最初に断っておくが、私はサンフレッチェ広島のJリーグ優勝を高く評価している。
大きな補強もなく、逆に主力が流出するなか、チーム一丸の戦いで2連覇を達成。ただ1チーム、実質プレー時間が1試合平均60分間を超え、2年連続で優勝とフェアプレー賞のダブル受賞。広島は美しく優勝したのだ。
だがそれでも、ここ5年間ほどのJリーグは絶対的な強さをもったチームがなく、予測不能な展開の末、たまたま最終節に首位に立ったチームに優勝が転がり込むという印象はぬぐえない。
今季は、横浜F・マリノスが開幕ダッシュで7節まで首位を走り、その後、昨季途中からの負け知らずの記録をつくった大宮アルディージャが9節にわたって首位に立った。
その大宮がシーズン半ばでまったく不可解な失速状態になると、「前半戦」最後の第17節に広島が首位に。しかしわずか4節でその座を手放し、残り14節のうち11節は横浜が首位をキープした。
ところが横浜も最後にエネルギー切れ状態となる。2節を残して2位に4勝ち点もの差をつけながら、連敗で広島に優勝をさらわれる結果となった。
今季に限った話ではない。首位に立っては敗れて陥落するというパターンが毎年のように続いているのだ。
「私たちなんか首位にいるのはおこがましい。さあ、どうぞどうぞ」とでも言っているような展開。「謙譲の美徳」は、多分世界に例を見ないだろう。
そうした予測不能現象は、節ごとだけでなく1試合のなかにも現れる。見事なプレーをしていたチームが試合半ばで失速し、以後がたがたになるのを、1シーズンに何度も見る。両者には同じ「根」があるように思う。
サッカーは90分、リーグは34節。そんな明白なことを、実は選手たちが理解していないのではないか―。
90分間を戦い抜いて勝つには、劣勢の時間帯にどうプレーするかが重要だ。シーズン中に調子が落ちた時期には、何よりも辛抱が大事。そして首位に立ち続けるには、重圧に耐える強い精神力が必要だ。チャンピオンとは本来そうした能力を備える選手をそろえたチームであるはずだ。
広島は今季後半に2回首位に立ち、そのたびに直後の試合で敗れて陥落。そして3度目に首位に立った34節でリーグが終了した。
広島の連覇は称賛されるべきだが、本物の強さを見せる王者が出ないと、Jリーグはまるでドタバタ喜劇のようになってしまう。
(2013年12月11日)
「予想はしていなかったけれど、準備はしていた」
「コメント・オブザイヤー」に選びたくなるひと言だった。
発したのはアルビレックス新潟のFW川又堅碁(けんご)(24)。11月30日、J1優勝を目前にした横浜F・マリノス戦の先制点について、試合後にこう話した。
0-0で迎えた後半27分、新潟に与えられた左CK。ボールはファーポスト側に落ち、落下点にいた横浜DF栗原がヘディング。だが空中で味方選手と新潟の選手と体をぶつけ合う形になって思い通りのクリアができず、ボールはゴール前へ。
川又はキックに合わせてニアポストに走り込んでいたが、振り向いたところにいきなりボールがきた。しかしあわてなかった。左足を一歩踏み込むと、右足を鋭く振り抜いて横浜ゴールの「天井」に突き刺したのだ。
驚くべき反応と思い切りの良さ。普通の選手なら止めるのがやっとだっただろう。しかし止めたらシュートはできなかった。至近距離に横浜DF中澤がいたからだ。
川又は愛媛県出身。県立小松高校から2008年に新潟に加入したがなかなかポジションを得られないなか、昨季J2の岡山に期限付き移籍、18得点を挙げて得点のコツを会得し、今季新潟に戻った。
新潟は2004年にJ1昇格以来、常にブラジル人選手の得点力を頼りに戦ってきた。しかし今季は4月末から日本人主体の攻撃陣に切り替えた。第8節に初先発した川又が、次の清水戦でJ1初ゴールを記録、以後堂々たるエースとなったからだ。
横浜戦のゴールは今季22得点目。川崎の大久保(26得点)に次ぐランキング2位だが、1シーズンで20点を超えた選手が昨年までの5年間で3人しかいなかったことを知れば、そのすごさがわかる。
