サッカーの話をしよう
No80 「勝ち点3」は子どもを傷つける
Jリーグには引き分けがない。だから「勝ち点」もない。
勝ち点とは、リーグ戦で多くの試合をするときに順位をつけるためのものだ。サッカーでは、伝統的に一試合を2勝ち点と設定し、勝利に2、引き分けに1勝ち点を与えてきた。引き分けに勝利の半分の価値を認め、文字通り2勝ち点を分け合ったのだ。
ところが、国際サッカー連盟(FIFA)は10月にニューヨークで行われた理事会でこの勝ち点を「勝利に3、引き分けに1」にすることを決定した。そして加盟191カ国の全リーグがこの方式で行われることを要請している。
変更の目的は、勝利の重要性を増すことによって、より積極的なプレーを引き出すことだ。FIFAは今夏のワールドカップ予選リーグでこの「3−1方式」を採用し、その結果、試合が攻撃的になり、より面白くなったと評価している。この成功を全世界に広めようとしているのだ。
3−1方式は、けっして目新しいものではない。
イングランド・リーグで1981年に導入され、その後ヨーロッパのいくつかの国が導入した。ほとんどの国が数年でやめてしまったが、イングランドだけはすでに14シーズンにわたって続けている。
そして、イタリアをはじめ、最近改めてこの方式をトップリーグに導入した国も少なくない。
実は日本でも、88/89年シーズンの日本リーグで導入され、92年にJリーグ体制に切り換えられるまで続けられた。
サッカーの人気を保つためには、両チームが積極的な攻撃を仕掛けなくてはならない。観客は、守り合いや中盤でのボールの回し合いではなく、技術と想像力に富んだ勇敢な攻撃プレーの応酬を見たい。
それを可能にするのが3−1方式だというのだ。
問題は、FIFAがこの方式を世界中の全リーグに導入するよう求めていることだ。日本でも、きっと来年から市内の少年リーグまでこの方式がとられるようになるだろう。日本サッカー協会の統制力は、こうした点では他に例を見ないほど優れている。
なぜ「問題」なのか。
3−1方式の基本的な考え方は、「引き分けは悪」ということだ。これは有料入場者を想定したリーグでは正しいかもしれない。
しかし世界のサッカーの大半はプレーヤーたち自身の楽しみのためのものだ。あるいはまた、少年少女の試合のように、計算抜きにただ一生懸命プレーされているものだ。
そうした「無垢」なリーグにまでこの考え方を導入すると、サッカーは楽しみや喜びでなく、勝敗が最重要なものとなってしまう。
スポーツとは本来、「自己目的」的なものだ。体や精神を鍛える、健康に役立つなどの「効用」はあっても、本来はスポーツをすること自体が楽しいから取り組むものだ。勝敗は、その結果ついてくるものにすぎない。
2チームが勝利を目指して戦うなら、力の拮抗やちょっとした運で、「引き分け」という「結果」が生まれるのは当然なのだ。
3−1方式の与える心理的な影響は、勝利の価値を重くすることよりむしろ引き分けという「結果」を無意味にする。それは、ただサッカーが好きで一生懸命にプレーしている人、そして少年少女たちの心を傷つけるものだ。
3−1方式の「元祖」であるイングランドでも、この方式を採用しているのはセミプロのリーグまで。アマチュアリーグでは、いまだに伝統的な2−1方式が使われている。
(1994年11月22日=火)
勝ち点とは、リーグ戦で多くの試合をするときに順位をつけるためのものだ。サッカーでは、伝統的に一試合を2勝ち点と設定し、勝利に2、引き分けに1勝ち点を与えてきた。引き分けに勝利の半分の価値を認め、文字通り2勝ち点を分け合ったのだ。
ところが、国際サッカー連盟(FIFA)は10月にニューヨークで行われた理事会でこの勝ち点を「勝利に3、引き分けに1」にすることを決定した。そして加盟191カ国の全リーグがこの方式で行われることを要請している。
変更の目的は、勝利の重要性を増すことによって、より積極的なプレーを引き出すことだ。FIFAは今夏のワールドカップ予選リーグでこの「3−1方式」を採用し、その結果、試合が攻撃的になり、より面白くなったと評価している。この成功を全世界に広めようとしているのだ。
3−1方式は、けっして目新しいものではない。
イングランド・リーグで1981年に導入され、その後ヨーロッパのいくつかの国が導入した。ほとんどの国が数年でやめてしまったが、イングランドだけはすでに14シーズンにわたって続けている。
そして、イタリアをはじめ、最近改めてこの方式をトップリーグに導入した国も少なくない。
実は日本でも、88/89年シーズンの日本リーグで導入され、92年にJリーグ体制に切り換えられるまで続けられた。
サッカーの人気を保つためには、両チームが積極的な攻撃を仕掛けなくてはならない。観客は、守り合いや中盤でのボールの回し合いではなく、技術と想像力に富んだ勇敢な攻撃プレーの応酬を見たい。
それを可能にするのが3−1方式だというのだ。
問題は、FIFAがこの方式を世界中の全リーグに導入するよう求めていることだ。日本でも、きっと来年から市内の少年リーグまでこの方式がとられるようになるだろう。日本サッカー協会の統制力は、こうした点では他に例を見ないほど優れている。
なぜ「問題」なのか。
3−1方式の基本的な考え方は、「引き分けは悪」ということだ。これは有料入場者を想定したリーグでは正しいかもしれない。
しかし世界のサッカーの大半はプレーヤーたち自身の楽しみのためのものだ。あるいはまた、少年少女の試合のように、計算抜きにただ一生懸命プレーされているものだ。
そうした「無垢」なリーグにまでこの考え方を導入すると、サッカーは楽しみや喜びでなく、勝敗が最重要なものとなってしまう。
スポーツとは本来、「自己目的」的なものだ。体や精神を鍛える、健康に役立つなどの「効用」はあっても、本来はスポーツをすること自体が楽しいから取り組むものだ。勝敗は、その結果ついてくるものにすぎない。
2チームが勝利を目指して戦うなら、力の拮抗やちょっとした運で、「引き分け」という「結果」が生まれるのは当然なのだ。
3−1方式の与える心理的な影響は、勝利の価値を重くすることよりむしろ引き分けという「結果」を無意味にする。それは、ただサッカーが好きで一生懸命にプレーしている人、そして少年少女たちの心を傷つけるものだ。
3−1方式の「元祖」であるイングランドでも、この方式を採用しているのはセミプロのリーグまで。アマチュアリーグでは、いまだに伝統的な2−1方式が使われている。
(1994年11月22日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。