
UEFAチャンピオンズリーグを制覇して欧州の王座についたFCバルセロナ(スペイン)のテクニカルディレクターとしてチーム強化の全権を握るアイトール・ベギリスタインは、時折、10年も前の幸福感に満ちた時代を思い起こす。
10年前、彼は日本の浦和レッズの選手だった。浦和にとって幸福な時代ではなかった。実際、浦和での彼の最後の試合は99年11月27日、J2への降格が決まった広島戦だった。この試合、ベギリスタインは後半9分に交代を命じられている。
しかし97年から約2年半の日本での生活を思い出すと、彼は自然に顔がほころぶのを覚える。都内に住んでいた彼は、毎日JRの埼京線と京浜東北線を乗り継いで浦和の練習グラウンドに通った。
彼はバルセロナの黄金時代を支えたスーパースターのひとりだった。もちろん「電車通勤」など生まれて初めてのこと。読書に励む人、居眠りをする人など、車内の人びとを見ていると、飽きることを知らなかった。そして乗り継ぎの赤羽駅で「立ち食いそば」を食べるのは、何よりの楽しみだったという。
新型インフルエンザの影響で、Jリーグ各クラブの練習場では選手とファンが接する場を制限するようになった。地域立脚を前提とするJリーグではファンとの交流を推進しているが、この先どうなるのか誰にもわからない。欧州のビッグクラブのように、選手とファンの距離がどんどん離れてしまうことになるかもしれない。
選手が安心して競技に打ち込める環境は何より大事だ。選手のプライバシーを守る必要性も小さくない。しかしそれでも、選手が地域のなかで自然に生活し、ファンに近い存在であることの意義を考えると、「垣根」はできうる限りないのが望ましい。とくに少年少女たちとの触れ合いは、サッカーの未来に大きな意味がある。
1930年代のオーストリアにマチアス・シンドラーという選手がいた。この時代の欧州大陸では最高の名手だっただろう。FKオーストリアというクラブのスターFWだった彼は、試合の日、ファンと同じ路面電車を使ってスタジアムに向かったという。
「神話時代」のことかもしれない。しかしこの当時のサッカーファンは、チームや選手たちに対して、より身近で、より親密な愛情をもつことができていたに違いない。
「選手とファンの距離」は、これからどうなるのだろうか。
(2009年6月3日)
「走る」ことは、現代のサッカーにおいて最も重要な「才能」のひとつだ。
走ることなど誰にもできると思うだろう。しかしサッカーの試合になると、どういうわけかそれを忘れてしまう選手が少なくない。
体力の問題ではない。パスを出した後に足を止めてしまう。味方のプレーに応じて次のポジションを取ることができない。あるいはまた、ボール保持が相手チームに切り替わった瞬間、スムーズに守備にはいっていくことができない。「走れない」選手とは、そんな欠陥をもっている。
基本的には、こうした欠陥もトレーニングや指導で改善できる。「パスしたら動け」「ボールを失ったら奪い返せ」などの指導で、動くことを習慣化していくのだ。ただ、高いレベルのサッカーで効果的に走るには、もって生まれた「才能」が必要だ。
今夜大阪で行われるチリ戦から、日本代表の重要なシリーズが始まる。6月にはワールドカップ・アジア予選の最後の3試合がある。それは1年後に迫った「世界への再挑戦」に向けての重要なステップでもある。その代表26人のなかに18歳の山田直輝(浦和)が含まれたのは何の不思議もない。彼はたぐいまれな「走る才能」をもった選手だからだ。
166センチ。今回選ばれた26人のなかで最も若いだけでなく、最も小さい。しかし浦和の試合では、試合が始まると、山田直が何人いるのだろうかと思うほどよく動く。中盤深くまで守備に戻り、スライディングでボールを奪ったかと思うと、すぐに近くの味方にパスして動き、次の瞬間には50メートルも離れた味方をサポートしている。そしていつの間にか相手ペナルティーエリアに現れ、決定的なシュートを放つ...。
