サッカーの話をしよう

No.711 ラマダン

 2010年に南アフリカで開催されるワールドカップのアジア最終予選が今週土曜日に始まる。初戦、日本はアウェーでバーレーンと当たる。今年3回目の中東遠征。しかし今回は少し様子が違う。
 9月1日、イスラム諸国で「ラマダン」がスタートしたのだ。イスラム暦(太陰暦)第9月。西暦で610年のこの月の第26日の夜に、預言者ムハンマド(マホメット)が神から啓示を受け、聖典「コーラン」を下された。イスラムにとって「聖なる月」である。
 コーランには「この月に在宅する者は断食しなければならない」とある。以後1400年、イスラムを信仰する人びとは毎年1カ月間の断食を行ってきた。現在も世界中で12億人と言われるイスラムの人びとが同じ苦しみを分かち合っている。
 「断食」と言っても、飲み食いを禁じられているのは日の出から日没まで。この間は、食事はおろか、一滴の水も飲むことができず、喫煙も禁止だ。人によってはつばを飲み込むことさえためらう。その反動のように、日が落ちると、人びとは食べ、飲み、明け方までの大騒ぎになる。
 かつては、ラマダン月にはサッカーの国際試合など行われなかった。練習ができないだけでなく、日没後の暴飲暴食や不規則な生活でサッカーどころではなかったからだ。
 しかし現在はそんなことを言っていられない。イスラムの都合などおかまいなしの「国際マッチデーカレンダー」があるからだ。というわけで、日本代表はラマダン真っ最中のバーレーンに乗り込むことになったのだ。
 断食は個人の信仰に基づく自主的なものなので、イスラムでない人びとに強要されることはない。しかし旅行者も、日中に水のボトルをもって町を歩くなどははばかられる。
 日没を告げる「アザーン」(コーランの朗唱)が町に響き渡ると、人びとはいっせいに「イフタール」と呼ばれる断食明けの食事に取り掛かる。家族いっしょに、日本でいえば正月の食事をして、その後、町に繰り出す。
 3月の対戦では、日本へのテレビ放映の都合で現地で午後5時20分だったキックオフ時間。それが今回は「イフタール」後の9時30分となっている。
 もちろんバーレーン代表選手は断食はしない。老人、病人、妊婦などとともに、「激しい肉体労働をする者」は免除されているからだ。それだけに、「断食中の同胞のために」という強烈なモチベーションがあるはずだ。


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バーレーン ラマダーン月第4日の夕暮れ
 
(2008年9月3日)

No.710 世界を救うのは笑顔

 「世界を救うのは笑顔ではないか―」
 オリンピックの取材をしながら、そんなことが頭をよぎった。
 「北京大会」と言っても、サッカーの試合は北京から遠く離れた瀋陽、秦皇島、天津、上海の4都市も舞台となった。日本の男女の試合をすべて見るために、大会の前半にはほとんど連日の移動が必要だった。そして結論から言えば、その大半は心地よい旅だった。
 旅行をしていて最も困るのは言葉ではない。こちらが困っていることにあまり関心を払ってもらえないときだ。かつてソ連崩壊前の東欧の国に取材に行ったとき、人びとが外国人である私を避けようとしているのに気づいた。道を尋ねても素っ気ない返事が返ってくるばかりだった。
 中国では、ごく一部の例外を除いて、駅でも、タクシーでも、そして食堂や商店でも英語は通じなかった。こちらも中国語はわからない。いろいろな場面で大騒ぎが必要になった。必死に漢字を書いて意図を伝えようとするのだが、なかなか通じないのだ。
 救われたのは、そうしたやりとりをしているとき、中国の人びとがほとんど例外なく親切だったことだ。周囲の人も寄ってきて、ああだこうだと言い合い、懸命にこちらの意図を探ろうとする。
 そして「正解」に達するとうれしそうな笑顔を見せる。その笑顔が本当にすばらしかった。心から「よかったね」と思っていることが伝わってくるのだ。
 漢字を見せても行き先がわからず、先方に電話して怒鳴り合うように話し合っていたタクシーの運転手も、無事目的地に着くと、崩れるような笑顔で送り出してくれた。
 02年ワールドカップで日本と韓国を訪れたベッケンバウアー(06年ドイツ大会組織委員長)は、笑顔の応対に感激し、06年大会のロゴマークに笑顔を入れた。ドイツ大会成功の決定的要因は、ドイツ人たちの笑顔だった。
 中国に行って最初に覚える言葉は「ニーハオ(こんにちわ)」。この言葉を口にすると、自然に小さな笑顔になる。もしかすると、古代からの「笑顔の知恵」がこの言葉のルーツなのかもしれない。
 私たち人類には「笑顔」という力強い道具がある。対立や紛争の絶えない世界だが、それを救うのは武器や外交ではなく、人びとの腹蔵のない笑顔なのではないか―。日本のサッカーを追って中国を旅行しながら、そんなことを考えた。