183センチ、75キロの大型FW。ダイナミックな走りと体を張ることをいとわない闘志、そして左足の強烈なシュートが特徴の川又。しかしゴール前のこぼれ球をワンタッチで叩き込む形も多い。どんなときにもシュートへの「準備」ができているからに違いない。
私の好きなクラブマークに、スコットランドのレンジャーズのものがある。クラブ名とともに「READY」の文字が入れられている。「いつでも準備ができている」というクラブモットーをそのまま記したものだ。
考えても考えても予測しきれないのがサッカーという競技。だからこそ常に「準備」ができた状態であることが大きな意味をもつ。
(2013年12月4日)
来年のワールドカップで「FKスプレー」が使用される?...。
ゴール近くでフリーキック(FK)が与えられたとき、ボールから守備側が離れなければならない距離(9.15メートル)を示すために、主審がピッチにスプレー式のペインターで線を引く道具。12月11日に開幕するFIFAクラブワールドカップ(モロッコ)で使われることになったのだ。
2008年にアルゼンチンで発明され、瞬く間に南米から中米にかけて広まった。ピッチ上に観客席からも見える白い線を引くが、1分もすれば消えてしまうのがミソ。人体に害はなく、芝生を傷めることもない。
FKのとき、主審は攻撃側にボールを置く場所を指示し、それから歩測で9.15メートルのところまで守備側を下げる。ところが、この間に攻撃側がボールを動かしたり、キックの前に守備側がじりじりと(ときに1メートル近く)前進してしまう。
スプレーはそれを妨げるために使われる。ボールの位置を小さくマークし、守備側が出てはいけない2㍍ほどの線を描くのだ。
大きな国際大会で初めて使用されたのは日本が参加する予定だった2011年の南米選手権。サッカーのルールを決める国際サッカー評議会(IFAB)の「実験許可」を受けての試験的使用だった。
その成果を受け、ことし国際サッカー連盟(FIFA)は公式2大会でテストを行った。トルコで開催された20歳以下とUAEでの17歳以下の両世界大会、計104試合だ。
「両大会計44人の主審の大半は、FKスプレーが有用であると報告しています」と説明するのは、FIFAのレフェリー指導部長を務めるM・ブサッカ。
「スプレーには明らかな抑止効果が認められます。違反がなくなり、両大会ではFKのときの距離不足によるイエローカードは1枚もありませんでした」
ただ「距離不足」による警告は最近ではあまり出ないようだ。今季これまでのJ1とJ2計740試合でこの理由での警告はわずか2回。104試合で警告0回は特異なデータとは言えない。
だが「少しでも有利に」と、攻撃側も守備側も小さなごまかしをするのがサッカーという競技の最大の欠点であることは間違いない。そのいらいらをスプレーが減らす効果は大いに期待できる。
クラブワールドカップでの成果を受けて来年3月のIFAB総会で使用が正式認可されれば、6月のワールドカップで使用される可能性も出てくる。
(2013年11月27日)
「現在扱っているのは5000アイテムほど。でもそのほかに売り物にはしない個人コレクションが1万5000冊以上ありますよ」
日本代表の取材でベルギーに行ったついでに、ある人に会いに行った。セルゲ・ファンホーフさんだ。
80年代の終わりにフリーになった私が最初に困ったのは手持ちの資料の少なさだった。社員時代に使っていた雑誌や書籍は会社のものだったからだ。
なけなしの収入をはたいて雑誌や書籍を買いまくった。そのなかでベルギー人ながら英語で世界のサッカーのデータを紹介するファンホーフさんの本はとても有用だった。とくに第1回大会から予選を含む全試合のメンバーや戦評を記した全4巻のワールドカップ史は非常な労作。私も大いに助けられた。
自ら本を書くだけでなく、ファンホーフさんは世界中のサッカー書籍や雑誌を仕入れ、販売している。その書店があるブリュッセルとアントワープのほぼ中間のレイメナム村に彼を訪ねたのだ。
