66年ワールドカップ優勝のヒーロー、イングランド代表MFアラン・ボールが初めて白いサッカーシューズをはいてプレーしたのは、1970年8月のことだった。
サッカーが生まれたころ、シューズは革そのものの茶色だった。20世紀にはいって黒が主流になり、ほどなく黒ばかりになって半世紀以上が過ぎていた。そこに現れた白いシューズは、当然、大きな話題となった。
後発のサッカーシューズメーカーH社との2000ポンド(当時のレートで約173万円)の契約で白いシューズをはくことになったボール。しかしメーカーから届いた靴が気に入らず、はき慣れたA社の靴を白く塗って試合に出場したという。
だが白いサッカーシューズが一般的になるには、この後、四半世紀もの時間が必要だった。90年代半ば、デビッド・ベッカムがはいてブームになった。そして21世紀にはいると一挙に「カラー化」が進んだ。黄色、赤、紫、緑、オレンジ...。いまやピッチ上は春の野原のようだ。
シューズは、すね当てとともに選手が個々に調達するサッカー用具。しかもルール上では義務として身に着けなければならないとしか記載されていない。相手選手に危険のないものであれば、ほとんど制約はない。
「僕らはみんな違うんだ」と主張したのは、ピンクのシューズで有名になったデンマーク代表FWニクラス・ベントナー。シューズの色でその選手の性格や「願望」を推し量る研究もある。
その一方で、派手な色のシューズをはいたFWはハードタックルを受けやすいという説もある。その説を信じて黒に戻したのが、イングランド代表FWウェイン・ルーニーだ。
2年ほど前、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督は、ユース選手のシューズは黒以外認めないと宣言した。「おしゃれするのはプロになってからにせい!」ということらしい。彼に追随する指導者も少なくない。
論争はあっても、カラー化の波は止まらない。メーカーの要請に従って、シーズンごとに色を変えるスター選手も珍しくない。
5、6年前、私が監督をしている女子チームの選手の大半が白いシューズになっているのに気がついた。「靴の色よりプレーに集中しろ」とチクリとやると、間髪を入れず言い返された。
「セールになっているのが、白ばかりなんだもん!」
(2012年2月15日)
20シーズン目を迎えるJリーグ。町田ゼルビア(東京)と松本山雅(長野)がJ2に昇格し、J1と合わせると全40クラブ。全国の6割強に当たる29都道府県にJクラブが存在することになった。
20年前、Jリーグは8府県、10クラブだった。発足当時の熱狂はないが、プロサッカーはこの国に完全に根付いたと言える。
J1が18クラブ、J2が22。サッカーにおいて大きな実力差がないことは、J2同士で争った天皇杯決勝戦で証明済みだ。だがそれでもJ1とJ2で決定的に違うものがある。スタジアムだ。J2では「専用化」が進んでいないのだ。
J1では18クラブの3分の2の12クラブがサッカー(あるいは球技)専用スタジアムをホームとしている。しかしJ2では22クラブ中わずか6。27%にすぎず、残りの16スタジアムは周囲に400メートルトラックがついた「陸上競技場」なのだ。
J1のホームスタジアムの平均収容数3万3713に対しJ2では2万0630。圧倒的に小さいわけではない。しかし試合の雰囲気は決定的に違う。観客席からピッチまでの距離が大違いなのだ。
陸上競技場型だと、タッチライン側のスタンドからでも30メートルはある。ゴール裏からだと45メートルにもなる。専用スタジアムではどちらも10~15メートル程度。プレーを間近で見ることができるだけでなく、選手の足音、息づかいまで聞こえる。
雰囲気の違いは、テレビ中継で決定的になる。プレーとともに観客席のファンの反応が映し出されるのが専用スタジアム。陸上競技場での試合だと、文字どおり「間」が抜けたものになってしまう。
