スペクタクルなゴールを決めると、彼は両手を大きく広げ、チームメートのところに駆け寄った。その姿に、新しいスーパースター像が象徴されていた。
ワールドカップ2010南アフリカ大会の「ゴールデンボール賞(大会MVP)」に輝いたのは、ウルグアイのFWディエゴ・フォルラン(31)だった。7試合で5得点を挙げ、ウルグアイを40年ぶりのベスト4に導いた。
1979年5月19日生まれ。ウルグアイ代表DFとして2回のワールドカップに出場した経験をもつパブロを父にもつサラブレッドだった。少年時代にはいろいろな競技に興味をもち、テニスでも将来を嘱望される存在だった。だが12歳のときに姉アレハンドラが交通事故で半身不随となったことで、姉のためにサッカーひとすじで生きようと決意する。
18歳でプロ入りし、99年にはナイジェリアで行われたU-20ワールドカップの準決勝で日本と対戦し、1-2で敗れている。02年にイングランドのマンチェスター・ユナイテッドに移籍、大きな期待を集めたがうまくいかず、04年にスペインのビジャレアルに移って持ち前の得点力を発揮できるようになる。
今回のワールドカップでは、「スーパースター」と期待された何人もの選手が力を発揮できず、早々と敗退していった。そのなかで異彩を放ったのがフォルランだった。
ドリブル突破、強い意志を感じるパス...。彼のプレーは卓越していた。そのうえ、決定的なゴールを挙げ続けた。だが何より印象的だったのは、彼がそうした自己の能力をすべてチームの勝利のために使っていたことだった。得点後の表情には「スター」にありがちな自己陶酔などかけらもなかった。すべてのゴール、すべてのプレーは、チームの勝利と、祖国のファンのためのものだった。
「ゴールデンボール賞は正直うれしい。でもそれはウルグアイが好成績を残した成果であることを忘れてはいけないと思う。これはウルグアイのサッカー全体がもらったもうひとつの賞なんだ」
「出場機会が少なかった、あるいはまったくなかった仲間たちのことも忘れてはいけない。彼らはまちがいなくチームのバックボーンだった。この賞は彼らのものでもある」
今大会、フォルランのプレーはいつも美しかった。それは、12歳のときから彼のサッカー観を貫く「無私の精神」から生まれたものであることを、大会後の彼のコメントを読みながら理解した。
(2010年7月28日)
「サークルディフェンス」の発見者は、サッカー分析家の庄司悟さんである。
昨年6月、FIFAコンフェデレーションズカップのアメリカの試合の映像を分析していた庄司さんは、守備時の選手たちが通常の考え方とは違うポジションの取り方をしているように感じた。DF、MF、FWの「3ライン」で守備組織を構成するのではなく、チーム全体で「サークル(円)」を形づくっていたのだ。
8人で直径40メートルほどの円をつくる。その中央に2人のMFが位置する。こうすると選手間の距離が約15メートルで均等になる。円の外では相手にパスを回させるが、内側にはいってこようとすると包み込むようにボールを奪う。
守備だけが目的ではない。ボールを奪うと、前へではなく、左右両外、45度に向かって攻撃の軸をつくり、その方向にカウンターアタックをかける。守備時に円形にポジションを取っているから、攻撃への移行は非常にスムーズだ。
実はそのときには庄司さんの説明に納得できたわけではなかったのだが、今回のワールドカップでサークルの威力を見せつけられた。準々決勝、アルゼンチン戦のドイツだ。庄司さんによると、ドイツは昨年10月のロシア戦からこの新戦術を取り入れたという。
天才メッシを中心とした破壊的な攻撃力で優勝候補の一角だったアルゼンチンを、ドイツはまるで子供扱いするように4-0で撃破した。アルゼンチンはドイツのつくるサークルに翻弄(ほんろう)された。メッシが単独でサークルの内側にはいろうとしても、たちまち囲まれてからめ取られた。そしてそこから繰り出されるドイツのカウンターを止めるすべがなかった。
