8月29日午後、カシマスタジアムに隣接する人工芝のグラウンドで試合をしていたら、スタジアムから突然サポーターの歓声が響いてきた。天皇杯茨城県予選、流通経済大と筑波大の決勝戦だった。
来年元日に決勝戦が行われる天皇杯全日本選手権。その都道府県予選の決勝47試合のうち実に42試合が、残暑というには厳しすぎる暑さのこの週末に行われた。予選を勝ち抜いた47の代表は、喜びに浸る間もなく、9月3日金曜日の1回戦に臨むことになる。
日本サッカー協会が誕生した1921(大正10)年に第1回大会が行われた天皇杯。90年の歴史をもつ大会は、世界でもそう多くはない。元日に行われる決勝戦は、Jリーグが始まる20年以上も前から、毎年何万人もの観客を集めてきた。
出場88チームがノックアウト方式で戦う。J1=18、J2=19、計37のプロクラブに、JFL上位3チーム、大学1チームがシードされ、残り47チームは各都道府県の予選を経て選出された代表だ。
今大会には新しい試みがある。第一に、昨年まで3回戦から登場していたJ1クラブが2回戦から登場すること。第二に、可能な限りながら、1回戦を隣接する都道府県代表同士の対戦とし、J1やJ2上位クラブの2回戦の相手を、その地元代表としたことだ。
たとえば、カシマスタジアムで劇的な逆転勝利を収めて茨城県代表の座を手にした流通経済大は、「隣県」とは言えないながら同じ北関東の群馬県代表・アルテ高崎と1回戦を戦い、勝てば9月5日にカシマスタジアムに戻ってJリーグの王者アントラーズに挑戦することができる。
「1回戦と2回戦の間が中1日というのは本当に申し訳ないのですが、プロクラブにそのホームスタジアムで挑戦できるのはアマチュアにとって大きな刺激になると思います」(大会実施委員会・佐々木一樹委員長)
最近はアマチュアチームにも熱心なサポーターがいる。人数は少なくても、プロクラブのサポーターを相手に真剣勝負を挑むのは、なかなかできない経験になるのではないか。
Jリーグや来年1月のアジアカップなど国際大会の影響で日程を取るのも大変な天皇杯。しかしノックアウト式の大会ならではの「ジャイアントキリング(大物食い)」が必ずどこかで出てくるはず。新生日本代表の初戦(9月4日、横浜)をはさんで行われる天皇杯の1、2回戦。熱い戦いは必至だ。
(2010年9月1日)
「FC東京の城福監督や京都の秋田監督も言っていたが、どうして日程をそろえられないのか...」
ホームで浦和に1-4で敗れた後の記者会見の冒頭、湘南・反町康治監督は訴えかけるように語った。
自らのうかつさが恥ずかしかった。ワールドカップによる日程の圧縮で、J1は7月と8月にいちどずつ「ウイークデー開催」がはさまれた。どのチームにとっても厳しさは同じと思っていたが、その日程にとんだ「不公平」があったのだ。
この日、浦和が「中3日」だったの対し、湘南は「中2日」。前半はなんとか踏ん張ったが、後半になると次々と守備を破られ、失点を重ねた。
水曜日に試合をして次節が土曜だと「中2日」となる。試合翌日を回復にあてると、その翌日はもう試合前日だ。そのうち1日が移動にあてられることも多い。「中3日」なら回復度も違う。1日の差は非常に大きい。
この夏、J1では延べ41チームが「中2日」での試合を余儀なくされた。そして驚くことに、その半数の延べ21チームが、「相手は中3日以上」だった。結果は4勝5分け12敗。総得点22、総失点41。試合の後半の失点は30点にものぼった。
12敗のうち、ホームゲームが7つあった。ホームで戦う利より、試合間隔が相手より1日少ない不利のほうが大きかったのだ。
しかもそうした日程が非常に偏っていた。川崎、京都、C大阪が各3回、大宮、FC東京、湘南、神戸、磐田の5チームがそれぞれ2回こうした状況があったのに対し、仙台、山形、鹿島、浦和、新潟、名古屋、G大阪、そして広島の計8チームは1回もなかった。
