私の記憶では、日本代表がソウル・ワールドカップ・スタジアムのピッチに立ったのは3回目。成績は1勝2分け。負けていない。
最初は03年4月。韓国代表との対戦は、終盤の幸運な得点で1-0。ジーコ監督の初勝利だった。2回目は10年10月、ザッケローニ監督下の2試合目、攻勢をとりつつ韓国と0-0。そして3回目が先週日曜の中国戦、3-3だった。
ヨーロッパ組だけでなく、Jリーグのベテランも外して臨んだ東アジアカップの初戦。立ち上がりこそ押し込まれたが、若い選手を大量に入れて2日間しか練習していないチームとは思えない攻撃で後半の半ばまでに3-1とリードした。
FW柿谷曜一郎(C大阪)のワントップでのプレーは非常に高い可能性を感じさせ、左MF原口元気(浦和)とのコンビは中国をきりきり舞いさせた。山口蛍(C大阪)、青山敏弘(広島)のボランチコンビの中盤支配も見事だった。
中国は今大会参加の男子4チーム中唯一のフル代表。先発のうち6人をAFCチャンピオンズリーグでベスト8に進んだ広州恒大の選手で固め、先月解任された代表監督カマチョのアシスタントだった伝博監督の初戦とあって、モチベーションも高かった。けっして弱いチームではない。
その中国を圧倒した日本のスピードは素晴らしかった。圧巻は後半14分の2点目(逆転ゴール)。MF青山が冷静な指示で左サイドバックの槙野智章(浦和)を走らせ、そこに完ぺきなスルーパス。ゴールライン近くまで進んだ槙野のライナーのクロスを、タイミング良くニアポスト前に走り込んだFW柿谷が鮮やかなヘディングで決めた。
最初の15分間が悪かったこと、最後の15分間に足が止まって2点のリードを守れなかったのは残念だったが、私は大きな問題とは感じなかった。
この大会の目的は来年のワールドカップへの新戦力の力を試すこと。急造チームで最初からエンジン全開は無理。終盤の体力切れも前半15分から後半30分にかけて60分間の輝かしいプレーの価値を損なうものではない。
「選手間の正しい距離をあれほど早くつかめるとは...」とザッケローニ監督。オーストラリア戦(25日)、韓国戦(28日)では、FW豊田陽平(鳥栖)などさらなる新戦力が躍動するだろう。
「幸運のソウル・ワールドカップ・スタジアム」で始まった若手のチャレンジは、「ブラジル」に直結する。
(2013年7月24日)
連日猛暑の日本とは対照的に、朝鮮半島では梅雨前線が南北に移動を繰り返しながら豪雨を降らせ、各地で被害を出しているという。その韓国で、20日(土)に「東アジアカップ」が始まる。
アジアサッカー連盟の下に位置する東アジアサッカー連盟(EAFF)の選手権。男女の大会を同時に行う世界でも珍しい形式だ。
EAFFは02年設立。翌年に日本で第1回大会が開催された。この第1回大会は男子だけだったが、05年に韓国で開催された第2回大会から女子も組み入れられた。
EAFFは加盟10カ国。日本、韓国、中国の3カ国は、2ないし3年ごとに大会を持ち回りするだけでなく、男子はシードされて予選なしで出場する。その他の7カ国による予選に今回はオーストラリアが招待され、見事勝ち抜いて初出場することになった。女子のシードは日本、韓国と北朝鮮の3カ国。中国は予選でオーストラリアを下しての出場だ。
過去4回、ホームで2回(03年に続き10年にも開催)も戦いながら、日本男子は、中国と韓国に2回ずつの優勝を許し、まだ優勝がない。一方女子は、佐々木則夫監督が就任した直後の08年中国大会で初優勝、10年日本大会で連覇を飾った。
3連覇を目指すなでしこジャパンは故障のMF澤穂希(INAC神戸)を除く最強の布陣。ドイツのポツダムからイングランドのチェルシーへの移籍が決まったFW大儀見優季も、新チームへの合流前に韓国で奮闘する。
