先月からずっと「女子サッカーの話をしよう」状態だったが、この際、もう1テーマだけ書いておきたい。男女平等の話だ。
サッカーは、ずっと「男のスポーツ」と考えられてきた。もう27年間も女子サッカーチームの監督をしている私自身、実際に女子の試合を見るまでは女性には向かない競技と思っていたのだ。
1960年代に日本サッカー界の「長老」と呼ばれる人びとの間で「女子サッカー推奨論」が叫ばれたことがあった。だがそれは男子サッカーの普及のためだった。「女性はやがて母親になる。母親がサッカー好きなら息子もサッカーをするだろう」という論理だ。
笑ってはいけない。なでしこジャパンの快挙を見てなお、そういうことを言う人びとが絶えないのである。
サッカーに夢中になるのは、サッカーが楽しいからだ。その楽しさは、男でも女でも変わりはない。
ところが現在の日本では、サッカーが好きになった少女たちがその思いを実現できる可能性は実に小さい。小学生なら少女チームもあるし、男の子のチームにまざってプレーすることもできる。しかし「女子サッカー部」のある中学校などほとんどないからだ。
学校側からすれば、新しい運動部をつくるには顧問の先生だけでなくグラウンドも必要だ。広くない校庭を野球部とサッカー部とテニス部で使っている状況では、どう逆立ちしても女子サッカー部など無理―となる。
いまでは中体連主催の大会には女子選手も出場できることになっている。だが男女の体格差が顕著になる中学生年代でいっしょにプレーさせるのはけっして「平等」ではない。
男子サッカー部だけがあって女子サッカー部がない状態は、「サッカーを楽しむ」という点に関して男女平等が実現されていないことになる。義務教育の場である中学校で、日本国憲法第14条「法の下の平等」が守られていないのだ。
サッカーに限った話ではない。野球では、少女たちが夢をかなえるのはサッカー以上に困難なのではないか。
中学校に「女子サッカー部」や「女子野球部」をつくるのが簡単ではないのは理解できる。しかし「無理」で止めてしまうのではなく、なんとか少女たちの思いに応えようという努力や工夫を惜しまないでほしい。
サッカーでも野球でも、好きになった競技にかける夢には、男女の違いなどまったくないからだ。
(2011年8月17日)
「澤(穂希)さんのようになりたい」
日本中の「なでしこ少女」たちが夢をふくらませている。試合前に花束を贈ったのは、全員、澤のように髪を「ポニーテール」に結んだ小学生低学年の女の子たちだった。
7月17日に行われた女子ワールドカップの決勝戦、日本の先発11人で長髪だったのは、澤とDFの鮫島彩のふたりだけ。一方アメリカは、GKソロを筆頭に8人が長髪をポニーテールに結んでいた。
ポニーテールはアメリカでは「サッカー少女」の代名詞だ。女の子たちに最も人気があるサッカー。数百万人にものぼると言われるプレーヤーの多くがポニーテール姿なのだ。
日本では、小学生はともかく、中学生以上になると女子サッカー選手の圧倒的多数が短髪になる。競技イメージを上げるため「短髪よりポニーテールがいい」と意見が出たこともあったが、まったく変化はなかった。
髪の長さは個性や好みの問題であり、長くしようと短くしようとまったくの自由だ。流行もある。技術・戦術や体力が、髪の長さで変わるわけでもない。だが私には、日本の女子サッカー、いや日本の女性のスポーツ全般がかかえる問題の一端が、髪の長さに表れているのではないかと思えてならない。
選手と指導者、そして場所さえあればスポーツには十分--。それが従来の日本のスポーツ行政の考えだった。
だが女子のスポーツには清潔で安全な更衣室が必要だ。そしてただ着替えられるだけでなく、シャワーもほしい。夏期に大汗をかいたあとで髪も洗わずに電車に乗るのがいやで短髪にしている女子スポーツ選手が少なくないのではないか。
