「過労死が出るのではないか」と心配になった。ロシアでのワールドカップでのビデオ・アシスタントレフェリー(VAR)である。
開幕戦でVARを務めたイタリアのイラティ氏が、翌日もポルトガル×スペイン戦の担当をしていた。開幕戦はモスクワ、翌日の試合は南へ1400キロも離れたソチ。ただイラティ氏は飛行機には乗らない。モスクワに置かれた放送センター内のVAR室が彼の仕事場だからだ。
32チーム出場のロシア大会の総試合数は64。リストに掲載された主審は35人、副審は62人。それに対しVARはわずか13人。この大会では試合ごとに4人のVARが使われることになっていたから、どう考えても足りなかった。
ただし4人の仕事は一様ではない。メインのVARのほか、アシスタントVAR、オフサイド専門のVAR、さらにサポートVARと役割が分担されていた。オフサイドVAR15人はすべて副審リストからピックアップされた。主審リストからも6人がVARを兼務し、全19人でオフサイド以外の3つの役割をこなした。これでひとり平均10試合ほどの担当になるはずだ。
ところがその担当数に大きなばらつきがあった。開幕戦だけでなく決勝も担当したイラティ氏はVAR14試合、サポートVARを3試合、合計17試。オランダのマケリー氏も11試合と7試合で、合計ではイラティ氏を上回った。その一方、VAR専任として指名されながらメインのVARをいちども務めなかった審判員が13人中4人もいた。
オフサイドVARのばらつきはさらに激しい。イラティ氏と組んで開幕戦と決勝戦を担当したチリのアストロサ氏はなんと18試合も担当した。
大会期間は32日間。うち試合があったのは25日間。イラティ、マケリー、アストロサの3氏は、実にその約3分の2を狭いVAR室で10数台のモニターとにらめっこしていなければならなかった。ピッチ上の主審で最も多く試合で笛を吹いたのは開幕戦と決勝戦を担当したアルゼンチンのピターナ氏、5試合だった。
VARは走る必要がなく、旅行も不要。試合は延長PK戦になっても3時間弱だ。しかしその間、一瞬たりともモニターから目を離すことは許されず、介入すべき事項かピッチ上の審判員に任せるべきか、瞬間、瞬間に判断を下し続けなければならない。VARは猛烈な精神的消耗を強いる仕事だ。それを短期間にこんな頻度で担当させるのは明らかに「過重労働」だ。
失敗は許されなかった。だから「エースの連投」になったのだろう。だが大事な試合を任せられるVARがほんのひと握りしかいなかった事実が、ワールドカップで使うほどVARが成熟していなかったことの何よりの証拠だ。
(2018年8月15日)
ロシアで行われたワールドカップで目立ったのが、「強豪」と言われたチームの予想外の苦戦だった。
たとえば1次リーグの初戦でメッシを擁するアルゼンチンが初出場のアイスランドと対戦、26本ものシュートを放ったが、結果は1−1の引き分けだった。
アイスランドの守備陣は、アルゼンチンがシュートに持ち込もうとするとその前に体を投げ出し、足を出して「ブロック」し続けた。その回数は10回にも及んだ。26本のうち9本はゴールの枠を外れたから、実際にアイスランドのゴールを脅かしたシュートは7本ということになる。
国際サッカー連盟は、今大会から「シュートブロック」の数を公式記録に入れ、それもシュート数としてカウントするようになった。私の集計では、大会の総シュート数は1612本。うち4分の1強にあたる430本がブロックされた。1試合あたりチーム平均3.4本というところである。アイスランドの10本は異常な数字と言ってよい。
「ブロック率」1位はスウェーデンの47.1%。際だった攻撃力があったわけではないこのチームが準々決勝に進んだ要因は、5試合で70本も打たれたシュートを33本もブロックした守備の力だった。
一方、ブロック率が低かったチームは成績が悪かった。前回優勝から1次リーグ敗退という屈辱を味わったドイツは31本に対しわずか4本、12.9%という低さだった。10%台は9チーム。うち7チームが1次リーグ敗退だった。
日本は平均を上回る28.1%(57本中16本)。相手のシュートをしっかりブロックできる守備組織が保たれていたことが、好成績の要因のひとつだったと言えるだろう。
