「敷地が200平米もあるんだ」
友人が郊外に家を建てることを考えていると言う。なかなかの豪邸らしい。だが、「ペナルティーエリアの3分の1ぐらいの広さだな」と言うと、露骨に嫌な顔をされた。
攻撃側がそこにボールを運ぶのは簡単ではない。だがペナルティーエリアは意外に大きい。奥行き16・5メートル、幅40・32メートル。広さは665・28平方メートル、約201坪。こんなに広い敷地をもった豪邸はそう多くはない。
ピッチの両端にペナルティーエリアが描かれ、ゴールキーパー(GK)が手を使える範囲がその中に限定されるというルール改正が1902年。以来百余年、GKたちはひとりでこの豪邸を守る仕事を任されてきた。本当なら猛犬の3頭もほしいところだが...。
だが現代のGKの難しさは、守るべき範囲の広さだけではない。11人目のフィールドプレーヤーとして、味方からパスを受け、適切に攻撃を展開する能力が、ますます必要とされているのだ。
10月に行われる2つの親善試合に選ばれた日本代表GKは、川島永嗣(リールセ)、西川周作(広島)、権田修一(FC東京)の3人。川島27歳、西川24歳、そして権田21歳という若いトリオだ。西川と権田は、ともに1試合しか日本代表での出場経験がない。
ことしのワールドカップの直前に川島が楢崎誠剛(名古屋)に代わってレギュラーになるまで、日本代表のGKは、13年間の長きにわたって川口能活(磐田)と楢崎の2人で9割以上の試合を戦ってきた。楢崎の「日本代表引退宣言」により、代表GKの座は混沌(こんとん)としていると言ってよい。
ワールドカップで全4試合に出場して自信をつけ、いまはベルギー・リーグで活躍する川島が軸になるとしても、彼が故障や代表に参加できないときに誰がゴールに立つのか、できるだけ早く確立する必要がある。
GKにどんな資質を求めるかは監督によって違う。しかし現在のルールを考えればゴールライン上で守るだけのGKでは足りないのは明白だ。ザッケローニ監督が西川と権田に目をつけたのは、ペナルティーエリア全域をカバーするスタイルと攻撃につなげる能力を考えてに違いない。
北京オリンピックで全試合に出場した西川か、将来性豊かな権田か、それとも今回招集されなかった他の誰かか―。新監督が「豪邸の番人」をどう見極めるのか、注目したい。
(2010年10月6日)
示されたロスタイムの5分間はとっくに過ぎていた。スコアは1-1。アマチュアのリヒテンシュタインを相手に、古豪スコットランドは苦しんでいた。
右からのFKもクリアされる。だが左CKだ。急いでコーナーに走っていくDFロブソン。その左足から送られたボールが、走り込んだDFマクマナスの頭にぴたりと合い、ゴールの右隅に吸い込まれていった。
最悪の結果を覚悟していたレベイン監督だったが、その瞬間、跳び上がり、隣にいたコーチと抱き合って、思わずかけていたメガネを落とした。足元に落ちたメガネを拾いながら、彼の脳裏をひとつの言葉がよぎった。
「WE STAND TOGETHER(いっしょに立ち向かおう)」
ワールドカップをはじめとした主要大会に21世紀になってから出場できていないスコットランド。この9月、12年ヨーロッパ選手権の予選が開幕するのを前にキャンペーンを始めた。協会だけでなく、ファンやメディアも力を合わせて目標を達成しようという思いを込めたのが、右のスローガンだった。
奇しくも同じ時期、ベルギーでもよく似た趣旨のキャンペーンが発表された。こちらのスローガンは「みんながチームの一員(WE ARE ALL PART OF THE TEAM)」。言葉は別でも、意図するところは驚くほど共通していた。
南アフリカで開催されたワールドカップを見た人であれば、多くの試合で勝負を分けた要因が「団結」の力の差だったことを感じ取ったはずだ。日本の好成績はまさにその力だったし、南米勢がベスト8に4チームも残ったのも、全員がチームの勝利だけを考えてプレーした結果だった。