驚くばかりのハードワーカーぶりだが、実際にはひょうひょうと動いているようにさえ見える。それでいて、常に正しいタイミングで正しいポジションに現れる。それこそ他にはまねのできない彼の才能に違いない。
「天才」ともてはやされながら、大成することなく消えていった選手がどれほど多いことか。そのほとんどが、ドリブルのテクニック、シュートのアイデアなどで非凡なものを見せる一方、「走る才能」を磨かれていない選手たちだった。今日のサッカーでは、「走れない選手」は生き残ることが難しい。
「走ることの天才」山田直は、日本代表のサッカーを変える可能性さえ秘めている。
(2009年5月27日)
サッカークラブ経営はビジネスかもしれない。しかしそれ以上に「愛」の問題である。
イングランドに「FCユナイテッド・オブ・マンチェスター」というクラブがある。なにやら有名クラブのパロディのような名だが、「本家」マンチェスター・ユナイテッドがチャンピオンになったばかりのプレミアリーグから数えると6つ下のリーグに属するセミプロのクラブだ。
05年、「本家」が米国の実業家に1000億円を超える巨額で売却されることになったのに反対したサポーターたちが設立したクラブ。「10部」からスタートし、現在は「7部」まで上がってきた。
会員ひとり10ポンド(約1440円)の会費で運営される非営利法人。スポンサーは募集しているが、ユニホームの胸にはけっしてスポンサー名を入れないなど、徹底して商業主義を排している。
4年前、クラブ設立の騒ぎのなかで財政難に悩む近隣のあるクラブが「買い取ってほしい」と申し入れた。既存のクラブを買い取れば何かと便利だし、昇格も早い。しかし設立準備に当たっていた役員たちは断った。「クラブ買収に反旗を翻した私たちが、他のクラブを買収することでスタートを切るのはふさわしくない」。ただ、設立後最初の試合をそのクラブと行い、財政を助けた。
FCユナイテッドの根本思想は「自分たちのクラブ」ということだろう。だからこそ、見返りなど期待することなく市民は愛情を注ぎ込むことができる。
日本にもFCユナイテッドのような例がある。横浜フリューゲルスが横浜マリノスと合併するのに反対し、サポーターたちが自ら作り上げた横浜FCだ。いろいろな経緯で現在の横浜FCは「市民クラブ」ではなくなってしまったが、このクラブがサポーターの「無償の愛」によって成立した歴史を忘れることは許されない。
地球規模の経済危機のなか、ヨーロッパでも日本でも、クラブ運営を支えてきた資本や企業が苦境に立たされている。自らの手で支えることが難しくなったとき、他の担い手を捜すことは、責任ある大人の態度と言える。Jリーグには、湘南ベルマーレのように、地域への粘り強い移転作業でクラブを生き延びさせた例がある。
忘れてならないのは、本当の意味でクラブを支えているのは、ホームタウンの人びとであり、サポーターだということだ。彼らの「愛」をないがしろにした「ビジネス」には、クラブの未来はない。
(2009年5月20日)
「ともに私と縁のある日本とボスニア・ヘルツェゴビナが、南アフリカで対戦することを期待しています」
昨年1月31日、病魔に打ち勝ったイビチャ・オシムさん(前日本代表監督)が初めて試合会場に姿を現したのが、東京・国立競技場でのボスニア・ヘルツェゴビナ戦。試合前にオシムさんからのメッセージが流された。
その日、西ヨーロッパのクラブに所属する選手を連れてくることができなかったボスニア代表は力を出せず、日本代表監督に就任したばかりの岡田武史監督に初勝利を許す。しかしそれから1年半もたたないうちにボスニアはワールドカップのヨーロッパ予選で最も「熱い」チームとなり、ボスニア出身のオシムさんの言葉も夢ではなくなりそうだ。
