サッカーの話をしよう
No61 時間の浪費こそ大敵
「サッカーの試合時間は何分?」と聞かれれば、たいていの人は「前後半合わせて90分」と答えることができる。こんなことは、いまでは日本人の常識だ。だが、アメリカで行われているワールドカップでは、その常識は通用しない。
ほとんどの試合が、前後半合わせると95分以上になる。私が見たなかでは予選リーグC組の韓国−ボリビア戦が、なんと104分にもなった。後半だけで53分半もあった。
国際サッカー連盟(FIFA)が主審に「浪費された時間はすべて補うこと」という指示を与え、それが徹底されているからだ。
サッカーでは試合時間の管理は主審の専任事項。主審が自分の腕時計を使って時間を計る。そして、何分浪費され、その結果45分が過ぎてから何分補うかの決定も、主審ひとりに任されている。
アメリカン・フットボールでは、公式の時計員が場内の時計を動かす。それが0になれば試合は終了だ。だからワールドカップでは電光掲示板の時計が45:00に近づくと、「公式時計はフィールド内で行われています」という場内アナウンスが毎試合行われた。
試合時間九十分といっても、実際にプレーが動いている時間(アクチュアルタイム)はトップクラスの試合では驚くほど少ない。4年前のイタリア大会では平均54分間強だった。
これを重く見たFIFAは、今大会の重要な目標のひとつとして、アクチュアルタイムを伸ばすことを決めた。その具体的な施策が主審への指示だった。
大会途中の集計で、FIFAは「アクチュアルタイムが60分を超した」と発表した。前大会より6分間も増えたことになる。
だが、これには「からくり」がある。そう、実際の試合時間が大幅に伸ばされているのだ。いわゆる「ロスタイム」を毎試合5分間もとれば、アクチュアルタイムが伸びるのは当然だ。
たしかに、アクチュアル・タイムが少ないことはサッカーにとって大きな問題だ。だが、その補償の責任を主審ひとりに負わせる方針には疑問を感じる。大幅に時間を伸ばすのは、主審にとって大きなプレッシャーになるからだ。
ワールドカップのように選りすぐられた審判がFIFAの直接の管理下で仕事ができる場合はまだいい。しかし通常、たとえばホームチームが勝っているときに、平気で5分間も伸ばせる審判がいるだろうか。
ここまでしてアクチュアルタイムを伸ばしたいのなら、公式タイムキーパーを置いて、アクチュアルタイムが30分間になるまで前半、後半を戦わせたほうがまだましだ。
だがもちろん、この案を薦めるわけではない。いちばん大事なのは、選手が、そしてチームが時間を浪費しないように努力することだ。現在は、負傷を装ったり、相手の素早いフリーキックを妨害したり、ゆっくりとボールを拾いに行ったなど、時間を浪費する行為が当然のようにまかりとおっている。それをなくさなければ、サッカーはどんどん喜びを失ってしまう。
「ロスタイム」といえば昨年のワールドカップ予選のイラク戦だ。あのとき、右から攻めてセンタリングでボールを相手に与えてしまったプレーを「戦術的に未熟」と非難した人が多かった。だがセンタリングしたとき、彼は「もう1点」を狙っていたはずだ。それがサッカーをする心だ。
試合時間を伸ばすことでアクチュアルタイムを伸ばすのは、けっして「最善」の方法ではない。本当に楽しいゲームに戻るために、現代のサッカーに与えられた課題は大きい。
(1994年7月12日=火)
ほとんどの試合が、前後半合わせると95分以上になる。私が見たなかでは予選リーグC組の韓国−ボリビア戦が、なんと104分にもなった。後半だけで53分半もあった。
国際サッカー連盟(FIFA)が主審に「浪費された時間はすべて補うこと」という指示を与え、それが徹底されているからだ。
サッカーでは試合時間の管理は主審の専任事項。主審が自分の腕時計を使って時間を計る。そして、何分浪費され、その結果45分が過ぎてから何分補うかの決定も、主審ひとりに任されている。
アメリカン・フットボールでは、公式の時計員が場内の時計を動かす。それが0になれば試合は終了だ。だからワールドカップでは電光掲示板の時計が45:00に近づくと、「公式時計はフィールド内で行われています」という場内アナウンスが毎試合行われた。
試合時間九十分といっても、実際にプレーが動いている時間(アクチュアルタイム)はトップクラスの試合では驚くほど少ない。4年前のイタリア大会では平均54分間強だった。
これを重く見たFIFAは、今大会の重要な目標のひとつとして、アクチュアルタイムを伸ばすことを決めた。その具体的な施策が主審への指示だった。
大会途中の集計で、FIFAは「アクチュアルタイムが60分を超した」と発表した。前大会より6分間も増えたことになる。
だが、これには「からくり」がある。そう、実際の試合時間が大幅に伸ばされているのだ。いわゆる「ロスタイム」を毎試合5分間もとれば、アクチュアルタイムが伸びるのは当然だ。
たしかに、アクチュアル・タイムが少ないことはサッカーにとって大きな問題だ。だが、その補償の責任を主審ひとりに負わせる方針には疑問を感じる。大幅に時間を伸ばすのは、主審にとって大きなプレッシャーになるからだ。
ワールドカップのように選りすぐられた審判がFIFAの直接の管理下で仕事ができる場合はまだいい。しかし通常、たとえばホームチームが勝っているときに、平気で5分間も伸ばせる審判がいるだろうか。
ここまでしてアクチュアルタイムを伸ばしたいのなら、公式タイムキーパーを置いて、アクチュアルタイムが30分間になるまで前半、後半を戦わせたほうがまだましだ。
だがもちろん、この案を薦めるわけではない。いちばん大事なのは、選手が、そしてチームが時間を浪費しないように努力することだ。現在は、負傷を装ったり、相手の素早いフリーキックを妨害したり、ゆっくりとボールを拾いに行ったなど、時間を浪費する行為が当然のようにまかりとおっている。それをなくさなければ、サッカーはどんどん喜びを失ってしまう。
「ロスタイム」といえば昨年のワールドカップ予選のイラク戦だ。あのとき、右から攻めてセンタリングでボールを相手に与えてしまったプレーを「戦術的に未熟」と非難した人が多かった。だがセンタリングしたとき、彼は「もう1点」を狙っていたはずだ。それがサッカーをする心だ。
試合時間を伸ばすことでアクチュアルタイムを伸ばすのは、けっして「最善」の方法ではない。本当に楽しいゲームに戻るために、現代のサッカーに与えられた課題は大きい。
(1994年7月12日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。