだ。
 チェンバレンはマリナー主審のところに歩み寄り、「僕だよ」と告げた。しかしマリナー主審はその言葉をいれず、ギブスにレッドカードを突きつけた。
 プレミアリーグでは今季から電磁場を用いたゴールラインテクノロジーを使用、ゴール裏の「追加副審」は置いていない。副審からは背番号が見えず、ハンド直後の確認ではなかったこともあり、背格好が似たチェンバレンとギブスを取り違えてしまったのだ。
 誤審はどんな名審判にも起こる。見ることができない角度の出来事もある。私はそれを救うものがあるとしたら選手たちの正直さだけだと思っている。しかしこのケースでは選手が正直に話しているのに主審がその言葉を信じず、大きな誤審を犯してしまったのだ。
 試合後、事実を確認したマリナー主審はアーセナルに謝罪した。しかし試合結果への影響以上に、選手との信頼関係にかかわる事件だと思う。審判たちが深く考えるべき問題ではないだろうか。

(2014年3月26日)

No.972 横断幕禁止は過剰な措置

 2014年3月8日に埼玉スタジアムで起きた「差別的な内容の横断幕掲出」(Jリーグによる表現)は、重大な出来事だった。
 「世界の言葉」とまで言われるサッカー。それは世界中の人びとを相互の理解と敬意の下に結びつける役割を担っている。「差別」は、その対極にある。
 サッカーの場での差別的な行為に対し、当事者は断固戦う義務がある。意識の低さによる浦和レッズの対応の悪さは、それが予測されなかったわけではないことを考えれば、より罪は重い。
 「無観客試合」の処分は厳しい。しかし浦和への処分以上に、日本中のサッカー関係者やサポーターへの強いメッセージと理解しなければならない。
 浦和はいくつかの対応策を発表した。そのなかに、当面、「ホーム、アウェーを問わず、すべての横断幕、ゲートフラッグ、旗類、装飾幕などの掲出を禁止する」という一項がある。「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざそのものの過剰な措置だ。
 問題の横断幕は、3人のサポーターが製作し、掲出したものだった。それを問題視して警備員に伝えたのは他のサポーターだった。これは、差別的な主張が浦和のサポーター全員もしくは大多数のものではなく、ほんの一部のものであったことを示している。「差別的だから撤去すべき」とサポーターが要求したという事実は、日本のサッカー観戦客の良識を示すものであり、今回の事件の大きな救いだった。
 試合のときにファンやサポーターが掲げる横断幕や旗は、ファンの気持ちを表現するもので、声援や応援歌と異なるところはない。サポーターたちは、全身全霊を込めて叫び歌ってもなお表現し尽くせない思いを、横断幕などに託すのだ。
 チームはプレーをする。1試合は観客を入れないが、次からは再びサポーターの歌声が響き、力強い声援が送られるだろう。横断幕やフラッグだけを禁止する意味はない。
 浦和は、サポーターを仲間あるいは同志ととらえ、どんな問題でも話し合いで解決してきた。サポーターが事件を起こしても問答無用と切り捨てるのではなく、徹底した話し合いで良い方向に進めようという努力を惜しまなかった。だからこそ「日本一」と言われるサポーターがいる。
 良識あるサポーターたちにまで旗などの禁止という犠牲を強いるのは、撤去すべき横断幕を放置したことと同じように問題の本質を見誤ったことだ。

(2014年3月19日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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