サッカーの話をしよう

No55 ワールドカップ招致はアジアの視線で

 日本サッカー協会の島田秀夫会長が2002年ワールドカップの招致に関して「アジアには期待していない」と発言したという問題は、会長自身が釈明して一応は落ちついたようだ。
 ワールドカップ開催地を決めるのは国際サッカー連盟(FIFA)の理事会。アベランジェ会長を含む23人の理事の投票で、過半数をとらなければならない。アジアからの理事会メンバーは3人。その3人の票だけでは当選することはできないので、「アジアだけにとらわれずに運動していく」というのが島田会長の真意だった。
 しかし、これは少し筋が違うのではないか。日本が2002年ワールドカップを開催したいと考えたら、まずはアジアの国ぐにから支持されなければならないと思うからだ。

 FIFAにとって、日本はワールドカップ開催の理想的な条件を備えている。強固な企業協賛、安全で、通信や交通施設も万全、施設の計画も申し分ない。何よりも通貨が非常に強く、安定した収入を得ることができる。その日本が、大会の10数年も前から真剣に招致活動をやってきたのだ。印象が悪いわけがない。
 それだけではない。正式な立候補をする前にプロリーグを発足させ、大成功を収めている、93年のU−17世界選手権など、FIFAイベントへの協力も非常に積極的だ。
 長年にわたる努力で、日本サッカー協会は南米サッカー連盟との間に密接な関係を築いてきた。これも大きな助けになるだろう。
 だがしかし、アジア諸国が「ワールドカップ日本開催」を望まないとしたら、FIFAは、そして世界はどう見るだろうか。アジアの支持は、ただの「3票」ではないのだ。

 では、アジアの支持を得るためにどうすればいいのか。中東の産油国のようにアジアサッカー連盟に大金を寄付するような方法は関心できない。アジアのサッカーの発展に寄与できるものであってほしい。
 1969年に千葉の検見川東大グラウンドで「FIFAコーチングスクール」が開かれた。FIFAからはデットマル・クラマー・コーチが派遣されたが、スクールにかかる経費は日本協会が負担した。当時の協会は借金だらけだったが、「10年、20年先のための投資」と、2300万円という大金を出した。
 アジアの12カ国のコーチ40人(うち日本人12人)が受講し、その成果はアジアのサッカーのレベルを引き上げるのに大きな役割を果たした。

 もちろん当時といまでは状況が違う。アジアのサッカーも大きく進歩した。だが同じようにアジア全体のためになることがまだまだいくらでもあるはずだ。
 日本サッカー協会は、招致活動を始めるにあたってワールドカップの日本開催が「アジアサッカー全体にとっても大きな意義のあること」(招致パンフレットの高円宮・協会名誉総裁のあいさつから)と宣言している。それならば、招致活動自体がアジアのサッカーの発展に役立つものであればいっそういい。

 日本の2002年招致委員会は、96年6月の開催地決定までに40億円以上の予算をもっている。その一部をアジアのサッカー発展のために役立てることはできないのだろうか。
 もちろん、招致が決まったらそんなものはもう必要ないというわけにはいかない。アジアのサッカーが発展していくために恒常的な活動を行わなければならない。日本協会は、アジア初のワールドカップを日本で開催することに対するアジア全体への責任を、重く受け止めなければならない。

(1994年5月31日=火)
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