サッカーの話をしよう

No.726 南アフリカは安全か

 「わたしたちを信じてほしい。南アフリカを信じてほしい」
 国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長の声がどこか悲痛に聞こえた。
 12月15日、東京でワールドカップ2010南アフリカ大会の記者会見が行われた。大会を主催するFIFAと開催国南アフリカの地元組織委員会による共同会見、記者からの質問は「安全」の一点に集中した。
 スタジアム建設、輸送、ホテルの部屋数、通信施設など、1年半後に迫った南アフリカ大会への懸念材料は少なくない。しかし最大の心配は、「危険はないのか」という点に違いない。サッカーの応援に行って強盗に遭うなどあってはならないことだからだ。
 ある統計によると南アフリカの殺人事件発生率は日本の百倍にも及ぶという。銃器を使った犯罪も多く、日本の外務省も「可能な限り公共交通機関の利用は避け...(特定の危険な)地区には立ち入らないようお勧めします」と厳しい。
 ワールドカップに備えて、南アフリカ政府は治安を良くするために13億ランド(約115億円)もの投資をするという。警察官を4割近く増員して20万人にし、会場の近辺2010カ所に警察署を開所、警備に万全を期す。冒頭のブラッターFIFA会長の言葉は、こうした努力により、10年大会は安全で平和な大会になると確信をもったということなのだ。
 77年に、翌年にワールドカップを控えるアルゼンチンに取材に行った。帰ってくると、「無事だった?」とたずねる友人が何人もいて驚いた。当時のアルゼンチンは軍事政権化にあり、戒厳令が敷かれていた。聞くと、日本の新聞には、たびたび物騒なニュースが載っていたという。
 だが実際のアルゼンチンは安全そのものだった。首都ブエノスアイレスでは、深夜2時に若い女性がひとりで歩いている姿も珍しくなかったのである。
 「外務省は大げさなんだよ」とは、南アフリカに何度も取材に行ったことのある記者。
 「ニューヨークに行ったって、旅行者がひとりで足を踏み入れてはいけない危険な地区があるだろう?」
 さて、実際にはどうなのだろうか。犯罪を恐れてホテルに閉じこもり、スタジアムと往復するだけのワールドカップなどまっぴらだ。やはりいちど現地に行き、日本のみんなに勧められるかどうか、この目で見てこなくてはならないだろう。
 
(2008年12月17日)

No.725 奇跡

 あなたは「奇跡」を信じるだろうか―。
 宗教の話ではない。サッカーには、ごくまれながら、「奇跡」としか呼びようのない試合がある。そのひとつを、日本のファンも先週の週末に見た。
 J1最終節、J2降格へ絶体絶命のピンチに陥った千葉が、残り16分から2点差をひっくり返し、4-2で勝ったのだ。それだけではない。千葉のすぐ上にいた東京Vと磐田がこの日ともに敗れたため、千葉は17位から15位に浮上し、一挙に入れ替え戦からも逃れて残留を決定したのだ。
 相手は勝てば来季のACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場の可能性もあるF東京。前半39分に先制され、後半8分に2点目を許した。千葉がようやく1点を返したのは後半29分。それからがすごかった。3分後に同点に追いつくと、また3分後にPKで逆転に成功する。そして後半40分には4点目を記録するのである。
 「0-2になったときにはアップしながら涙が出た...」
 試合後、そう語ったのは、主将ながらこの試合では先発を外されたMF下村だ(千葉の公式サイトから)。
 サッカーで2点のビハインドは重い。時間が過ぎれば過ぎるほど、心は押しつぶされるようになる。
 今季序盤、11試合で2分け9敗という悲惨さだった千葉だが、5月に就任したミラー監督の下で持ち直して秋には5連勝、降格圏脱出も近いと思われた。しかし10月下旬から足踏み状態となり、11月下旬には2試合連続3失点で敗れていた。
 最終戦、ミラー監督は思いきった手を打った。下村などそれまで中心として活躍してきた選手3人を外し、チームを大幅に変えて最終戦に臨んだのだ。
 そして2点をリードされると、すかさずFW新居とMF谷澤という攻撃的な選手を送り出した。「まだあきらめないぞ」という強いメッセージだった。
 猛烈な重圧にも、選手たちは下を向かなかった。歯を食いしばって戦い続けた。
 「...苦しかった。それでも自分の出番はどこかのタイミングであると思っていた...。勝利を信じていたし、1秒でもピッチに立ちたかった」。そう語った下村は、後半41分から出場し、チームを落ち着かせ、守備を引き締めて勝利に貢献した。
 たしかに「奇跡」だった。だがそれを生んだのは人事を尽くしきった監督と選手たちだった。人事を尽くしても奇跡が生まれることは滅多にない。しかし尽くさなければ、奇跡は絶対に生まれない。
 
