サッカーの話をしよう

No23 少年よ、世界を目指せ

 数年前、よく高校選手の「燃え尽き症候群」が議論された。
 正月の高校選手権を目指して猛練習し、かなりいい線までいっていながら、大学では目標を失い、サッカーへの意欲が減っててしまう。「大学では楽しくサッカーをやりたい」と、同好会を選ぶ高校サッカーのスターも少なくなかった。
 Jリーグの誕生と成功でこの傾向は減っていくはずだ。高校選手権の先の目標ができたからだ。
 だが、Jリーグの人気が増せば増すほど「危険」も増えることを、私たちは心に止めておかなければならない。少年たちがJリーグの選手になること自体で満足してしまう恐れがあるからだ。そうなれば、日本のサッカーの成長はそこで止まってしまう。

 野球を見てほしい。ずぬけた能力をもった選手も、巨人や西武でエースや4番になればそれで満足してしまう。メジャーリーガーになろうとする選手など皆無に近い。日本のサッカーを同じ状態にしてしまっていいのだろうか。
 来年、地元にワールドカップを迎えるアメリカは、ここ1、2年で急速に力をつけ、ベスト8が期待できるほどになった。91年に就任したユーゴ人のミルチノビッチ監督の手腕でもあるが、それ以上に最近注目されているのが選手たちのチャレンジ精神だ。

 現在、アメリカには完全なプロのリーグはない。だから緊急措置として、サッカー協会はワールドカップまで代表チームを常設のものとした。候補選手と直接契約し、プロにふさわしい待遇を与えているのだ。
 だが、こうした好条件がありながら、たくさんの選手が危険を承知でヨーロッパのプロ・クラブに移籍した。イングランド、スペイン、ドイツ、オランダ、ギリシャ、フランス−。そうした国でスターの座をつかんだ選手も何人かいる。
 代表選手だけではない。よりハイレベルな環境でサッカーをしたいと、すでに数10人のアメリカ青年が大西洋を渡り、2部やときには3部リーグのクラブでプレーしている。
 こうした「出稼ぎ選手」がアメリカ・サッカーのレベルアップに貢献していることはいうまでもない。新しい選手がほしい場合、ミルチノビッチ監督はレベルの高いヨーロッパで活躍している選手をピックアップしてくればいいのだ。
 かつては、日本にもそんな選手が何人もいた。高校1年でブラジルに渡ったカズもそのひとりだった。いま、カズの道を歩もうとする少年は少なくないが、その志のレベルは少し違うような気がする。

 その意味でワールドカップの最終予選は重要だ。ワールドカップの舞台に出れば、カズをはじめ何人もの選手にヨーロッパでプレーする道が開かれるだろう。そして誰かが成功すれば、それが日本の少年たちの新しい目標となる。
 Jリーグはけっしてプロとしてレベルが低いわけではない。だが世界にはもっともっとハイレベルのサッカーをする国がある。そうした国で厳しい外国人選手枠を乗り越えてスターになるのは、真に実力のある選手以外には不可能だ。
 地理的条件から、ヨーロッパのクラブと契約したら日本代表でプレーするのは簡単ではなくなる。しかしヨーロッパのあちこちで日本人選手が活躍するようになれば、日本サッカーのレベルは確実にヨーロッパに追いつく。それはまた、Jリーグが世界に追いつくことも意味する。
 サッカーの世界は広い。そして頂点はとてつもなく高い。日本の少年諸君、燃え尽きるなら、世界のトップを極めたときだ!

(1993年10月5日=火)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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