サッカーの話をしよう
No4 この感動、誰にでも
ファンもマスコミも大騒ぎだった5月15日のJリーグ開幕戦。大きな記事にはならなかったが、心温まる出来事があった。第1ステージのシリーズスポンサーであるサントリーが、都内など11の養護施設から200人を招待したことだ。
日本リーグ時代にも、三菱(現浦和レッズ)が東京や埼玉の施設に招待状を送り、車椅子を押すためにスタッフやOBを動員して対応したことがあった。そのときの話では、もっとたくさん招待したいのだが、駐車施設、競技場の構造、スタッフの手配、トイレの数などいくつもの障害があり、1試合にほんのわずかな人しか招待できないとのことだった。
ヨーロッパのサッカー場では、車椅子の人びとがスタンドの最前列で観戦している姿をよく目にする。スタジアムによっては、自動車のボディだけをはずしてフィールドのすぐ外に置いて「特等席」にしている。 日本でも、障害をもった人びとを視界から遠ざけようとしていた時代は過去のものとなり、彼らはいま積極的に社会に出ていこうとしている。社会もまた、そうした傾向にようやく後押しを始めた。県立の競技場には定員の1%の障害者用の席を設けなければならないなどの条例をもつところも少なくないと聞く。
たしかに、障害をもつ人びとのための施設をつくることはとても大事だ。しかしそれ以上に必要なのは、同じ社会の仲間として、彼らが不自由を感じないよう、いっしょに人生を楽しめるように、誰もが思いやりをもって行動することではないだろうか。
サッカー場にくる少年や少女のファンの大半は、健康に恵まれ、それを当然のことと考えているはずだ。そうした場に車椅子に乗った同世代の少年少女が観戦にくることは、彼らのなかに自分の健康に対する感謝の念を起こさせ、他人に対する思いやりを育ててくれるに違いない。
Jリーグは、これまでのプロスポーツと違い、地域社会との密接な結びつきを特徴としている。そしてサッカーがとくに青少年に人気の高いスポーツであるとすれば、地域の少年少女に対するJリーグ・クラブの責任は非常に大きなものといわなければならない。
開幕戦はJリーグが直接主管する特別な試合だった。しかし今後はすべて各クラブが主管し運営にあたる。5月15日はスポンサーの招待だったが、これからは各クラブがそれぞれのやり方で同じような招待活動をしていくはずだ。
レベルの高い試合をして観客を熱狂させることだけがプロサッカーの使命ではない。こうした地道な活動を、その意味を見失わずに続けることは、スペクタクルなゴールをあげ、勝利を重ね、チャンピオン・プレートに名を刻むことと同じように、あるいはそれ以上に意義のあることだ。
今季26シーズンぶりにイングランドのチャンピオンとなったマンチェスター・ユナイテッドのスタジアムで15年前に見た光景は、いまも鮮烈に脳裏に焼きついている。
耳も目も不自由な少年が、スタンドで「観戦」していたのだ。
少年が、プレーを見ることができず、歓声や応援の様子を聞くこともできないとわかったのは、付き添いの家族が彼の手のひらに一生懸命字を書いて試合の状況を説明していたからだ。目は見えず、耳は聞こえなくても、少年はスタジアムを震わせる空気や人びとが足を踏みならすリズムを感じることができるに違いない。光も音もない彼の生活にとって、この日はどれほどの喜びに満ちていたことだろうか。
(1993年5月18日=火)
日本リーグ時代にも、三菱(現浦和レッズ)が東京や埼玉の施設に招待状を送り、車椅子を押すためにスタッフやOBを動員して対応したことがあった。そのときの話では、もっとたくさん招待したいのだが、駐車施設、競技場の構造、スタッフの手配、トイレの数などいくつもの障害があり、1試合にほんのわずかな人しか招待できないとのことだった。
ヨーロッパのサッカー場では、車椅子の人びとがスタンドの最前列で観戦している姿をよく目にする。スタジアムによっては、自動車のボディだけをはずしてフィールドのすぐ外に置いて「特等席」にしている。 日本でも、障害をもった人びとを視界から遠ざけようとしていた時代は過去のものとなり、彼らはいま積極的に社会に出ていこうとしている。社会もまた、そうした傾向にようやく後押しを始めた。県立の競技場には定員の1%の障害者用の席を設けなければならないなどの条例をもつところも少なくないと聞く。
たしかに、障害をもつ人びとのための施設をつくることはとても大事だ。しかしそれ以上に必要なのは、同じ社会の仲間として、彼らが不自由を感じないよう、いっしょに人生を楽しめるように、誰もが思いやりをもって行動することではないだろうか。
サッカー場にくる少年や少女のファンの大半は、健康に恵まれ、それを当然のことと考えているはずだ。そうした場に車椅子に乗った同世代の少年少女が観戦にくることは、彼らのなかに自分の健康に対する感謝の念を起こさせ、他人に対する思いやりを育ててくれるに違いない。
Jリーグは、これまでのプロスポーツと違い、地域社会との密接な結びつきを特徴としている。そしてサッカーがとくに青少年に人気の高いスポーツであるとすれば、地域の少年少女に対するJリーグ・クラブの責任は非常に大きなものといわなければならない。
開幕戦はJリーグが直接主管する特別な試合だった。しかし今後はすべて各クラブが主管し運営にあたる。5月15日はスポンサーの招待だったが、これからは各クラブがそれぞれのやり方で同じような招待活動をしていくはずだ。
レベルの高い試合をして観客を熱狂させることだけがプロサッカーの使命ではない。こうした地道な活動を、その意味を見失わずに続けることは、スペクタクルなゴールをあげ、勝利を重ね、チャンピオン・プレートに名を刻むことと同じように、あるいはそれ以上に意義のあることだ。
今季26シーズンぶりにイングランドのチャンピオンとなったマンチェスター・ユナイテッドのスタジアムで15年前に見た光景は、いまも鮮烈に脳裏に焼きついている。
耳も目も不自由な少年が、スタンドで「観戦」していたのだ。
少年が、プレーを見ることができず、歓声や応援の様子を聞くこともできないとわかったのは、付き添いの家族が彼の手のひらに一生懸命字を書いて試合の状況を説明していたからだ。目は見えず、耳は聞こえなくても、少年はスタジアムを震わせる空気や人びとが足を踏みならすリズムを感じることができるに違いない。光も音もない彼の生活にとって、この日はどれほどの喜びに満ちていたことだろうか。
(1993年5月18日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。