サッカーの話をしよう

No.906  女子サッカー発展を支えた千野圭一さん

 1982年から98年まで「週刊サッカーマガジン」(ベースボールマガジン社)の編集長を務めた千野圭一さんが、10月31日深夜に亡くなられた。
 1954年生まれ。58年間の生涯は短すぎる。だが日本のサッカーに多くのタネをまき、その成長を確認できた16年間の編集長生活は、本当に充実したものだっただろう。なかでも女子サッカーの発展は、彼の報道の立場からの支援を抜きに考えることはできない。
 彼の前任者は、まだよちよち歩きの女子サッカーを専門誌に取り上げる必要性を認めなかった。しかし千野さんはひとり「女子サッカーのページ」をつくることを主張して譲らなかった。
 興味本位ではない。サッカーに対する女子選手たちの真摯(しんし)な姿勢に打たれ、心から応援しようと思ったのだ。「女子」としてではなく、「サッカー選手」、「サッカーチーム」として扱った。
 81年、女子日本代表が誕生した年に東京で行われたイタリア戦に出場した大原智子さんは、試合直後に千野さんからこう言われた。
 「大原さん、これはサッカーじゃなかったね。相手のケツばかり追い掛けているようじゃだめだよ」
 0-9で大敗し、号泣している選手に、追い打ちをかけるような言葉。「正直、きつかった」と大原さん。
 しかしなぜか冷静になれた。そのとおりだと思った。
 かなり後になって、千野さんの言葉が、フェアに、そして偏見なく、ただのサッカーとして自分たちの試合を見て評価してくれた、本物の愛情であったことが理解できたという。女子サッカーに対する千野さんのスタンスは、その後もまったく変わらなかった。
 長い間、女子サッカーは報道の対象にすらならなかった。しかし千野さんは女子の動向を伝え、指導者や選手たちを支援し続けた。
 菅平高原で「サッカーマガジン杯」の大会が始まったときにも、強引に女子部門を入れた。ことし第25回を迎え、いまや80を超すチームが参加するこの大会が女子サッカーの普及と発展に果たした役割は小さくない。
 その千野さんを心から喜ばせたのは、昨夏の女子ワールドカップ優勝だった。04年以来相次ぐ大病に襲われ、自宅療養を余儀なくされていた千野さんだったが、深夜の中継を熱心に見ていたという。
 日本の女子サッカーが今日の姿を迎えた陰に、千野さんの大きなサポートがあったことを感謝して、追悼の言葉としたい。
 
(2012年11月7日) 

No.905 「3大会連続予選落ち」阻止へ、U-19日本代表

 今週土曜日、UAE最北部のラスアルハイマで「AFC U-19選手権」が開幕する。
 1993年以降生まれの選手によるアジア選手権。だがより重要なのは、来年トルコで開催されるU-20ワールドカップのアジア最終予選を兼ね、上位4チームにその出場権が与えられることだ。
 オリンピック(23歳以下)、U-17とともに男子の年代別の世界大会のひとつを構成するU-20。今月欧州遠征した日本代表23人のうち半数以上に当たる12人が、過去にこの大会出場の経験をもっている。「日本代表の登竜門」と呼んでもいいだろう。しかし日本は過去2大会(09年と11年)、いずれもアジア予選の準々決勝で韓国に敗れ、「世界への道」を阻まれている。
 「経験の上でもブラジルが上だった」
 今月ブラジルに0-4で敗れた日本代表のザッケローニ監督は、日本に必要なのは強豪との対戦経験であることを強調した。
 その経験は、ユース時代からの積み重ねが重要だ。ところが「極東」という日本の地理的条件が大きな障壁となる。日常的に欧州や南米の強豪と対戦することは不可能。そして親善試合ではなく勝負をかけた公式大会での対戦機会となると、さらに難しい。
 U-20ワールドカップ出場は、その貴重な機会と言える。95年から7大会連続してこの舞台に立ってきたことが、現在の日本代表の重要なベースになっている。09年以来2大会連続の「予選落ち」は、将来を考えると大きな懸念材料だ。
 今回U-19日本代表を率いるのは吉田靖監督(52)。内田篤人や香川真司を中心に07年U-20ワールドカップでベスト16に進出した経験を「3大会連続予選落ち」阻止に注ぐ。
 チームは10月22日から26日まで新潟県の十日町市で合宿、練習試合を2つこなして27日にUAEに向かった。
 この合宿中にエースのFW久保裕也(京都)が急激に調子を上げ、期待を膨らませた。中盤には大島陵太(川崎)、熊谷アンドリュー(横浜)というJリーグで実績をもつ頼もしい選手が並び、守備の中央では、2年前の大会で涙を流したキャプテンの遠藤航(湘南)が雪辱を誓う。
 1次リーグの相手は、イラン(3日)、クウェート(5日)、そしてホスト国UAE(7日)。「3チームとも非常に手ごわい」(吉田監督)が、「チーム全員で世界大会への切符を勝ち取る」(遠藤)と、選手たち自身が責任感にあふれているのが頼もしい。
 
