
17歳が話題だ。
浦和のFW原口元気は、先週の名古屋戦で決勝ゴールをけり込んだ。まだ高校3年生。今季就任したフィンケ監督が、「ユースでプレーさせる必要はない」と、プロ契約を結んでしまった選手だ。
一方イングランドでは、マンチェスター・ユナイテッドのFWフェデリコ・マケダが話題を独占している。
1991年8月22日生まれの17歳。同じ年の5月9日生まれの原口より少し若い。
プレミアリーグ3連覇を目指すユナイテッド。4月5日、ホームにアストンビラを迎えた1戦は終盤まで2-2と苦しんだ。後半なかばに公式戦出場経験のないマケダを投入するという事態にも、チームの苦しみが象徴されていた。ところが引き分けかと思われたロスタイム、17歳の若者は突然輝きを放つ。
ベテランMFギグスのパスに合わせてペナルティーエリア左に走り込んだマケダ。最初のタッチ、左足で体の後ろを通して右に出しながら急ストップすると、右足でカーブをかけたシュート。ゴール右すみに決勝ゴールを送り込んだのだ。
17歳の勢いは止まらない。翌週、サンダーランドとのアウェーゲームでは、交代出場した数秒後にMFキャリックのシュートのコースを変えて決勝点としてしまったのだ。
マケダはローマで生まれたイタリア人。地元のビッグクラブ、ラツィオのユースでプレーしていたところをユナイテッドのスカウトに目をつけられた。
イタリアの規則では18歳になるまでプロ契約ができない。ところがイングランドでは16歳になれば契約ができる。そこでユナイテッドはマケダが16歳になった2007年の8月に契約を結んでしまう。「18歳以下の国際移籍は認めない」という国際サッカー連盟(FIFA)の規約も両親とともに英国に移住させることでクリアし、その年の9月からマケダはユナイテッドのユースの一員となる。そしてわずか1年半後、彼は世界の注目を集めることになるのだ。
ユナイテッドが昨年の「世界最優秀選手」クリスティアノ・ロナルド(ポルトガル)と契約したのは、彼が17歳のときだった。マケダの台頭で、24歳になったばかりのロナルドも放出の対象になるとさえ言われている。
17歳でJリーグに出場するのもゴールを挙げるのもすごいことだ。しかし原口が満足している暇などない。目指すのはマケダと対等の舞台だからだ。
(2009年4月15日)
1965年5月のある日、チリの首都サンチャゴ市内の病院にスーツ姿の10数人の男たちが現れ、ロビーがざわついた。
受付に座っていた中年の男は、突然の団体来訪者が人気プロサッカーチーム「ウニベルシダ・カトリカ」の選手たちであることに気づいた。やがて、男たちのなかから大きな体をしたひとりが帽子を脱ぎながら近寄ってきて、ていねいな口調でこうたずねた。
「ルイス・アルバレスさんのお見舞いにきたのですが、病室はどこでしょうか」
受付の男は驚いた。ルイス・アルバレスは、「カトリカ」とは永遠のライバルであり、この瞬間にもチリ1部リーグの優勝争いを展開している「コロコロ」のエースストライカーだったからだ。2年前のシーズン、アルバレスは30試合で37得点という破天荒な活躍を見せ、現在も残るシーズン最多ゴールを記録するとともにコロコロを9回目の優勝に導いていた。
だがこのとき、アルバレスは原因不明の病魔に襲われ、この病院に入院していた。「カトリカ」の選手たちがチームそろって現れたのは、ようやく落ち着き、面会が許されて間もなくのことだった。
病室に案内された選手たちは、手に手にもった花束をアルバレスに渡すと、「早く良くなってピッチに戻ってきてくれよ」と声をかけ、患者の負担にならないようにと、短時間で病院を後にした。
それから30年以上経た1999年、「カトリカ」にひとりの若者がデビュー、19歳でポジションを得ただけでなく、翌年にはチリ代表にも選ばれた。ポジションは右のサイドバック。小柄ながら圧倒的な攻撃力を発揮し、2002年にはライバルのコロコロを押しのけてカトリカに優勝をもたらした。