技術でも戦術でも、まして選手の名声や所属クラブの格でもない。心からひとつにまとまることができれば何かを成し遂げることができるという事実は、多くの人や国に勇気を与えたに違いない。
スコットランドやベルギーはそのほんの一部に過ぎない。アフリカはもちろん、アジアでも多くの国で4年後のワールドカップを目指した「チーム一丸」の取り組みが始まっているはずだ。南アフリカ大会はもう歴史のひとコマに過ぎない。日本も遅れをとることは許されない。
「97分」の劇的な決勝ゴールで勝ち点3を得たスコットランドは、ヨーロッパ選手権2012を目指す予選第9組で首位に立った。
(2010年9月29日)
今月、最も強い衝撃を受けたのは、日本代表でもチャンピオンズリーグでもなかった。カリブ海の島国で開催中の世界大会でのU-17日本女子代表の試合ぶりだった。
トリニダードトバゴで9月5日に開幕したFIFA U-17女子ワールドカップ。日本はグループリーグ初戦でスペインに1-4の完敗を喫したが、その後ベネズエラとニュージーランドに連続して6-0の大勝。2位で決勝トーナメントに進んだ。そして準々決勝ではアイルランドに2-1で競り勝った。
同じアジアの北朝鮮を相手にした準決勝は日本時間できょう22日の午前8時キックオフ。本稿締め切り時点では結果はわからない。だが結果はどうあれ、今大会の「リトルなでしこ」のプレーが日本サッカーの未来に与える示唆は重要だ。
U-17日本女子代表は2年前のニュージーランド大会でもセンセーションとなり、FW岩渕真奈が大会MVPに選ばれた。しかし今回はチーム全体がさらにレベルアップし、破壊力を増した。
チーム全員での攻撃と守備、切り替えの速さ、コンビネーションと助け合いは、日本サッカーの定番。それに加え、今回は個々の圧倒的なキープ力と「つなぎのドリブル」というこれまでにない武器をもっている。
たとえ2人、3人の相手に囲まれてもあわてず、なんとか切り抜ける技術。そして何よりも、自分の前にスペースがあれば果敢にそこにはいっていくドリブルが圧巻だ。パス、パスではなく、間に短いドリブルがはいるから、相手の守備は引きつけられ、周囲の味方がフリーになり、次のパスが効果的になる。
次々と強烈なシュートを叩き込んでいるFW横山久美の活躍も、こうして執拗(しつよう)なドリブルとパスで相手の守備のバランスを崩した結果、生まれたものだった。
集団での攻守とパスワークは日本が世界と戦うときの重要な要素だった。しかしことしのワールドカップ南アフリカ大会では、多くの国がそれをベースとし、その上にそれぞれの国の特徴を打ち出していた。では今後、日本はどんな特徴で勝負しようというのか。
その大きなヒントが今回の「U-17女子」にあるように思う。ドリブルで攻め崩すということではない。局面を打開し、相手を引きつけるドリブルを有効に使える選手をそろえることで、積み上げてきた「日本のサッカー」が一挙に花開くのではないだろうか。
(2010年9月22日)
新監督も決まり、ワールドカップ後の活動を2連勝でスタートした日本代表。次回のワールドカップ(14年ブラジル大会)を目指すアジア予選は来年9月に始まるが、その前に重要な大会がある。アジア王者を決めるアジアカップ決勝大会だ。
4年にいちど、現在ではワールドカップの翌年に行われているアジアカップ。来年は1月に中東のカタールで開催される。
前回、07年に東南アジア4カ国の共同開催で行われた大会で、イビチャ・オシム率いる日本代表は圧倒的な力を見せたが、準決勝でサウジアラビアに敗れて4位にとどまった。今回はそれを上回り、4回目の優勝を目指したいところだ。
1956年に第1回大会が行われたアジアカップ。日本は68年大会で初めて予選に出場し、20年後の88年にようやく決勝大会初出場を果たした。だが1分け3敗、得点0失点6という惨敗。強豪国のナショナルチームが集まる大会に、いろいろな事情で大学生中心のチームを送らなければならなかったからだ。
