サッカーの話をしよう

No159 世界に通用する審判の育成を

 ヨーロッパ選手権(6月イングランド各地)とアトランタ・オリンピックを連続して見て大きく感じたのは、レフェリングの違いだった。

 ヨーロッパ選手権では各国のトップクラスのベテランが主審を務め、「ゲームコントロール」の面で見事な手本を見せた。だが、判定自体は、試合によって不思議なほど大きなバラつきがあった。とくにオフサイドの判定が新しいFIFA(国際サッカー連盟)基準に準拠していない場合が多いのには驚いた。
 一方、オリンピックでレフェリーを務めたのは主として若手の国際審判員だった。女子の試合も並行して行われたため、男子の試合の副審を女性が務めることもあった。そして、「ゲームコントロール」の力の面では全般的にはヨーロッパ選手権のほうが上という印象はあったが、判定の統一度はオリンピックのほうがずっと高かった。

 その原因は、審判員の任命システムの違いにあるように思う。
 「UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)方式」では審判員は4人(主審1人、副審2人、第4審判1人)が「セット」になってひとつの国から任命される。同じ国の審判員だから言葉の問題はない。コンビネーションも抜群だ。UEFAは84年ヨーロッパ選手権からこの方式をとっており、現在ではすべての国際試合で採用している。
 一方、FIFAが直接管轄するオリンピックでは、世界中から主審と副審が16人ずつ選出され、試合ごとに組み合わされた。FIFAはこの32人を大会前にマイアミに集め、合同トレーニングをすると同時に徹底して判定の統一を図った。そして大会中にも、審判委員会のメンバーが各試合のレフェリングを検討し、担当審判員とのディスカッションがもたれた。

 ヨーロッパ選手権では、4人の「審判チーム」はそれぞれ自分たちに割り当てられた試合の2日前ほど前に現地入りし、試合が終わったらすぐ帰国するというシステムだった。判定の統一をはかるチャンスなどまったくなかったのだ。
 日常的に国際交流が行われ、審判員のレベルも高いヨーロッパだが、近年の急激なルール解釈の変化で、国によって相当なバラつきができてしまったのだ。
 「審判講習会」のような企画も有意義だが、実際の大会で審判をしながら互いに批評し合ったり、インストラクターから指導を受けることで、審判員の力は大きく伸びる。同時に、こうして示されたレフェリングによって、判定基準が統一されていくというメリットもある。UEFAも、FIFA方式の長所を取り入れていくべき時期にあるように思われる。

 ところで、今回のオリンピックで残念だったのは、日本の審判員の顔がなかったことだ。
 アジアからは主審と副審が2人ずつ参加したが、日本には彼らに負けない実力をもった若手審判員が何人もいる。それがなぜ選出されなかったのか。その理由のひとつに、「国際舞台でのアピール不足」があるのではないか。
 公務員や会社員が中心の日本の審判員にとって、数週間の休みをとって外国の大会に参加するのは簡単なことではない。だがそれ以上に、国内日程、とくにJリーグの試合に追われて、日本協会には国際大会に審判員を派遣する余裕がないのではないだろうか。
 サッカーのレベルアップは選手だけで成し遂げられるものではない。「世界に通用する選手」ばかりでなく、「世界に通用する審判員」の養成にも真剣に取り組まなければならない。

(1996年8月13日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

アーカイブ

1993年の記事

→4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1994年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1995年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1996年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月