タックルは間に合わない。相手のシュートモーションに合わせ、ボールの前に足を投げ出して至近距離でシュートを止める...。ブロックの成否は、ボールをもった相手の動きに最後までついていけるかどうかにかかっている。敏しょう性だけでなく、読みの良さと決断力が必要だ。
さらには、シュートする相手をマークする選手だけではブロックしきれない場合も多い。味方が抜き去られて決定的なピンチになったら、自分のマークを捨て、体を投げ出してブロックしなければならない。高い集中力のなかでポジションや体の向きの準備をし、その瞬間には考えることなく自然に体が動いているようでなければ間に合わない。
得点がはいらないのはもどかしいかもしれない。しかしシュートブロックは高度な個人プレーであり、また美しいチームプレーでもある。守備の規律のあるチームだけが、ブロックで勝利を引き寄せることができる。
(2018年8月8日)
現代のサッカーでは、1対1の状況ではボールをもった選手のほうが有利とされている。だが日本選手は...。
異例の早さで日本代表新監督の就任記者会見を行った日本サッカー協会。監督会見に先立ち、田嶋幸三会長と関塚隆技術委員長がワールドカップ・ロシア大会の総括と4年後に向けての課題を語った。
従来はワールドカップの総括と分析を日本協会が発表するのは大会から半年近くたってだったから、就任会見だけでなく大会総括も「異例の早さ」だったことになる。
そのなかで、関塚委員長は状況に応じた攻撃と守備ができていたと評価した。攻撃面では、ボールを奪ったらまずカウンターを狙う。それができないときにはしっかりパスをつなぎ、人数をかけた攻撃で相手ゴールに迫る--。
田嶋会長と関塚委員長が話したように、総じて日本の戦いは見事だった。とくにベルギー戦は、日本サッカーの歴史に残る最高のパフォーマンスだった。しかしそうした試合のなかでも、日本サッカーの重大な「欠落部分」が見えていたように、私には感じられた。「1対1で仕掛ける姿勢」の希薄さである。
とくに顕著なのがサイド攻撃だ。パスを受けたとき、日本選手は相手が1人立ちふさがっただけですぐに後ろを向き、バックパスしてしまう。このワールドカップでもそうした場面は頻繁に見た。相手にとっては縦に仕掛けられるのがいちばん怖いのに、勝負に出ないのだ。その結果、日本は相手にやすやすと守備組織をつくらせてしまう。
こうした傾向が、日本代表だけでなく、年代別代表にも広範に見られ、若い代表ほどその傾向が強いのは、育成システムに問題があるからではないか。「賢い」選手をつくろうとするあまり、「自分のところではボールを失いたくない」というメンタリティーの選手ばかりになってしまったのではないか--。
ボールを受けるときには、後ろを向くフェイントをかけていきなり前を向き、相手を抜き去るというプレーが最もチームのためになるのに、多くの日本選手は、前を向くフェイントをかけて後ろにボールを止める。相手選手には、後ろを向いた選手など少しも怖くはない。
世界に対抗するには、私は何よりも日本のサッカーがよりアグレッシブ(積極的)にならなければならないと思っている。コンビネーションも大事だが、少しでもスキを見せれば果敢に前を向いて仕掛けてくるという「恐れ」を相手にもたせない限り、相手の守備に破綻は生まれない。
森保監督の日本代表は、ぜひ果敢に1対1で勝負するチームになってほしい。
(2018年8月1日)
7月22日、東京の味の素スタジアムでJリーグのFC東京×横浜FMを取材した。
午後7時キックオフ時の気温32度、湿度62%、無風。それは試合終了時もほとんど変わらなかった。しかし記者席に座っているだけでうだるような暑さのなか、選手たちは最後まで気迫あふれるプレーで観客を引きつけた。
半ばぼおっとした頭で、ふと考えた。
「東京オリンピックは、もしかしたら好成績を残せるかもしれない...」
7月22日は2020年東京オリンピックの開会式に先駆けて女子サッカーの試合がスタートする日にあたる。翌日には男子サッカーも初戦が行われる。今夏の猛暑が2年後にも繰り返されたらと思うとぞっとする。
マラソンはスタート時刻を30分早め、7時スタートにしたというが、明け方でもむっとする蒸し暑さのなかで、レースの後半には強烈な日差しも選手たちを苦しめるに違いない。しかしサッカーでは、この暑さが日本の味方になるかもしれない。
