残念ながらスタジアムで見ることはできなかったが、結果を知った後に見たハイライト番組でも、そのゴールシーンには胸が熱くなった。Jリーグ再開初節、川崎×仙台の後半42分、仙台のDF鎌田次郎の決勝点だ。
強豪川崎とのアウェーゲーム。苦しい試合でも仙台は最後まであきらめなかった。そして終盤の得点で逆転勝利。その戦いは、大震災で苦しむ東北の人びとに大きな喜びをもたらしたに違いない。
3月に大阪で行われたチャリティーマッチでは、カズ(三浦知良)が日本中を沸騰させるようなゴールを決めた。仙台の逆転勝利も、まるでドラマのようだった。だが対戦相手のいるスポーツでは「思い」が必ずしもそのまま「結果」につながるわけではない。
同じ日、私は国立競技場で鹿島×横浜を見た。鹿島も地元が大きな被害を受けてカシマスタジアムはまだ使用できず、ホームゲームを国立競技場で開催しなければならない状況にある。バスを連ねて東京まで応援に来てくれたサポーターに、選手たちは何が何でも勝利をプレゼントしたかったに違いない。
ところが鹿島はまったく動きが悪く、横浜の術中にはまって0-3の完敗。試合後、サポーター席からはブーイングも飛んだ。
「この状況下、鹿島は見る人に勇気を与える試合を期待されていると思う。しかし残念ながらきょうのプレーからそうしたものは感じられなかった。それが表現されなかったのは何が原因か」
試合後の監督記者会見では、そんな質問も出た。真摯(しんし)な問い掛けだった。
ベンチ入り停止のオリヴェイラ監督に代わって鹿島の指揮を執ったのは、奥野僚右コーチ(42)。彼の応えもまた、真摯だった。
「非常に難しいご質問です。当然、選手たちはそういうプレーをしたいという気持ちで試合にはいっているのですが、気負いや硬さが出てしまい、最後まで自分たちのリズムが出なかったという印象があります」
「うまくいかないこと」と「やる気がないこと」はイコールではない。やる気はあふれているのにいい結果が出ない。誰よりも落胆し、歯がゆく思っているのは、鹿島の選手たちのはずだ。
燃えるような闘志と冷静な判断、そのバランスが必要なのがサッカーだ。鹿島のような熟練の勝負師たちからさえ、バランスを奪ってしまった大天災。そのつめ跡の深さを、あらためて思う。
(2011年4月27日)
「元どおりの生活を取り戻したい」
いま、東北地方や関東地方の数え切れない町や村で、どれほど多くの人がその思いを抱き続けていることか。
過分な夢ではない。人間としてごく当然の思いにすぎない。それを約束し、安心させることこそ、政治の役割だと思うのだが...。
約50日間の中断を経て、今週末にJリーグが再開される。3月に第1節を消化しただけで中断されたのだから「第二の開幕」と言うことができる。だがその日が近づくにつれ、「2011シーズンを再開するというだけではだめだ」という思いが強くなってきた。
Jリーグは1993年に誕生し、以後18シーズン、スタジアムに延べ1億を超す人を集めてきた。この10年間は各クラブのホームタウンでの活動も充実し、クラブは地域の誇りとなり、楽しみや喜びをもたらしてきた。
だが未曾有の大震災を経たいま、Jリーグとそのクラブには、さらに大きな役割があるのではないか―。もちろんホームタウンとの絆はさらに密にしなければならない。だが同時に、日本を代表するプロサッカーリーグとして、広く日本全国の人びとに喜びをもたらす存在にならなければならないはずだ。
そのために何が必要か、答えは18年前のJリーグ自体にある。
93年、日本中がJリーグに熱狂した。多分にメディアがつくったブームの要素はあったが、見た人の心をとらえたのは、Jリーグのピッチから異様と思えるほどの熱気が伝わってきたからに違いない。技術・戦術は未熟でも、この年、あらゆる選手が例外なく90分間に自らのエネルギーを燃やし尽くすプレーを見せていた。
