サッカーの話をしよう

No104 伝統に根付いた当たり前のこと

 ロンドンで1冊の小冊子を買った。「身体障害者サポーターガイド」(サッカーブック出版社発行)。主として車椅子を使うサッカーファンのための各クラブの受け入れ態勢のガイドブックだ。

 車椅子がはいる場所はスタジアムのどこか、ホームとアウェーでそれぞれ何台はいれるか、付き添いは可能か、身体障害者、付き添い人の入場料はいくらか、車椅子用のトイレはどこにいくつあるか、目の不自由な人が試合を楽しむ設備はあるか、予約は必要か、問い合わせの電話番号は。この8項目について、英国中の全プロクラブが寄せた回答が載せられている。

 1960年代にイングランド・リーグのゲームが日本のテレビで紹介されるようになったとき、車椅子のファンがグラウンド近くに陣取っているのに新鮮な感動を覚えた。
 当時、日本では町なかで車椅子を見かけることなど皆無に近かった。車椅子というのは、病院や身体障害者のための施設の内部にしかないものだった。ましてスポーツ観戦といえば、体の丈夫な人だけのものだった。車椅子のための施設どころか、劣悪な観客席の施設は、少しでも体の弱い人には耐えがたいものだったからだ。
 そんな日本から見たイングランドのスタジアムの光景は、「豊かな社会」の象徴のようだった。

 それから30年近くが経過した。1080円の固定レートだった1ポンドはいまや145円にまで落ち、英国と日本の「経済力」は完全に逆転した。
 ユートピアのように見えたイングランドのサッカースタジアムも、施設の老朽化や「フーリガン」の登場で、魅力も色あせた。
 だが依然として英国は豊かな文化をもった社会であることを、この「身体障害者サポーターガイド」は雄弁に物語っている。

 日本代表が今晩(日本時間では明朝)ブラジルと戦うリバプール市のエバートン・クラブの項を見てみよう。車椅子の定員は、ホームのサポーターが25、アウェーが5。1台に1人の付き添いが認められる。車椅子を使う障害者は入場無料、付き添いには10ポンド程度の入場料が必要。席の近くに専用のトイレもある。目の不自由な人のためには、解説を聞きながら試合を体験できる席がある。予約が必要である。
 数字にばらつきはあっても、どのクラブも同じような施設、設備を備えていることは、この小冊子をパラパラとめくるだけで知ることができる。
 イングランドでは、目の見えない人も「観戦」にやってくる。それどころか、目も見えず、耳も聞こえないファンさえ、私は目撃したことがある。この話は二年前にも紹介したが、そのファンの隣には付き添い人が座り、手のひらに文字を書いて状況を説明していたのだ。

 この小冊子では障害者を「DISABLED」、目の不自由な人を「BLIND」という、日本では「差別用語」と非難されかねない言葉で表現している。
 だが、言葉でどう言おうと、英国人たちはこうした障害をもった人びとも当然のように社会の一員として扱い、いわゆる「健常者」と同様にスポーツ観戦を楽しむ権利を保証する。
 しかも、それはけっして「美談」ではない。クラブの広報が「○○の施設から×人招待しました」などと宣伝することもない。
 これが「伝統」に根ざした「文化」というものなのだろうか。イングランドのサッカーを見ていると、そうした文化の「香り」があちこちにたちこめているのを、強く感じるのだ。

(1995年6月6日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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