そのドイツが逆に子供扱いされたスペインとの準決勝はさらに衝撃的だった。ドイツは相手に外側でボールを回させ、「パス地獄」で自滅させようとした。だがシャビを中心としたスペインのパスワークは自在にドイツのサークルの内側にはいった。気がつくと、対応に追われたドイツのサークルは無残なほどに形が崩れていた。
ようやくボールを奪回してカウンターに出ようとしても、円形ができていないから軸がなく、パスの出し所を探しているあいだにスペインに奪い返される―。それが準決勝のドイツの真実だった。
最新のチーム戦術とそれを崩したスペインの技術。サッカーの奥深さを堪能させたワールドカップだった。
アルゼンチンに完勝したドイツ(黒ユニホーム)のサークルディフェンス
(2010年7月21日)
「10点満点で9点」
決勝戦翌日の記者会見で、国際サッカー連盟(FIFA)のジェゼフ・ブラッター会長はワールドカップ2010南アフリカ大会の成功を称賛した。
大会前にこれほど懸念をもたれたワールドカップはかつてなかった。犯罪率の高さ、伝染病、そして不十分なインフラ...。大会まで1年を切った09年にも、「プランB(代替地開催)」のうわさが絶えなかった。
だが始まってみると過去に記憶がないほど喜びにあふれた大会となった。大会を安全に、そしてできる限り快適にするために南アフリカ政府と地元組織委員会が払った努力は並大抵のものでなかっただろう。しかし何にもまして大会を盛り上げたのは、5000万国民がこぞって「ホスト」の意識をもち、同時に、自らも心から大会を楽しんだことではなかっただろうか。
「ワールドカップを楽しんでいますか。この国はどうですか」
飛行機で隣に座った人から、小さな買い物をした店の人から、そして道ですれ違っただけの人びとからまで、毎日何回もこう聞かれた。そして私が日本人だとわかると、「あの試合は本当に不運だったね」と、パラグアイ戦のことに触れ、本田や遠藤の名前を出して「次の大会ではもっと上に行けるよ」と慰めてくれた。
ただひとつ残念だったのは、地元の人びとが「バファナ・バファナ(少年たち)」と呼んで熱愛する南アフリカ代表が早々と敗退したことだった。開催国が1次リーグを突破できなかったのは史上初めて。前回準優勝のフランスに2-1で勝ちながら決勝トーナメント進出を逃したことは、人びとを深く落胆させた。
だがここからがこの国の人びとの「サッカー愛」の見せどころだった。「バファナ・バファナ」のシャツが売れ続ける一方、人びとはそれぞれ次に応援するチームを決め、そのサポーターとなった。
スタジアムも街もよりカラフルになり、世界中からやってきたサポーターと南アフリカ人の「にわかサポーター」の交流で笑顔が広がり、楽しい雰囲気でいっぱいになった。
国籍も肌の色も関係ない。応援するチームのシャツを着て歌い、声援を送り、ジョークを飛ばし合い、ブブゼラを吹く。まさにユートピアだった。
「人びとの、人びとによる、人びとのための祭典」―。ワールドカップの本質を、これほど強く感じた大会はなかった。
(2010年7月14日)
フットサルのコートで何十人もの少年少女が夢中にボールを追っていた。全員普段着。半数以上がはだしだ。周囲で順番を待っている少年たちは、好プレーが出るたびに両手で「バンバンバン!」とフェンスを叩いた。
ケープタウンの都心から車で南東へ30分、国際空港を過ぎて右に折れると、広大な平地に延々と小さな家が並んでいるのが見えた。現地のコサ語で「新しい故郷」を意味する「カエリチャ」というタウンシップ。アパルトヘイト(人種隔離)時代の黒人居住区だ。差別撤廃後も、黒人を中心に経済発展に取り残されたたくさんの人びとが暮らしている。
「フットボールフォーホープ・センター」と名付けられた新しい施設は、そのほぼ真ん中にあった。簡素なクラブハウスと木材を組み立てたジャングルジムなど遊び場がある。しかし少年たちの心を何よりも引きつけるのは、緑まぶしい人工芝が敷き詰められたフットサルコートだ。