(2008年12月10日)

No.724 第3、第4の副審

 1試合にレフェリーが6人―。従来の主審1人、副審2人、第4審判に、副審をもう2人加えたレフェリングの実験は、おおかた好評だったようだ。
 「ゴール判定のテクノロジーではなく、両ゴール裏にも副審を」というヨーロッパ・サッカー連盟(UEFA)会長ミッシェル・プラティニの提案の実験が認可されたのはことし3月のこと。その実験が、10月から11月にかけて行われたUEFAのU-19選手権予選の一部で実施された。
 「第3、第4の副審」は、ホイッスルはもちろんフラッグももたず、両ゴールの脇に立った。そしてシュートがゴールラインを越えたかどうかやペナルティーエリア内での反則を集中的に見守った。
 彼らの役割は、主審から見にくい距離や角度の出来事を監視し、主審にアドバイスを送ることだ。6人の審判員たちは、無線で結ばれたマイクとイヤホンで互いにコミュニケーションを取る。
 今回の実験では、新しい副審はピッチ内にはいってもいいが、GKより前に出てはいけないとされた。だがゴールの左右どちら側に立つかは、試合によって変えられた。実験に参加した審判員たちの間では、ピッチに向かってゴールの左側にいたほうが、主審および従来からの副審と3人で挟み込むようにペナルティーエリアを見やすいのではという意見が多いらしい。
 「別に違和感はなかった。主審を助けてくれる人がひとり増えるのは、より正確な判定につながると思う」
 2人の「ペナルティーエリア副審」を使ったチェコ×キプロス戦で主審を務めたダグラス・マクドナルド氏(スコットランド)は新システムを歓迎した。
 その試合で「新副審」の1人となったケイラム・マーレイ氏(スコットランド)も、「正直、最初の10分間ほどはとまどったが、その後はうまくいったと思う」と肯定的だ。
 「少し前に主審を2人するという試みもあったが、今回の実験はサッカーの本質を変えず、従来どおり主審1人で、しかもより多くの目をもつということを意味している」と、UEFAのプラティニ会長は説明している。
 実験結果は来年2月にFIFAに報告されるが、本格的に実施されるにはまだ時間がかかりそうだ。UEFA審判委員会のマルク・バタ委員(フランス、元国際審判員)も、「とてもではないが2010年ワールドカップには間に合わない」と話している。
 
(2008年12月3日)

No.723 23歳以下のナビスコ杯?