一方の男子は、この大会が国際サッカー連盟の公式日程にはいっていないため、欧州のクラブから選手を招集することができず、Jリーグ勢だけでチームを組む。ザッケローニ監督は「今回は新しいメンバーにチャンスを与える」と、6月のコンフェデ杯(ブラジル)に参加した9人のJリーグ勢のうちベテラン5人も休ませ、初招集10人を含む23人を7月15日に発表した。
現在の日本代表の弱点はFWの人材不足。FW豊田陽平(鳥栖)、FW大迫勇也(鹿島)FW柿谷曜一郎(C大阪)ら期待の新規メンバーのうちから「ワールドカップのエース」が誕生するか。若手が先輩からポジションを奪う勢いこそ、チームを急成長させる力であり、コンフェデ杯で3連敗に終わった日本代表に最も必要な要素に違いない。
取材に行く身としては韓国の梅雨明けがいつになるかも気になるが、それ以上に男女とも興味尽きない東アジアカップだ。
(2013年7月17日)
梅雨が明けたと思ったら、いきなり猛烈な暑さとなった。例年より15日も早くやってきた真夏。ことしの夏は長くなりそうだ。
猛暑は「サッカーの敵」だ。真夏の炎天下での試合など、プレーヤーの健康を考えれば本来あってはならないことだからだ。
小学校の理科で習うことだが、「気温」とは、「地上1.5メートル、風通しの良い日陰」で測るもの。気温35度であれば炎天下のグラウンド上では軽く40度を超す。人工芝ならさらに熱い。人類にとって激しい運動などできる環境ではないのだ。
だが日本では、その真夏の炎天下で無数といっていいサッカーの試合が行われる。夏休みで各種の大会が集中し、日本サッカー協会が主催する各種の全国大会も12を数える。多くが18歳以下の少年少女の大会だ。
もちろん、どの大会でも熱中症予防には万全の対策が取られている。練習時からの給水が推奨され、試合中には「給水タイム」も設定される。熱中症予防指導も行われている。
だがやはり、この時期の日中の試合は禁止するべきだ。なかでもまだ自らをコントロールできない若い世代の試合は危険すぎる。スポーツは生きる喜びのためのもの。健康や、悪くすれば生命の危険を冒す価値のあるものではない。それはスポーツではなく「冒険」と呼ぶべきものだ。
ことし前半、日本のスポーツ界は「体罰」の問題で揺れた。表面化したのは「氷山の一角」に過ぎない。直接的な暴行こそ減っていても、暴力に近い理不尽な指導や、指導者からの言葉の暴力に傷つき、苦しんでいるプレーヤーは無数にいる。
問題の根源は、「プレーヤーの人権」に対する指導者たちの意識の低さにある。プレーヤーたちにとって絶対的な権力者である指導者が、プレーヤーが人間であることで当然にもつ権利や価値に目を向けないことだ。
「真夏の炎天下の試合」も、「人権無視」という面で「体罰」に等しいのではないか。
少年少女は、自分たちが生まれる前から存在する「全国大会」にあこがれ、何の疑問ももたずに真っ黒になって練習し、炎天下の試合に飛び込んでいく。だが大人が冷静に考えれば、こんな状況で試合などやらせるべきでないのは、簡単にわかるのではないか。
この時期にどうしても試合をするなら、夜間か、日没近くの夕刻に限るべきだ。「施設が足りない」と言うなら、まず増やすための努力をするのが、大人の責務というものだ。
(2013年7月10日)
サッカーの母国イングランドで「20世紀最大の一戦」と呼ばれる試合がある。
1953年11月25日にロンドンで行われたイングランド対ハンガリー。それまでホームでは負けたことがなかったイングランドが3-6という信じ難いスコアで敗れた一戦だ。
自他ともに「無冠の王者」と任じてきたイングランド。その誇りが一夜で崩壊し、他国から学び、他国の技術や戦術を研究して取り入れなければと努力が始まることになる。
ただしそれはワールドカップやその予選といった試合ではなかった。単なる「国際親善試合」だった。
「インターナショナル・フレンドリー」という。2つの国の協会が話し合って決める試合だ。「オフィシャル・コンペティション」(公式大会)とは区別されるが、これも国際サッカー連盟(FIFA)に届け出が義務づけられた正式の試合。結果報告とともに、総収入の2%をFIFAに納める義務もある。
