サッカーの話をしよう
No64 雑音気にせずがんばれカズ
「プリンスの留学みたいだね」
カズ(三浦知良)がイタリアに出発する様子をテレビで見ながらそう思った。トラック2杯の引っ越し荷物、テレビカメラに囲まれた出発風景。到着先にも、たくさんの日本のプレスが待ち構えている。
ヴェルディからジェノアへの移籍は、「1年間のレンタル」だという。「もういちど外国で、できれば世界のトップといわれるイタリアのセリエAでプレーしてみたい」というカズの熱望を、ヴェルディ側が「1年間だけなら」とOKを出したというわけだ。
カズがプレーしようとしているイタリアの「セリエA」は、とくにストライカーにとって非常に難しいリーグだ。イタリアでは、スペクタクルな攻め合いよりも、とにかく地元チームが勝つことをファンが望む。だから、1−0の勝利が最も美しいとさえいわれる。「得点すること」によって自己をアピールするストライカーにとっては、最も難しい「仕事場」なのだ。
イングランドのリバプールで「欧州ナンバーワンFW」の名をほしいままにしたイアン・ラッシュも、ほとんど何もできないまま逃げるように帰国した。似た例は、それこそ掃いて捨てるほどある。ストライカーとして1年目から成功した例のほうが少ないのだ。
カズとコンビを組むスクラビーは数少ない例外のひとりで、イタリアにきた1年目に15得点を記録した。だが彼も、初得点は開幕から2カ月もたってから。大半はシーズンの後半にあげたものだった。
カズは10月にはアジア大会のために帰国する。9月に開幕しても、10月に帰国してしまう選手をレギュラーとすることができるだろうか。アジア大会を終えてジェノアに帰ってからが、カズにとっての本当の戦いとなる。そうした戦いに慣れたころには、シーズンの大半が終わってしまっているのではないか。
もちろん、そんなことはカズ本人は百も承知に違いない。それでも新しいものに挑戦したかったのだ。
昨年から始まったJリーグで、たくさんの少年たちがプロのサッカー選手という夢をもった。秋には、カズは自らのプレーと得点で「ワールドカップ」というさらに大きな夢があることを示した。そしていま、外国のトップのリーグでプレーするという新たな夢を、彼は少年たちに見せた。
12年前、15歳のカズは片道だけの航空券をもってブラジルに向かった。そして地にはいつくばるような死闘を経てプロ選手となり、ついにはアジアのトップスターとなった。
カズの本心は、今回も、「裸」で挑戦したいということではないか。死に物狂いで戦わない限り、イタリアで栄光をつかむことなどできないことは、カズ自身がいちばんよく知っているからだ。その「挑戦」に1年間しか与えないのは、どういうことだろうか。なぜ「帰る場所はないと思え」ぐらいのことを言って送りだせなかったのか。
どんなきっかけがあったにせよ、カズはチャンスを得て、日本での「スーパースター」の地位をかなぐり捨ててそれに飛び込んだ。その挑戦を「プリンスの留学」のように見せたのは、彼を利用しようとする周囲の人びとだった。
世界の超一流に比べればサッカー選手として「もって生まれたもの」はけっして大きくはないカズ。しかし精神力と集中力は、まちがいなく日本、いや、アジアでトップだ。それはセリエAでも時間さえ与えれば大きく花開くはず。周囲の雑音に惑わされず、イタリアでも「カズらしさ」を発揮してほしいと思う。
(1994年8月2日=火)
カズ(三浦知良)がイタリアに出発する様子をテレビで見ながらそう思った。トラック2杯の引っ越し荷物、テレビカメラに囲まれた出発風景。到着先にも、たくさんの日本のプレスが待ち構えている。
ヴェルディからジェノアへの移籍は、「1年間のレンタル」だという。「もういちど外国で、できれば世界のトップといわれるイタリアのセリエAでプレーしてみたい」というカズの熱望を、ヴェルディ側が「1年間だけなら」とOKを出したというわけだ。
カズがプレーしようとしているイタリアの「セリエA」は、とくにストライカーにとって非常に難しいリーグだ。イタリアでは、スペクタクルな攻め合いよりも、とにかく地元チームが勝つことをファンが望む。だから、1−0の勝利が最も美しいとさえいわれる。「得点すること」によって自己をアピールするストライカーにとっては、最も難しい「仕事場」なのだ。
イングランドのリバプールで「欧州ナンバーワンFW」の名をほしいままにしたイアン・ラッシュも、ほとんど何もできないまま逃げるように帰国した。似た例は、それこそ掃いて捨てるほどある。ストライカーとして1年目から成功した例のほうが少ないのだ。
カズとコンビを組むスクラビーは数少ない例外のひとりで、イタリアにきた1年目に15得点を記録した。だが彼も、初得点は開幕から2カ月もたってから。大半はシーズンの後半にあげたものだった。
カズは10月にはアジア大会のために帰国する。9月に開幕しても、10月に帰国してしまう選手をレギュラーとすることができるだろうか。アジア大会を終えてジェノアに帰ってからが、カズにとっての本当の戦いとなる。そうした戦いに慣れたころには、シーズンの大半が終わってしまっているのではないか。
もちろん、そんなことはカズ本人は百も承知に違いない。それでも新しいものに挑戦したかったのだ。
昨年から始まったJリーグで、たくさんの少年たちがプロのサッカー選手という夢をもった。秋には、カズは自らのプレーと得点で「ワールドカップ」というさらに大きな夢があることを示した。そしていま、外国のトップのリーグでプレーするという新たな夢を、彼は少年たちに見せた。
12年前、15歳のカズは片道だけの航空券をもってブラジルに向かった。そして地にはいつくばるような死闘を経てプロ選手となり、ついにはアジアのトップスターとなった。
カズの本心は、今回も、「裸」で挑戦したいということではないか。死に物狂いで戦わない限り、イタリアで栄光をつかむことなどできないことは、カズ自身がいちばんよく知っているからだ。その「挑戦」に1年間しか与えないのは、どういうことだろうか。なぜ「帰る場所はないと思え」ぐらいのことを言って送りだせなかったのか。
どんなきっかけがあったにせよ、カズはチャンスを得て、日本での「スーパースター」の地位をかなぐり捨ててそれに飛び込んだ。その挑戦を「プリンスの留学」のように見せたのは、彼を利用しようとする周囲の人びとだった。
世界の超一流に比べればサッカー選手として「もって生まれたもの」はけっして大きくはないカズ。しかし精神力と集中力は、まちがいなく日本、いや、アジアでトップだ。それはセリエAでも時間さえ与えれば大きく花開くはず。周囲の雑音に惑わされず、イタリアでも「カズらしさ」を発揮してほしいと思う。
(1994年8月2日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。