全日程の6割程度まで進んだヨーロッパ予選。5組にはいったボスニアは、10試合中6試合を終えて4勝2敗、勝ち点12で全勝の首位スペインに次いで2位を占めている。スペインに追いつくのは難しいかもしれないが、2位を確保してプレーオフに出場するのは十分可能な位置だ。
3月末と4月はじめに行われた強豪ベルギーとの連戦を、ボスニアはアウェーで4-2、ホームで2-1と連勝した。残り4試合のヤマは、9月9日に予定されているトルコとのホームゲームだ。
ベルギー戦2試合で3得点を挙げ、予選通算得点を7に伸ばした新エース・ジェコ(23)の評価は上がる一方。日本代表のMF長谷部誠、FW大久保嘉人と同じドイツのヴォルフスブルク所属。192センチの長身ながら、ヘディングだけでなく右足も左足も自在に操るテクニシャンだ。
旧ユーゴスラビアから92年に独立したボスニア・ヘルツェゴビナだったが、複雑な民族構成が原因で独立直後から激しい内戦が続き、ようやく95年末に平和が訪れた。死者20万人、難民200万人を出すという悲惨きわまりない戦争だった。
昨年7月、クロアチア人のブラゼビッチがボスニア代表監督に就任。懸念もあったが、予選初戦でスペインにアウェーで0-1と健闘し、2戦目には地元ファンの前でエストニアを7-0で下して一挙に信頼を深めた。
いまも複雑な民族構成は変わらず、統一感に乏しいボスニア。国のシンボルである白いユリから「リリーズ」と呼ばれるサッカー代表の躍進は、民族を超えて人びとに幸福感と高揚感を与えている。
(2009年5月13日)
アジアサッカー連盟(AFC)会長モハメド・ビン・ハマム(カタール)は、5月8日に60歳の誕生日を迎える。しかしその朝の彼の目覚めは、平和や喜びなど、ほど遠いものになるだろう。
この日クアラルンプール(マレーシア)のマンダリン・オリエンタル・ホテルで開催されるAFC総会で、ひとつの座をめぐる選挙が行われる。その結果が、AFC内における彼の地位に決定的な影響を及ぼすからだ。
会長選挙ではない。国際サッカー連盟(FIFA)理事の選挙である。AFC選出のFIFA理事は4人いるが、今回はハマムがもつ1座だけが改選対象となる。96年にこの地位についたハマムだが、挑戦者が出たのは今回が初めて。挑戦者はシェイク・サルマン・ビン・エブラヒム・アル・カリファ(43)。バーレーン・サッカー協会会長である。
ハマムがAFC会長に就任したのは02年のこと。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の創設など意欲的な改革を行い、最初の数年間は評価が高かったが、30年間にわたってアジアのサッカーを支えてきた事務総長ピーター・ベラパン(マレーシア)を解任した06年ごろから組織の私物化や独断が目立つようになった。
いま、周囲が何よりも懸念しているのは、AFCが独占契約を結ぶマーケティング会社との巨額の契約金をACLなどごく一部の大会につぎ込み、ユースや女子などの大会に割く予算がどんどん少なくなっていることだ。このままだと、アジア内の「格差」は広がる一方になると心配されるのだ。
FIFA理事の座をめぐる今回の選挙は、ハマムの暴走にストップをかける最大の機会ととらえられている。若いシェイク・サルマンの立候補を、日本や韓国など東アジアの国ぐにだけでなく、サウジアラビア、クウェートといった西アジアの強豪国も歓迎している理由はそこにある。
安泰と思っていたFIFA理事の座を突然脅かされたハマムは、メディアを通じて投票の買収説や韓国の陰謀説などを流し、なりふり構わぬ防御の姿勢。AFC会長の任期は11年まであるのに、「もし今回の選挙で敗れたら会長の座も降りる」などと、無責任な放言も止まらない。
アジアサッカーのこれからに大きな影響を与える今回の選挙。AFC加盟46協会は、どんな審判を下すのか。
(2009年4月22日)