 「ナビスコ杯を23歳以下の大会にしたらどうか―」。日本サッカー協会の犬飼基昭会長の発言がJリーグを困惑させている。
 「ナビスコ杯」は正確には「Jリーグヤマザキナビスコカップ」。Jリーグが通年のリーグ戦と並行して開催している「リーグカップ戦」で、Jリーグの「第2の大会」と位置づけられている。
 92年、正式にJリーグがスタートを切る前年に第1回大会が行われ、この年のナビスコ杯の盛り上がりが翌年のJリーグ人気に火をつけた。Jリーグにとって、その歴史のなかで大きな位置を占める重要な大会である。
 ただここ数年は日本代表選手を欠く日程での開催も多く、問題点も指摘されている。リーグでの残留争いのため、ナビスコ杯で主力を温存する例も多く、難しい状況にある。
 犬飼会長は協会のトップに就任する前にはJリーグ専務理事の職にあった。当然、Jリーグの事情や実情は熟知している。
 発言の真意は、問題点を踏まえ、若手の強化育成に目的を特化したらどうかということだったに違いない。しかしJリーグは協会の傘下にはあっても独自の予算で事業を行う独立の組織である。そこが難しい。
 実は、もう何年も前からJリーグは「23歳以下の大会」を検討してきた。高校時代には年間50試合もこなしてきた選手たちが、Jリーグにはいるとごく一部の例外を除いて10試合足らずになってしまう。最も伸びる時期にこの状況は大問題だ。
 そこで、「サテライトリーグ」を23歳以下の大会にしようという案が出た。現状ではけがから回復した選手の「リハビリ」などに使われている「サテライトリーグ」。そこに年齢制限を設けることで強化育成の場にしようという案だった。
 だが実現は見送られた。「趣旨には賛成だが、参加するにはそのための選手を新たに雇用しなけばならない」という事情が一部のクラブにあったためだ。
 99年に横浜フリューゲルスが消滅した後、クラブ財政の健全化はJリーグの最優先課題だった。努力が実ってここ数年、クラブ運営は安定してきた。だが「23歳以下」を強行すれば再びクラブ財政を圧迫する恐れがある。
 「23歳以下」の方向性そのものが間違っているわけではない。だがその実現にはクリアしなければならない課題がいくつもある。丹念にひとつずつ問題を解決し、辛抱強く改革に取り組むことが何より大切だ。
 
(2008年11月26日)

No.722 15年ぶりのドーハで

 ペルシャ湾に突き出した半島の国、カタールの首都ドーハに来ている。もちろん、今夜(日本時間午前1時半キックオフ)のカタールとのワールドカップ予選取材のためだ。
 「ドーハ」というと日本のサッカーファンなら「悲劇」という言葉が浮かんでしまうだろう。93年10月にここで開催された94年ワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選で、日本はワールドカップ初出場まであと数十秒のところまで迫りながら、ロスタイムにイラクに同点ゴールを許して掌中の「夢」をつかみそこねた。
 それから15年。日本は98年にワールドカップ初出場を果たし、以後自国開催を含めて3大会連続出場してきている。それだけではない。女子を含むあらゆる年代、そしてクラブサッカーで、日本はアジアの「巨人」となり、敬意を払われる存在となった。「悲劇」をバネに、この15年間に日本サッカーが成し遂げた進歩と、その背景にある努力は、誇るに足るものだ。
 だがアジア自体も15年前とは大きく様変わりしていることを忘れてはならない。15年ぶりに訪れたドーハも、建設ラッシュで街全体が活気にあふれ、前回とはまったく印象が違う。
 カタールという国自体、あの「ドーハの悲劇」の時代とは政権が違う。95年に無血クーデターが起こり、当時のハリーファ首長(国王)を追い落としてハマド皇太子が元首となったのだ。石油や天然ガスに頼るばかりだった前首長に比べ、現首長は将来を見据えて観光産業に力を入れている。それがドーハの活気につながっている。
 国が変わり、都市の雰囲気が変わるなかで、サッカーも変ぼうを遂げようとしている。現在のカタール代表チームの主力の半数は南米やアフリカ出身で、ここ数年の間にカタール国籍を獲得した選手たちだ。15年前には想像のつかなかった状況が生まれているのだ。
 オセアニアサッカー連盟に属していたオーストラリアが06年にアジアの一員となり、日本、韓国、サウジアラビア、イランといった「アジアサッカーの巨人たち」の一角を脅かし始めている。カタールだけでなく、バーレーン、UAEといったアラビア半島勢も急速に力をつけている。
 「盛者必衰」は平家物語だけの理(ことわり)ではない。心して「おごり」を廃し、高い志を持ち続けていくことの大切さを、15年ぶりのドーハで強く思った。


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ドーハ展望
 
(2008年11月19日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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