「第二の開幕」。それは2011シーズンのことではない。これまでの18シーズンとはいったん区切りをつけ、新しいJリーグを創設する意気込みと覚悟をもったものであってほしいのだ。
3月11日を境に変わってしまった国。前に進み、被災した人びとが「元どおり」の生活を取り戻すためには、日本という国が以前と同じ歩みを進めていたのでは間に合わない。政治があてにならないのなら、一人ひとりの国民がより強くより良い人間になることで、日本をより豊かな社会にするしかない。
Jリーグも例外ではない。全選手が強い責任感をもち、豊かな社会づくりへの役割を自覚して、「第二の開幕」に臨んでほしいと強く思うのだ。
(2011年4月20日)
「クラシック」とカタカナで書くと、「古い」というニュアンスを感じる。だが西欧の言語では「最高級」というイメージのほうが強いという。
スペイン・サッカーの「エル・クラシコ」、レアル・マドリードとFCバルセロナの対戦は、文字どおり最高クラスの対決だ。
国内リーグ31回、欧州チャンピオンズリーグ9回。ともに最多優勝を誇るレアル。最近タイトルから遠ざかっているが、クリスティアノ・ロナルド(ポルトガル代表)など世界的な名手を並べ、巻き返しを図っている。
バルセロナはいま世界の最高峰のクラブ。昨年のワールドカップで優勝したスペイン代表の中核にメッシ(アルゼンチン代表)の天才を加えた攻撃の鋭さは注目の的だ。
国内リーグでは毎シーズン2回の対戦がある。今季最初の「クラシコ」は昨年11月に行われ、ホームのバルセロナが夢のようなプレーを見せて5-0で大勝。そのリターンマッチが、今週土曜日、16日に行われる。首位と2位の対戦。レアルが逆転優勝するにはここで勝つしかない。
1899年にバルセロナ創立。少し遅れて1902年にレアルが誕生すると、その年に始まったスペイン国王杯準決勝でさっそく対戦、「3年の長」のあるバルセロナが3-1で勝った。以来公式戦だけで200を越し、成績はほぼ互角だ。
独自の言語をもち、20世紀初頭から独立運動が絶えないカタルーニャ地方のシンボルであるバルセロナ。一方レアルは20世紀半ばに長期間独裁政権を敷いたフランコ総統に愛されたクラブ。スペイン・ナショナリズムの象徴でもある。互いの背景から「クラシコはスペイン内戦(1936~39)の再現」と表現する人までいる。
スペイン人にはそれぞれに地元のひいきクラブがある。だが「クラシコ」はまったく別もの。ある調査によればスペイン国民の32%がレアルのファンで、25%がバルセロナを応援しているという。
いまスペインの人びとが、日本人が桜の満開を待つかのように落ち着かないのは、この「クラシコ」が短期間に2回、いや、多分4回も実現するからだ。
土曜日のリーグ戦に続き、来週水曜日(20日)には「国王杯」の決勝戦で再び相まみえる。そしてその翌週と翌々週にはチャンピオンズリーグ準決勝での対戦も決定的だ。
歴史と伝統、そしてプライドと意地が激突する「クラシコ」。スペイン人でなくても血が騒ぐ。
(2011年4月13日)
きょうは、「不屈の精神」をもったあるチームの話をしたい。
アフリカ南部にザンビアという内陸の国がある。世界でも有数の銅の産出国として知られ、64年10月、東京五輪の会期中にイギリスから独立した。
この国のサッカーが注目を集めたのは88年のソウル五輪。優勝候補のイタリアを、なんと4-0の大差で撃破したのだ。3得点を記録したカルーシャ・ブワルヤを中心にした若いチームは、当時約700万人のザンビア国民の希望の星だった。
94年ワールドカップのアフリカ予選、ザンビアは1次予選で圧勝し、モロッコ、セネガルとの最終予選に挑むことになった。初戦は93年5月2日、セネガルとのアウェー戦。その1週間前にアフリカ選手権予選をモーリシャスで戦ったザンビア代表は、帰国はせず、そのままセネガルに転戦することにした。