互いの合意で試合を行うという形は、サッカー誕生以前からのもの。日程調整の煩わしい作業を避けるためにその後考え出されたのが、カップ戦やリーグ戦という形式だった。
試合を通じて互いの技術研さんを図ることが第一義的な目的。しかし相手の国についての知識を深め、人情や文化への相互理解を進めるきっかけになれば、スポーツを超えた価値を生む。
先月下旬、なでしこジャパン(日本女子代表)がアウェーでイングランド、ドイツと連戦した。いずれも「国際親善試合」である。「イングランド女子代表対なでしこジャパン」だが、日本サッカー協会とイングランドサッカー協会の交流であり、日本とイングランド(英国)という2つの文化の交流の機会でもある。その放送でアナウンサーが「強化試合」と連呼するのに強い違和感を覚えた。
不適切な用語は視野の狭さの象徴であり、放送内容の貧弱さにも反映されていた。佐々木監督の指揮など、なでしこの戦いぶりにしか焦点が合わず、日本と英国の女子サッカーの交流という重要なテーマは顧みられることすらなかった。
もちろん、チーム強化は重要な目的だ。しかし「国際親善試合」というものの意味、サッカーを通じての国際交流という、より大きなものを忘れてはいけない。1953年の試合の何より重要な遺産は、イングランドの人びとの間に、ハンガリーという国に対する大きな敬意が生まれたことだったという。
(2013年7月3日)
3連敗で敗退という残念な結果だったが、日本代表のコンフェデ杯のイタリア戦は大きな驚きだった。
これまでも世界のトップ10クラスのチームを相手にいい勝負をしたり勝ったりしたことは何回かあった。しかしすべて相手に主導権を握られるなかで数少ないチャンスを生かした結果だった。
ところが今回のイタリア戦は試合の大半の時間で主導権を握り、繰り返しチャンスをつくった。守備面で大きな課題は残したが、日本の攻撃が世界のトップクラスに十分通じるものであることを選手たちも信じることができたに違いない。
イタリア戦で、日本は593本のパスを出し、461本を成功させた。成功率は78%だった。相手のイタリアは456本のパスで成功313本、69%という数字だった。イタリアのスタイルというわけではない。イタリアはメキシコ戦では632本のパスで525本成功させ、成功率83%で主導権を握った(数字はFIFA発表)。
イングランドやドイツ一辺倒だった日本のサッカーにブラジルが衝撃を与えたのは1970年のことだった。当時の東京12チャンネルがワールドカップのほぼ全試合を放映し、日本のサッカー界は初めてブラジルの技巧を目の当たりにした。
そこから少年指導が変わった。ブラジルのような技巧を身に付けさせたい、それには少年のうちから取り組まなければならないと、日本中のコーチたちが工夫し、指導に当たったのだ。日本サッカー協会の育成プログラムが優れているからレベルが上がったわけではない。43年前に始まった無数の、そして無名の指導者たちの努力が、現在の日本代表につながっている。
日本の指導者たちにとって「ブラジル」は常に教師だった。そして目標でもあった。
そのブラジル代表が日本との対戦で初めて緊張感と危機感をもって臨んだ今大会の開幕戦。日本代表は腰の引けた戦いをしてしまい、とても残念だった。だが、イタリア戦で間違いなく日本代表は変わった。世界の強豪と戦うための「何か」をつかんだ。
来年のワールドカップで、もういちどブラジルにチャレンジしたい。そのときには、今回とはまったく違う試合になるはずだ。
ブラジルを相手に主導権を握る試合ができたとき、私たち日本のサッカーは、44年間の「ブラジルの生徒」から卒業できるのではないか。そしてそこから新しい時代が始まるのではないだろうか。
(2013年6月26日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。