「74年大会で建設したスタジアムがすべて古くなってしまった。それを一新することも大会招致の目的」
06年ワールドカップのドイツ開催に向け、ベッケンバウアー招致委員会委員長はこう語った。あまりに率直な話しぶりに驚いたが、真意は理解できた。
日本と同様、スタジアムは自治体がもっているドイツ。74年「西ドイツ」大会で使用した9スタジアムのうち8つが陸上競技場型だった。だが06年大会では12のうち9つが専用型になっていた。真新しい専用スタジアムを生かして、ドイツのブンデスリーガは世界で最大の観客を集めるリーグとなった。
短期間では不可能。だがスタジアム専用化への努力こそ、Jリーグの「次の20年」に向けての重要なキーワードに違いない。
松本広域公園スタジアム
(2012年2月8日)
ワールドカップでも活躍した西村雄一主審が、Jリーグの試合前に奇妙なウォーミングアップをしているのを見たことがある。
試合前、審判員もピッチに出てアップするが、通常はハーフライン上を往復して走りながら準備する。しかし副審とともにしばらく体を温めた後、西村氏はひとりだけでチームがアップする地域にはいっていったのだ。
センターサークルあたりから斜めに左側のハーフの左コーナー付近まで行くと、中央に戻って今度は右側のハーフの左コーナー近くまで。ときにバックステップを入れ、また振り向きながら動く。試合で自分が使う「対角線」の上から、太陽の方向、スタンドの見え方などを確認していることがわかった。
「対角線式審判法」は、主審と副審が協力して試合を見るために考え出された方法だ。主審はふたつの左コーナーを結ぶ対角線上を基本に動き、副審はハーフラインから右コーナーの間を往復する。これによって、ひとつのプレーを主審と副審ではさみ込むように見ることができる。
サッカーの試合を3人の審判員で判定するようになったのは1891年のことだが、当初は副審はボールが外に出た場所を正確に示すために100メートルを超すタッチラインをフルに往復しなければならず、主審はただボールを追って動いていた。やがて2人の副審の動く範囲はハーフラインまでとなり、主審の動きも整理されていく。
それを1930年代に「対角線式審判法」として整理し、確立したのが、スタンリー・ラウス(1895―1986)だった。審判引退後にイングランド協会の専務理事、国際サッカー連盟=FIFAの会長(62―74)を歴任した人だ。
対角線式審判法は30年代の終わりにはイングランドで主流となり、10年ほどで世界中に広まり、定着した。
といっても、主審は杓子定規に直線上を走るわけではない。プレーを常に片方の副審と両側からはさみ込めるよう、外側にふくらみながら動く。平たいS字型を描く動きだ。
対角線を変えることもある。副審が走る場所の芝生保護のためだ。かつてイングランドでは、クラブの要請で前後半で対角線を変えていたという。
対角線式審判法は、主審と副審の計4つの目で、しかも別方向からプレーを見て、より正確な判定を下すためのシステム。その合理性は、70年の歳月を生き抜いたという事実が十分証明している。
(2012年2月1日)
「最後の最後に1点を決めて、ゾウがワニに1−0で勝った。いちどは追いついたウマだったけれど、結局はレイヨウに1−2で逃げ切られたよ」
動物園の運動会ではない。21日に開幕したアフリカネーションズカップの話だ。
アフリカでは各国代表に愛称がある。ゾウはコートジボワール、ワニはスーダン、ウマはブルキナファソ、そしてレイヨウ(羚羊)はアンゴラだ。ファンは好んでそれを使う。
動物王国アフリカ。ずらりと動物名が並ぶなか、「ヒト」もある。カダフィの独裁体制が崩壊したリビアはそれまで「緑」だった代表の愛称を「地中海の騎士」と変えた。
さて、1957年に始まったネーションズカップは今大会で第28回になった。欧州もアジアも地域連盟の選手権は4年にいちどだが、アフリカでは2年ごとに開催されている。