いざとなれば男子は外で着替えることもできる。髪も、中高生なら「スポーツ刈り」のように短くして、水道で洗えるだろう。しかしどちらも、女子では不可能だ。
なでしこジャパンの多くが短髪だった背景のひとつに、日本のスポーツ施設の劣悪さ、それを生んだスポーツ文化の貧困、そして女性がスポーツに取り組むことへの無神経なまでの理解のなさがあると、私は思う。
サッカー少女が何百万人いてもみんな芝生のグラウンドでプレーでき、その後にはシャワーを浴びて帰宅できるアメリカ。土のグラウンドでプレーし、トイレで着替え、シャワーも浴びずに電車に乗らなければならない日本。その違いが、「ポニーテールと短髪」に象徴されているように思えてならないのだ。
(2011年8月10日)
「なでしこフィーバー」が止まらない。
今週日曜、なでしこリーグのINAC神戸対岡山湯郷の一戦にはなんと2万1236人もの観客が集まった。
この週末に行われたJリーグ全19試合でこの数字を上回ったのはC大阪対鹿島(2万8039人)だけ。ことし女子ワールドカップの32試合に総計85万人を集めたドイツ。その女子ブンデスリーガでトップのフランクフルトでさえ、昨シーズンのホームゲーム11試合の総計で2万0951人。INAC神戸対岡山湯郷に及ばない。「2万人」がどれだけすごい数字かわかる。
ただしこの試合は入場無料。入場料収入はゼロである。有料試合にするとスタジアム使用料が急騰するため、なでしこリーグでは総試合の3分の2ほどが入場無料となっている。これでは選手たちがサッカーで生計を立てる(プロになる)ことなどできない。
もちろんプロと言っても実情はさまざま。1999年のスコットランド・リーグカップ1回戦では、入場者なんと69人という試合もあった。女子サッカーではない。ホームチームは2部ながられっきとしたプロだった。
ホームチームはクライドバンク。役員は「帆船レースのスタート日と重なったから」と弁明したが、実はサポーターの組織的ボイコットが原因だった。
数年前にオーナーがスタジアムを売却、以後隣町で試合をしていたのだが、その契約が切れ、こんどは20キロも離れたグリーノックという町のスタジアムを借りることになった。それへの反発だった。
だがプロはプロ。入場料ひとり10ポンド(当時のレートで約1900円)。69人から得られたのはわずか13万円あまりだったが、それでも貴重な収入だった。
これまでのなでしこリーグの観客数は1試合平均数で千人に満たなかったという。だからと言って入場無料ではチームもリーグも成長しない。入場料を払ってもらうことで、リーグもチームもそして選手たちも、これまで以上の責任を負うことになる。その責任感が成長の原動力となる。
そのためには競技場を所有する自治体などの課金制度の改善が不可欠だ。安心して有料試合にできる使用料にする必要がある。なでしこジャパンに関心が集まっているいまこそ、そうした働きかけの好機ではないか。
世界の例を見ても、女子サッカーが簡単にプロになれるとは思えない。だが有料にすることで得られる資金は、競技環境改善の後押しになるはずだ。
(2011年8月3日)
森孝慈さん(享年67歳)は、日本サッカーの「巨星」だった。
1943年11月24日広島県福山市生まれ。修道高、早大、そして三菱重工(現在の浦和レッズ)を通じてMFとして活躍、68年のメキシコ五輪で銅メダル獲得に貢献した。
サッカー選手としての才能は、卓越した状況判断と攻守両面でチームを導く能力にあった。ていねいなパスでFWを自在に操るプレーは当時の日本サッカーリーグの華だった。
引退後は指導者となり、81年から85年まで日本代表を指揮。ワールドカップ初出場にあと一歩まで迫り、満員の国立競技場で繰り広げた韓国との死闘は、日本サッカー史の不滅の伝説だ。
後には浦和レッズ誕生の中心的人物になるとともに初代監督に就任。その初年度、92年には、当時世界で類を見なかった「ゾーンの3バック」に基づく3−4−3システムで熱気あふれる攻撃的サッカーをつくり出した。