この選手こそルイス・アルバレスの次男、クリスチャンだった。父ルイスは91年に亡くなっていたが、家族は父から聞いた30年前の心のこもったお見舞いを忘れず、クリスチャンはカトリカのユースにはいっていたのだ。
5月のキリンカップに、チリ代表が参加する。過去2回、ワールドカップ出場を逃したチリだが、今回の南米予選では3位につけ、出場圏内にしっかりはいっている。クリスチャン・アルバレスも12試合のうちの3試合に出場している。
ただ、現在はイスラエルのクラブに在籍するクリスチャンが、来日メンバーにはいるかどうかはわからない。
(2009年4月8日)
「志(こころざし)」について考えている。
サッカーの場でこの言葉を聞いたのは、98年から02年まで日本代表監督を務めたフィリップ・トルシエの口からだった。
ホスト国として予選なしで出場できる02年ワールドカップ。前大会で初出場を果たしたばかり、それも3戦全敗だった日本を、少なくとも1次リーグ突破に導かなければならない。その心構えとして選手たちに求めたのが「志」だった。
「目の前の相手に勝つために全力を注ぎつつ、高い目標を忘れずに自らを奮い立たせ、駆り立てていく―」
「志があるなら、こんな勝利で満足するな」と、彼はたびたび選手たちに語った。
さて、先週土曜にバーレーンを下し、岡田武史監督率いる日本代表のワールドカップ予選突破も見えてきたが、日本代表のプレーから「志」は感じられただろうか。岡田監督は「目標はワールドカップでベスト4」と語っているが、それは本気なのだろうか。
06年ドイツ大会、日本は世界で最も早く予選突破を果たしたが、ドイツの舞台では1分け2敗と、これも早ばやと敗退が決まってファンを落胆させた。明白になったのは、ワールドカップ出場自体はもう「志」足りえないということだった。その先に行かなければ、少なくとも、そこで誇るに足る内容の試合ができなければ、また落胆だけになる。
ことしの3月に日本中を夢中にさせたのはサッカーの日本代表ではなく、野球のWBCに出場した「侍ジャパン」だった。前回のチャンピオンなのに、彼らはけっして「タイトルを守る」とは言わなかった。「もういちど優勝して、今度こそ日本の野球の力を世界に認めさせたい」と、異口同音に語った。このチームには「志」があった。それに一丸で取り組んだから、大きな感銘を生んだ。
イビチャ・オシム前日本代表監督は、よく「野心をもたなければならない」と話した。野心は「志」と同じ。トルシエもオシムも「アンビション」という言葉を使うのだが、トルシエの通訳に当たった臼井久代さんが、トルシエの話しぶりから、あえて「志」という古めかしい日本語を選んであてたのだ。
ワールドカップ予選は何よりも結果を求められる試合かもしれない。しかしだからこそそこにぶれない「志」があれば、大きな成長の糧になる。予選も残り3試合。そこで日本代表の「志」の高さを感じ取りたいと思う。
(2009年4月1日)
国際サッカー連盟(FIFA)によると、昨年8月の北京五輪では、男女合わせて全58試合で216万3627人もの観客を集めたという。これまでの最多記録の1・5倍にも当たる新記録だ。
「ダブルヘッダー」も1試合ずつカウントしているから、実際には百数十万というところだが、それでも有料入場者数としては全競技中群を抜くトップ。サッカーは五輪でも欠くことのできない人気競技であることを、今回も証明した。
ところが先週、FIFAの理事会は五輪の男子サッカーを21歳以下の大会にする案をまとめた。これまでは23歳以下で、そのうえに各チーム3人までのオーバーエージ(年齢制限なし)の出場を認めていた。それを2歳引き下げ、オーバーエージもなくすという。