その一方、新潟は4回、名古屋は3回も、自分たちが「中3日」で相手が「中2日」という状況があった。新潟の4試合はすべてがホームゲーム。成績は3勝1分けだった。
新潟や名古屋の好調さにケチをつける気はない。だがこれほどの不公平が生じたのは、日程づくりの段階でこうしたことが考慮に入れられていなかったためではないか。それとも、何かサッカー以外の理由で日程がゆがんでしまったのか...。
Jリーグのスタートから数年間は、毎週2試合行われていた。しかし全試合が土曜日と水曜日に行われ、不公平はなかった。
全チームがホームアンドアウェーで戦うリーグ戦は、「公平さ」を保証するためのシステムだ。こんな不公平はあってはならない。
(2010年8月25日)
「過去2年半、私たちは継続的に良いサッカーをして良い結果を残してきた。しかしいま、チームは少し難しい時期にきている」
8月15日、気温33度の等々力競技場で川崎フロンターレに敗れた後、サンフレッチェ広島のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(52)は淡々とそう話した。
ここ数年間、広島はJリーグのなかで最も魅力ある攻撃的なサッカーを見せるチームだった。2006年6月に就任したペトロヴィッチ監督は、2008年にJ2降格の苦渋を味わいながらも方針を変えず、J1復帰1年目の昨年は4位という好成績を残して今季のAFCチャンピオンズリーグ出場も果たした。
その間、広島は頑ななまでにひとつのスタイルを貫いてきた。4バック全盛のなかで3-4-2-1システムを採用し、自分たちのボールになるとパスをつなぎながら渦巻きのように動いて攻め崩してしまう。生命線は相手を上回る運動量だ。
だがその足が止まった。主力選手の相次ぐ故障や夏場の疲れが重なり、思うように動けなくなってしまったのだ。人数をかけてパスをつないでも、動きがなければ逆にピンチを招くだけ。それが川崎戦の広島だった。
いろいろな状況で目指していたサッカーができない。そんなときどうするか―。
多くのチームはスタイルを変えることをいとわない。スタイルとは勝利の確率を高める手段にほかならない。スタイルにこだわって結果を顧みないのは本末転倒とも言える。ワールドカップで日本代表が好成績を収めたのは、岡田監督が目指すサッカーから結果を得るプレーに転換したからだった。それはそれで見事な決断だった。
だがその一方で徹底してスタイルにこだわる監督もいる。スタイルを放棄して短期的に成功しても長続きはしないと考えるからだ。そしてまた、サッカー自体が勝敗を超えて人々に喜びを与られると信じているからだ。広島のペトロヴィッチ監督も、そうした信念の持ち主のひとりだ。
「厳しいが、選手たちと話し合って状況を打開していきたい。私は自分たちが積み上げてきたものを信じている。私たちにはこのサッカー以外にない。」
川崎戦、ペトロヴィッチ監督はいちどもベンチに座らなかった。90分間、テクニカルエリアのいちばん前に立ち、大汗をかきながら声をかけ続けた。それは、過酷な状況下でも懸命に自分たちのサッカーを実現しようともがく選手たちといっしょに戦う姿に見えた。
(2010年8月18日)
今夜、ヨーロッパで「次の目標」に向けた戦いが火ぶたを切る。2012年ヨーロッパ選手権(EURO)の予選が始まるのだ。
先陣を切るのはエストニア対フェロー諸島。舞台はエストニアの首都タリンだ。北緯59度。「白夜」の町だけに、キックオフの19時はまだ明るいが...。
タリンは人口41万の美しい町。フィンランド湾に面する港の近くには、世界遺産指定の旧市街が広がっている。試合会場のA・レコック・アリーナは、その旧市街の外れから直線距離でわずか1・5キロに位置する。
収容9300人。強豪クラブFCフローラが所有する、小さいが美しいスタジアムだ。地元のビールメーカー「A・レコック」の援助で2001年に完成、以後エストニア代表のホームになった。
