サッカーの話をしよう
No156 「母国」の幸福 スリーライオンズ
はじまりはガスコインの見事なゴールだった。
オランダに対する歴史的な4−1の勝利がそれに続き、さらにPK戦でスペインを破って盛り上がりは最高潮に達した。
1996年年6月、イングランドはとても幸せな2週間を過ごした。地元にヨーロッパ選手権を迎え、イングランド代表チームが見事なサッカーで快進撃を続けたからだ。
大会前には、ベナブルス監督が率いるイングランド代表の実力を疑問視する人が多かった。専門家とよばれる人びとは「優勝候補」にドイツ、オランダ、イタリアらをあげ、「イングランド」とでも言おうものなら、物笑いにされそうな雰囲気だった。
イングランドのサッカーの母国としての誇りは地にまみれていた。66年ワールドカップで優勝して以来メジャーなタイトルはひとつもなく、前回の94年ワールドカップでは予選で敗れてアメリカの土さえ踏むこともできなかった。
代表チームの実力だけではない。80年代のなかばから「フーリガン」と呼ばれるならず者の集団に踏みにじられ、存続の危機にさえ立たされていた。
サッカークラブと協会はフーリガン撲滅の長い戦いを続け、最終的には「スタジアムの近代化」によって勝利を得た。フーリガンの温床となっていたサポーター用の「立ち見席」を全廃し、観客席を全部独立の椅子席にモデルチェンジしたのだ。
今回のヨーロッパ選手権が実現した背後には、フーリガンとの戦いに勝ったイングランドに対するヨーロッパ・サッカー界の信頼があった。そうして、「サッカーが母国に戻ってきた」(大会のテーマコピー)のだった。
その開幕戦で、スイスを相手にまずい試合で引き分け、第2戦のスコットランド戦も前半は0−0。だが後半、イングランドは突然息を吹き返した。シアラーの先制点の後、ガスコインが後方から送られたボールをワンタッチで浮かせてDFをかわし、そのままボレーでけり込むファンタスティックなゴールを決めたのだ。
このゴールで、「母国」の空気は一挙に明るくなった。そして続くオランダ戦の4−1の大勝。過去30年間にわたって傷つけられてきた誇りが、完全によみがえった試合だった。ひとりの選手の天才的なテクニックではなく、チーム全体のすばらしいスピリットとチームプレーで勝ち取ったものであったことが、サッカー好きのファンを心から喜ばせた。
スペインとの準々決勝は苦しかったが、PK戦でGKシーマンが活躍し、新しいヒーローとなった。そして準決勝のドイツ戦を迎えたのだ。
試合前には、「もう怖いものはない」という空気と同時に、ドイツに対する恐れの気持ちも隠せなかった。ドイツは、イングランドとは対照的に、常にヨーロッパのトップの位置に君臨してきたからだ。
だが、ファンはここでまたイングランド・サッカーのすばらしさを確認する。1−1から延長にはいっても、イングランドは恐れることなく攻め続けた。最終的にPK戦で敗れたが、その勇気と「優勝候補筆頭」を自陣に押し込めた力に、ファンは大きな満足を得たのだった。
イングランドの試合ごとに、国内の空気が変わっていくのは、誰にでも感じることができた。だが、ひとつのゴールやひとつの勝利が、これほどまでにたくさんの人びとをうきうきとした幸せな気分にしてしまうとは、正直なところ驚きだった。
決勝戦のハーフタイムに今大会のフェアプレー賞の発表があり、イングランドの受賞が発表され、イングランド代表の応援歌「スリー・ライオンズ」が場内に流れた。
「ずっと傷つき、ジョークにされ、笑われてきた。でも僕らは夢を見続ける。30年前の栄光をまた成し遂げられることを。帰ってくる。サッカーが、故郷に帰ってくる」
スタジアムには、ドイツから1万人、チェコから4000人のサポーターがきていた。しかし6万人はサッカーを心から愛するイングランドのファンだった。彼らは軽快な音楽に合わせて合唱し、狭い席でリズムをとりながら踊った。そして最後には、ドイツもチェコもイングランドもなかった。スタンド全面の大合唱となった。
勝者も敗者も、みんなが幸せな気分だった。そんな力をもったサッカーを生み出したことを、イングランド中の人びとが大きな誇りに感じていたに違いない。
(1996年7月8日)
