サッカーの話をしよう
No46 日本にも迫りくるワールドカップ熱
気がつくと、周囲にワールドカップ・アメリカ大会のロゴやマスコットのキャラクター商品が何種類も出回っている。
第15回ワールドカップ1994四年アメリカ大会は、6月17日から7月17日まで、アメリカの9都市を舞台に開催される。世界各地の予選を勝ち抜いた22チームと、前回優勝のドイツ、そして開催地元のアメリカを加えた24四カ国が出場、1カ月間で52試合を行い、新しい世界チャンピオンが決定する。
これまでなら、日本では大会が始まっても大騒ぎしているのはごく一部のサッカーファンだけ。テレビ中継をしているNHKのスポーツニュースではかなり力を入れて報道するものの、オリンピックとは比べものにもならない。一般の人にとっては、大リーグのワールドシリーズほどのインパクトもなかっただろう。
しかし今回は、大会がまだ3カ月も先だというのにテレビCMをはじめいろいろなところで見る。
マスコミでも、雑誌を中心にワールドカップの企画が多くなった。5月、6月にはさらに盛り上がり、空前の「ワールドカップ・ブーム」になるだろう。
こうして、サッカーファンにとどまらず「日本」という国が初めてワールドカップの「毒牙」にかかることになる。これで日本はサッカーの魅力からもう逃れることはできない。
思えば私も、サッカーの世界にのめり込むきっかけとなったのはワールドカップだった。1966年イングランド大会の決勝戦を夏休みに偶然テレビで見て、サッカーの魅力にとりつかれてしまったのだ。
地元イングランドが西ドイツを破って優勝したのは知っていた。しかし細かなことは知らなかった。残り1分を切って1−2とリードされた西ドイツが最後の猛攻をかけ、同点ゴールをもぎ取った。
延長の30分間、私はテレビから目を離すことができなかった。夏休みが終わるとすぐ、私はサッカー部に入部した。
しかし、最近まで、この番組を見たという人に出会ったことがなかった。学生にとっては夏休みでも、平日の午後の放送を見た人がいったい何人いたのか。この話をしても、私の友人たちは皆、「そんな放送はなかった」と断言した。
思わぬところからこの番組の存在を確認したのは、一昨年の10月だった。日本サッカー協会の副会長で、2002年ワールドカップ招致委員会の事務局長を務める村田忠男さんが、「その番組は僕が買い取る手伝いをし、解説もした」と教えてくれたのだ。
28年前のその番組はもちろん白黒で、大会が終わってから9日後の放映だった。だがことしのアメリカ大会は、NHKが衛星チャンネルも含めて全試合を中継し、しかも大半は生中継となる。
6月から7月にかけての1カ月間、日本中がワールドカップの話題であふれるだろう。オリンピックの金メダルや高校野球が語られるように、ブラジルの戦術やR・バッジオ(イタリア)の天才性が議論されるだろう。
昨年11月、「魔のロスタイム」が大きな話題となったときのように、サッカー、そしてワールドカップがまた日本に近くなる。
4年前、日本サッカー協会は役員をイタリアに派遣して「招致活動開始」を世界にアピールした。だが肝心の日本では、ワールドカップの認知どころか、サッカーの普及すらままならない状態だった。しかし4年が過ぎ、日本サッカーの状況は大きく変わった。
今回の1カ月間を通じ、2002年大会日本開催がまた大きく近づく。
(1994年3月22日=火)
第15回ワールドカップ1994四年アメリカ大会は、6月17日から7月17日まで、アメリカの9都市を舞台に開催される。世界各地の予選を勝ち抜いた22チームと、前回優勝のドイツ、そして開催地元のアメリカを加えた24四カ国が出場、1カ月間で52試合を行い、新しい世界チャンピオンが決定する。
これまでなら、日本では大会が始まっても大騒ぎしているのはごく一部のサッカーファンだけ。テレビ中継をしているNHKのスポーツニュースではかなり力を入れて報道するものの、オリンピックとは比べものにもならない。一般の人にとっては、大リーグのワールドシリーズほどのインパクトもなかっただろう。
しかし今回は、大会がまだ3カ月も先だというのにテレビCMをはじめいろいろなところで見る。
マスコミでも、雑誌を中心にワールドカップの企画が多くなった。5月、6月にはさらに盛り上がり、空前の「ワールドカップ・ブーム」になるだろう。
こうして、サッカーファンにとどまらず「日本」という国が初めてワールドカップの「毒牙」にかかることになる。これで日本はサッカーの魅力からもう逃れることはできない。
思えば私も、サッカーの世界にのめり込むきっかけとなったのはワールドカップだった。1966年イングランド大会の決勝戦を夏休みに偶然テレビで見て、サッカーの魅力にとりつかれてしまったのだ。
地元イングランドが西ドイツを破って優勝したのは知っていた。しかし細かなことは知らなかった。残り1分を切って1−2とリードされた西ドイツが最後の猛攻をかけ、同点ゴールをもぎ取った。
延長の30分間、私はテレビから目を離すことができなかった。夏休みが終わるとすぐ、私はサッカー部に入部した。
しかし、最近まで、この番組を見たという人に出会ったことがなかった。学生にとっては夏休みでも、平日の午後の放送を見た人がいったい何人いたのか。この話をしても、私の友人たちは皆、「そんな放送はなかった」と断言した。
思わぬところからこの番組の存在を確認したのは、一昨年の10月だった。日本サッカー協会の副会長で、2002年ワールドカップ招致委員会の事務局長を務める村田忠男さんが、「その番組は僕が買い取る手伝いをし、解説もした」と教えてくれたのだ。
28年前のその番組はもちろん白黒で、大会が終わってから9日後の放映だった。だがことしのアメリカ大会は、NHKが衛星チャンネルも含めて全試合を中継し、しかも大半は生中継となる。
6月から7月にかけての1カ月間、日本中がワールドカップの話題であふれるだろう。オリンピックの金メダルや高校野球が語られるように、ブラジルの戦術やR・バッジオ(イタリア)の天才性が議論されるだろう。
昨年11月、「魔のロスタイム」が大きな話題となったときのように、サッカー、そしてワールドカップがまた日本に近くなる。
4年前、日本サッカー協会は役員をイタリアに派遣して「招致活動開始」を世界にアピールした。だが肝心の日本では、ワールドカップの認知どころか、サッカーの普及すらままならない状態だった。しかし4年が過ぎ、日本サッカーの状況は大きく変わった。
今回の1カ月間を通じ、2002年大会日本開催がまた大きく近づく。
(1994年3月22日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。