初めて本格的に力を入れて参加したのは92年広島大会。3連覇を目指すサウジアラビアを下して初優勝を飾ると、2000年レバノン大会、04年中国大会も制覇し、イランとサウジアラビアに並んで優勝3回となった。
さて来年の決勝大会は日本の大学選抜が惨敗を喫した88年大会以来23年ぶりのカタールでの開催。16チームが参加し、1月7日に開幕、29日に決勝戦という日程だ。日本はB組にはいり、ヨルダン、シリア、そしてサウジアラビアと対戦する。
ヨルダンは04年大会の準々決勝で対戦し、1-1からGK川口能活のスーパーセーブ連発で奇跡のPK戦勝利を得た相手。FIFAランキング98位とはいえ、甘く見ることはできない。シリアもアジアの舞台ではクラブの活躍が目立っている。
だが最大の難関は何と言ってもサウジアラビアだろう。5大会連続のワールドカップ出場を逃して以来、ポルトガル人のペセイロ監督が大幅に若返りを断行、ことし5月にはスペインに2-3という奮戦を見せた。
1月のドーハは最高気温が20度に達せず、試合が行われる夕刻から夜にかけては10度を切るという。ヨーロッパのクラブに所属する選手を呼ぶことができるか、シーズン終了直後でコンディションはどうか、いくつも心配はあるが、同時に、ザッケローニ監督がどんな手腕を見せるか、楽しみも大きい。
(2010年9月15日)
きょう9月8日は旧暦では8月1日。古い言葉で「八朔(はっさく)」という。早生のイネが実り始める時期にあたり、米作を生活の基本とする日本社会では古来いろいろな行事が行われてきた。
また八朔は、豊臣秀吉から関東地方を与えられた徳川家康が1万人の軍団を率いて江戸に入城した日(1590年)としても知られている。その日の江戸は、秋の長雨にたたられ、肌寒い日だったと言われている。
ところがどうだろう。それから420年後の八朔は、凶暴なまでの暑さのさなか。数日前、昼すぎにキックオフされた試合を取材したが、あまりの日差しの強さに危険な感じさえ受けた。
ことしだけではない。ここ十数年、日本の夏は毎年暑く、そして長くなっている。四季の変化はあるものの、日本の夏が「熱帯級」になってきたことは間違いない。
だが文字どおり炎のような太陽の下、相変わらず数多くの大会が開催されている。そして当然の帰結として、熱中症で倒れるプレーヤーが跡を絶たない。プレーヤーだけではない。レフェリーも応援の人々も、危険と紙一重のところでスポーツとかかわっている。
日本の夏はサッカーに適した時期とは言い難い。少なくとも炎天下での試合は避けるべきだ。ところが日本サッカー協会自体が、真夏の大会を、しかも小学生から高校生年代の大会を数多く主催している。事故が起こらないよういろいろ工夫しているのだろうが、根本的に危険を回避するには、炎天下の試合をなくす以外にない。
この時期に大会を行うなら、専門家の意見を聞き、たとえば日没2時間前以前のキックオフはしないなどの指針を示すべきではないか。きょうの東京の日没はちょうど午後6時。試合をするなら午後4時以降ということだ。これなら熱中症の危険性は小さくなる。
必然的に多くの試合が夜間開催となる。照明設備が必要なうえに電力費もかかる。グラウンドを所有している自治体などにお願いしなければならないが、粘り強く必要性を説いて理解してもらうしかない。場合によっては簡易照明装置の開発や臨時照明装置のレンタルなど、技術的なサポートも必要になるかもしれない。
大会実施可能な日程の少なさを含め、いくつも難しい問題はあるだろう。しかし「プレーヤーズ・ファースト(選手第一)」の原則に立てば、結論は自ずから明らかなはずだ。
(2010年9月8日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。