オランダに対する歴史的な4−1の勝利がそれに続き、さらにPK戦でスペインを破って盛り上がりは最高潮に達した。
1996年年6月、イングランドはとても幸せな2週間を過ごした。地元にヨーロッパ選手権を迎え、イングランド代表チームが見事なサッカーで快進撃を続けたからだ。
大会前には、ベナブルス監督が率いるイングランド代表の実力を疑問視する人が多かった。専門家とよばれる人びとは「優勝候補」にドイツ、オランダ、イタリアらをあげ、「イングランド」とでも言おうものなら、物笑いにされそうな雰囲気だった。
イングランドのサッカーの母国としての誇りは地にまみれていた。66年ワールドカップで優勝して以来メジャーなタイトルはひとつもなく、前回の94年ワールドカップでは予選で敗れてアメリカの土さえ踏むこともできなかった。
代表チームの実力だけではない。80年代のなかばから「フーリガン」と呼ばれるならず者の集団に踏みにじられ、存続の危機にさえ立たされていた。
サッカークラブと協会はフーリガン撲滅の長い戦いを続け、最終的には「スタジアムの近代化」によって勝利を得た。フーリガンの温床となっていたサポーター用の「立ち見席」を全廃し、観客席を全部独立の椅子席にモデルチェンジしたのだ。
今回のヨーロッパ選手権が実現した背後には、フーリガンとの戦いに勝ったイングランドに対するヨーロッパ・サッカー界の信頼があった。そうして、「サッカーが母国に戻ってきた」(大会のテーマコピー)のだった。
その開幕戦で、スイスを相手にまずい試合で引き分け、第2戦のスコットランド戦も前半は0−0。だが後半、イングランドは突然息を吹き返した。シアラーの先制点の後、ガスコインが後方から送られたボールをワンタッチで浮かせてDFをかわし、そのままボレーでけり込むファンタスティックなゴールを決めたのだ。
このゴールで、「母国」の空気は一挙に明るくなった。そして続くオランダ戦の4−1の大勝。過去30年間にわたって傷つけられてきた誇りが、完全によみがえった試合だった。ひとりの選手の天才的なテクニックではなく、チーム全体のすばらしいスピリットとチームプレーで勝ち取ったものであったことが、サッカー好きのファンを心から喜ばせた。
スペインとの準々決勝は苦しかったが、PK戦でGKシーマンが活躍し、新しいヒーローとなった。そして準決勝のドイツ戦を迎えたのだ。
試合前には、「もう怖いものはない」という空気と同時に、ドイツに対する恐れの気持ちも隠せなかった。ドイツは、イングランドとは対照的に、常にヨーロッパのトップの位置に君臨してきたからだ。
だが、ファンはここでまたイングランド・サッカーのすばらしさを確認する。1−1から延長にはいっても、イングランドは恐れることなく攻め続けた。最終的にPK戦で敗れたが、その勇気と「優勝候補筆頭」を自陣に押し込めた力に、ファンは大きな満足を得たのだった。
イングランドの試合ごとに、国内の空気が変わっていくのは、誰にでも感じることができた。だが、ひとつのゴールやひとつの勝利が、これほどまでにたくさんの人びとをうきうきとした幸せな気分にしてしまうとは、正直なところ驚きだった。
決勝戦のハーフタイムに今大会のフェアプレー賞の発表があり、イングランドの受賞が発表され、イングランド代表の応援歌「スリー・ライオンズ」が場内に流れた。
「ずっと傷つき、ジョークにされ、笑われてきた。でも僕らは夢を見続ける。30年前の栄光をまた成し遂げられることを。帰ってくる。サッカーが、故郷に帰ってくる」
スタジアムには、ドイツから1万人、チェコから4000人のサポーターがきていた。しかし6万人はサッカーを心から愛するイングランドのファンだった。彼らは軽快な音楽に合わせて合唱し、狭い席でリズムをとりながら踊った。そして最後には、ドイツもチェコもイングランドもなかった。スタンド全面の大合唱となった。
勝者も敗者も、みんなが幸せな気分だった。そんな力をもったサッカーを生み出したことを、イングランド中の人びとが大きな誇りに感じていたに違いない。
(1996年7月8日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。