インド洋に浮かぶモーリシャスからアフリカ最西端のセネガルまで約9000キロ。ザンビア協会がチャーターした旧式の空軍プロペラ機は、給油のため途中のガボンに立ち寄った。そして離陸の数分後、連絡が途絶えた。18人の選手を含む30人の乗員乗客が、帰らぬ人となったのだ。
国民的な悲しみのなか、小さな慰めは、カルーシャを含む数人の選手がワールドカップ予選だけに出場することになっており、事故機に搭乗していなかったことだった。ザンビア協会は彼らを中心に新しい代表を組織し、ワールドカップ予選を継続することにした。
世界中から援助の手が差し伸べられた。デンマーク、オランダ、フランスなどの協会が合宿所を提供し、スコットランド人のイアン・ポーターフィールドが自ら新監督になることを申し出た。
7月4日、強豪モロッコとのホームゲームで最終予選をスタート。1点を先制されたが、カルーシャのFKで追いつき、2-1の逆転勝ちを収めた。そしてセネガルとの対戦を1勝1分けで乗り切ると、10月10日、ワールドカップ初出場をかけてモロッコのカサブランカに乗り込んだ。
引き分ければ出場権獲得という試合。だが後半立ち上がりに先制点を許す。その後、ザンビアは全身全霊をかけて反撃に出た。シュートがポストを叩き、バーを越した。そして90分が過ぎた。
ザンビアの夢はかなわなかった。しかし大きな悲劇を乗り越えた不屈の精神は、世界中に感銘を与えた。そして国民は、ワールドカップ出場にもまさる誇りを感じたのだった。
(2011年4月6日)
「力になりたい」
誰もが口をそろえてそう話した。
「被災に苦しむ人びとを元気づけたい」
「そのため」の試合が、昨夜、大阪で行われた。東北地方太平洋岸地震復興支援チャリティーマッチ。ザッケローニ監督率いる日本代表とストイコビッチ監督が指揮をとるJリーグ選抜(チームアズワン)の対戦だった。
2004年にも同様の試合があった。同年10月23日に発生した新潟県中越地震の被災者を励ますために、12月4日に新潟のビッグスワンで開催された試合だ。当時日本代表監督だったジーコが代表の功労者を中心に「ジーコ・ジャパン・ドリームチーム」を選び、地元のアルビレックス新潟と対戦した。
試合はすばらしかった。両チームとも懸命に攻守を繰り返し、得点こそ生まれなかったが、ともに果敢にシュートを放ち、GKも好セーブを連発してスタンドを沸かせた。
しかし、試合を見ながら、私は奇妙な感覚を味わっていた。
「元気」を与えられているのは、いったいどちらだろう―。
選手たちは、スタンドを埋めた「被災者」の声援に引っぱられるように好プレーを見せた。テレビのこちら側の私まで、新潟の人びとから力を与えられ、元気づけられるのを強く感じた。
今回の大震災でも、互いに助け合い、励まし合い、前向きに生きて行こうという被災地の人びとのことが毎日のように伝えられている。文字どおり命ひとつで凶暴な津波から逃れたお年寄りが、東京に住む息子一家に向かって「不便なこともあるだろうが、体に気をつけてがんばれ」と気づかう言葉も聞いた。
人間の気高さというものを、あらためて思う。もし自分自身が同じ立場になったら、あんな態度で生きられるだろうか。自分のことより他を気づかうことができるだろうか。
昨夜も、日本代表とJリーグ選抜の選手たちは魂のこもった試合を見せてくれた。それは有形無形に被災地復興の一助になるに違いない。しかし同時に、選手たちの力が被災地の人びとの勇気ある姿から与えられたものであることも、忘れてはならないと思う。
世界では、日本という国自体が破壊されたのではという懸念が広がっている。幸い、昨夜の試合は、世界の各地で生中継されたという。選手たちの真摯(しんし)な姿勢は、被災地の人びとの勇敢な生きざまを世界に伝え、逆に世界に元気を与えたに違いない。
(2011年3月30日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。