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秦皇島のボランティアスタッフと著者

(2008年8月27日)

No.709 岐路に立つオリンピック

 100年の歴史をもつオリンピックのサッカーが転換期を迎えているようだ。ヨーロッパのクラブとの対立のなか、国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は、オリンピックの男子サッカーを20歳以下の大会にすることを示唆し始めた。
 1908年ロンドン大会でオリンピックの正式種目になったサッカー。1920年代までは事実上の「世界選手権」だった。しかし1930年にプロ、アマにかかわらず出場できるワールドカップが始まり、人気が高まると、「アマチュア限定」のオリンピックは金メダルが東欧の「国家アマ」に独占され、魅力の乏しい大会となっていった。
 1980年代にオリンピック憲章から「アマチュア」が外され、サッカーも84年ロサンゼルス大会からプロの出場が解禁になった。ただFIFAがワールドカップとの差別化を図ろうといろいろ制約をつけたため、「二流の世界選手権」の印象はぬぐえなかった。
 88年ソウル大会でテニスが64年ぶりに正式競技に復帰、女子でグラフ(西ドイツ)が優勝するなど世界のトップクラスが出場して話題になった。国際オリンピック委員会(IOC)はサッカーでも世界のスーパースターが出場する大会にと要望したが、FIFAは応じず、逆に92年バルセロナ大会から23歳以下の年齢制限をつけた。
 この当時、世界のサッカーでは代表チームの主力は20代の後半が中心で、23歳以下の選手たちはクラブでようやく出番がきた程度だった。戦術的要請が増えて選手の成熟に時間がかかるようになっていたからだ。
 しかし21世紀にはいり、世界のサッカーでは10代の活躍が目立つようになった。クラブや協会が真剣に育成に取り組んだ結果だ。そのシンボルが、17歳でFCバルセロナのエースとなったメッシ(アルゼンチン代表)だ。
 看板スターがオリンピックで最長1カ月間も抜けられるのは痛い。クラブが選手を出し渋り、それがスペインのバルセロナだけではなく、ドイツのクラブにも広がった。FIFAは「23歳以下の選手がオリンピック代表に招集されたら、クラブはそれに応じなければならない」と通達を出し、選手たちは北京に向かったが、クラブ側は徹底抗戦の構えだ。
 力が増す一方の欧州クラブと各国代表チーム活動との調整に苦慮するFIFA。IOCの抵抗は必至だが、2012年ロンドン大会から「20歳以下」になる可能性は十分ある。
 
(2008年8月6日)