16チームが出場し、2月12日に決勝戦が行われる今大会は、「新時代の開幕」と言われている。過去に優勝歴をもつ強豪が、予選で次々と敗退したからだ。最多の優勝7回を誇るファラオ(王様)=エジプトが予選G組で1勝しか挙げられず最下位に終わったのは、昨年の民主革命の影響だったのだろうか。
エジプトだけではない。優勝4回のカメルーン、2回のナイジェリア、1回のアルジェリア、南アフリカといった強豪国が予選落ちし、過去の27大会で優勝経験をもつ13カ国のうち8カ国が決勝大会に出られなかった。
代わって初出場を果たしたのは、予選を勝ち抜いたニジェールとボツワナ、そして共同開催国のひとつ赤道ギニアである。
予選免除で初出場という、あまり名誉ではない形になった赤道ギニアだったが、開幕戦に登場し、ポルトガルのクラブでプレーするMFバルボアの得点でリビアに1−0の歴史的勝利を収めた。
赤道ギニアはギニア湾に浮かぶビオコ島と大陸部からなる人口70万の小さな国。首都マラボはビオコ島北部にある港湾都市で、18世紀には奴隷貿易の中継港だった。共同開催するガボンは赤道ギニアの大陸部の南に広がる人口147万人の国。首都リーブルビルに人口の半数が集まる。
興味深いことに「赤道ギニア」には赤道は通っておらず、ガボンが赤道直下にある。両国とも石油を産出し、経済状況は良い。
「変わりゆくアフリカ」の姿がこの大会にある。もちろんサッカーもレベルが高く、興味尽きないアフリカネーションズカップだ。
(2012年1月25日)
英国レスター市に住むエディー・カークランド氏が思いがけなく1万ポンド(当時のレートで約215万円)を手にしたのは、06年8月17日のことだった。
前夜、彼の息子でプレミアリーグのウィガンでプレーするゴールキーパー(GK)のクリスがイングランド代表にデビューした。その15年ほど前、エディーは公認の賭け業者を相手に「息子がイングランド代表になる」ことに100ポンドを賭けていたのだ。賭け率は「100対1」。1万ポンドは払い戻し金だった。
身長191センチの大型GKのクリス。だが現代サッカーでは、大きいだけではイングランド代表はおろかプロになることもできない。
国際サッカー連盟(FIFA)がワールドカップなどトップクラスの43試合でのGKのプレーを精査したところ、全3150プレーの3分の2に当たる2081プレーが足によるものだった(『FIFA WORLD』1・2月号)。
「華麗なセーブ」ばかりがクローズアップされるGKだが、相手のシュートを止めるときにも、正面にくるボールを立ったままキャッチするか、弱いシュートを拾い上げるプレーが圧倒的に多い。ファンの記憶に残るのはジャンプしてのセーブだが、平均すると1試合で1回ないし2回ある程度なのだ。
今日のサッカーでは味方からパスを受けるプレーがどんどん増えている。DFからのバックパスを大きくクリアするプレーではない。パスを受けて逆サイドに展開するなど攻撃への関与の要求が、チームのレベルが高くなればなるほど高くなっているのだ。
シュートを防ぎ、クロスをカットし、味方への指示などの守備のプレーだけでなく、パスを受けてゲームを組み立てる攻撃の能力も要求されるのが今日のGKだ。当然、フィールドプレーヤーと変わらない足でのプレー能力(ストップ、キック)が必要となる。
Jリーグでもその傾向は明らか。日本代表の西川周作(広島)を筆頭に、攻撃力に特徴をもつGKが増えてきた。横浜で09年の半ばからレギュラーとなった飯倉大樹、プロ9シーズン目の昨年、Jリーグでようやく初出場したと思ったらそのままポジションをつかんでしまった浦和の加藤順大らの足でのプレーは、見応え十分だ。
息子クリスの「代表入り」に大枚100ポンドを賭けたエディーも、翌日から、「足もとのプレーも磨いておかなければだめだぞ」と尻をたたいたに違いない。
(2012年1月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。