サッカーの話をしよう

No82 けちらずに拍手しようよ

 「優秀な運営を国際サッカー連盟(FIFA)の理事たちに見てもらうことができ、ワールドカップ招致推進に大きく役立った」
 日本サッカー協会の役員が手放しで喜んだトヨタカップ。しかしこの日スタンドで見ていて、「日本でワールドカップをやるのは無理ではないか」という思いにとらわれた。観客の「拍手」がまったくといっていいほどなかったからだ。

 長く日本のサッカーを見てきた者にとって、ここ2年間の最大の驚きは「サポーター」の登場だった。
 応援団長のリードに合わせての「応援」は日本にもあった。しかしファンが自発的に歌い、それがスタンドの「点」ではなく「面」となって広がっていくという「サポート」は、日本では無理だと思っていた。
 しかし「プロリーグ」の誕生とともに、それはいとも簡単に生まれ、成長していった。サポーターたちの歌声は、いまやJリーグの試合になくてはならないものになっている。

 外国チーム同士の対戦であるトヨタカップには、当然のことながら、サポーターが非常に少なかった。その結果際だってしまったのが、「拍手がまったくない」ことだった。
 鋭い縦パスが出る。FWが走る。DFも必死にもどる。通常だったらタッチラインにけり出してしまうところを、DFは鮮やかなフェイントでFWをいなし、ターンして前を向いて前線に好パスを配給する。
 エキサイティングな攻撃プレーではないが、サッカーの醍醐味のひとつ。サッカーをよく知る観客なら、スタンドは割れんばかりの拍手に包まれるはずだ。
 だが日本では、こういうプレーに拍手が沸くことはまずない。
 激しい衝突で選手が倒れる。笛は吹かれず、ボールは生きている。味方選手は試合を止めるためにタッチラインにけり出す。治療が終わると、相手側選手はスローインを自軍ではなく相手チームの選手に向かって投げる。
 サッカーの美しい習慣のひとつだ。外国のスタジアムだったら、全観客が盛大な拍手を送る。
 だが日本では、まばらな拍手があるだけだ。

 興奮させるような攻撃のプレーには誰もが自然に声を上げ、スタンドも沸く。しかしサッカーのすばらしさはそれだけではない。最高級の守備技術、フェアプー精神あふれる行為など、一流の試合には称賛すべきものがたくさんころがっている。
 そのようなプレーや行為にふさわしいのは、スタンド全体からの、盛大で長く続く拍手以外にない。しかしこの点に関しては、日本の観客は信じがたいほどの「しみったれ」だ。声を張り上げ、力いっぱい旗は振っても、拍手はない。

 昨年、本紙運動面にこのようなことを書いた。
 「大きな声での応援は選手たちの闘争心をかきたてる。だが盛大な拍手は選手たちの自尊心を刺激し、それによってさらに好プレーが生まれる」
 ヨーロッパや南米のサッカーのレベルが高いのは、もしかしたら、いいプレーに対しては観客が大きな拍手を送ってくれるからかもしれない。日本の観客は、拍手に関してしみったれであることによって、いいプレーやハイレベルのサッカーを見そこなっているのかもしれない。
 以前ファーストフードのCMに「笑顔は無料です」というのがあった。
 拍手にも、元手はいらない。それを出し惜しみしているあいだは、けっして一流の観客にはなれない。そして一流の観客がいない国には、ワールドカップ開催はふさわしくない。

(1994年12月6日=火)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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