初めてアフリカでワールドカップを開催するのに合わせて、国際サッカー連盟(FIFA)は、一時的にではなく、将来にわたってアフリカの発展に役立つものを残したいと考えた。それが「フットボールフォーホープ」プログラムだった。各国に中心となる施設をつくり、地元NGOに協力してもらって少年少女の健康教育の場にするという。
南アフリカをはじめアフリカ諸国ではHIV(エイズ)感染の拡大が深刻な社会問題となっている。その原因が子どもたちの無知にあることは明らかだ。そこで、サッカーを楽しむことのできる施設をつくり、指導者を配置して子どもを集め、サッカーの指導といっしょに衛生面の教育もすることにしたのだ。
近い将来にアフリカ全土に20個所の「センター」が設置される予定だが、第一号として昨年11月にオープンしたのがカエリチャの施設だった。オープン直後に、取材で訪れることができた。
ボランティアのスタッフが言葉をかける。立ち止まってうなずくと、少年たちはまたプレーに戻っていく。その輝くような表情とまなざしの強さには、心打つものがあった。
スタジアムでワールドカップを観戦することなど、夢のまた夢に違いない。しかし彼らはどこかのパブリックビューイングでメッシやロナウドのプレーに触れ、希望に胸を膨らませてまた「センター」に戻っていく。その希望が、彼らの人生を導いていくはずだ。
(2010年6月9日)
岡田武史監督率いる日本代表がオーストリアでイングランドを相手に奮闘を繰り広げる数時間前の5月30日午後、中国の成都で、日本女子代表(なでしこジャパン)が来年ドイツで開催される女子ワールドカップの出場を決めた。91年の第1回大会以来6大会連続出場という快挙だ。
出場権を確定したのはアジア予選3位決定戦。地元中国を2-0で下した。過去5回の大会にすべて出場しているのは世界でわずか8カ国。アジアでは日本と中国だけだ。そのどちらかが初めてワールドカップの座を失うことになる。厳しい戦いは必至だった。
だが熱烈な声援を送る地元サポーターの前で、なでしこジャパンは一歩も引かない戦いを見せた。ボールの出先にひとりが猛烈なプレスをかける。そこから出されたパスをもうひとりが果敢に奪う。そうしたプレーが驚くほどつながっていくのだ。サッカーの技術や戦術を超えた一体感、なでしこジャパンの本当の「強さ」を見る思いがした。
なでしこの強さの秘密に触れたのは、08年の北京オリンピックのときだった。女子サッカーにとってワールドカップ以上の大舞台で、彼女たちはいつも「○○のために」という言葉を口にした。それは、日本の女子サッカーであったり、選手生活を支えてくれている家族であったり、代表から漏れた仲間の名前であったり...。ともかく、例外なく「他の人」だった。
自分自身のためではない。他の人のために戦う。だから自我を捨て、心から仲間と力を合わせられる。そして苦しいときでもがんばり抜き、自分の力を百パーセント出し尽くすことができる。それこそ、なでしこジャパンの強さの源だった。
成都での中国戦、勝負を決する2点目はMF沢穂希のヘディングシュートだった。MF宮間あやのFKに合わせて走り込み、ゴールを背にしたまま後ろに倒れ込みながらのバックヘッド。何と美しく、勇敢な得点だっただろう。そして沢は過剰なパフォーマンスに走ることもなく、ただチームメートと喜びを分かち合い、ベンチに走ってサブの選手とハイタッチをかわした。
男子の日本代表がワールドカップで何かを成し遂げようとするなら、「なでしこスピリット」から学ぶ必要がある。サッカーのレベルなど関係ない。挑戦するものが大きくなればなるほど、自分のためにではなく、他の人のために戦う覚悟が必要となる。
(2010年6月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。