サッカーの話をしよう
No73 アジア大会はワールドカップ招致予選ではない
アジア大会が開幕した。
残念ながらパレスチナは参加とりやめになったが、新しくアジア・サッカー連盟の一員となった旧ソ連のトルクメニスタンとウズベキスタンが参加し、非常に興味深い大会となった。
「ホームチーム」としてアジアの強豪を迎える日本代表にとっては、ファルカン体制の一応の結論を出す大会となる。イタリアに渡ったカズ(三浦知良)の負傷、大会準備期間の短さなど多くの問題をかかえているが、力いっぱいのプレーを見せてくれることを期待したい。
だが気になることがひとつある。日本サッカー協会の首脳やマスメディアの論調に「2002年ワールドカップ招致のためには勝ってもらわないと困る」という空気があることだ。
ライバル韓国は過去3回連続ワールドカップ出場というチーム力を招致の切り札のひとつにしている。今回も、アジアの実力ナンバーワンは韓国であることを示すために最強の代表チームを送り込んできた。
「これに負けたら、韓国にまた有利な状況を与えてしまう」
という焦りにも似た気持ちが日本側にはある。
しかし日本代表チームと選手たちが戦わなければならないのは、韓国ひとつではない。サウジアラビアを筆頭とした中東の国ぐに、プロ化で選手たちの意識が大きく変わった中国、マレーシア、そして旧ソ連の二国など、いずれもあなどれない強豪ばかりだ。
一昨年のアジアカップで初めて全アジアのタイトルをつかみ、昨年にかけて大きく飛躍してアジアのトップクラスに並んだ日本。ことしにはいってファルカン監督のもと再スタートしたのは、98年に行われるフランス・ワールドカップを目指してのものであり、その一過程として地元で開催されるアジア大会がやってきた。
昨年までに確立した「アジアのトップクラス」という地位を守ってほしい。いい試合を見せ、いい結果を出して日本中のファンをまた楽しませ、世界を目指してサッカーに取り組んでいる少年たちに誇りをもたせてほしい。そしてその結果が2002年ワールドカップの招致にプラスになるなら、いうことはない。
しかしその戦いは、けっして2002年招致のためのものではない。ワールドカップが日本に来る来ないにかかわらず、94年広島アジア大会は日本のサッカーにとって重要な大会であり、代表選手たちにとっても戦いがいのある「チャレンジ」だからだ。
かつてメキシコ五輪以降の「冬の時代」には「日の丸への誇りが足りない」と批判された日本代表。しかし新しいプロの時代になって、選手たちは日本代表になって世界の舞台に出ることを大きな目標にするようになった。
誰かからモチベーション(動機づけ)を与えられるまでもなく、日本選手たちは目の前のどんな相手も倒し、すべての試合を勝たなければならないことを承知している。自らの人生と誇りをかけてプレーするプロであれば当然だ。
ワールドカップ招致は代表チームでなく日本サッカー協会と招致委員会の仕事のはずだ。代表チームの成績がどうあろうと、世界のサッカー関係者に「日本で開催したい」と思わせることが、両者の責任ではないのか。
アジア大会は「2002年招致予選」ではない。優勝しても誰も日本開催を保証してくれるわけではないし、好成績が残せなくても招致そのものとは無関係。大会の結果、それは純粋に現在の代表チームとその選手たちのものなのだ。
(1994年10月4日=火)
残念ながらパレスチナは参加とりやめになったが、新しくアジア・サッカー連盟の一員となった旧ソ連のトルクメニスタンとウズベキスタンが参加し、非常に興味深い大会となった。
「ホームチーム」としてアジアの強豪を迎える日本代表にとっては、ファルカン体制の一応の結論を出す大会となる。イタリアに渡ったカズ(三浦知良)の負傷、大会準備期間の短さなど多くの問題をかかえているが、力いっぱいのプレーを見せてくれることを期待したい。
だが気になることがひとつある。日本サッカー協会の首脳やマスメディアの論調に「2002年ワールドカップ招致のためには勝ってもらわないと困る」という空気があることだ。
ライバル韓国は過去3回連続ワールドカップ出場というチーム力を招致の切り札のひとつにしている。今回も、アジアの実力ナンバーワンは韓国であることを示すために最強の代表チームを送り込んできた。
「これに負けたら、韓国にまた有利な状況を与えてしまう」
という焦りにも似た気持ちが日本側にはある。
しかし日本代表チームと選手たちが戦わなければならないのは、韓国ひとつではない。サウジアラビアを筆頭とした中東の国ぐに、プロ化で選手たちの意識が大きく変わった中国、マレーシア、そして旧ソ連の二国など、いずれもあなどれない強豪ばかりだ。
一昨年のアジアカップで初めて全アジアのタイトルをつかみ、昨年にかけて大きく飛躍してアジアのトップクラスに並んだ日本。ことしにはいってファルカン監督のもと再スタートしたのは、98年に行われるフランス・ワールドカップを目指してのものであり、その一過程として地元で開催されるアジア大会がやってきた。
昨年までに確立した「アジアのトップクラス」という地位を守ってほしい。いい試合を見せ、いい結果を出して日本中のファンをまた楽しませ、世界を目指してサッカーに取り組んでいる少年たちに誇りをもたせてほしい。そしてその結果が2002年ワールドカップの招致にプラスになるなら、いうことはない。
しかしその戦いは、けっして2002年招致のためのものではない。ワールドカップが日本に来る来ないにかかわらず、94年広島アジア大会は日本のサッカーにとって重要な大会であり、代表選手たちにとっても戦いがいのある「チャレンジ」だからだ。
かつてメキシコ五輪以降の「冬の時代」には「日の丸への誇りが足りない」と批判された日本代表。しかし新しいプロの時代になって、選手たちは日本代表になって世界の舞台に出ることを大きな目標にするようになった。
誰かからモチベーション(動機づけ)を与えられるまでもなく、日本選手たちは目の前のどんな相手も倒し、すべての試合を勝たなければならないことを承知している。自らの人生と誇りをかけてプレーするプロであれば当然だ。
ワールドカップ招致は代表チームでなく日本サッカー協会と招致委員会の仕事のはずだ。代表チームの成績がどうあろうと、世界のサッカー関係者に「日本で開催したい」と思わせることが、両者の責任ではないのか。
アジア大会は「2002年招致予選」ではない。優勝しても誰も日本開催を保証してくれるわけではないし、好成績が残せなくても招致そのものとは無関係。大会の結果、それは純粋に現在の代表チームとその選手たちのものなのだ。
(1994年10月4日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。