現代のサッカーでは守備の組織化が進み、どんなに高い個人技をもつ天才でも単独で得点を決めることは極めて困難となった。メッシをもつアルゼンチン、クリスティアノ・ロナルドのポルトガルが、ともにワールドカップの早い段階で敗退したことが、それを象徴している。
勝負を決めるのはチームとしてのプレー、なかでも「ボールなしの動き」だ。現代のサッカーでは、選手たちは1試合に約10キロ走る。その大半は、ボールをもっていないときの走りだ。ボールを受けるために走る。ボールをもった味方をサポートするために走る。ボールを奪われたら奪い返すために走る。そして自分の守備のポジションをとるために走る...。走れなければ攻撃は機能せず、守備は崩壊する。2020年が今夏のような暑さだったら、多くのチームが思うように走れずに苦労するのは必至だ。
そうしたなかで、日本のチームはこの暑さになんとか順応できているように見える。7月22日に行われたJ1の9試合は、札幌での試合を除いていずれも東京と同様に過酷な暑さだった。だがそのなかでどのクラブも平均走行距離10キロ弱を示した。FC東京のMF米本拓司は90分間で1万1749メートルを走りきり、東京の勝利に貢献した。
ちなみに、ワールドカップ決勝戦でのフランスの平均走行距離は9512メートル、クロアチアは9663メートルだった。
猛烈な暑さのなかでどう運動量を確保し、サッカーの質を保つか、挑戦しがいのあるテーマに違いない。そしてその先には、東京オリンピックがある。
(2018年7月25日)
日本代表も大活躍し、久しぶりに心から楽しめたワールドカップが終わった。
「空前の成功」。そう今大会を評する人が多い。巨額を投じてスタジアムや交通などのインフラを整備した政府。入念に準備された運営のレベルの高さ。何万人ものボランティアの明るい笑顔と献身的な働き。何よりも一般のロシア人たちの人柄の良さと親切さは、世界中からきたサッカーファンに感銘を与えた。
そして今大会の成功の大きな要素として「ファンID」の導入を挙げる人も多い。入場券をもっているだけでは観戦できない。入場券が購入できたら「ファンID」を申請し、スタジアムではこの2つをチェックしてはじめて入場を許された。
縦15センチ、横10センチほどのカードは正面に顔写真が貼られ、名前が書かれている。そして裏面には生年月日やパスポート番号などもある。ファンはこのカードを首からぶら下げてスタジアムにやってくる。セキュリティーゲートに設けられた読み取り装置にかざすと、装置の向こうの係員側のモニターには大きく顔写真が映し出される。そこで本人確認が行われるのだ。
ロシアの国内リーグでは以前からこのシステムが使われているというが、国際大会では昨年のFIFAコンフェデレーションズカップで初導入された。このカードがあればロシアへの入国ビザを取得する必要がなく、ロシア国内の旅行の際の身分証明書代わりにもなった。もちろんロシア人も試合を見るにはこのカードの取得が必須だ。今大会を通じて、外国人に50万通、ロシア人には87万通の「ファンID」が発行されたという。
今回の成功に力を得たロシアのプーチン大統領は、今後一般の旅行者にも適用を検討しているという。
何やら個人情報を首からぶら下げているようにも感じるが、各国のユニホームを着た何万人ものファンが当然のように「ファンID」を下げて赤の広場を闊歩(かっぽ)している姿は、とても楽しそうだった。
強く感じたのは、「ファンIDはファンID(アイデンティフィケーション)」ということだった。世界中からサッカーを愛する人が集まってくるワールドカップ。カードをぶら下げることで「私もあなたと同じサッカーファン」と宣言することになり、他国ファンとのコミュニケーションのきっかけになり、交流が盛んになり、そしてお祭りの楽しさが倍増した。
4年後のワールドカップの舞台となるカタール組織委員会の役員も、「ぜひ採用したい」と話しているという。
ファンIDは、スポーツ観戦だけでなく、今後さまざまなエンターテインメントで使われていくのではないか。
(2018年7月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。