(2012年10月31日)

No.904 小久保選手の胴上げと拍手

 プロ野球・福岡ソフトバンク・ホークスの小久保裕紀選手が、チームメートと相手の北海道日本ハムファイターズの選手たちに胴上げされたシーンは、とても感動的だった。
 先週金曜日、札幌ドームで行われたパリーグのクライマックスシリーズ第4戦でファイターズが勝ち、日本シリーズ進出を決めた。それはホークスのシーズン終了も意味していた。今季限りで引退を発表していた小久保選手にとっては、現役最後の試合となった。
 試合後、表彰式が終わり、ファイターズの選手たちがレフト側の外野席前に整列してあいさつをする。ホークスの選手たちもライト側に並ぶ。ところがあいさつを終わったファイターズの選手たちがいっせいにライト側に走り始めたのだ。
 何事かと思った先に小久保選手がいた。たちまちファイターズの選手たちに囲まれ、握手攻めにあう小久保選手。やがてチームメートも集まり、両チームの選手たちの手によって小久保選手の体は6回も宙に舞った。
 スタンドを埋めた満員の観衆の多くは当然のことながらファイターズ・ファン。だが盛大な拍手とともに「コクボ! コクボ!」のコールを繰り返した。小久保選手は帽子を取って高く挙げ、何回もおじぎをして感謝の気持ちを表した。
 ニュースでこの様子を見ながら、Jリーグも学ばないといけないと思った。サポーターの盛り上げが大きな役割を果たしているJリーグ。しかし無差別に相手チームを「敵視」することが役割と勘違いしているサポーターが少なくない。相手チームの選手は全員ブーイングの対象だ。
 ブーイングに値する選手、ブーイングすべき選手もいるかもしれない。その一方で拍手で迎えたくなる選手、拍手すべき状況もあるはずだ。そう感じているサポーターも少なくないだろう。しかし相手チームの選手に拍手する雰囲気は、いまのJリーグにはない。そこには、「リスペクト」のかけらもない。
 小久保選手に対するリスペクトの思いを素直に表現したファイターズの選手たちと札幌ドームのファンは、本当に素敵だった。Jリーグのサポーターも、もっと成熟しなければならないと思った。
 小久保選手の引退セレモニーは、10日以上前にホーム最終戦で行われていた。しかしホームタウンから1400キロも離れた札幌での胴上げと心からの拍手は、小久保選手にとって何よりの贈り物だっただろう。
 
(2012年10月27日)