来年の11月まで続く予選。エストニアとフェロー諸島がはいったC組は、イタリア、セルビア、スロベニアと、全6チーム中3チームが「ワールドカップ出場組」で占められている。残りのひとつは北アイルランド。これもワールドカップ出場を惜しいところで逃した強豪だ。
ポーランドとウクライナの共同開催で行われるEURO2012の予選は、出場51チームを9組に分け、各組首位と、2位のなかで最も成績の良い1チームが出場権を獲得し、他の2位8チームが残る4つの座をかけてプレーオフを行う。非常に厳しい戦いだ。
8月に予選が行われるのはタリンでの1試合だけ。他のチームは9月上旬に初戦を戦う。ちょうど1カ月前にワールドカップで優勝したばかりのスペインも、9月3日、リヒテンシュタインとのアウェーゲームで2008年に獲得したタイトルの「防衛戦」をスタートする。
日本では9月と10月の親善試合の予定が発表され、代表新監督の決定も間近になった。次期監督がどんな選手を集めてどんな日本代表をつくっていくのか非常に楽しみだが、同時に、ヨーロッパをはじめとした世界の各地では、すでに「肉を切らせて骨を断つ」ような真剣勝負にはいっていることも意識する必要がある。
9月3日には、ワールドカップで1次リーグ敗退の屈辱を味わったイタリアが、プランデッリ新監督の下、捲土(けんど)重来を期してタリンにやってきて予選初戦を戦う。
「夏から急に冬がくる」と言われるタリン。寒風に震える試合になるかもしれない。
(2010年8月11日)
1970年代半ばにイタリアのユベントスの試合を見て驚いた。攻撃はほとんどFW2人だけ。だがそれでもシュートまでもっていってしまったからだ。
当時のイタリアはカテナチオという守備偏重戦術の全盛期。7、8人で守備を固めてどう攻めるのかと疑問だったのだが、ユベントスを見てようやく納得がいった。特別な速さと技術をもった2人のFWでカウンターアタックを仕掛けるのだ。
カウンターアタックは35年後の今日も非常に重要な攻撃戦術だ。ワールドカップではドイツが有効に使って好成績を残した。ただし今日のカウンターは70年代とはずいぶん違うのだが、そうしたプレーを身に付けていないチームが日本には意外に多い。一因はこの種の攻撃についてのイメージが明確になっていないことにある。
カウンターというと相手DFの背後にロングボールを送って味方に走り込ませるという印象をもつ人が少なくない。このような攻撃が実を結ぶ可能性は極めて低い。パスは1本か2本というイメージも、今日的ではない。
自陣ペナルティーエリア近辺からのカウンターを考えてみよう。
第1の要素はスピードである。ドリブルで進むにしろパスをつなぐにしろ、相手ゴールに向かって突き進む速さが必要だ。
ドリブルでは細かなボールタッチは不要。ワンタッチで10メートル近くボールを送り出し、それを全速で追う「ランウイズザボール」という技術を使う。
受け手のスピードを落とさせないパス、パスを受けた選手がスピードを落とさないことも、忘れられがちだが非常に重要だ。
第2の要素は攻撃に投入する人数である。35年前のユベントスのように2人では今日の守備は崩せない。3人目、4人目、できれば5人目も遅れずに駆け上がる必要がある。
そしてカウンターの決め手が「相手を引きつける走り」だ。相手ペナルティーエリア近くで、最も前を走る選手が角度をつけた走りをしてDFを引きつける。そしてできたスペースに次の選手が走り込み、パスを受けて決定的な形にもち込む。
ラストパスがサイドから入れられるなら、ゴール前には少なくとも2人が走り込まれなければならない。
きれいにカウンターが決まると、パスは4、5本つながり、最終的には何人もの選手が相手ペナルティーエリアに侵入している。今日のカウンターの最大の特徴は、個人ではなく、集団で行うプレーだということだ。
(2010年8月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。