サッカーの話をしよう

No.716 アレックスミラーからの警告

 Jリーグ、ジェフ千葉のアレックス・ミラー監督(58)は、もしかすると当惑しているかもしれない。
 5月8日、ミラー監督が就任した時点でJリーグはすでに11試合を消化し、千葉は2分け9敗、勝ち点はわずか2だった。しかし5カ月後には28試合で9勝6分け13敗。総合では14位ながら、その間の17試合だけなら9勝4分け4敗、勝ち点31は第3位にあたる。
 9月以降は5連勝。そのなかには名古屋、浦和という首位争いのチームに対する勝利もある。8月にはG大阪にも勝っている。
 夏以降に獲得した深井正樹とミシェウ(ブラジル人)の両MFの活躍は大きい。深井は名古屋戦で決勝点、浦和戦では2得点を挙げた。しかしそれ以外には、基本的に今季はじめからいた(11試合でわずか勝ち点2の)選手たちである。
 ミラー監督の指導で急に能力が高まったりテクニックがついたわけではない。革命的な戦術を身につけたわけでもない。
 チームの戦い方は至ってシンプル。基本システムは「4-2-3-1」。相手ボールになると、ハーフライン近辺に、1トップの巻、トップ下のミシェウを除く8人で4人2列の「ブロック」をつくる。そして相手がはいってくると猛烈な勢いでプレスをかける。相手1人に、2人、3人の千葉の選手がからむこともある。そして奪ったボールからダイレクトに相手ゴールに攻め込むのだ。
 このシンプルな戦術が優勝争いの強豪を倒す力につながるのは、個々の選手が自分自身の力を余すところなく発揮しているからにほかならない。
 競り合いのとき、選手たちはけっしてひるまない。ただマークするだけでなく、「絶対にボールを奪う」という強い決意で向かっていく。それがピッチの全面で90分間続けられることが現在の千葉の最大の力なのだ。
 ミラー監督はスコットランド人。99年からイングランドの強豪リバプールでコーチを務めてきた。イングランドでは選手が練習や試合で自分の力を出し尽くすことなど当然に違いない。その当然のことを求め、選手たちが実行したただけで、Jリーグではどんな相手にも勝てるようになる―。その事実に、ミラー監督自身が驚いているのではないか。
 千葉の快進撃は、サッカーという競技の「基本」をあらためて思い起こさせる。同時に、現在のJリーグや日本サッカーへの強烈な警告でもある。
 
(2008年10月8日)

No.715 カタールに制裁を

 国際サッカー連盟(FIFA)がほっと胸をなでおろしている。エメルソンの問題だ。
 そう、01年から05年にかけて浦和で大活躍したブラジル人ストライカーだ。05年7月に突然カタールのアルサードに移籍、サポーターを失望させた。
 そのエメルソンがことし3月26日にドーハで行われたワールドカップ・アジア3次予選のイラク戦にカタール代表としてフル出場、2-0の勝利に貢献した。カタールがイラクを出し抜いて4次予選に進出できたのはこの勝利のおかげだった。
 エメルソンは06年10月にカタール国籍を取得したが、99年にU-20ブラジル代表で南米選手権に8試合出場した記録があった。浦和在籍中にも「エメルソンを日本人に」という動きがあったが、この記録のために断念を余儀なくされていた。
 しかしことし2月、3次予選の初戦でオーストラリアに0-3の完敗を喫して追い詰められたカタールは、3月4日のバーレーンとの親善試合で初めてエメルソンを起用、3次予選2戦目のイラク戦にも出場させて決定的な勝利を得たのだ。
 当然、イラクは「カタールは出場資格のない選手を出場させた」とFIFAに訴えた。
 しかしFIFAは、エメルソンにはカタール代表になる資格がないことを認めながら、試合結果は変わらないという決定を下した。
 FIFAには「出場資格のない選手を出場させた場合、相手チームに勝ち点3を与える」というルールがある。しかし当該国はそのための抗議を試合後24時間以内に行わなければならず、同時に調査費用をFIFAに支払わなければならない。ところがイラクサッカー協会が費用を送金したのは期限の11日後だった。したがって「抗議」自体が成立せず、試合結果は変わらないとしたのである。
 あきらめきれないイラクはスポーツ仲裁裁判所(CAS=本部スイス)への仲裁申し立てを行ったが、9月29日、CASはFIFAの言い分を認め、「試合はそのまま成立」という結論を出した。
 すでに4次予選がスタートし、カタールが2試合も消化してしまっているいま、3月の試合結果をひっくり返すことは大きな混乱を招く。しかし出場資格がないことが明白なエメルソンを強引に代表で使ったカタール協会に何のとがめもないのは、どう考えてもフェアではない。
 今後同様のことが起こるのを防止するためにも、FIFAはカタールを何らかの形で罰する必要がある。
 
