サッカーの話をしよう
No106 タイムアウトを実際に見て
日本代表が参加したイングランドでの国際チャンジ大会の合間を縫って、スウェーデンで行われていた女子ワールドカップを1試合だけ取材した。6月7日にカールスタットで行われた日本×ブラジル戦だ。
もちろん女子日本代表の応援という意味もあった。だが同様に興味があったのが、この大会で試験的に採用された新ルール「タイムアウト」の実際を見ることだった。
試合の途中に監督が試合を止めて戦術的指示などを与える「タイムアウト」の意味については、すでにこのコラム(1995年3月14日付け)で書いた。国際サッカー連盟(FIFA)が女子ワールドカップでこれを採用することを発表したのは、その直後だった。もちろん、タイムアウトを取るかどうかは、監督の任意だった。
さてスウェーデンでのブラジル戦。前半立ち上がりに1点を先制された日本だったが、その後は野田、木岡、高倉を中心としたパスワークでブラジルを圧倒、すぐに同点、そして前半のロスタイムに相手のミスを拾って逆転に成功した。
アメリカのキャサリン・ヘップバーン(本名)主審が、後ろから体をぶつける警告もののブラジルの反則をしっかりとっていれば日本楽勝の試合。だが後半、勝利を意識しすぎたのか消極的になり、ブラジル陣に入れない時間帯が続いた。
日本の鈴木監督が動いたのは後半21分を過ぎたときだった。予備審判に要求すると、ボールがタッチラインを割ったときに主審にプラカードが示される。すると主審は笛を吹いてタイムアウトを宣言した。
両チームはそれぞれのベンチ前のフィールド内で水を飲みながら監督の話を聞く。日本の仁科選手はこの時間を利用してシューズを履き代える。バレーボールのタイムアウトと、まったく同様の光景だった。
しばらくすると主審が再び笛を吹く。選手がポジションに散り、ブラジルのスローインで試合が再開される。中断は2分5秒間。その後も日本は押され続けるが、チームは落ちついた。相手が攻め疲れた30分過ぎには攻勢に転じ、最後は危なげなく逃げきった。
日本を応援する立場からは、このタイムアウトはありがたかった。一方のブラジルも、「せっかくの攻勢に水をさされた」という気配はなく、最後の総攻撃向けて作戦のチェックをしている様子だった。
すなわち、この試合に限っていえばタイムアウトは不自然ではなかった。タイムアウトがなくても、負傷者の処置などで試合中に2分間程度の中断があることは珍しくない。それと比べれば、「どんな指示をしているのかな」などと考えながら待つことができた。
3月の記事では、テレビ中継にコマーシャルを入れる時間をつくるという、タイムアウトの「別の側面」を書いた。それゆえに、世界の専門家たちには「カネもうけのためにサッカーを変えてしまう愚行」と、反対する声も多い。
だが、女子ワールドカップの1試合を見る限り、私には反対する理由はとくべつ見つからなかった。ただ両チームがそれぞれの「権利」(前後半にそれぞれ1回ずつ)をフルに使い、1試合に合計4回ものタイムアウトということにでもなれば、話は別だが。
しかしこの調子なら、近い将来に正式ルールとして採用の可能性は十分だ。そして最初は監督の「任意」でも、数年後には、あるいは大会によっては、しっかりとCMを入れる時間をつくるために「義務」になるのではないか。
大会の全試合を通じて、FIFAはどんな結論を得たのだろうか。
(1995年6月20日)
もちろん女子日本代表の応援という意味もあった。だが同様に興味があったのが、この大会で試験的に採用された新ルール「タイムアウト」の実際を見ることだった。
試合の途中に監督が試合を止めて戦術的指示などを与える「タイムアウト」の意味については、すでにこのコラム(1995年3月14日付け)で書いた。国際サッカー連盟(FIFA)が女子ワールドカップでこれを採用することを発表したのは、その直後だった。もちろん、タイムアウトを取るかどうかは、監督の任意だった。
さてスウェーデンでのブラジル戦。前半立ち上がりに1点を先制された日本だったが、その後は野田、木岡、高倉を中心としたパスワークでブラジルを圧倒、すぐに同点、そして前半のロスタイムに相手のミスを拾って逆転に成功した。
アメリカのキャサリン・ヘップバーン(本名)主審が、後ろから体をぶつける警告もののブラジルの反則をしっかりとっていれば日本楽勝の試合。だが後半、勝利を意識しすぎたのか消極的になり、ブラジル陣に入れない時間帯が続いた。
日本の鈴木監督が動いたのは後半21分を過ぎたときだった。予備審判に要求すると、ボールがタッチラインを割ったときに主審にプラカードが示される。すると主審は笛を吹いてタイムアウトを宣言した。
両チームはそれぞれのベンチ前のフィールド内で水を飲みながら監督の話を聞く。日本の仁科選手はこの時間を利用してシューズを履き代える。バレーボールのタイムアウトと、まったく同様の光景だった。
しばらくすると主審が再び笛を吹く。選手がポジションに散り、ブラジルのスローインで試合が再開される。中断は2分5秒間。その後も日本は押され続けるが、チームは落ちついた。相手が攻め疲れた30分過ぎには攻勢に転じ、最後は危なげなく逃げきった。
日本を応援する立場からは、このタイムアウトはありがたかった。一方のブラジルも、「せっかくの攻勢に水をさされた」という気配はなく、最後の総攻撃向けて作戦のチェックをしている様子だった。
すなわち、この試合に限っていえばタイムアウトは不自然ではなかった。タイムアウトがなくても、負傷者の処置などで試合中に2分間程度の中断があることは珍しくない。それと比べれば、「どんな指示をしているのかな」などと考えながら待つことができた。
3月の記事では、テレビ中継にコマーシャルを入れる時間をつくるという、タイムアウトの「別の側面」を書いた。それゆえに、世界の専門家たちには「カネもうけのためにサッカーを変えてしまう愚行」と、反対する声も多い。
だが、女子ワールドカップの1試合を見る限り、私には反対する理由はとくべつ見つからなかった。ただ両チームがそれぞれの「権利」(前後半にそれぞれ1回ずつ)をフルに使い、1試合に合計4回ものタイムアウトということにでもなれば、話は別だが。
しかしこの調子なら、近い将来に正式ルールとして採用の可能性は十分だ。そして最初は監督の「任意」でも、数年後には、あるいは大会によっては、しっかりとCMを入れる時間をつくるために「義務」になるのではないか。
大会の全試合を通じて、FIFAはどんな結論を得たのだろうか。
(1995年6月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。