No.708 めぐり合わせのオリンピック

 「78年は若すぎた。82年は内臓の具合が悪く、思うように動けなかった。そして86年は足の具合が悪かった。どういうわけか、僕にとってワールドカップとはそうしためぐり合わせだったんだ」
 フランス・サッカー史上最高の選手と言われ、現在は欧州サッカー連盟(UEFA)会長として世界のサッカーのリーダーのひとりとなっているミシェル・プラティニ(53)から、現役引退直後の88年にこんな話を聞いた。ペレ(ブラジル)、マラドーナ(アルゼンチン)、ベッケンバウアー(ドイツ)、クライフ(オランダ)と並ぶ20世紀のスーパースターにも、そうした不運があったのだ。
 ワールドカップ優勝は、すべてのサッカー選手の夢だ。しかし大会は4年にいちどしかない。プレーヤーとして最も充実した時期が大会と重ならなければ、自らの手にカップをつかむチャンスは永遠に去ってしまう。「めぐり合わせ」の残酷さが、そこにある。
 「4年にいちど」はオリンピックも同じ。そのうえ、現在のオリンピックのサッカーは原則として「23歳以下」に出場が制限されているから、オリンピックで活躍するチャンスは、ほとんどの選手にとって「一生にいちど」と言ってよい。
 来週開幕する北京オリンピック。反町康治監督率いる男子サッカー日本代表18人には、強化が始まった当時には中核だった何人もの選手の名前がはいっていない。
 MF家長昭博(大分)は、2月に右ひざ靱帯(じんたい)を損傷し、まだ実戦に復帰できていない。MF水野晃樹(セルティック)は、スコットランドの強豪クラブへの移籍により試合出場が激減し、コンディション不良で選からもれた。
 この2人に限らず、才能と力をもちながらも「めぐり合わせ」の悪さで「北京行き」を逃した選手が何十人もいる。むしろ、選ばれた18人こそ、「めぐり合わせが良かった」結果なのかもしれない。
 しかしサッカーはオリンピックだけではないことを彼らは良く知っているはずだ。ワールドカップでは力を発揮し尽くせなくても、プラティニはユベントス(イタリア)で不滅の業績を残し、84年の欧州選手権では5試合で9得点の活躍でフランスを優勝に導いた。
 サッカー選手としての勝負はまさにこれからだ。「めぐり合わせ良く」選ばれた選手たちも周囲の大騒ぎに浮かれず、この貴重な経験をこれからの成長につなげてほしい。
 
(2008年7月30日)

No.707 試合の筋書き

 「試合に『筋書き』があるんだよ」
 2年ほど前、ドイツに住む友人からこんな話を聞いた。強豪チームの戦い方には一定の法則がある。それを彼は「試合の筋書き」と名付けたのだ。
 2つのチームが1個のボールを争い、相手のゴールを目指すサッカー。どんな試合でも、片方のチームがずっと主導権を握っているなどということはない。主導権は、互いに行き来する。
 UEFAチャンピオンズリーグを中心にデータを分析したところ、強豪が主導権を握るのは前半の20分まで、さらに30分過ぎから前半終了まで。そして後半も同じ形になることが多かった。それは意図的につくられた「筋書き」ではないか―。
 非常に興味深い推理だと思った。日本が世界の強豪と戦うとき、立ち上がりは苦戦しても20分を過ぎるとパスが回るようになる。ところが前半の終盤はまた苦しくなり、後半も同じ形。仮に0-0でしのいでいても、終盤に決勝点を奪われることが少なくない。
 アテネ・オリンピックでは、初戦のパラグアイ、第2戦のイタリアとも、最初に失点を喫し、結局それを返しきれずに連敗した。
 友人の「筋書き論」に対し、私の推理は「最大エネルギー論」だった。彼らは、前後半45分をどう戦えば90分間で最大のエネルギーを使いきることができるか、長年の勝負経験のなかで無意識に身につけている。それが形になったのが「筋書き」なのではないか―。
 日本ではよく「試合のはいり方」の良し悪しを云々する。しかし好スタートだけでは勝てない。相手がどんな時間帯に主導権を握ろうとするのか、それを理解すれば、その時間帯にどんなプレーをするべきかも自ずと明らかになる。
 「主導権を握る」とは、全員がよく動いてパスをつなぎ、攻撃を連続させることを意味している。では、主導権を握れないとき、強豪はどんなふうにその時間帯をしのぐのだろう。友人は別のデータの話をしてくれた。
 スペインのFCバルセロナは、チーム全体の動きが落ちたら、ともかく個人技をもった選手に渡し、時間をかせいでもらう。ある試合では、後半20分から30分にかけてのチームの総ボールタッチ数の3割をロナウジーニョひとりが占めていた。
 これも興味深いデータだ。北京オリンピックに挑む日本代表の戦いのヒントになるのではないだろうか。
 
(2008年7月23日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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