(2008年10月1日)

No.714 中東の女子サッカーブーム

 ことしの5月末から6月上旬にかけてベトナムで開催された女子アジアカップ。出場全8チームは、東アジアが5、東南アジアがオーストラリアを含めて3という内訳だった。
 オーストラリアを除けば、アジアの女子サッカーは完全に東アジアが主導権を握っている。北京オリンピックでも日本が4位、中国がベスト8にはいり、北朝鮮もブラジル、ドイツという強豪と互角に渡り合った。だがその「アジアの勢力図」は、10年以内に大きく変わるかもしれない。西アジア勢の台頭だ。
 イランや中東諸国では、ほんの数年前まで女子サッカーなど「無」に等しかった。イスラムでは女性が髪の毛や体の線を出すことが禁じられているからだ。外出するときにはベールで髪や顔を、そして長衣で体を隠さなければならない。サッカーなどもってのほかだった。ところがここ2、3年の間に、宗教的戒律が厳しい国でも大きく状況が変わってきているのだ。
 ことし6月にベトナムで開催された女子のアジアカップには、初めてイランがエントリーし、予選の第2ラウンドまで進んだ。決勝ラウンド進出こそ逃したが、FWマハムディの終盤の決勝点でチャイニーズ・タイペイに3-2と競り勝った試合は、この国の女子サッカーの歴史に残るに違いない。
 アラビア半島の国々でも女子の活動が盛んになっている。バーレーンでは中学校の女子サッカー大会を開催して選手を増やし、ことし6クラブでリーグ戦が始まった。3チームによるリーグ戦が行われているオマーンでは代表チームを組織すべく監督が任命された。UAEでは外国企業の女子チームを交えたリーグ戦が始まった。
 ヨルダンでも、クウェートでも、そしていまだ平和にはほど遠いパレスチナでも、かつては禁じられていた女子サッカーが2年ほど前に公式に認められ、過酷な環境のなかで選手がどんどん増え始めている。サウジアラビア、カタールといったとりわけ戒律の厳しい国でも、大学内だけでの活動ながら、ことしから女子サッカーが始まったという。
 長袖のユニホームを着、足にはタイツをはき、髪の毛もスカーフで覆ったままプレーしている選手も少なくない。しかしおそらく、そうした制約などサッカーをプレーできる喜びに比べたら何でもないだろう。西アジアの女性たちが本気でサッカーに取り組み始めた。東アジア勢も安閑としてはいられない。
 
(2008年9月24日)