北京大会出場を巡って、所属するヨーロッパのクラブから何人もの選手が待ったをかけられた。最終的にはFIFAが強権を発動する形で出場させたが、23歳以下でもクラブの主力として活躍する選手が急増している現状を見れば、次回はさらに難しい問題になりかねない。
FIFAのブラッター会長の最大の懸案は自ら提唱する「6+5ルール」。クラブの試合の先発に、最低6人はその国の選手を入れなければならないという規則だ。昨年のFIFA総会で可決されたが、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は「欧州連合(EU)の基本法に抵触する」と、絶対反対の立場を取ってきた。
国籍制限をほぼ撤廃して世界からスターを集め、「わが世の春」を謳歌(おうか)するヨーロッパのサッカー。「6+5ルール」は、EUの法の問題だけでなく、ヨーロッパのクラブの利益を害するものでもある。
しかし最近、ブラッター会長は、力強い味方を得た。ドイツのある研究機関が、「6+5は、EUの基本法に必ずしも抵触しない」と発表したのだ。
これを受けて、ブラッター会長は一気にUEFAとの折衝を進めようという構えだ。その交渉の有力な材料として、今回の五輪の新年齢制限案が持ち出されたのではないか。
次回五輪は12年ロンドン。「サッカーの母国」での大会からサッカーを外すわけにはいかない。以前から逆に年齢制限の撤廃を求めてきた国際オリンピック委員会(IOC)も、ここでFIFAと正面対立するのは難しい。ブラッター会長の壮大な「駆け引き」。結果はどう出るか―。
(2009年3月25日)
「オートマチックすぎる」
アルゼンチン代表監督メノッティがそう語ったのは1979年のことだった。
前年、見事な攻撃的サッカーでワールドカップ初優勝を飾ったアルゼンチンは、この年18歳の天才マラドーナをチームに加え、さらに攻撃力を増していた。しかし派手なパスワークで相手守備を手玉に取る割に、それがシュートや得点に結び付く回数が少なかった。
原因は、パスが面白いように回るため選手たちがそれに夢中になり、「相手ゴールを陥れる」という攻撃の目的を忘れてしまったことにあった。それをメノッティは「オートマチックすぎる」と表現したのだ。
埼玉スタジアムで浦和レッズの攻撃を見ていて、メノッティの言葉を思い出した。
過去数年、浦和は個人の打開力を頼りにサッカーを進めてきた。昨年の不成績は、その限界を示すものだった。その反省から、今季はフォルカー・フィンケ監督(ドイツ)を招き、集団で攻撃を切り開くパスサッカーへの転換を開始した。
能力の高い選手がそろったチームだから、約2カ月間のトレーニングで見違えるように変わった。何人もの選手がボールにからみ、面白いようにパスが回るようになった。ところが、それがなかなか得点どころかシュートにも結び付かない。
今季のホーム初戦、前半戦はそうした試合だった。CKから先制しながらすぐに追いつかれ、パスは回るもののシュートにつながらない。思い切って個人の勝負に出なければならない場面で、まだパスを回している。それが相手の守備網にひっかかってしまうのだ。
だが後半、いらいらは解消された。決め手はDFたちの大胆な攻撃参加だった。後半38分、センターバックの坪井が自陣中央からFWエジミウソンにパスを出すとそのまま左サイドのスペースに駆け上がり、エジミウソンからパスを受けて突破、そこから試合を決定づける3点目が生まれた。後半3分の2点目も、DF闘莉王が相手陣中央から出したパスが起点となった。
リズミカルなパスワークのなかに突然「DFの攻撃参加」という「破」の要素が加わったことで相手の守備が崩れたのが、この2得点だった。その要素を攻撃陣が自らつくりだせれば、すなわち「オートマチック」を正しいタイミングで切ることができれば、浦和のパスサッカーは、相手にとって本当に恐いものになる。
(2009年3月18日)