No.903 若者と緑と教会の町ブロツワフ

 「若者と緑と橋と教会の町」
 きのう日本代表がブラジルと対戦したポーランド南西部のブロツワフは、自分たちの町をこう表現している。
 人口は約65万人。しかし市内に5つの大学があり、8万人もの学生が生活している。町はチェコに水源を発するオーデル川が複雑な中州を形勢する土地に位置し、市内に200を超す橋があるという。そして緑あふれる町のどこにいても、どこかの教会の尖塔(せんとう)を見ることができる。
 だがそれだけではない。ブラツワフはサッカーの町でもある。
 今夏開催された欧州選手権(EURO)の会場のひとつに選ばれ、3試合が行われた。そしてポーランド随一のパワーを誇るサポーターを擁する「シロンスク・ブロツワフ」のホームでもある。
 65年の歴史をもつシロンスクは、昨季、実に35年ぶり2回目のリーグ優勝を飾った。5月4日のリーグ最終日、アウェーのクラクフ戦。勝たなければ優勝はないシロンスクだったが、後半9分にスロベニア人MFエルスナーが決めた1点を守り1-0の勝利。スタンドの3分の1を埋めた「緑のサポーター」の喜びが爆発した。
 「その夜、ブロツワフ中心部の旧市場広場には何万人もの人が集まり、明け方までお祭りが続いたよ」
 ブロツワフでサッカーのサイトを運営するプシェメクさんは、思い起こしながら幸福そうな表情を浮かべる。
 今季、シロンスクは7節を終わって4勝1分け2敗で4位。だがその4勝は、すべてホームで挙げたものだ。
 日本対ブラジル戦で使われたスタジアムはEUROのために昨年完成したもので、収容4万2771人。市民の誇りでもある。シロンスクは8000人収容の自前のスタジアムをもっているが、昨年来ここを舞台に戦うようになり、最近の平均観客は2万人を超す。
 ブロツワフを中心とするシロンスク地方はドイツやチェコとの国境に近く、チェコ、オーストリア、プロシャ、そしてドイツと次々と支配者が変わってきた。第二次大戦後にはソ連によってドイツ領からポーランド領に編入され、住民を強制的にドイツに追い出してウクライナから入植させたという壮絶な歴史ももっている。
 だが現在のブロツワフは、ポーランド経済を担う中心都市のひとつとして、水と緑の豊かな、落ち着いたたたずまいを見せている。
 代表を追いながら、またひとつ「お気に入りの町」を見つけた。


no903_12-10-17用ブロツワフ市内49.JPG
 
(2012年10月17日)

No.902 サッカーの本質を見失うな

 PK戦で敗れて準優勝に終わったものの、男子U-16アジア選手権での日本代表は圧倒的な技術を見せ、強い印象を与えた。
 正確でタイミングの良いパス、パスを受けるための動き、相手の逆をとるワンタッチコントロール、ドリブル...。若い年代の日本の技術は世界のトップクラスと言ってよい。
 だが見ていて非常に気になる点があった。何人もの選手が「前を向かない」ことだ。
 フリーの状態で縦パスを受けても、相手ゴールに背を向けたまま自動的にバックパスをするMF。タッチライン際でボールを受けると必ず内側に向き、横や後ろにしかパスをしない左サイドバック。突破しかけているのにターンし、バックパスをしてしまうFW...。
 安易にボールを失わないことの大切さが強調されている結果かもしれない。一か八かのプレーではなく、粘り強く相手の穴を探すという試合スタイルなのかもしれない。しかしもどかしい。そのもどかしさに、日本のサッカーの問題点のひとつが表れているのではないだろうか。
 今夏最も強烈な印象を受けた試合は、オリンピック男子のスペイン対ホンジュラスだった。日本に敗れて後がなくなったスペイン。この試合も立ち上がりに失点し、絶体絶命のピンチとなった。
 猛攻に出るスペイン。ホンジュラスは強いフィジカルを生かして体当たりを連発し、小柄な選手が多いスペインを止める。だがはね返されても倒されてもスペインはひるまなかった。狭いスペースで速いパスをつなぎ、ドリブルで大きな相手を抜き、最後のホイッスルの瞬間まで相手ゴールを襲い続けた。結局追いつくことはできなかったが、スペインの選手たちは感動的なまでに勇敢だった。
 「自分のゴールを守り、相手のゴールにボールを入れる」
 それがサッカーの本質だ。そのシンプルな目的を達成するためにさまざまな技術や戦術がある。技術や戦術を強調するあまり、本質を見失っているのが現在の日本ではないか。
 「前を向かない選手」は、U-16日本代表の問題ではなく、日本の育成システムの問題のように思う。早い時期から「良いサッカー」を教えすぎることの弊害だ。その結果、サッカーというゲームの本質を体得する重要なステップがおろそかになっている。
 技術は世界のトップクラスでもサッカーでトップになれない理由、スペインとの違いはそこにある。
 
(2012年10月10日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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