No.713 アジアのサッカーを守る責任

 来年、Jリーグとアジアの関係が大きく変わる。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に4チーム出場し、「アジアでの戦い」が増えるだけではない。これまで「3人」に制限されていた外国籍選手の出場が、アジアサッカー連盟(AFC)加盟国の選手に限って「4人目」が許されることになるのだ。
 「⑴チーム内の競争激化によるレベルアップ。⑵アジアでの放映権販売やマーケティング活動の推進。⑶アジア全体の国際交流への貢献」
 新制度について、Jリーグの鬼武健二チェアマンはこの3点の狙いがあると説明する。
 私は、原則的にはこの「AFC枠」に大賛成だ。Jリーグはアジアで最も組織的に運営されているプロリーグであり、今晩第1戦が行われるACL準々決勝出場の8チーム中3チームがJリーグ勢で占められていることでもそのレベルの高さは証明済みだ。アジアの選手たちに門戸を開放すれば、国際交流だけでなく、アジア全体のサッカーの発展に大きく寄与するだろう。
 だが、放映権販売やマーケティングについては慎重に取り扱う必要があると思う。
 いま世界のサッカーはヨーロッパに席巻されている。イングランドを中心とした西欧各国のリーグやUEFAチャンピオンズリーグの放映権が世界中に販売され、地元のリーグをしのぐ人気を集めている。華やかでハイレベルなサッカーにファンが熱狂するのは当然のことだが、それによって各国の国内リーグが深刻なダメージを受けている現実は大きな問題だ。
 その傾向が最も強いのがアジアだ。中国や東南アジアでは、国内リーグの人気が低迷するなか、マンチェスター・ユナイテッドやバルセロナのレプリカシャツを着て街を歩く若者が驚くほど多い。アジア全体をマーケットにというJリーグの狙いのひとつは、ヨーロッパのように他国のマーケット(ファン)を奪い、その国のプロリーグの健全な発展を妨げる要因になる危険性をはらんでいる。
 放映権の販売自体は悪いことではない。しかし「売る一方」ではだめだ。同時に相手国リーグの放映権を買う契約も結び、日本国内でも定期的に放映するようにしたらどうか。アジアのサッカーのリーダーを自任し、「アジア全体の国際交流」をうたうからには、アジア各国の国内サッカーを守る義務もある。何よりも、Jリーグのマーケットは日本国内であるはずだ。
 
(2008年9月17日)

No.712 友情の写真集

 先週バーレーンに向かったカタール航空機は、エジプトなどアフリカ諸国への観光客で満員だった。たしかに中東は日本からアフリカへの中継地として最適かもしれない。
 「アフリカ」という言葉が浮かんだとき、ふいに、2年半前に急逝した友人の顔が頭をよぎった。富樫洋一さん。私と同じ年代のサッカー記者であり、テレビでも広く活躍、「ジャンルカ」のニックネームでファンから愛されていた。2006年2月、アフリカ選手権の取材中に体調を崩し、帰らぬ人となった。享年は54歳だった。
 月日の流れは速い。それから2年、アフリカ選手権はすでに次の大会が開催され、エジプトが連覇を飾った。
 昨年末、カメラマンの清水和良さんは、ことしのアフリカ選手権を取材するに当たって富樫さんを追悼する写真集にまとめようと考えた。清水さんは、90年代から7大会もいっしょにアフリカ選手権を取材してきた。富樫さんをしのぶには、アフリカのサッカーの魅力を表現するのがふさわしいと考えたのだ。
 ライターの金子達仁さんが賛同し、ふたりで発起人になって本の制作が決まった。そしてランダムハウス講談社から『THE AFRICAN FOOTBALL』として出版されることになった。
 B4変形、上製、全128ページという立派な写真集だが、ほぼすべての写真を出した清水さんにも、現地に赴いて原稿を書いた金子さんにも、そしてていねいなキャプションを書いたライターの戸塚啓さんにも、大会取材費はおろか、原稿料も支払われない。印税はすべて富樫さんのご遺族に贈られることになっているからだ。
 その友情の仲間入りをしたいと、多くの人が富樫さんへの送る言葉を寄せている。日本サッカー協会前会長川淵三郎さんからのメッセージもあるという。
 しかし清水さんは、サッカー界や記者仲間からだけでなく、広くファンからのメッセージも載せたいと考えた。それこそ、常にファンの立場に立ってサッカーを考え、独自の表現でサッカーの魅力を伝えてきた富樫さんへのはなむけにふさわしいと思ったからだ。
 そろそろ写真集をまとめなければならない。50字から200字の間であれば、どんな形のメッセージでもかまわない。自由な発想こそ、「富樫流」だった。遠慮なくメッセージを送ってほしい。
 送り先は、africa.togashi@gmail.com、ランダムハウス講談社・大森春樹さん。
 
(2008年9月10日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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