「プロなら、ファンがもういちど見にきたいと思うような試合をしなければならない」の信念が、日本中の人びとの心をわしづかみにし、翌年のJリーグブームにつながった。もっとも、あまりに攻撃的だった浦和は、翌年、ひどいしっぺ返しを食らうのだが...。
Jリーグの成功に、森さんほど心を砕いていた人はいない。日本サッカーのプロ化は、森さんの人生をかけたテーマだったからだ。
85年、森さんはDF加藤久、MF木村和司を中心とする素晴らしい日本代表を完成させた。だがワールドカップ出場をかけた最終予選では、すでにプロ化していた韓国に力の差を見せつけられた。
「プロにするしかない」。それが森さんの結論だった。代表選手たちにもそう説いた。
だが森さん自身が三菱重工から日本サッカー協会への出向。生活を保証された「サラリーマン」の身分では、その言葉に説得力はない。だから協会に「自分をプロ監督にしてほしい」と要求した。
要求は受け入れられず、森さんはすっぱりと代表監督を辞任した。だがその石のような信念がやがて多くの人を動かし、Jリーグ誕生へとつながる。
どんな人に対しても飾らず、太陽のように周囲を明るくする人柄を、そして何よりも困難に直面したときに発揮された男らしさとリーダーシップを、愛さない人はいなかった。
なでしこジャパンが「世界一」になる7月17日の早朝、巨大な星が静かに流れた。
合掌。
(2011年7月27日)
「女子サッカーは美しい」。つくづくそう感じさせられた女子ワールドカップだった。
日本女子代表(なでしこジャパン)が優勝したからではない。決勝戦終了後、日本の選手たちを笑顔で祝福したアメリカのエース・ワンバクなど、3週間にわたってドイツで繰り広げられた祭典は、サッカーの本当の美しさを示すものだった。
年俸数億円という選手も珍しくない男子のワールドカップ。「ビッグビジネス」の色が濃い大会と比較してとくに素晴らしいと感じるのは、選手たちの思いの純粋さだ。自らの野望のためではない。ひたすらチームの勝利のために戦う姿は、チームの別なく心を打つものだった。
なかでも気持ちが良かったのは、得点後の大げさなパフォーマンスがほとんど見られなかったことだ。スウェーデンが得点後に集まってダンスしている姿は見たが、他のチームでは、得点者はただ両手を挙げて喜び、チームメートのところに走っていって抱きつくという形がほとんど。そしてそれが済むと、今度はベンチのところまで走っていってサブの選手たちと抱き合う。
今大会の6試合でなでしこジャパンは合計12のゴールを記録した。そのすべてが、こうしたシーンだった。そこにあったのは、笑顔と抱擁だけだった。
サッカーのゴールは例外なく美しい。それは弾丸シュートであろうとコロコロとはいったゴールであろうと、相手の選手が決めてくれたオウンゴールであろうと、チーム全員の努力が結実したものだからだ。
いま世界で大はやりの得点後の大げさなパフォーマンスは、サッカーで最も美しいゴールの感動を他のものにすり替えてしまう愚行と言っても過言ではない。せっかく力を合わせて世にも美しいゴールを決めたのに、サッカーとは無関係な行為でその感動を忘れさせてしまうのは、本当にもったいない。
女子ワールドカップでは、選手たちは純粋にサッカーを楽しみ、チームの勝利のためにプレーしていた。だからそうした愚行とは無縁だったのだ。
スピードやパワーだけでなく、技術や判断力、駆け引きなどの面でも、男女のワールドカップを比較すると、レベルはいまも大きく違う。しかし女子のワールドカップには、純粋なサッカーの喜びと、チームに対する無私の忠誠があった。それこそ、「女子サッカーは美しい」と思わせる要因だったのだろう。
(2011年7月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。