私の想像では70歳過ぎの老記者。しかし迎えたのは長髪ジーンズ姿の中年男性だった。まだ48歳だという。
「外国のサッカーに興味をもったのは9歳のとき。ボリビアのサッカークラブの名を知ったことだった。図書館で調べるうちに、外国書がほしくなった」
だが苦労して集めた何百冊もの書籍は、大学の学費を工面するために泣く泣く手放した。卒業後に世界のサッカーを紹介する仕事につき、再び収集が始まる。ドリブルを得意とするサイドアタッカーだったが、視力低下で大学時代にプレーを断念、以前にも増して世界の情報を集めることに情熱を傾けた。
インターネットなどない時代、世界中に友人をつくり、ネットワークを広げることで書籍や情報を集めた。情報をまとめて出版もするようになった。
ネット時代の到来でいくらでも世界の情報が手にはいる今日。だが書籍を欲する人はまだ多いという。書店は田舎にあっても、メールで注文を受け、郵送するから問題はない。
「扱っている100カ国を超す国の本のなかには日本の書籍も。なかでもJリーグのイヤーブックは毎年引き合いが多いんです」
書店が20周年を迎える来年には公式サイトをリニューアルし、本の内容をよりわかりやすく、そして注文しやすくすると話す。徒手空拳でネット時代に立ち向かうドンキホーテのように想像していたが、どうして、時代の最先端にいるようだ。
Heart Books
(2013年11月20日)
ことしの世界サッカーの大きな驚きのひとつは、ベルギーがFIFAランキングで5位に躍進し、オランダ、イタリア、イングランドらを差し置いてワールドカップの第1シードに組み入れられたことではないか。
2002年ワールドカップで日本の初戦の相手となり、2-2で引き分けたベルギー。この大会でベスト16にはいったのを最後に国際舞台から遠ざかっていた。しかし14年ブラジル大会の予選は8勝2分けの無敗で独走、12年ぶり12回目の出場を決めた。
2007年6月に71位だったFIFAランキングは昨年5月のウィルモッツ就任時も44位、翌月は54位。だがその秋から急上昇し、ことし1月には20位、9月には6位、そして10月には5位。いまやワールドカップ優勝候補の声さえ上がる。
ベルギーは「英国外の世界最古のサッカー国」。1860年代にプレーが始まり、1878年に最初のクラブが誕生、1895年にサッカー協会が組織された。そして1904年にはフランスとともに国際サッカー連盟(FIFA)創設の主導者となった。
だが地元開催の1920年アントワープ五輪で金メダルを獲得したものの栄光は続かなかった。「中興」は1980年代。86年ワールドカップで4位と躍進した。しかし「赤い悪魔」の活躍も、2002年で途絶えた。
隣国のオランダが1970年代に世界に衝撃を与えるチームをつくり、以後ワールドカップ準優勝3回とサッカー大国の地位を確固たるものにしたのとは対照的に、ベルギーは地味な「二流国」に甘んじていたのだ。
大きな危機感を抱いたベルギーサッカー協会は選手の発掘と育成に力を入れ、2008年には北京五輪で4位という成果を得た。
そして昨年、ワールドカップ予選開始を前にマルク・ウィルモッツが監督就任。思い切って若手に切り替えたことがマジックを生んだ。ちなみにウィルモッツは2002年ワールドカップの日本戦の先制点得点者である。
イングランドのチェルシーで活躍するMFアザールだけでなく、何人もの若いアタッカーが彗星(すいせい)のように現れた。コンゴ生まれのFWベンテケ、旧ザイールの代表選手を父にもつFWルカクなどアフリカ系が増加しつつあることも、近年のベルギー代表の攻撃陣充実の大きな要因だ。
まるでシンデレラのような奇跡の主役ベルギーに、来週火曜日(11月19日)、日本代表が挑戦する。
(2013年11月13日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。